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ヒロシとコロンとかなみ、それと太郎(声だけ)

ヒロシとコロンとかなみ、それと太郎(声だけ)


彼女を雇ってから、まもなく1ヶ月になろうとしている。

その働きぶりは、見事としか言いようがない。

俺はこの商売を始めてそんなに長くはないけど、こんなホステスに出会ったのは初めてだ。

かなみは本当によく気が付く娘だ。普段の言動からは想像出来なかったので、俺は正直に驚いたんだよ。

視野が広いって言うのかね。当たり前の事を当たり前に出来る人間ってのは、割と少ないと俺は思うんだ。

例えば、他のテーブルの氷や酒が切れていれば、進んで補充に当たる。まあ、当たり前の事でしょ? 

でも、お客さんと話ながらだから、会話の切れ目を狙って補充しなければならないんだ、これが意外に難しい。かなみは客に断って立ち上がり、脱兎の如き速さでキッチンに氷や酒を取りに行く、最初その彼女の行動は気味悪がられたし、客も嫌な顔をしたよ。だけど、一週間も経たない間に彼女の行動は他の店員にも客にも受け入れられた。天才的な補充ホステスの誕生だった。

こんな例もある。他のテーブルに来た新規の客が嫌な奴だったとする。かなみは他の客の相手中だ。他の娘が酌をしているが、その娘はその客が苦手だと感じた。本当はその時点で客商売人としては失格なんだけど、その娘も人間だから、好き嫌いくらいは持っている。

かなみはそれをも見逃さない。少しでも他のテーブルの空気が悪いのを感じるや否や、彼女は客に断って席を立ち、その娘のヘルプに駆け付ける。これも最初は嫌がられたんだけど、いつの間にか他の娘から頼られるまでになっていた。ヘルプホステス誕生って訳。

不思議な風が頭の中に吹いている少女かなみ。彼女は本当に太郎くんの言う通り、この職業に向いていた。否、どんな職業でも彼女は上手くこなすんじゃないだろうか。

彼女とひと月も付き合うと多少俺の頭も解れたのか、いつの間にか俺も西区太郎を太郎くんと呼ぶようになっている。

かなみの実力を認めざるを得ないのは、その指名率、そして新規の客のリピート率がべらぼうに高い事で、殆どトラブルにすらならなかった。雇ってひと月でこの店の元からの従業員をごぼう抜きし、遂にはナンバーワンに君臨する事になった。

君臨などと偉そうに言ってみたが、彼女の態度は最初から何一つ変わらない。別のテーブルへのヘルプ、酒が切れれば補充、客がタバコを欲しがれば買い出しにまで出た。とにかく何をするにも彼女は楽しそうで、客も従業員も心が和んでいたのは事実だ。

このひと月で俺が出張って客に謝るという構図は一度も起きていない。前は結構あったんだけどね。他の娘たちも負けてなるものかと必死に彼女の真似をし、客への対応も前より良くなった。前が悪かったって訳でもないんだけど、とにかく彼女たちも生活が掛っているので必死だ。俺の店は時給で雇っていない、その日の活躍に応じた日給制度を採用している、自分の持つ客が減れば給料にも差が出て来る。殆どの場合は自分の給料が下がる事を心配しての必死さだった。ちなみにバーカウンターを任せている娘と事務処理で雇っているおばちゃんだけは時給だ。

ひと月で単純な売上が前年比の倍になったので、俺は特に問題ない。活躍に応じて分配する給料を下げる事もしなかった。

給料は個人で口座を持っていないというかなみの代わりに保護者である太郎くんの口座に振り込んでいたが、半分は翌日に俺の個人口座に戻って来ていた。俺の口座ってそんなに簡単に調べられる物なのかい。

