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洋泉ヒロシとかなみ。あと、西区太郎(声だけ)

洋泉ヒロシとかなみ。あと、西区太郎(声だけ)


俺の名前は洋泉ヒロシ、25歳。

これでも、昔は結構有名な劇団員で、地方局制作のテレビ番組にも、レギュラーで出ていたんだぜ。

事務所の社長が一覧に俺の名前を書き忘れ、クレジットされなかったけど、有名な怪獣映画にも、エキストラ出演したことだってあるんだ。

そんな俺。ヒロシ様が、現在このススキノの街で、女の子の居る店なんてやっていると思うと涙が出る。当時、俺のファンだった子猫ちゃんたちにも申し訳ないけど、これも人生だと諦める。

だってしょうがないじゃない。

色々あったからな。

俺は事務所の社長の言うとおりに動いて、笑いを取って、視聴率も取っていたんだから、社長が死んで、数か月で事務所から干され始め、後輩に女盗られ、離婚し、札幌から離れると仕事も無いし、芸能人気取っていた頃に貯めた金が少しあったから、札幌最大の歓楽街に店を出したのよ。

独り身になった自由を謳歌しつつ、子供が居なかったお陰で円満離婚。

ドロドロしなくて済んだのはありがたい。これは本音だよ。

俺の店はね、立派でもないけど、割と健全な店だよ。

女の子のお持ち帰りは無し。ボトル一本空けても、法外な金額請求したりしないし、純粋にお客さんに楽しんで欲しい店作りを俺は心掛けている。

タレント時代の名前のお陰で、そんなに怪しい人間関係も無い。俺が出ていた番組の名物ディレクターの髭の方なんか、殆ど毎日顔出して行くし、一応円満退社だったんで、事務所の後輩や劇団の仲間も来てくれる。

結構人気のあった俺の出演番組のビデオ発売は結局お蔵入りしちゃったけど、髭はまだ諦めていないと酔っぱらってよく語っている。

俺にとって、札幌は良い街だよ。

まあ、俺の紹介なんてこれくらい。

だってさ、たった25年の人生で語る事なんて、そんなに沢山ないじゃない? 大学に入学するのに二浪したとか、卒業までに留年したとか、自慢にはならない。それでも芸能活動のある若者ってのは結構荒波人生かも知れないけどね。

俺はよくこのビルの一室、自分の店の事務所に寝泊まりしている。

夜の店なんでね。

気付いたら朝なんだよね。店は5時までに終わるけど、それから俺は売上金数えたり、貸金庫に預けに行ったりしなきゃならない。ついでに言うと、今日はちょっと店の女の子の悩み相談みたいな事までしていたんだ。

だから今は正午くらいの時間。今晩の営業分の酒とかつまみとか、ちょっとした食い物はカウンターを任せている娘に買いに行ってもらっている。俺は基本的に客とのトラブルを解決したり、金を数えたりするのが仕事さ。

客とのトラブルなんてのは殆ど無いけどね。腕力で解決なんて状況には殆どならない。

用心棒を雇っている店もあるけど、ここは日本だし、そんなの金の無駄。そこまで危ない状況になる事はまったく稀だよ。東京なら話は別かも知れないけどね。

ベッド代わりに使っている二人掛けソファから起き上がると、暫く頭がボーっとしている。応接用のテーブルの上にある水に手を伸ばす。

飲む分だけを自分用のマグカップに注ぐ。仲間からはケチだとか言われるけど、これが俺なりの地球に対する気の使い方。最近ではエコロジーなんて言うらしい。

飲み干したカップをテーブルの上に戻し、顔を上げた瞬間に事務所のドアの内側に立つ人間を視認する。

「あれ?」

思わず声を上げ、そこに立つ女の子を暫く見つめてしまった。寝ぼけているのかと目をこする。

満面の笑みをたたえた女の子がそこには立っている。

いつから? いや、それ以前にどうやってドアの内側に入ったんだ? 俺は用心深い人間の筈で、悩み相談の娘を自宅まで送り、帰って来て、ベッド代わりのソファに転がる前に事務所のカギは閉めた筈だ。

ここに入って来られるのは、事務所のカギを預けているカウンター係の娘とビルの管理人、それに俺だけの筈。あ、掃除のおばさんが確かマスターキーを一個持っているけど、共有部分のみがおばさんの担当だから、入って来る訳もないし、無断で部外者の為に開けたりしない。

大体、なんで満面の笑み?

