シルヴィス・ウィンザール
シルヴィス・ウィンザール
オフィスのドアをノックしながら緊張する。
応えがありドアノブを回してドアを開ける。中に居る大尉殿は少々機嫌が悪い。元々無表情な方なので、そう見えるだけかも知れない。
「ランディ少尉、入ります!」
ドアを閉めて敬礼。左腕には報告書の挟まったバインダーを持っている。正式な敬礼だが、机の向こうの椅子に座っている大尉殿は、眠っていたのか少し目を細めながら顔を上げただけだった。
自分より若い。更に言うならば、大尉殿は正式な国軍兵士ではない。臨時雇いの傭兵である。
「定時報告をお持ちいたしました!」
机に向かいバインダーを突き出す。大尉殿は椅子から前に出てそれを受け取り、開いて目を通す。
大尉殿の横には今朝届いた段ボール箱が一箱あり、大尉殿が副長と呼ぶ傭兵が中身を物色していた。
「副長殿、それはなんですか?」
大尉殿が報告書に目を通している間に訊いてみる。気さくな傭兵は段ボール箱から顔を上げ、笑いながら説明してくれた。
「おう、これはな。我が社の誇る世界最速の宅配便システム、その名も超急便って言ってな。うちの会社の支部に持ち込めば、その傭兵が何処の紛争地帯に居ても世界中何処でも二日以内に着くって凄ぇシステムなのよ。今日は俺の娘からの手紙が入っている筈なんでよ。シルヴィスに断って先に見ているって訳だ」
世界中何処でも二日以内、それは確かに凄い。そしてこの傭兵たちは大尉殿を呼び捨てだ。確かに臨時の隊長なのだろうが、敬意の欠片も感じられない。だが、大尉殿より年上の副長、多分自分と同じくらいの年齢の彼は、大尉殿の能力をかなり認めている。これはこの一週間近く彼ら傭兵を自分が観察した結果だ。
「あった、あった」
嬉しそうに段ボール箱の中から奇妙な程この場に似つかわしくない可愛い封筒を取り出している。
「娘さんはおいくつですか?」
思わず訊いてしまった。
「ああ、今年で15歳さ。娘は俺の宝物だ。去年まではカラテをやっていてな。州大会で2位だったんだぜ。残念ながら怪我で止めてしまったけどな。今度はケンドーを始めたってよ」
封筒の中身を読みながら訊いていない事まで教えてくれる。彼は大尉殿とは正反対の性格のようだ。大尉殿は寡黙だが、他の傭兵はかなり五月蠅いと思える程の陽気さを持っている。
「おや? 珍しいな。シルヴィス、お前宛ての小包があるぜ」
そう言い、段ボールから無造作に取り出し、大尉殿の机の上に置いた。報告書から目を上げた大尉殿は依頼主の書いてある伝票を横目で見た。
「遂に俺の所属する会社までつきとめたか。スマンが開けてくれ」
そう言うとまた報告書に目を落とす。副長は器用に片手で手紙を読みながら空いた左手でその小包を解いた。
「ん? なんだこりゃ?」
手紙から視線を外した副長が中身を取り出していた。新聞紙と緩衝材に包まれた小瓶がひとつ入っている。
「多分香水だろう。俺の知り合いの調香師見習いが新作を作ると送って来るんだがな、俺は香水なんぞ着ける趣味は無い。香水の良し悪しもよく判らんしな。欲しいならやるぞ。お前の娘にプレゼントしてはどうだ?」
素っ気なく言うと、中の手紙だけを自分のポケットにしまった。
「おう、早速送るわ。サンキュー」
そう言うと副長は事務所の中から出て行ってしまった。娘への手紙を書く為とプレゼントに貰った香水を梱包しに行ったようだ。
「ところで、少尉」
言葉は少ないがかなりの威圧感のある低い声を大尉殿が発する。報告書に視線は落としたままだった。
「はい、なんでありましょうか?」
「前にも言ったと思うんだが、俺は雇われの兵士だ。臨時で階級までいただいて嬉しいのは嬉しいのだがな。扱いは普通の傭兵と同じにしてくれと頼んだだろう。俺の部屋に入る際はノックも要らないし、入ってから敬礼の必要もない」
「そうは言われましても、大尉殿は建国功労賞を授与されたあの伝説のお方から名をいただいた方、我らが現在この国の主権を握っているのはあのお方の活躍なくして成しえなかった事であると、生まれた時から頭に叩き込まれております。少々の不自由を感じられるかも知れませんが、ご容赦ください」
大尉殿はため息をつき、報告書から顔を上げた。
「俺は確かにあの爺さんから名を貰った。俺の何を気に入って彼が俺に名をくれたかまでは俺も知らん。お前の言う彼のこの国での活躍は俺も聞いてはいるがな、それは俺が活躍した訳じゃない。だから不必要な礼儀は要らんと俺は言っているんだよ」
大尉殿の言い分は分かるが、自分たちの国を作った英雄に名前を貰ったというだけで、彼は特別扱いに値すると考えられた。
それに、この大尉殿を自分が尊敬しているのには別の理由がある。国籍はどう見ても中国か日本辺りであろうと予測出来るのに、半日程我々の中で生活しただけで我々の母国語を殆ど完璧に使いこなせた事だ。ちなみに、自分は中国語も日本語もまったく理解出来ない。そして、先程出て行った副長とは英語で話していた。英語であれば自分も少しは理解できる。今は大尉殿が自分に併せ我らの母国語で喋ってくれているのだ。
「それに、俺も含めた部下たちは、傭兵であって、デスクワーク専門部隊ではない。この国に入ってから戦闘らしき物には遭遇しておらん。定時報告書にもそのような記録は無い。一体何の為に俺たちを雇ったのだ? 敵を殲滅しての報酬ならば金の貰い甲斐もあるだろうが、毎日このオフィスで定時報告を見ているだけで金が貰えるのであれば、気分が悪い。俺はそろそろ会社に報告し、俺の精巧な蝋人形でも作って送ってもらおうかと、本気で考え始めているのだぞ?」
それには賛同出来た。自分たちも政府が何故彼ら傭兵を雇ったのか聞かされていないからだ。傭兵を雇っておいて、使わないというのは確かにおかしい。我が国は現在戦争状態ではないが、不穏分子は各所に潜伏しているとも聞く。
「何分、自分たちは末端故、大尉殿たちの今回の処遇については、失礼のないようにとしか命令されておりませんので、お答え出来ません」
「まあ、確かにお前に当たっていても埒は明かないな。最初はこの国の建国30年の式典を狙うゲリラの掃討とか、そんな話で依頼は受けている筈だが、この報告書にはゲリラの事は一言も書かれていない。テロ組織の名簿すら貰っていない始末だ。お前たちの方から何か言って来ると思ったので、爺さんの情報網も俺の情報網も使ってはいないが、そろそろ限界だと思ってくれ。一週間このオフィスで缶詰にされている俺の部下たちはもっと退屈している事だろう。俺も含めた傭兵部隊の連中は、戦場に居ないと落ち着かないバカばっかりなんだよな」
この冗談には賛同しかねたが、大尉殿の言う事は尤もに思える。
「……少尉」
大尉殿は定時報告書に目を落とし、続きを読んでいたようだったが、大尉殿の声のトーンがいつもより更に少し低くなった気がした。
「なんでしょう?」
「この報告書が送られて来たのは今日か?」
言葉の意味が分からなかった。定時報告書が昨日送られて来たのであれば、それは定時とは言えまい。その報告書は先程ファクシミリで送られて来た物だと説明する。