気になって電話する。かなみと初めて会った時と同じで、こちらからの電話は無言で切られ、直後に掛って来るというシステムは健在だった。

『やあ、洋泉。そろそろ電話が来るとは思っていたよ』

いきなり挨拶も無く喋りだすのも健在。

『かなみの給料の件か、君の個人口座を何故僕が知っているかという類の質問だと思うんだけど、間違え無いかな?』

俺は受話器に向かって頷く。太郎くんには見えていないんだが、何も言葉が思いつかなかった。太郎くんはその無言を肯定の合図と採ったらしく、言葉を続けた。

『先ずはかなみの給料の件だけど、僕が考えていたより多い。かなみの兄とも相談したんだけど、多過ぎる給料はかなみの教育上悪いという判断になった。この家は元々金に関しては困っていないからさ。かなみが社会経験を積みたいという希望だから行かせているんだしね。本当は全て返そうかとも思ったんだけどね』

「しかし、それでは俺の社長としての立場が無いよ。かなみちゃんの働きに応じた金額を払うのが俺の仕事だし、本当に金額に見合う分の働きを彼女はしているよ」

無駄な議論になりそうだが、俺は一応食い下がった。

『うーん、君の会社の給料体系に文句がある訳じゃないんだよ。かなみも同意している事なんで、素直に受け取ってはくれないかい?』

受話器を見つめて俺は唸った。

『まあ、使途不明金とかにはならない程度の振り込みだから、君が裁判所に訴えられたり、警察のお世話になったりするような類の話ではないよ。金額的には少ないけど、君の出資者の一人にかなみがなったのだと思ってくれれば上出来だと思うけど』

それでは雇用関係ではなくなる、かなみが俺の会社の重役になってしまうではないか。

『それはかなみには出来ない仕事だから、謹んで辞退させてもらうよ。かなみはこのひと月の間、凄く楽しそうでね。こういうのは彼女の病状にも大変良い事だと僕は診断するね。とにかく君の口座に移すのが駄目なら、何処かの被災地か紛争地帯のボランティア活動資金とかに寄付って事になるけど、来月からそうするかい?』

その提案はちょっと俺が考え込んでしまった。普通に使われるならばまだしも、何処の誰とも知れない、大体、被災地の人間の為に使われるかどうかも怪しい寄付には使って欲しくはなかったんだ。太郎くんの選ぶ被災地や紛争地帯のボランティア資金なら間違えなく困っている人々の為に使われるんだろうけどさ。

「わかった、毎月俺の口座に振り込んでくれ。そのお金は何処か別の口座を俺が用意して管理する。俺がかなみちゃんのお金を預かるという形にしておいてくれるかい? 俺の運用の仕方にもよるけど、元本割れしない程度に増やしておくからさ」

やっとの事でこういう形に収めた。

『君がそれで良いならば、僕らに異存はないさ。それと、銀行口座の調べ方だけど、僕は医者である前にかなみの兄の自称右腕諜報員なんだよね。君の口座の調べ方は一応企業秘密って事になるね。ちなみに口座番号が判れば逆に引き出す事も可能だよ。暗証番号が4ケタな限りは僕にとっては無意味だからね。16ケタくらいまでなら無いのと同じだと思ってくれて良いかな?』

それはそれで恐ろしい話だ。どうせ足の付くような真似を太郎くんはしないだろう。金に困らないというのはそういう事か。

『あ、一応説明するけど、仕事絡み以外に引き出しはした事ないからね。わざわざ一般市民の口座から小金を盗むような真似はしないから。僕が気付いた範囲でだけど、ある意味慈善活動はしているけど、見解の違いによっては僕も犯罪者の仲間入りだからねぇ』

太郎くんは相変わらず楽しそうに喋っている。

『例えば、ねずみ講って詐欺手法があると思うけど、僕の方が気付くのが早ければ、集金の頂点にいる人間が使い込む前に僕がその人間の口座を割り出し、全て降ろしてしまう。そして愚かにも振り込んでしまった人々に返却している。まあ、一応仕事のつもりだから、僕も少し手数料を貰うけどね。その分は集金の頂点の人間の口座がマイナスされるだけだから、心配無用だよ。一般市民から金を巻き上げて自分だけ金持ちになろうなんて人間は少し困らせないとね。コンピュータや携帯電話が普及するともっとこの手の事件は増えるだろうから、僕が出来る範囲はもっと狭くなってしまうだろうけどね』