色々なツッコミが頭の中で錯綜するが、先ずは現実に立ち戻ろう。

「……おはよう」

声を掛けてみる。

「おっはようございま~すっ!!!」

幻覚ではないらしい。

起き抜けにおそろしくデカイ声。良い声だが、今の俺には頭に響き過ぎる。

「えー……君は誰?」

そう訊ねると、女の子は俺に近付いて紙切れを無言で寄越した。

履歴書だ。

ただ、その辺のコンビニに売っている決まった書式の物ではなく、A4くらいのコピー紙に手書きで書いてある。

頭に履歴書と書いていなければそうは思えない。履歴書の履はひらがなだ。

目を通すまでもなく、そこには名前と住所、連絡先電話番号が書いてある。しかし、それだけしか書かれておらず、履歴はまったく書いていないのが潔さすら感じる。

名前の欄には大きくひらがなで『かなみ』これは彼女の名前だろう。問題は苗字だ。まったく読めない程ボールペンで潰した上に油性ペンでバツマーク。

次の行に『にしく』と書かれた上にもバツマーク、『たかはし』と書かれた上に丸マーク……間違えたら別紙に書き直すとか、修正ペンを使うという言葉は彼女には無いらしい。ある意味地球に優しいね。

誕生日すら書かれていないこの履歴書を何の為に俺に渡すのか? 答えは一つだが、俺は少し間を置いた。

「ここで働く為にこれを持って来たんだろうけど、俺の店は16歳以下は雇えないよ」

そう見えたからだが、その俺の判断は少々間違っていたらしく、彼女は少し頬を膨らませた。

「かなみは16歳以下じゃないよ!」

だそうだ。

一応体を上から下まで眺めた俺は、彼女の体型が子供ではないと確信し、素直に謝る。顔の幼さで判断したのは確かに俺が悪い。

やっと頭の芯まで目覚めて来た俺の前にいる少女にしか見えない彼女は、名前がたかはしかなみ、住所は西区、年齢は16歳以上であるらしい。

そして、これは夢ではなく現実だ。

「えーと、どうやって事務所に入ったの?」

気になる事を訊いておこう。

「鍵を開けてもらったの!」

元気の良い答えだ。

「誰に?」

「このビルの管理人の人!」

管理人とは雇われ管理人の事だと思うが、雇われなのでビルに住んでいる訳ではない。俺の眉間に皺が自然に寄る。

その表情を見ても彼女は相変わらず満面の笑みで、今度はポケットから名刺を取り出した。

「この人!」

受け取った名刺に書かれている名前は、確かにこのビルの管理人の名前だ。

事務所に面接に来た彼女は鍵が掛っている事に困り、ビルの中を徘徊している間に、偶然ビルのメンテナンスにでも来ていた管理人に出会ったという事か。彼女の説明は短すぎて解らない。

「今俺の店は店員募集していなかったと思うんだけど……」

俺は近くのテーブルにあったアルバイト情報誌を手に取った。

「それはねっ! 太郎くんに言われたのっ! ここに行けば働けるってっ!!」

声が大きいね。

太郎くんって誰だ?

俺は知り合いの太郎を何人か思い浮かべた。暫く考える間も彼女の表情に変化は無い。奇麗な顔の女の子だが、少し頭のネジが緩んでいるのではないかと思い始めた時、履歴書のバツマークの付いた箇所と太郎が合致した。

「にしくたろう!? 西区太郎くんの紹介なのか?」

彼女は首を縦にブンブン振った。

西区太郎は俺の小中高生の時の同窓生だろう。それしか思い浮かばない。クラスが同じになった事は無いと思うが、簡単な字なのにやたらとインパクトのある名前だったので覚えていた。確か中学生なのに全国高校模試とか受けて全国の上位にいたという天才だった筈だ。その西区太郎が何故俺の店を知っているのだろう?

大体、高校を卒業してから交流らしい物は無かった筈だ。

俺は大学入学に浪人とかしていたし、その後はテレビに出ていたりして北海道を離れている期間も長かった。

その西区太郎が何故この娘を俺の店に紹介するのか?