「……そうか」
そう言い、暫く沈黙した。
「あの、大尉殿、何か報告書に不備でもありましたか?」
沈黙に耐えきれずに訊いた。
「……俺たちがここに来た最初の日に受け取った内容と同じなんだよな。つまり一週間前だ。少尉、済まないが俺の部下たちの招集を頼む」
気圧され、大尉殿の部屋から飛び出し、隣接するオフィスのドアをノックして回る。
寝むそうだったり、すぐに応えがあったりと様々な様子だったが、大尉殿の招集と聞いたメンバー八人は、5分で大尉殿のオフィスに集合した。
「どうしたんだシルヴィス?」
少し年長の副長が全員集合している事を確認し、大尉殿に声を掛けても、暫く大尉殿は報告書を眺めたままの姿勢だった。
「否、俺の思い過ごしなら良いのだが、今回の任務の件、お前たちはどういう風に会社に説明されたか教えてくれるか?」
八人がそれぞれ即答する。さすがに大尉殿の部下だ、洗練されている。
「……そうだよな。俺もそう聞いていた」
「おいおい、シルヴィス、俺たちにも分かるように説明してくれ」
「ああ、すまない。ちょっと俺の頭の中で纏まっていなくてな。お前たちと同じく、俺もこの国の建国30周年の記念式典での国民指導者クレイグ大佐の護衛が任務だと聞いていた。一週間前赴任したのもお前たちと同じで、俺はその時欲しくもない階級をいただいて、今回の任務のリーダーにされちまった。まあ、それはどうでも良い事だが、問題に気付いたのは今だ。このオフィスに押し込められて一週間。俺はそろそろ何か動きが無ければこの任務からの離脱を考え始めていたんだが、先程そこのランディ少尉が持って来た定時報告書に目を通した時に一気に沢山の疑問点が浮かんで来た」
誰かが生唾を飲む音が聞こえた。
「先ず、この報告書に書いてある事だ。少尉には言ったが、一週間前、彼が持って来た報告書と内容が同じだ。報告書は機密厳守の為に随時回収され、廃棄されるので、相手は俺が報告書の内容を忘れていると思っているのかも知れないが、俺はそういうのは殆ど任務が終わるまで忘れない性質でな。次に思い出したのが、会社からの進捗状況の確認メールだ、いつもなら戦闘の最中でさえ来るあの鬱陶しい電子メールが昨日来なかった。今お前たちが集まるまでの間にコンピュータを起動し確認したが、俺のアドレスにメールは一件も入っていない。つまり、一昨日の朝に来た進捗確認メールが最後って訳だ」
「つまり、意図的に何者かがコンピュータに入る電子メールを遮断しているって事か?」
先程から大尉殿との会話に参加している副長が割って入る。大尉殿はそれに頷いた。
「そう、昨日の時点で気付くべきだったんだろうが、昨日までは定時報告書の内容が全て違ったので、気付けなかった。会社からの進捗状況確認メールは放っておいても問題ないので、二日置きにしか見ていないしな。会社とのラインが繋がっているか確認する為にこちらからメールを暗号文にして送ったが、返信は無い。時差を考えてみたが、本社のコンピュータの前には常に誰かが座って寝ずの番をしている筈だ、返信が無いのはおかしい。緊急の暗号アドレスにしてみたが、それも応答なし。このオフィスにある電話で掛けてみたが繋がらない。ファックスも試して見たが、送信不可だった。テレビを点けてみれば分かるが、これは有線テレビだろ? 生放送のニュース番組は一つも流れていない。俺の言いたい事はわかるよな?」
大尉殿は顔を上げ、傭兵たちを見まわした。
「つまり、俺たち傭兵に情報が入らないように、何者かが裏で糸を引いていて、何かが起きたとすると二日前の昼間から夕方って事だな」
「そうだ、その仕掛けを作った奴、或いは奴らは、もう俺たちが気付いても問題ないと踏んで同じ定時報告書を寄越した。この限られた情報が示しているのは……」
大尉殿はそこで言葉を止め、また下を向いた。コンピュータに向かい何かを打ち込んでいる。
「成程、俺の親友からの報告メールまでは、まともにコンピュータは動いていた訳だ。ならば夕方まではこのコンピュータは正常に動いていた事になる」
そう言い、立ち上がった。
「二日前の晩に何かがこの国の中枢で起きたと考えるが、お前たちはどう思う?」
傭兵たちは顔を見合わせた。
「お前がそう思うならそうだろう?」
事もなげに一人が呟いた。
自分はそこで思考の固まった置物のようになっていた。本部で何かが起きたと大尉殿は言う。しかし、無線封鎖等がされている様子はない筈だ。大尉殿に持ってくる報告書だけが連絡ではない。自分は先程も通信機の向こうの本部連絡員と話をしたばかりだった。視線が自分に集まっているのを感じた自分は、今思った事を言ってみた。
「成程、少尉さんよ、その連絡員とは顔見知りか?」
傭兵の一人に訊かれた。
「いえ、顔までは存じ上げません。しかし、声の調子からして、いつもの連絡員である事に間違えはありません」
「そいつもグルなんじゃねぇか?」
これは大尉殿に向けられた言葉だ。
「可能性は否定出来ないな。それと、まだ俺の疑問はあるんだ」
全員が大尉殿の方に集中した。
「俺たちを雇ったのはこの国の現政府だろ? 何故俺たちは本部のある首都ではなく、この基地に回されたのか? そして、敵と思しきゲリラなりテロリストなりは今の所現れていない。そんな危ない話があるなら、俺たちは首都に配置され、今頃は政府首脳を護って必死に戦ってゲリラを殲滅しているか、戦死して屍をカラスにつつかれているかのどちらかだろう。だが、俺たちは此処に居て、全員無事だ」
「それは、政府に偽の情報が流れていたんじゃねぇか? この基地を先にゲリラが襲うとか、そんな感じの情報がよ」
「成程、それは考慮に値するな。しかし、それにしてはこの基地の兵力が少ないとは思わないか? ランディ少尉、この基地に居る兵数はどれくらいだ?」
「え、車両、武器整備班、医療班も含めて千人弱かと……」
「単純な兵士の数は?」
「……七百五十人です」
「それは、反乱を起こすのに反対しそうな連中を此処に集めたからじゃないか? この規模の基地はこの国の国内にも結構な数があるし、戦力分散は首都を一極集中で狙うつもりなら定石だぜ?」
「そうだな、所詮この基地に居る七百五十人では相手にならないと敵は思っている。分散して首都から遠ざけ、気付いた時には首都は制圧されていて、手は出せない状況にしたと言う事か。首都の防衛には五万人規模の大部隊が配置されていた筈だ。最低政府施設だけ抑えて交戦状態にするにも、三万は兵力が要るだろう。そして、交戦状態であるならば、定時連絡も報告も出来ない。つまり、最初から政府施設を含めた防衛隊は全員敵だったと考えられる」
「何故そのような事を!?」
思わず叫んでいた。大尉殿は冷静に手を挙げて自分を制する。