君は天才過ぎるよ。犯罪に対する意識は低いと思うけど。

電話を切って暫くすると、かなみと前のナンバーワン、コロンが出社して来た。

うちの常連客の一人に俺がタレントみたいな事をしている時のテレビ局ディレクターの髭の方が居るってのは前に言ったっけ。その髭が酔っぱらって言う言葉が最近増えた。

『洋泉くん。俺は死ぬまでに必ず君が出演した番組全部のビデオを発売するよ』

これが前から言っている口癖なんだけど、それに今はこう加わる。

『ところで洋泉くん。君の店のかなみちゃんさぁ。ウチのテレビ局専属タレントとして雇えないかな? あの娘には華があるよ。前までナンバーワンだったコロンちゃんには悪いけどさ。俺がこんな風に思う程、彼女は輝いているんだよ』

だそうだ。

恐ろしく評価が高い。この髭はあんまり人を褒めないので有名だ。

ちなみに前まで指名率ナンバーワンだったコロンがそれで気を悪くする事はない。彼女の顧客は減っていないからだ。それに彼女とかなみはどうやら知り合いであるらしい。年齢は同じだし、確かに住んでいる地区も似通った学区だ。学校が同じかどうかまでは知らないが、彼女たちはライバルでありながら、お互いを認めている節がある。

「コロンちゃんこの歌知ってる!?」

いつもの元気の良さを全面に押し出しながらかなみがコロンと話していた。

彼女の持った歌本をコロンは受け取る。

「どの曲?」

ある意味優雅な動きをするのがコロンで、元気爆発なのがかなみだ。

二人共歌が上手い。ちなみに俺も相当上手い自信がある。客商売に声は結構重要だと俺は考えているんだよね。この1ヶ月でカラオケのリクエスト回数は異常な程増えていた。かなみの言う、歌って踊れる店に俺の店は変貌を遂げつつあった。賑やかで良いけどね。

「ニャン娘部活の歌!!」

コロンは深くため息をつくが、決してかなみのリクエストが嫌いな訳ではないらしい。

「大体歌えるわ。私たちが小学生くらいの時に流行っていたからね」

「片目瞑りの歌は!?」

「ええ、それも大丈夫よ。同じ時代じゃない。その頃の歌なら大抵知っているし、歌えるわよ。ああ、でも、私は演歌が歌えないけどね」

コロンはかなみの話によく付き合う女だ。微妙に古い曲から最新の曲までかなみの頭の中には網羅されていた。ついでに言うとかなみは喋っている時と歌っている時の声質が全然違う。  これは客に意外な印象を与えて好評だ。

ちなみにこの頃こういう手の店に置いてあるカラオケって機械は、基本的に客が曲をリクエストして自分で歌うのが当たり前だった。一曲百円とか客の金だからね。リクエストを受け付けて歌うスタッフの居る店は珍しかったんじゃないだろうか。そういうのは自分でギターを持って路上や屋台の近くで流しをやる物だと当時は思われていたんだな。

かなみは学生時代の少し荒れていたコロンを知っているようで、コロンは今も少し近寄り難い雰囲気を持つ娘だが、かなみは人間を見た目で判断しない珍しい人種だ。昔からの知り合いであれば尚更か、俺が最初に会った時のコロンはまだちょっと荒れていたかな。