疑問を口にして簡略な答えは貰えるが、このかなみという娘から詳細な説明は与えられず、かえって疑問が増える。起き抜けの俺の頭には難しい問題だった。

その考えの途中で、もうひとつ疑問は増えた。それはもうひとつのバツマークについての事だ。かなりインクを無駄遣いして消してあるが、なんとなく俺には読めた。そしてその苗字にも心当たりがあったのだ。

これは俺が中学生の時だから、12年くらい前に起きた事で、当時新聞を賑わせた記事の中の一文にその苗字が出ていた気がした。ちょっと思い出すのに時間が掛りそうなので、それは後回しだ。

「西区太郎くんと君の関係は?」

「関係?」

彼女は首を傾げた。可愛らしい仕草だが、どうやら関係という言葉の意味を測りかねているのだろう。失礼とは思うがあまり上出来な脳味噌は持っていないようだ。

「家族とか兄弟とか親戚とか……そういう事だよ」

「太郎くんはかなみの保護者だよ! かなみにはお父さんもお母さんも居ないし、お兄ちゃんは行方不明って事になっているの!」

元気の良さが戻った。西区太郎はこのかなみという女の子の保護者代わりで、彼女は身寄りが無い。お兄さんの『行方不明って事になっている』ってのはなんだ? 俺の頭が目覚めても疑問は尽きない。

どうする? 追い返すのは簡単そうだ、俺が首を縦に振らずに雇わなければ良い事だろう。だが、何かがまだ引っ掛かっている。そう、俺はこのかなみという娘を直接的か間接的かは思い出せないが知っている。この娘も俺の事を知らない訳ではないだろう。俺が地方局のテレビに出演していたのは1年程前までで、しかも深夜枠の番組だけど、昼間に再放送も放映していたし、それを見ていた可能性は否定出来ない。なんとなくこの娘は早寝早起きだと俺には思えた。向こうが知っているのはそんな理由だろうけど、俺が彼女を知っている理由にはならない。何かが喉の奥に引っ掛かったような不思議な感覚だ。

俺は記憶操作でもされているんだろうか? 

札幌が不思議都市なことくらいは、今時子供でも知っているんだろうが、確かに数年前の半独立国家宣言以来、俺の記憶は結構曖昧だ。

それにしても、こういうお店で働くには彼女は少々可愛過ぎるようにも見えるけどな。

まあ、この手のお店ではその可愛さが売りになるから問題はないか。色々な計算が頭の中を巡り、結果この娘についてもう少し訊いてみなければならないと俺はその時思ってしまったんだよね。

「君の苗字は『たかはし』で合っているのかな?」

「うん! 太郎くんが保護者だから西区って書いたんだけど、太郎くんに聞いたらあたしの旦那さんは六郎くんなんだって!!」

また新しい名前が出た。六郎? 『たかはし六郎』ね。まあ、旦那が居るのも特に問題じゃない。そういう娘も実際スタッフの中には居る。

「たかはし、高橋ではなく………………!! 鷹刃氏六郎!?」

突然思い出し、思わず叫んでしまった。

「そうだよ! あたしの未来の旦那さまの名前だよ!」

結婚している訳ではないのか。否、それも後回しだ。鷹刃氏六郎も俺の同窓生、その人物は12年前あった事件の重要人物で、今は確か服役中の筈。あまりに凶悪な事件だったという理由で、13歳であるのに特例で刑務所送りになったという男だ。

鷹刃氏六郎と西区太郎は確か同じクラスだった。

新聞に出ていた事件の内容だけ読めば、確かに鷹刃氏は悪い奴だろう。なんといっても人を殺している。だが、俺たちの学年に居た人間ならば、結構奴に同情した人間は多い筈で、俺もその一人だった。

12年前の夏、当時4歳だった女の子を誘拐し暴行するという事件が起きた。首謀者は女の子の兄の同級生で、当時15歳から18歳の高校生六人。行方不明になった女の子をその兄の依頼で探していた中学生が二人。一人はその後新聞を賑わす鷹刃氏、もう一人の名前は伏せられていた。

廃校になった小学校の体育用具室で暴行を受けた直後の女の子を発見した鷹刃氏ともう一人の中学生、そして被害を受けた女の子と共に居た六人の高校生は出会ってしまった。

ここで、多分新聞を読んだ全員が首を傾げた事だろう。怒りにまかせ、高校生六人に殴り掛かったのは鷹刃氏だけだったからだ。もう一人は女の子を連れて廃校の外に避難したというのだ。高校三年生を含む六人と、中学二年生一人の対決を想像してみれば理解出来るだろうが、鷹刃氏がいくら体格の良い中学生だったとしても、高校生六人に殴り掛かって倒せる訳がない。そして、女の子の捜索を依頼した兄は何処に居たのか、どうしてその場に居ないのか。