「どんな素晴らしい政治体制にでも、不満はあるものだ。そもそもシルヴィス老人が革命に参加した30年前だって、現行の政府に不満を持つ分子たちの決起だろう? 30年も経てばどんなに優れた制度の創始者でも衰えは出る。老人がいつまでも君臨しているだけで、反乱は起きる物だ。それが全軍の中で五万人にもなれば、爆発は遠く無いのは理に適ってはいるんだ。この国で最も兵力を配置しているのは、隣国との境界線付近、そこに二十万人の兵力が駐屯している。首都防衛は割と薄い。しかし、この基地のような千人未満の基地は結構な数があるだろう。そこから集めた精鋭反乱部隊ならば、反勢力となる親政府派はこの手の小規模基地に押し込めておけるという寸法だ。首都防衛隊を取り込んで反乱を起こすのには、充分な下準備があれば一日で事は決する」
「だが、そこで問題になるのは隣国の動静と国境警備の二十万人だろう? 頭がすげ変わったからと言って、反乱政府なんて許していたらきりがないし、二十万の軍勢からの反撃は反乱部隊は避けたいだろう?」
「そう、それも考えた。だが、それは問題ないんだ。俺が会社を立つ前に得た情報では、その隣国は現在内戦の最中、つまり、二十万人は動けない。本来ならその二十万人の国境警備隊は隣国の戦闘の飛び火から国を守ると言うよりは、隣国から流れて来る難民を自国に入れない為に存在していると言って良い。だから、二十万人もの軍勢は国境に配置してなくて良い訳だ。それが此処に来てみたら、国境に二十万人配しているという。おかしいだろ? まるで隣国で内戦が起きるのを予想していたかのような動きだ。俺たちが赴任する数週間前までは、隣国で内戦は起きていないし、難民の流入もそれ程多くは無かった。それは当初から疑問に思っていたが、建国30年に浮かれている国のやる事だからな、お祭り騒ぎの中でかき消されたのかとも思えた」
「考えようによっては、その隣国のゲリラか軍事政府と、今回の件を起こしたであろう首都防衛隊の何者かが、結託しているとも考えられるな。二十万人の国境警備兵の内何人が加担しているかにもよるけど、首都の五万と隣国のゲリラか軍事政府側の兵力を合わせて、上手く踊れば国境警備兵は成す術もなく壊滅出来る」
腕組みした副長が言い、大尉殿が頷く。
たった一週間この基地に居ただけで、こんなに疑問を持つ物なのだろうかと思った。
「それは、俺たちに暇を与えたからな。このオフィスに閉じ込められていても、俺たちの思考までは止められないって事だ」
簡単に答えを大尉殿はくれた。
「最後に俺が疑問に思った事は、先程も触れたが、何故この時期に俺たち傭兵は雇われたのかという事だ。偽の情報に踊らされたとしても、俺たちを本当に雇う必要まではないだろう? わざわざ証人を作るような真似をどうして反乱者たちは阻止出来なかったのか? この国の政府は金払いも良く、確か前払いだと経理に聞いた覚えがある。俺たち傭兵はたったの九人だがな。俺が反乱首謀者なら、雇ってしまった外国人傭兵は、外部への情報漏洩を避ける為に一週間も生かしておかないだろう」
また誰かが生唾を飲み込んだ。
「まあ、俺の思い過ごしという線も勿論あるんだがな」
そう言われても、大尉殿も傭兵もそうは思っていないのが一目瞭然だった。
「首都まで車で何分掛る?」
そう訊いたのは副長だ。
「2時間までは掛らないと思われますが」
「そうか……シルヴィス。俺とフィルダーの二人で偵察して来る。お前の思い過ごしという線は無いと俺は今の話で判断した。ランディ少尉殿とフィルダーは車で首都の1キロ手前まで行って様子を探ってくれないか? 俺は独自に行動して首都への潜入を試みる。どうだシルヴィス?」
大尉殿はその案に賛同した。
「良いだろう。ただし、慎重にな」
自分と傭兵フィルダー、そして副長の三人は、機銃の付いたジープに乗りこんで、車で2時間程掛る首都を目指す事となった。その間、他の傭兵と大尉殿が何をしているかは分からない。
首都まで5キロという地点で副長が降りる。自分たちと同じアジア系民族であると思われる彼は、我らと同じ国軍の軍服に着替え、小銃を片手に森の奥に消えた。
残された自分と傭兵フィルダーはそこから更に2キロ程進んだ所で車を停めた。
かなり距離はあるが、見慣れないゲートが建設されており、そこにかなりの数の兵士が配置されていたからだ。
「約500メートル前方に地図にはない検問所を確認」
フィルダーが無線で大尉殿に報告する。
『検問所か、わかった。無理のない程度に偵察し、戻ってくれ。グリンウェルは単独で偵察に入ったのか?』
「ああ、3キロ程前で車から降りたよ。俺たちは此処で5分ほど偵察してから帰るな」
副長の名前はグリンウェル。大尉殿も含めて、この傭兵部隊で本名を使っている人間はいないらしい。
車を路肩に止め、両側に散って双眼鏡で見慣れないゲートを確認。各々思う所があり、車に引き上げると、車をターンさせて基地に戻った。
戻ってみると、大尉殿のオフィスに無線機が運び込まれ、他の傭兵が回線を繋げている最中だった。
「テレビもラジオも当てにはならんし、先程から電話も不通でな、唯一生で繋がっているのはこの無線機くらいなんで、徴収するぞ。コンピュータの回線をなんとか確保したいのだが、少尉は何か持っていないか?」
帰るなりそう言われても、自分の私室の電話回線くらいしか思い浮かばなかった。一応士官なので、他の電話回線よりは優先順位が高い筈だ。
「それだ、ハートキー。お前に回線確保を頼む」
「オッケー」
ハートキーと呼ばれた傭兵が回線用のケーブルの束を担いで大尉殿のオフィスから出て行く。
フィルダーと自分は各々思った事を報告した。
「首都の城門まで1.5キロの付近にあったのは、明らかに検問所だ。兵の配置人数は三十から五十って所だろう。道幅が狭いし、両側が森だったから、俺たちには気付かなかったとは思うが、ゲートの上に櫓が建っていて、兵が二人程見張っている」
「自分はその配置されている兵と自分たちを見分ける方法を考えておりました。軍服は国軍の物ですので、見分けが付きませんが、彼ら反乱した兵士たちは全員腕に何かの腕章を付けています。中には腕にバンダナのような物を巻きつけている兵も居ましたので、彼らも国軍との見分けを付ける為にそのような行為をしているのだと思われます」
頷いた大尉殿は暫く腕を組んで考え事をしていた。
「フィルダー、その櫓は組み立て式か? それともその路肩にがっちり根を降ろしている物か?」
「ああ、あれは組み立て式だ、下に車輪が付いているのを確認したから、移動した後で上に伸ばすタイプだと考えられる」
「成程、二日もあれば運んで来られる訳だ」
そう言いながら大尉殿は地図に印を付けた。検問所のある場所だ。
「少尉、そのバンダナなり腕章なりの色は決まっていたか?」
「いえ、特に色は決まっていないものと思われます」
「この基地にあるヘルメットの色を全て塗り替えろ、色は任せる。だが、お前が見た記憶に沿って、その中に無い色にしろ。何かの暗号なり階級なりがその腕章にあるかも知れないからな。他に点在する基地に偵察者を送り、状況を確認させろ。出来れば各基地と連動して動きたいからな、無理のない程度に接触し、基地の司令をこちら側に引き入れろ。味方は多い程良い」