俺がコロンとススキノの道端で出会ったのは本当に偶然だった。俺は事務所を辞めたばかりで、このビルを借りるか買うかで悩んでいた。何しろやっとの思いで卒業確定はしたものの、大学時代はテレビの仕事が忙しくて、ろくに経営の勉強もしなかった男が、思い付きで日本でも最大の歓楽街に店を出そうというのだから、お笑い草だ。まあ、これは去年の今頃の話で、正確には俺はまだ大学生だった。それでも取得単位は全てとれていたし、卒論の評価も悪くはない。卒業確実くらいの気分で、演劇で将来食って行けたら良いな、とは思っていたが、練習するスタジオ代とか掛るし、何か自分に楽な商売は無いかと考えていたんだよ。それが女の子に接客して貰う店だったんだ。美味い料理と酒が出て来て、綺麗な女の子がお喋りの相手をしてくれるレストランがあったら良いな、くらいの事を考えていた訳。此処で重要なのは俺の出番が殆ど無いって事ね。俺は店の責任者だけど、自由に使える時間があって、演劇の勉強が出来るってのを夢見ていたんだ。実際始めるとそんなに簡単でもなかったけどさ。

その俺が見上げていたビルが今居るこの店になる訳だけど、まだその時はただのビルだった。営業許可が下りるかどうかも分からないが、俺はこのビルの形が気に入っていた。

そんな俺の視線が人の気配を察しビルから外れて、その視線の先にコロンが立っていた。正確には歩道を歩いていたんだな。

この娘、昔映画で共演したアスミちゃんに似ているな。あの娘も今は結婚して子供も居るんだっけ。そんな事を思って俺はその娘が通り過ぎるのを眺めていた。

すれ違う瞬間に何か思い出した。

それは俺が小学校高学年の時、俺や太郎くんの通う小学校に凄い綺麗な女の子が二人入学した話題で、小学生には見えない程可愛いという噂話だ。今思えばそれはこのコロンとかなみなんだけど、当時の俺は色々あったお陰で小学生の頃の記憶が曖昧だった。

確か名前は。

「藤花梨さんじゃない?」

凄い勢いで俺の頭の中の記憶が蘇った。しかし、別人だったのか、その娘はその場を去ろうとしている。

見送る俺と無視した彼女、それが大人になった俺とコロンの出会いなんだが、彼女は覚えていないらしい。

見送る俺の後方から何か怒号のような声が聞こえた。

「待てコラっ!!」

男の声でそう聞こえた。彼女との間に居た俺は思わず振り返る。

「俺?」

多分違う事は認識しているんだけど、この状況で俺に出来る事は自分を指さしてこう言うしかなかった。

「誰だテメェっ!! テメェなんぞに用はねぇんだよっ!!」

やっぱりね。

男は俺を押し退け、彼女の後を追っていた。彼女も振り向いている。男女関係のもつれにしては男の年齢が俺より上に見える。別に恋愛に年齢は関係ないと思うけどさ。彼女は確実に俺より年下だろうし、男はどう見ても同い年には見えない。

追い付いた男は特に長い距離を走った訳ではなさそうだが、息が荒い。

彼女は何か汚い物でも見る様な目付きで男を下から上へと見上げた。見上げた先に俺が居る。俺はこの男女二人をなんとなく眺めていただけだ。

「あ、洋泉ヒロシだ」

突然そう言って彼女は俺を指さした。この場合は小学校の先輩という意味ではなく、タレントとしての俺の事を言ったのだろう。俺の出演していた番組はこの頃まだ深夜に再放送されていたしね。しかし、それが男を振り向かせる手段だったのは言うまでもないだろう。彼女を走って追い掛けていた男は押し退けた俺の方に振り向いた。押し退けた時点で気付けよ。

罠だよな。

俺がそう思うのと同時に彼女の足が思い切り上に向かって蹴り上げられていた。短めのスカートの中が見えそうだ。

首だけ振り返っていた男の顔が漫画みたいに青くなって歪む。俺が蹴られた訳でもないのに俺も股間が痛いような幻痛を覚える。

そう思っていると彼女は俺の方に向かって走り出し、すれ違いざまに俺の手を取った。

彼女に引っ張られる形で俺も走り出す。

走りながら振り返って見ると、彼女に股間を蹴られた男が歩道に転がって何か喚いていた。まだ昼間なのに、物騒な街だよな。

何人かの通行人が興味深そうに俺と彼女に視線を送ったが、大体は喚いている男に視線は集中していた。

俺たちは俺が見上げていたビルの中に入っていた。

「今このビルに逃げ込んだの見られなかったよね!?」

彼女がそう言う。確認した訳ではないが、男はそれどころじゃないんじゃないか。股間を蹴られる痛みは女の人には理解できないんだろうなぁ。

「大丈夫みたいだ。かなり強く蹴られたみたいだし、君を追い掛ける意思も今ので挫かれたんじゃない?」

俺がそう言うと彼女は少し下を向いて何か考えていたが、通路の奥にあるエレベーターに向かって俺の手を引っ張った。

「ちょっと付き合って」

表情は見えないが、美少女に手を引っ張られるのは悪い気はしない。俺はそのまま引っ張られ、エレベーターに乗り込んだ。

「訊くけど、なんでテレビに出ている洋泉ヒロシが此処に居て、なんで私の名前をフルネームで知っているの?」

俺は先程思い出した事とこのビルを見上げていた理由を話した。

「芸能人と同じ小学校の卒業だとは知らなかったわ。高校はテレビで話していたあの学校で合っているの? 学区が違うじゃない」

番組内で自分の出身校も確か言ったな。学区に関しては親の都合で中学の時に転校したのでそうなったと説明する。彼女は結構タレントとしての俺は知っているようだが、俺が引退した事は知らなかった。

「そう、それは残念ね。社長さんの事件の時はちょっと道外に居て知らないの。さっきの男にしつこく付き纏われていてね。札幌に帰って来るといつもあの調子なのよ」

憤慨した姿も割と綺麗だな。

そう思っているとエレベーターは最上階に着いた。ドアが開くが、他に乗って来る人もない。俺たちは降りてエレベーター横にある階段を昇る。上は行き止まりだが、其処には屋上に続くドアがあった。勝手に屋上に上がっていて管理人とかに怒られないかが心配だけど、なんとなく彼女の方が心配に思えた。

屋上には昨日の雨の名残の水溜り。ビルに入っているテナントが勝手に置いたと思われる段ボールに入った荷物。雨で濡れても良い物なのか、それともゴミなのかまではわからない。事務椅子がひとつ転がっており、これは背もたれ部分が壊れ、座席部分が裂けているので、ゴミなんだろうと判る。

彼女は無言になって屋上の真ん中まで俺を連れて行った。

空を見上げていた。俺も釣られる。

「札幌の空って綺麗よね」

「ああ、そうかもね。他の地域に行った事もあるけど、俺には前しか向けなくてね。こうして空を見上げる事もあんまり無かったかな」

俺は今までこんなに長時間空を見上げて、空について考える事は本当に無かった。

気付くと彼女が俺の顔を見ていた。

「ふぅん。結構格好良い事も言えるのね。なんかテレビに出ている洋泉ヒロシとは別の人みたい」

「俺だって格好良い役貰って演じた事だってあるんだよ。ベートーベンとか幕末志士とかさ。顔はそんなんでもないから、セリフの言い方と声の張り、演技に向ける真面目さでは本州の役者にも負けない自信はある」

「ごめんね。私は演劇も映画もドラマも見ないの。あなたの事はお笑い芸人だと思っていたわ」

「ひでぇな」

「ほんとね」

暫くクスクスと笑った。

「私ね。ある人を探しているんだけど、その人は北海道はおろか日本にも居ないみたいなんだ。結構探したんだけどね」

「男かい?」

「ええ、男の人。今日のあなたより格好良く現れて、あなたより格好良くチンピラを片付けて、颯爽と去って行ったわ」

今考えればそれはかなみの兄であろうと気付く訳だが、この時の俺は先輩の事なんて頭にない。

「俺は喧嘩向きじゃないから、一緒に走って逃げる事くらいしか出来なくてスミマセンね。その人は君の大事な人なのかい?」

「大事かな。判らない。彼は人を助けたという自覚の無い人だから、私を助けたとも考えていないかもね。彼の妹にも世話になった事があるし、あの兄妹には本当に何かの形で恩返しがしたいのだけど、なかなか機会がないのよ」