「了解であります!」
自分は敬礼し事務所を後にする。急いで整備班の宿舎に行き、ヘルメットに色を塗る指示を出した。ちなみに色はこの基地で最も良く使う色で、小滑走路の線引きに使う白になった。
数名の部下に指示し、首都の周辺に点在する小規模基地の偵察を命じる。
指示を出してオフィスに戻ると、自分の私室から傭兵ハートキーが電話を持って出て来る所だった。
「ランディ少尉。お前さんの部屋の回線ケーブルは生きていたぜ」
嬉しそうに言い、回線ケーブルを野戦用の持ち運び出来るケーブルに繋ぎながら大尉殿のオフィスに入って行く。自分もその後に続く。
「これで外部との接触は可能になったぜ。だが、国際電話は無理だな。中継基地が破壊されている節がある。確認は出来てないけどな」
それを聞いた大尉殿は国内のテレビ局に電話し、協力を要請。国際放送に耐え得る移動式の放送車を徴収した。
「30周年記念式典の中継は世界放送されるのを思い出したんでな。良い機材を持った各国テレビクルーの真面目な連中が居ないかと思ってよ。十日前から日本のテレビクルーが現地入りしていた。仕事熱心なのはこの際助かるな。この国の国営放送よりも強力な送受信機を持っていやがったよ。偶然隣国の内戦取材も兼ねていて、首都以外に出張っているから、その車を徴収出来そうだ」
首都との連絡は未だに取れていない、我々が動き出したのを察知したのか、昼前の定時報告以来連絡は来ていない。
「少尉。お前は臨時で構わんので二階級特進しろ。死ねという意味ではないぞ。俺が指示を出していると何かと不都合だからな。なんならクレイグ大佐からの任命書くらいは偽造してやる」
自分は此処の基地で最も位の高い正規の国軍士官だった。基地司令が1ヶ月前に不祥事を起こして解任されていたのだ。そう言えばその後任は未だに赴任していない。
「緊急事態につき、拝命いたします」
「ああ、そうしてくれ。それから、俺に敬礼しなくて良い」
大尉殿は苦笑いしながら作業に戻る。深夜になると、各基地からの反応も入り、いよいよ首都は何者かに乗っ取られた確信が持てるに至った。
「首謀者の名前が出た」
傭兵の一人が印刷された文書を持って大尉殿のオフィスに入って来た。大尉殿は受け取って眺めた後、自分にもその文書を見せてくれる。
「マイヤーズ少佐!?」
そこに書かれた名前を見て驚いてしまう。マイヤーズ少佐はクレイグ大佐の右腕とも言われる軍人である。それが大佐を裏切って反乱を起こし、大佐を殺害したとその文書に書かれていたからだ。
「確か法務長官だったな」
大尉殿は腕組みし何かを考え込んでいる。自分はこの名前にショックを受けて暫く言葉も出ない。
「側近の裏切りは結構ある事だぜ?」
ハートキーにそう言われたが、やはり信じられなかった。自分たちの世代よりは少し上だが、軍大学を首席で卒業したエリート中のエリートだし、国民からの信任も厚い。反乱など起こさなくとも、クレイグ大佐が亡くなれば、確実に次の指導者に選ばれる人物なのだ。
「その少佐殿は40歳代だろ? 若くして少佐に抜擢されたみたいだが、そういう人物は常に上を求める人種が多い。少佐以上になれない自分を責め苛み、十年以上も同じ階級をやっていれば、その上を殺す事くらいなら考えるだろう。この国の最上級は大佐だからな。中佐にもなれない自分に苛立った結果と考えて良いんじゃないか?」
大尉殿は少佐について冷静に分析し、他の傭兵もそれに賛同した。
「情報源はグリンウェルだな」
あの陽気な副長が上手く首都に潜入した事を確認し、一同が安堵した瞬間に、通信機が受信した事を示す赤いランプが点った。
「第13基地」
言葉少なく大尉殿がマイクに話し掛けた。マイクの向こうは少々騒がしい。
『13基地に告ぐ。こちらは首都防衛隊総責任者のマイヤーズ少佐である。基地司令を出せ』
「1ヶ月前に不祥事を起こし解任後、副司令共々そちらの監獄に入っている筈だが? 司法長官殿は決済に判を押すだけで、内容の確認はされていないのか? 後任の司令は赴任していないぜ」
大尉殿は言葉をまったく改めずにそのまま思った事を言っているようだ。
『お前は誰だ? 無礼な口の利き方をする奴だ、貴様のような奴に用は無い。それでは基地に居る士官で一番階級が上の者を出せ』
自分にはどちらも無礼な言葉遣いに聞こえるが、顔の見える大尉殿はわざとそういう喋り方をしているのが判る。
「じゃあ、俺だ。一週間前にそちらの大佐殿にいただいた略式命令だが、大尉を拝命しているのでな。残念ながらこの基地にそれ以上の階級は存在しないぜ」
大尉殿はそう言いながら自分の方を見て、口に指を一本充てた。自分は喋ってはいけないという意味だ。
『あの傭兵の仲間か! ふざけおって! そんな階級は剥奪してやる!』
あの傭兵とは一体? まさかと思った瞬間に大尉殿たちには聞きなれた声がスピーカーを通して流れた。
『大尉殿か? すまねぇ。ドジ踏んだぜ』
オフィスに居た傭兵がざわめいた。グリンウェルは大尉殿の名前を呼ばなかった、これは向こうが大尉殿の名を知らない事を示す。
『こいつら酷ぇんだぜ。クレイグ大佐を殺したまでは革命ごっことして許すとしてもよ。今度は反乱に参加しなかった各小規模基地の司令や士官の妻子を人質にとろうとしやがった。俺はその家族たちを逃がしたんだが、それでバレて捕まっちまった』
大尉殿が自分の方を見る。マイクを手で抑えて声が入らないようにした。
「少尉、お前の家族は首都に居るのか?」
自分は頭が真っ白になりそうだったが、かろうじて首を縦に振って頷いた。
『貴様ら傭兵風情に革命のなんたるかが判ってたまるか!!』
その声と同時に何かで殴られるような音がマイクを通してスピーカーから流れる。
歴戦の傭兵であるグリンウェルは痛みによる叫び声を上げない。代わりにマイクに向かって叫んだ。
『少尉! お前の家族は無事に逃がしたぜ! 俺はこれで終わりそうだけどよ! 最後に良い事が出来て良かった! 大尉! 俺の娘に伝えてくれ! 俺の最期は立派だったってよ! じゃあなっ!!』
その言葉の次に聞こえたのは、どう考えても銃声だった。映像はないが、誰かが崩れ落ちる音を高性能なマイクが拾っていた。
傭兵たちは誰も声を上げなかった。代わりにその拳を力の限り握り締める。
『貴様たちもいずれこのようにしてやるわ! 愚かな外国人傭兵共! 私はこの国の新しい秩序なのだ! 私に逆らう者は全てこうなると知れ!』
マイヤーズは勝ち誇って言う。大尉殿がマイクに充てていた手を離した。
「マイヤーズだったな。お前だけは例え投降しても必ず殺してやるから安心しろ」
大尉殿は冷徹な声を出し、通信機のマイクを置いた。
「くだらねぇ事で死にやがって、誰が褒め称えてやるかよ」
そう呟いて、机を蹴飛ばした。自分が見た初めての大尉殿の感情的な行動だった。
そして、自分は大尉殿の冷酷さを見る事になる。