これも今考えれば、妹というのは勿論かなみの事なんだけど、かなみに直接会うのはこれから一年先なんだよね。先輩に助けて貰うのもこの半年先だしね。

「そんな凄い人ってこの世に存在するんだな」

「ええ、私だって実際あの人に会うまでは、そんなヒーローヒロインなんて存在は架空の話の中にしか存在しないと思っていたんだけど、事実としてあの人は存在するのよ」

力説ごもっともだが、俺の知り合いではなさそうだし、俺では力にはなれないね。そんな凄い奴が俺の近くに居たら、事務所の社長も死なずに済んだかも知れない。そんな事が頭を過ったが、俺は頭を振ってそれを頭の中から消した。そう、そんなタラレバで人生動いちゃいけない。

「しかし、そんな凄い奴の話は別として、君はどうしてさっきの男みたいなのに追われているんだい?」

「それは……」

彼女は口籠る。

「イヤ、無理に言わなくて良いよ。人間誰でも胸にしまっておきたい事の一つくらいあるもんだ。それより一つ頼みがあるんだけど」

俺は彼女を一目見た時から決めていた事があった。出会ってすぐに告白する程軽薄な人間ではないから安心してくれ。そういう話じゃないし。

「何?」

「さっき俺がこのビル借りるか買うかで悩んでいたって話はしたよね? 俺が悩んでいるもう一つの事が実はあってさ。借りるなり買うなりして店を開くのは良いんだけど、スタッフに心当たりが無いんだよね。良かったら君がそのスタッフ一号になってみる気はないか?」

我ながら恐ろしく格好悪い誘い文句だ。

彼女はかなり呆れた顔になったが、少し経つと笑いだした。

「なにそれ? 洋泉ヒロシ流の口説き文句なの?」

「イヤイヤイヤ。違う、違うって。そういう気持ちじゃなくて、純粋に君がスタッフに居たなら店が華やぐって思っただけなんだよ」

何を焦っているんだ俺は。俺の口の呂律が回らないなんて事があるのか。

俺がなんとか次の言葉を探して口を開こうとした所で、彼女は手を挙げて制した。

「誘ってくれるのは嬉しいんだけど、確認したい事がいくつかあるの。良い?」

「ああ、俺の頭の中にしかまだ無い店だけどさ、なんでも訊いてくれ」

「そう」

彼女は少し笑いを堪えるのに間を使う。俺の誘い文句がこれ程彼女の笑いのツボに入るとは考えていなかった。

「じゃあ、訊くわね。先ず、此処はススキノよ?」

ああ、わかっているけど。

「ススキノで店を出す。女の子のスタッフを使う。このビルの周囲を見回しても判ると思うけど、かなりいかがわしい店があるわよ。道路向こうはラブホテル街だし、普通の店じゃないわよね? 少なくともお酒を飲ませる店?」