大尉殿はそこからその手腕を発揮し、次々と首都周辺にある小規模基地を吸収し、人数が一万人を超えた所で、急襲作戦を立案した。五十人から百人規模の検問所を次々に襲わせ、その全てを殲滅する。首都防衛隊の中にスパイを送り込み、国境警備の二十万人が首都に向け進撃しているという偽の情報を流させ、首都裏門に警備隊が集まった所を見計らい、堂々と正面城門から首都に入城、この基地と隣接する小規模基地の三千人弱の人員だけで、中央宮殿を急襲、占拠した。それを大尉殿は通信終了後二日で済ませたのである。
マイヤーズ少佐は防弾ガラスの張り巡らされた箱の中に居る。完全に追い詰めた状態であるのに、大尉殿は全員を下がらせ。囲ませるだけに留めた。
防弾ガラス製の箱は確かに銃弾を通さない。しかし、その箱型の部屋には何も用意されていなかった。我々の奇襲のせいでもあるだろう、少佐は近くに置いてあったのか、拳銃を一丁持っているだけだった。
護衛の兵士に関しては、傭兵たちが何の容赦もなく射殺している。
「さて、マイヤーズ少佐。この状況をどう切り抜けるつもりかな?」
少し楽しそうにすら大尉殿の声は聞こえたが、顔はまったく笑っていない。
「誰もお前に状況を説明する親衛隊員は居ないようなので、俺が説明しても良いかな?」
ガラス張りの部屋は大きな広間の真ん中に置かれている。二階まで吹き抜けの大広間、ここはかつての政府が公式な謁見場として使っていた部屋だ。
大尉殿は拳銃を構える訳でもなく、その広間の端に立ち少佐に話しかけている。近くには太い大理石か何かの円柱があるので、少佐が撃ってきても隠れる場所はある。しかし、危険だと自分には思えた。
大尉殿の後ろにはウィルソンとジョンソンの傭兵が二人。自分は柱の陰に居るよう大尉殿に命じられていた。
「返事が無いのは肯定と採る。それでは現在の状況を説明してやろう。先ず、この宮殿内部の制圧は完了している。残った反乱部隊兵士は殆どが投降済みだ。首都内に配置されていた兵士も同じく、殆どが投降済み。お前と同じく籠城の構えを見せている兵士も数人確認されているが、こちらの勧告に応じない場合は処分している。あと1時間もあれば政府軍の制圧作戦は完了するだろう。殆どがお前の考えを理解していない人間だったようで助かったよ。反乱兵五万に対し、俺たちは近隣基地からの増援も含めて三千人しかいなかったからな。首都周辺にお前らが作った検問所に居た連中は不運だったかも知れないが、実に四万人強が投降してくれたんだよな」
そこまで説明した時点で、後方からフィルダーが何かの紙切れを持ち走って来た。大尉殿に渡し、また走ってどこかに消える。
「ああ、詳しい数が入ったので教えておこう。お前たち反乱軍の損害だ。死者百五十人、負傷者千七百五十五人、内重傷者は三十二人。投降者は約四万六千人。現在も戦闘を続けているのが千人弱だそうだ。ああ、お前はこの数には入っていない。入るとすれば死者の数に入る事になる。そう通信した時に俺は宣言しているよな?」
ウィルソンとジョンソンが大尉殿の後ろで頷いていた。
「お前が頼りにしていた隣国の内戦の結果を知りたいか? 現行軍事政権は続行、つまりお前と共にこの国の乗っ取りを企てた反乱部隊は鎮圧されたそうだぜ。隣国の軍事政権と国境警備部隊に簡易だが不可侵契約が成立、尚、隣国の反乱部隊首謀者は戦死。山岳地帯に逃げ帰ったゲリラ兵士も居るようだが、軍事政権側の掃討作戦が現在展開中」
少佐を自分たちが追い詰めている際、大尉殿は一人別行動で反乱部隊の通信室を占拠し、何か調べ物を他の傭兵にさせていた。これがその結果らしい。
「ちなみに、隣国現行軍事政権はマイヤーズ少佐という人物に心当たりはないと返答した。つまり、お前がどちらと組んでいたにしても、お前が其処に籠城していて援軍が来る可能性は無くなった訳だ」
そこまで喋った時点で少佐がガラス張りの部屋から一度飛び出し、大尉殿に拳銃を向けようとした。
銃声が一発聞こえ、思わず柱の陰から飛び出そうとする自分に向け、大尉殿は手を挙げ制した。
「大丈夫だ。撃たれたのは俺ではない」
ガラス張りの部屋に体を引きずりながら急いで戻る少佐の背中が見えた。撃たれたのは腕であるようだ。
「言い忘れたが、吹き抜け二階の廊下に俺の仲間が三人待機している。その防弾ガラスの部屋に居ようと居まいと常にお前にスコープを合わせているからな。言い遅れたことは詫びよう」
意地の悪い言い方だ。今の発言からすると、一発で少佐を仕留める事も可能だったのだろうが、大尉殿は銃弾で少佐を殺す気はないようだ。
「利き腕がイカれたかも知れないが、まだ命を取る気はないから安心しろ」
冷徹な声がガラス張りの部屋に向けられている。柱の陰で自分は一度身震いした。
少佐が撃たれた際に落とした拳銃が大尉殿の足元に転がっている。拾い上げた少佐は一発部屋に向けて撃つ。防弾ガラスに弾かれた弾丸は近くの床に埋もれた。
その一発は拳銃の動作確認だったらしく、大尉殿は弾倉を抜き残弾を床に転がし、空の弾倉を戻し部屋の入り口に向け床に拳銃を滑らせた。入り口の縁に当たった拳銃は、部屋の中に吸い込まれ、うずくまる少佐の目の前で止まった。
「マガジンは空だが、一発装填はされている。使う時は選ばせてやるよ」
それは自害用という意味だろう。大尉殿はこの場所で少佐を裁くらしい。
「き、貴様に何の権利があるというのだ!? 傭兵風情が!!」
初めて少佐が喋った言葉はそんな感じの意味だ。
大尉殿はその少佐の発言に眉すら動かない。
「そうだな。世界は広いが、傭兵に反乱者を裁く権利を認める国家は無いだろう。だが、現在この場にお前の味方は居らず、ついでに言えば俺が最も位は上だ。お前が冗談で寄越した位かも知れないし、亡くなられた国家元首が俺に敬意を表した物かは知らぬ。だが、俺はこの国の位で言う大尉だ。反乱首謀者が少佐であろうと関係はあるまい。そもそもお前が吹っかけて来た喧嘩だ。ケリは着けるのが筋だろう。お前にとっては革命云々だったのかも知れないが、俺は雇われただけの傭兵。そんなものは任務に含まれておらんし、雇い主が政府である限り、俺はその政府側の人間だ。そういう割り切りはハッキリしている方でな。だから俺たちは契約通り、建国30年式典までの間にその邪魔をしようとする人間を排除する。排除されるのがお前だっただけだ。これは裁きではなく、俺たちの大事な仲間を殺したお前に対する私刑だと思え」
透明な防弾ガラスの箱の中で、撃たれた腕を押え止血しながら、少佐の顔色が悪くなった。
「俺たち傭兵は割と沢山の知識を持っていてな。主に暴力的な事ばかりだが、こういう時にはその頭をフルに使用し、相手が最も嫌がる方法を探し当てる。特にお前のような死をも恐れぬ革命家殿には、それなりの事をしてやるさ」
少佐は大尉殿を相当恐れている。見える位置に立って話しかけている大尉殿をまともに見られない様子からそれが窺える。