「ああ、お客さんにお酒を出す店にはしたいと思っているけど。その辺りにあるいかがわしい店でしているような行為はさせないよ。俺はそういうのが嫌いだからさ」

「ふぅん。そう。私をホステスとして雇いたいのね? でも、お客さんが電話番号を訊いて来たり、口説いて来たりした場合はどうするの? あなたが助けてくれるの?」

う、そこまでは考えていなかったな。

「まあ、それは私が自分で何とかするけど。私のやり方は荒いと思うわよ?」

先程の股間蹴り上げシーンが俺の頭の中に蘇った。

「イヤイヤイヤイヤ、待ってくれ。今その対策は頭に無いけど、店開くまでには考えるから」

本当に頭に無かった自分を恥じる。

「そう。期待しないで待っているわ。店が出来るまでにあなたの頭に浮かばなかった場合は好きにするけど、それでお客さんが来なくなっても給料は貰うわよ」

俺は青くなったり赤くなったりを繰り返しているだろう。

待てよ、今の返事って。

「OKなの?」

「ええ、良いわよ。ただ、問題がひとつあるわ」

「え? なに?」

「私、実は海外で生まれたのよね。うまく誤魔化して生活はしているし、高校も卒業したけど、実は普通の日本人より1歳年下なの」

俺の頭は暫く事態を飲み込めなかった。

「つまり、私は今17歳なのよ。この国では高校を卒業するにはもう一年要るし、そういうお店で雇えるのは18歳になってからじゃない?」

人間、否、女は化けるとは言うが、俺より6歳下って事は今年18歳になるという事か。

「イヤ、イヤ、イヤ……待てよ。どうしてそうなるんだ?」

「私は生まれた瞬間に1歳児に混ぜられて生活する事になり、4歳の時に日本に帰国して5歳で小学校に入学したのよ。手続き云々の間違えではなく、私の父がわざとそうしたんだと思うけど、理由までは知らないわ」

可能な事なのか。まだこの時は太郎くんと知り合いではないので、そういう事が出来るか確認出来る人間に心当たりがなかった。ちなみに、後に太郎くんに訊いた所『やろうと思えば出来るけど、僕はやらないし、意味を感じない』のだそうだ。

「まあ、あなたの考える店がいかがわしくないのはあなたの表情から察するし、そのお店は今から作る気みたいだから、九月にオープンしてくれれば問題解決かしら。私の誕生月は九月なんで、それより後なら問題無しよ。私も普段の危険度の高い仕事から足を洗いたいと思っていた所だし……」

最後の言葉が引っ掛かったが、俺は敢えて其処は無視した。俺の頭の中で急速に九月までの予定表が組み上がる。

あ、金は心配ないんだよ。普通に浪人したり留年したりした大学生よりは余程金持っているからね、伊達に芸能界に居た訳ではないさ。まあ、金の使い方が判らなくて、事務所に管理してもらっていたから余っているんだけどさ。これからは其処も自分で管理しなきゃならないんだな。

「判った。八月末までにオープンして、君を待つ。それまでに君も身綺麗にして、少しで良いから大人しい女の子になってくれると有難い。ちょっと此処で待っていてくれるかい?」

俺はそう言い残すと彼女を其処に置いてビルの中に戻り、階段を凄い勢いで降りた。一階にある管理事務所の扉をガンガンたたく。

「スミマセン! このビル買いたいんですけど!!」

中から出て来た管理人のおじさんは、俺の所属していた芸能事務所の死んだ社長にそっくりな唇お化けみたいな人だった。これも何かの運命だと俺は自分に言い聞かせる。

この日の俺は勢いのある男だった気がする。

おじさんにこのビルの管理を委託しているビルオーナーに連絡をしてもらって、交渉して仮契約を結び、役所に出店の届けを出し、工事業者にビル改装の手配までした。その後一ヶ月でこのビル全体を買い取り、俺はこのビルのオーナーになる。

管理事務所のおじさんに紙とボールペンを借りて急いで屋上に戻る。彼女は屋上の真ん中ではなく、柵の辺りに移動してぼんやりと周囲のビルを眺めていた。

「お待たせ!」

そう言って彼女に紙とボールペンを渡す。

「それに君の連絡先と名前を頼むよ。それからこういう店は源氏名が要るから希望を書いてくれ。他の娘には絶対使わせないからさ。今このビルのオーナーと交渉して仮の契約をしたから、早ければ工事はひと月後には始められると思う。絶対面白い店にしてみせるからさ!」

彼女は受け取った紙に連絡先と源氏名の候補を一つ書いた。

「もうひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「何?」

「私の本名を呼ばないで欲しいの。店の中でも外でもね。私自分の名前が嫌いなのよ。さっき一度あなたが呼び止めた時無視したでしょ? フルネームで呼ばれるのはかなり嫌い」