「ちなみに、俺たちの雇用期間はあと十日ある。建国式典は七日後だ。お前が殺したグリンウェルを含めた傭兵は九人、その内四人は常時此処にいる。後は式典の準備や警備に回っているのでな。此処に到着する前に警備プランは練ってあるから、お前が心配する事は何も無い。しかし、水も食糧も無く、お前はどうやって其処に籠城するつもりだったのだ? 俺たちはこの国の人間ではないし、敵兵に食糧を恵んでやる程お人好しの集まりでも無い。先に宣言した通り、投降など認めない。お前は其処で死ぬ。人間がどれほど頑張っても、一週間もあれば餓死するだろう。この国は暑いしな、水分補給が無ければ四日持てば大した物だろうな」
冷徹。これ以外に自分の中には言葉は浮かばなかった。大尉殿は殺された傭兵グリンウェルの為にここまで冷酷な人間になれるのか。背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
気丈に振舞おうと唇を噛みしめる少佐は憐れだが、自分にはそれ程同情の意思はない。建国の英雄、クレイグ大佐を殺した超本人であり、自分の妻子を人質にしようとした人間に何の同情があろうか。
「おのれ! 貴様! ロクな死に方はせんぞ!!」
気力を振り絞った少佐の声だったが、大尉殿はまったく表情が崩れず、両脇の傭兵二人は失笑である。
「まあ、確かに。お前が殺したグリンウェルもロクな死に方ではなかったな。この稼業で生涯幸せに暮らせる人間など居たら見てみたい気もするが、俺には生憎そんな時間はもったいないんでな」
「貴様!!」
叫んだが、その後に言葉は続かない。少佐は武力でも知力でも大尉殿以下に思える。本当に軍大学主席卒業だったのかと疑う程だ。
「さて、マイヤーズ少佐。こうして裁判ごっこをしていても何も解決はしない。それにこの首都は北国出身の俺には暑過ぎるのでな。椅子とテーブルを用意させてもらうぞ。出来れば扇風機くらいは欲しいな」
そう言うと、ウィルソンとジョンソンが一度廊下の奥に入り、通路狭しと大きなテーブルを運んで来る。もう一度消え、次は豪華な椅子を4脚運んで来る。ウィルソンと大尉殿は座り、ジョンソンはもう一度廊下の奥に引っ込む。先程大尉殿に報告書を持って来たフィルダーが一緒に現れ、その両手にはお盆に乗った食糧と水。扇風機ではなく冷風機が運ばれて来た。テーブルに食糧と水を並べたフィルダーが居なくなり、ジョンソンも椅子に座る。
「この首都に来るまでの間、何も食べていなかったのでな。俺たちは昼食にさせてもらうぞ。言いたい事があるなら言ってもらって構わんよ。俺たちは食いながらでも話しは聞いているからな。」
面白くもなさそうに大尉殿は干し肉をひとつ齧りながら言う。
「貴様らはこの国の人間でもないのに何故そんなに大佐の肩を持つのだ? 金か? 金が目的で私の革命の邪魔をするのか?」
大尉殿の干し肉に目を奪われている少佐の言葉は、説得力に欠けた。大尉殿は干し肉を水で胃袋に流し込み、用意された布巾で口を拭ってから答えた。
「金の為でもある。が、正しい言い方だ。俺たち傭兵が金以外で動かない亡者の集まりだとお前には思えるのだろうが、決してそうではない。少なくとも俺の知り合いにそんな奴は居ない。雇われた側の肩を持たないで、誰の肩を持つんだ? それに今回の場合、俺たちは契約を果たせていないのも現状なんでな。本来ならば任務不履行で減給物だ。金だけが目的ならば、さっさとこの国を出て、別の仕事を受けるさ。それが俺の考える亡者であって、お前の考えとは多分違うのだろうな。」
「大佐は老いていた。もうこの国を背負っては行けないくらいに! 私がやらなくとも誰かがやった! 主義も主張もないお前たち傭兵風情が何を偉そうに!!」
少佐の怒りは頂点だっただろうが、怪我と空腹がその元気を奪っていた。
「革命を夢見る青年は大概そう言うな。それに賛同すると思ったか? 俺には出来ん相談だな。それに、そのセリフは傭兵風情に自分の陣地の中枢まで攻め入られて、防弾ガラスの箱に入った男が言っても何の説得力もないぜ。革命も結構だが、自分の能力を知ってから実行すべきだったな。ああ、それから、俺が偉そうに見えるならば、お前が小物だという証拠だ」
顔色一つ変えない大尉殿に対し、少佐は怒りで赤くなったり怪我の痛みで青くなったり忙しい。
「老いのせいにするのも小物の証拠だ。お前がもし老いたら、経験値の無い若僧が生意気な口を利くな! とか怒鳴り散らすタイプなんだろうよ。自分の世代以外は認めないってのはどうだろうな」
この年功序列話に自分はある程度の感銘を受けたのだが、両脇に座って食事中のウィルソンとジョンソンは吹き出した。
「シルヴィスよぉ、食事中に面白い話するなよなぁ」
「あーあ、折角のランチが台無しだぜ。あまりにも当て嵌まり過ぎなんだよ、お前の例えはよぉ」
好き勝手に言いながら片付ける。
「こんな奴さっさと片付けちまえばいいのによぉ。居るだけでメシが不味くなるっての!」
物騒な発言も出たが、大尉殿は軽く手を挙げて二人を制した。
「スマン。聞き流してくれ。この男を殺すのは簡単なんだが、俺にその気はまったく無い。そのガラス張りの箱から出てくれば撃つが、殺さない。狙撃手にもそう言い含めてある。俺の中の小さなプライドは、こいつに向ける銃口を持っていないようだ。」
表情は殆ど変わらない。
二人の傭兵は呆れ顔だ。
「お前は怖い性格しているぜ。お前とは敵になりたくねぇな」
「ホントホント」
二人はすぐに片付け、本来の食事に戻る。
自分は柱の陰に隠れたままだが、この場に居る必要があるのか疑問に思い始めた頃、大尉殿の顔がこちらを向いた。
「ああ、ランディ少尉。お前も何も食べていないだろう? こっちに来て一緒に食ってくれ」
おずおずと出て行く。横目で見ると少佐がまたもや怒りを爆発させていた。
「貴様!! 国軍の兵士ではないか!? 何故そのような下らぬ傭兵風情と行動を共にしているのだ!!」
椅子に腰を降ろしながら、答えを用意する。ジョンソンの隣に腰掛ける間に大体の答えは頭の中で言葉に変換出来た。
「少佐殿。自分は国家元首自らの命にて、シルヴィス大尉殿たち傭兵の方々に失礼のないようにと仰せつかっております。自分も軍人でありますから、上司の命令は絶対であります。この命令を解除出来るのもまた、国家元首のみですが、その国家元首亡き今、その命を奪った凶悪なる少佐殿に味方する筈がありますまい?」
大尉殿との付き合いはほんの十日程だが、少し口調が似たかも知れない。ウィルソンが口笛を吹いた。
「お前さんもいい性格だぜ」
真っ赤になって怒りを顕わにした少佐はまたも黙ったが、矛先を向ける相手が大尉殿でない分、立ち直りも早い。
「私はこの国の将来の為に大佐を殺した。それを間違えだとは思わん! 全てはこの国の未来の為なのだ! 何故それがわからん!?」
「少佐殿。この国の未来を隣国の反政府組織と組んで作るつもりでしたか? それとも現行軍事政権と組んでですか? それはこの国の未来ではなく、隣国の未来なのではありませんか? 私ごとき少尉風情の戯言ですがね」
ウィルソンがまたも口笛で応援してくれ、ジョンソンは手を叩いて笑った。