何故だ。特に問題の無い名前だと思うが。

「英語読みにしてみて」

「英語読み? 藤花梨だから……カリン・トウ……ゴメン、真面目に気付かなかった」

素直に謝ったので彼女は許してくれたようだ。

そして、彼女から渡された紙に書かれた源氏名はコロンだった。

これはこれでお菓子を連想させるけどな。和菓子でなければ良いのだろうか。

こうして俺の店の接客店員一号にして、先月までのナンバーワン指名率を誇るコロンは俺と出会った訳さ。

「洋泉くん。何ニヤニヤして見ているの? 気持ち悪いわよ」

実際はかなみより1歳年下のコロンが歌本から目を上げて俺の方を見ていた。

「いやぁ、俺は幸せ者だと思ってね。だって、コロンとかなみちゃんっていう二大巨頭が居る店のオーナーなんだもんな。こんな恵まれた環境の店のオーナーになれた俺って本当に幸せだよ」

かなみが爆笑し、コロンは呆れたように苦笑いしながら。

「そういう事を考えているから再婚できないのよ。少しは真面目に将来とか考えた方が良いわよ。居るんでしょ? 年上の彼女」

かなみとつるんでからのコロンの情報網は以前よりかなり詳細になった。これは太郎くんの差し金か。

「イヤイヤイヤ、随分前に特番のドラマで知り合っただけだし、地方局じゃなくてキー局の人だからさ。もう手の届かない人なんだよね。うちの店の常連でもある髭ディレクターとはチャンネル違うしさ。電話番号も知らないから……」

そう言って誤魔化したつもりだったが、コロンは胸元から名刺入れを取り出して自分の名刺を一枚取り出し、近くにあったボールペンで何かを書いた。それを俺に寄越す。

「その人でしょ? この店に誇りを持っているなら電話して口説きなさいよ」

俺の想い人の名前と電話番号が書かれていた。やっぱり太郎くんの情報だろう。否、これはかなみも一枚噛んでいるぞ。かなみと太郎くんの情報なら俺が電話したその返事までもう用意されていそうだけどなぁ。

今は夕方だ。彼女たちは最初に出社して俺と雑談しながら店の準備をする。そんな時間帯だった。俺は受け取った名刺を暫く手の中でクルクル回していたけど、彼女たちの視線に耐えられなくなって事務所から飛び出した。

向かうは一階のエレベーター横にある公衆電話。小銭は持っているな。事務所の電話で掛ける程公私混同はしないぞ。管理人の唇お化けのおじさんは通いになって貰ったから管理室に人は居ない。俺は公衆電話に飛び付いた。

コロンに貰った電話番号に掛ける。

呼び出し音が永遠に感じる程長い。

誰かが電話に出るのと同時に俺は喋り始めた。

「あ、もしもし、中島さんですか? 俺、洋泉ヒロシです。二年前にキー局のドラマで一応主演扱いで出演させてもらった洋泉です。あの時はお世話になりました。今ちょっと時間ありますか? ええ、なんなら後で掛け直しますよ? え? 良いですか? ありがとうございます! あの、今日お電話を突然掛けさせていただきましたのはですね……え? はい、元気ですよ! はい、はい。今はススキノで店やってるんですよ……ええ、おいしい食べ物とお酒の店です……え? 髭から聞いた!? 髭と会ったんですか? 何処で? 国営放送!? 何の特番ですか? ビデオ撮らなきゃ……イヤイヤ、それは置いておきまして。あのですね、今度お暇な時でも札幌に遊びに来ませんか? え? OKですか…………」

ここから先の内容は太郎くんにでも聞いてくれ、きっと盗聴しながら爆笑しているだろうからさ。しかし、緊張して電話すると何故こんな変な喋り方になるんだろう?

ああ、もう。いつも太郎くんにしてやられてばっかりだから、復讐ついでに言っておくとね。いまから十年以内にコロンは追っかけていた先輩を諦めて太郎くんと結婚するからね。あれには皆驚いたよ。引き籠りマッドサイエンティストと半分ストーカー女の結婚だったからね。

あ、あんまり言うと俺の命が危ないんで、この辺で。



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