「それに、少佐殿と大尉殿の通信の際、自分もその場に居りました。つまり、グリンウェルが殺された時です。捕獲した捕虜にあのような事をする人間の下で働くのは願い下げです。しかも、彼は自分の家族を逃がしてくれた恩人です。少佐殿の正義と自分の考える正義には誤差があるようですので、自分は現政府の考えに基づいた判断をし、大尉殿たちと共に此処に居ます。我らが敬愛してやまないクレイグ大佐、国家元首を冒涜した罪は、万死に値すると考えます。故に、現在大尉殿がしようとしている事を公にし、国際軍法に照らし合わせる気もありません」
自分の言葉を聞きながら、堅焼きパンを水で流し込んでいた大尉殿は、珍しく表情を一瞬崩した。
すぐにいつもの無表情に戻ったが、自分には大尉殿が一瞬笑ったように見えた。
「少尉。お前の言葉は尤もだが、当然少佐は納得出来んだろう。何しろ彼はまともな神経は持って居らぬようだからな。しかし、現在国軍の最上位士官の味方は正直嬉しい。流石にクレイグ大佐が厳選して俺に付けた士官だ、状況の飲み込みも早い。確かに国際法に照らし合わせれば、捕虜の虐待あたりに該当するだろうな」
「おいおい、シルヴィス。軍法会議はご免だぜ」
苦笑いのジョンソンが言うが、勿論そんな事になるとは思っていない顔だ。
「先にも述べたが、これは俺の私的私刑執行であって、軍法でも国際法でもない。俺の筋を通す為の私刑に過ぎない。事が公になっても、処分の対象は傭兵の長である俺だけだ、お前たちは上司の命令に従った兵士という扱いだし、俺に意見出来る立場の副長はグリンウェルが担当だった。だからお前たちが法廷に呼ばれる事はほぼ無い。証人として呼ばれた時は良しなに頼むな」
ウィルソンとジョンソンが顔を見合わせて笑う。大尉殿以外の傭兵は皆表情が豊かだ。
「ないない。俺たちが証人なんてよ。あるとすりゃあ、会社の方ででっち上げた、偽物の証人だろうさ。しかもプロのな。お前を無罪にする為なら、あの会社はそれくらいの工作は軽くやるぜ」
傭兵を派遣する会社がどのような組織か自分には分からないが、この癖のある連中を纏めているのだから、相当なカリスマ性や資金がある会社なのだろう。我が国では金があれば裁判には勝てるので、そう考えてしまう。
プロの偽証人とはどんな人間であろうか。よく詐欺師等に二枚舌という言葉を使うが、その人物は七枚くらい舌があるのではないかと想像してしまう。
「会社への報告は済んでいるし、そういう事になるかも知れないが、会社からはゴーサインを貰っているので、特に問題はあるまい。裁判は今開かれているが、被告は俺たちではないし、刑の執行は自然がしてくれているだろう」
大尉殿は少佐が餓死するまで本当にあのガラス張りの箱に彼を閉じ込めておくつもりらしい。
少な目の昼食を済ませた大尉殿が少佐の居るガラス張りの部屋の前にまた立つ。今度はウィルソンとジョンソンは座ったまま、というより、まだ彼らは食べ足りないらしく、無線機で追加注文していた。
「少佐。助かる方法でも考えているのか?」
怒りを押し殺して下を向いていた少佐の顔が上がる。死を覚悟した男の顔ではなく、何処かに妥協点を探す狐のような顔だ。
「何故私をすぐに殺さない? 貴様が言うような犯罪者が私ならば、殺すのがお前たちの仕事だろう!?」
強がりな発言だと自分のような朴念仁にも分かる。少佐は細かく唇が震えていた。
「俺の生まれた国ではよくある事でな。重大な罪を犯した者を生け捕りにし、裁判を数十年も行ってから死刑にしたり、無罪放免したりする不思議な国だったよ。だが、今の状況は違うからな、お前の疑問も頷けるので、説明くらいはしてやろう」
「その国は狂っている!!」
少佐が叫ぶが、大尉殿はまったく動じない。
「ああ、だから俺はその国を出て、世界を知る為に傭兵になった。お前が言うように俺の祖国が狂った制度を持っているのかを確かめる為にもな。この12年で何カ国回ったかな。よくは覚えていないが、結局どの国も似たような物で、何処かの制度がおかしかったり、制度自体がなかったり、お前が言うような狂った制度を平気で使っている国もあった。つまり、いい加減だった。今お前を裁くこの方法は俺なりに考えた方法で、お前に真似しろとも、そもそもお前に真似も出来まい。グリンウェルの苦しみ、痛み、無念さを少しでもお前に味わってもらう方法の一つだ。勿論お前を捕まえて、地下牢に入れて拷問する事も可能だし、法廷にて処分を決めてもらうのも一つの方法だがな。しかし、それではグリンウェルが浮かばれない。俺は奴の戦友でもあり、個人的に親しい仲でもあり、部隊の中では副長を任せる程信頼出来る奴だった。お前が無碍に殺した魂を救うのに、最良の方法はこれしか俺には思い付かない」
先程の一瞬崩れた顔を思い出せなくなる程、大尉殿の言葉は重い。
「簡単に言うとだ。お前を単純に殺すだけではグリンウェルの霊に失礼だと思っているだけだ。お前が調度良い箱に入っていてくれたのでな。この広間に来た瞬間に思い付いた刑をお前は今執行されているって訳だ」
「貴様もおかしい! そこに居る連中もだ!!」
少佐が叫んでいる中、追加注文をお盆に載せたフィルダーが到着し、ウィルソンに部署の変更を命令する。ウィルソンは面白い見世物を見ていた見物客のような残念そうな笑顔で立ち上がり、フィルダーと交代して広間を去る。フィルダーは座らずに大尉殿の所に行き、何やら耳打ちして、新聞紙くらいの大きさの紙を手渡してから着席し、ウィルソンに代わって昼食を摂り始めた。
自分の視線は大尉殿の持つ紙に自然と行く。
「うちの部隊は割と器用な人間が多くてな。これもその能力の一つだろう」
大尉殿はその紙を広げて暫く見て、頷いてから自分の方にも見せてくれる。それは絵だった。背景に首都中央にそびえる大聖堂、そして、手前には墓地が描かれている。
しかし、そんな立派な墓地は首都中央教会には無い。それが架空の絵画である事は明白だ。
大尉殿はそれを防弾ガラスギリギリまで持って行って少佐にも見せた。
少佐の目が大きく見開かれた。驚愕と恐怖の入り混じった顔。大尉殿がそこまで近くに行ったので、危険なのではないかと思ったが、フィルダーもジョンソンも飯を食いながら片手は拳銃ホルダーに既に掛っている。こういう所は流石の傭兵だ。
「こ、これは!?」
少佐の尤もな発言。大尉殿の顔は後ろ向きになってしまったので見えないが、やはり無表情なのだろうか。
「フィルダーは絵が得意分野でな。先程からこの首都にある大聖堂の絵を描いてもらっていた。手前に描いてあるのは、建国30周年を前に亡くなられたクレイグ大佐とその家族の墓、中央が大佐の物で、お前から見て右側がご家族の物だ。お前から見て左側が大佐に忠誠を尽くした建国功労者の墓、その建国功労者の真ん中にお前の墓がある。未来永劫、お前が悪さをしないように、建国功労者の方々に囲まれた墓だ。最も奥に描かれているのは、傭兵を代表してお前を死んでも見張るという意味を込めて、グリンウェルの物になっている。意味はわかるか、これは今から7日後に出来る墓地の想像図だ」
陰険と言っても良いくらいの嫌がらせだ。そんな墓で眠る事になるであろう少佐は死んでも静かに眠れない。
逆上した少佐が奇声を上げてガラスの箱の出入り口から拳銃を突き出す。残弾は一発ある筈だ。フィルダーとジョンソンが腰を浮かせるが、間に合わない。
銃声が響いた。
フィルダーとジョンソンは腰を下ろす。
「「脅かすなよ」」
二人の声が同時に聞こえた。
少佐の放った銃弾は大尉殿の手前に止まっていた。空中にである。
少佐は突き出した腕を抱えて部屋の中に戻り転げ回っていた。中二階に居るという狙撃手がまたもや殺さない程度に少佐の腕を傷つけたのだ。
その中二階の手摺からワイヤーが二本伸びているのが見えた。いつの間にそんな作業を終わらせたのか、大尉殿の目の前にはピカピカに磨かれた防弾ガラスが吊り下がっていた。フィルダーたちが言ったのはその事だったのだ。大尉殿は当然その防弾ガラス板が拳銃で貫けない事を知っているので、避ける事も無い。
大尉殿は先程床に転がした拳銃の弾を三つ拾い上げ、ガラス張りの部屋の出入り口付近に空になって転がっていた少佐の拳銃を拾い、中からマガジンを取り出して銃弾を二発詰めた。一度動作確認し、防弾ガラスに一発撃ち込む。先程より距離が近かったので、弾丸は防弾ガラスにめり込んだ。手元に残った一発はポケットにしまい、拳銃は出入り口付近に置いた。
「お前、さっきから俺を睨みつけているのに、上から防弾ガラスが下がって来た事にも気付かなかったのか。そうでなければ俺たちが武器を持つお前から目を離して食事にする訳がないだろう。少しは考えろ」
冷たい言葉だ。少佐の拳銃はやはり自害用以外に使い道はないらしい。
「お前はグリンウェル一人を殺しただけで自分が何故こんな目にあわねばならないかと思っているようだな。本当に分からないのか?」
今度は出入り口付近なので、中二階からの防弾ガラス板は無い場所だ、しかし、少佐は今武器を持っていなかった。そして、例え大尉殿を倒せたとしても、中二階の狙撃手とフィルダー、ジョンソンに自分を加えた包囲から逃れられるとは思えない。
「私は罪人を裁く立場の人間だ! 例え何人の人間を殺そうと、お前たちに恨まれる筋合いはない!」
少佐は両腕を抱える状態で、止血しながら両膝を床に付いたままの姿勢で怒鳴った。
大尉殿は元の位置、つまりは防弾ガラス板の内側にいつの間にか戻っている。
「成程、お前は法務長官だったな」
「そうだ! 私が罪人と決めた者の命を奪うのは当たり前なのだ!!」
少佐の怒鳴り声は、ジョンソンの言う通り、折角の昼食を不味く感じさせる。大尉殿は暫く何か考えているようだったが、後にフィルダーに聞いた所、こういう時の大尉殿は何も考えてはいないのだそうだ。その表情は少佐のような人間を苛立たせるのに最適だとも聞いた。
事実、自らが叫んだ後に何の言葉も返さない大尉殿の態度に腹を立てた少佐は、顔を真っ赤にして怒りを顕わにしている。大尉殿は少佐よりも自分よりも年齢としては大分下の筈だが、人を冷静でいられなくする能力は大尉殿の方が熟達しているように見受けられる。
「成程、お前の主張の一部は認めざるを得ないな。クレイグ大佐は少々年齢による判断力に欠けていたのかも知れん」
少佐の主張の一部とはいえ、大尉殿が受け入れるとは思ってもみなかったが、続く言葉で納得した。
「お前を法務長官に任命したのだからな。それは失策だと俺のような傭兵風情でも思うよ」
この言葉を聞いたジョンソンは爆笑、フィルダーは苦笑い。
一瞬妥協点が見つかったと思った少佐は安堵の顔から激変し、またも怒りの表情に逆戻り。
大尉殿はわざと言葉を区切って間を置く事で、少佐を天国から地獄へ突き落す事を意識して行っているのだ。
大尉殿は建国30周年式典が終わり、その三日後までこの天国から地獄をただ繰り返すつもりなのは明白だ。契約期間一杯、この不毛な会話を繰り返す。大尉殿にとっては仕事の一環、或いは復讐かも知れないが、自分が少佐の立場であれば、拳銃に残弾がある内に自害するだろう。
そういう意味では少佐の精神はまだ元気があると言っていい。
大尉殿は宣言した事に関しては必ず実行する性質を持っている。今の場合で言うと、少佐の自由を完全に奪い、食糧と水を与えず、逃げる事を許さず、ギリギリまで殺す事もせず、グリンウェルの仇を討つ。完全な復讐者だ。少佐にどのような正義があっても、それを覆す情報と会話力を有している。この傭兵が自分の敵でなくて良かったと安堵している自分に気付く。
「どのように虫けら以下の人間だとお前が思ったとしても、人の命を軽く見るな。お前に欠けている部分はその一言に尽きる。生命を軽く気分で奪う事が許せんのだ、お前にその資格も資質も無い。今までの会話でそれだけは分かった」
大尉殿は面食らう少佐を残し、自分たちの居るテーブルに戻る。フィルダーが立ち上がって、防弾ガラス板に先程の想像図を貼り付けた、勿論少佐に見える位置にである。
こういう嫌がらせは大尉殿を含めた傭兵全員が得意なのだろう。
マイヤーズ少佐が自分の拳銃で自害しているのが発見されたのは、彼をあの部屋に閉じ込めてから三日目の朝だった。自分が起きてあの広間に行った時には既に亡くなっていた。
当然大尉殿はずっと彼の傍に居て、嫌がらせを続けていたので、その瞬間に立ち会っていた。
「案外早かったな。もう少し粘るかと思ったんだが」
大尉殿の感想はそれだけだった。
少佐も並みの神経の持ち主では無かった筈だが、大尉殿とその部下たちの執拗な嫌がらせは彼のプライドをズタズタに引き裂いたようだ。
「昨日の夜までに、各部隊の隊長クラスや隣国軍事政権等と話し合った結果、今回の反乱は無かった事になった。クレイグ大佐は急病により死去、盛大に国葬が行われる。マイヤーズ少佐は大佐を敬愛する余り後追い自殺をしたと国際的には発表される事を教えてやったのさ」
それはまた残忍な手法を取った物だと自分には思われた。ある意味少佐は生涯の集大成とも言える革命という偉業をまったく無かった事にされたのである。練りに練り、再考に再考を重ねた作戦その物が無かった事にされるのは、流石の少佐でも耐えきれなかったのだろう。
「これでグリンウェルさんの仇は討ったという事ですか?」
いつもの席に座りながら訊いてみた。
「さあな。俺が満足そうにしているならそうだろう。人間の命を奪う責任をマイヤーズが果たした。それだけだ。グリンウェルに関しては無念であったとしか言い様がねぇ」
大尉殿が満足している様には見えなかった。テーブルの上で組んだ掌に力が入っているのが判る。グリンウェルの無念は晴れてはいない。
それは自分もそうだった。確かにグリンウェルは自分の妻子を救ってくれた恩人ではあるが、ほんの数日一緒に行動しただけの傭兵にこれ程自分が執着するとは考えられない。
それ程少佐の行いは自分を傷つけたと言って良いだろう。自分の生まれた国から出た裏切り者である。気分の良くなる事ではなかった。解決は時間に任せるしかない。