だが、鷹刃氏はその六人全員を倒した揚句、その命まで奪った。怒りに我を忘れた鷹刃氏はその後駆けつけた警官にまで殴り掛かり、二人の警官を負傷させ病院送りにし、更に増援で駆けつけた警官三人掛かりでようやく押し潰して捕えたという。

俺の感覚に間違えが無ければ、暴行された4歳の女の子は今俺の目の前に居るこの娘、そして鷹刃氏と共に廃校の体育用具室に行ったもう一人の中学二年生は西区太郎。だんだん話は見えて来たが、この娘を俺の店に紹介する理由にはならないし、俺を知っている理由にもならない。

そもそも、中二の頃の俺って……なにをしていたんだっけ? 

演劇は高校に入ってから勉強を始めたのは覚えているんだが、その前の記憶がどうにも思い出せない。

俺の考えは迷宮に入ってしまった。ソファに腰掛けたままの姿勢で腕組みし考え込む俺の顔を覗き込みながら、彼女は満面の笑みのままで何か俺が言うのを待っている。

「えっと……お茶でも飲むかい?」

時間を繋ぐ為に出た俺の言葉だったけど、彼女は首をまたブンブンと縦に振った。

立ち上がり、応接セットの急須に適当に茶葉を入れ、ポットのお湯を注ぎながら、洗ってある事を確認した湯呑を棚から出す。その作業をしながらも、俺の頭はフル回転で稼働していた。

そもそも、その事件について思い出した所で、今の状況の解決にはならないな。

一旦、西区太郎と鷹刃氏六郎について忘れる事にする。まあ、この娘と話していればまたすぐに嫌でも登場するんだろうがね。保護者と旦那さん確定人物だからね。

彼女に椅子に座るように促し、座った目の前の机の上にお茶を置いた。

理解し辛いが、この娘に一つ一つ訊ねて行くしかないのだろう。

そう決めた俺はソファに戻り、改めて彼女の顔と全体像を観察する。

顔は童顔だ。俺の考えが正しく、あの事件の時に4歳だったとすると、今は16歳か17歳だろう。でもこの娘はどう見ても12歳前後にしか見えない。一方の体付きはかなり大人だ。胸が大きい。ウェストのくびれも理想的、尻も大き過ぎるとは思わないがボリュームがある。

身長156cm、B84cm、W59cm、H84cm。

ああ、これはこの職業を始めてから俺の特技の一つになった事でね。いくら寝ぼけた頭でも、服を着た状態でも、髪が長く胸に掛っていても、俺は女の子の3サイズと身長が判るんだよね。勿論下着に何らかの加工がしてあっても判る。職業上以外では何の役にも立たない能力だけどね。

格好は派手ではないが、職を求めて面接に来る格好ではない。まあ、職業が職業なだけにそれをとやかく言うつもりはないけど。

16歳以上の女の子を雇うのに問題は無い。

ああ、これはこの半独立国家北海道でのローカルルールで、今の知事が決めたことだから、ちょっと日本の法律とは違うよ。

そこまで考えてから口を開く。

「君の職歴は?」

元気な笑顔は起き抜けの俺には異常な程眩しい。答えは即答だった。

「アルバイトの経験はあるけど、歌って踊れるお店は初めて!!」

俺の店は歌って踊れる店だったのか、初めて知ったよ。

「年齢を教えてもらえるかい?」

「今年で17歳っ!!」

成程、俺の考えの一つは正しいかも知れない。そう思いながら彼女の持って来た履歴書もどきに鉛筆で情報を書き込んだ。

「君の現在の保護者である西区太郎くんの職業は判るかな?」

少し間が開いた。

即答でない時は彼女が考え込んでいる証拠だろう。西区太郎の職業はそんなに答えに窮する物だろうか? 頭の良い少年だったのは記憶にある、彼女の保護者である事も考えれば若くして成功していると考えて間違えない。その答えが出て来ないのは何故なのか。少し不安が俺の頭をよぎる。

「うーん……太郎くんのお仕事はなんだろう?」

訊いているのは俺だ。

「お医者さんなのは確かだけど……」

少し抑えて喋るとこの娘は色っぽいな、思った事は紙に書き込む。西区くんは医者、彼の中学時代の学力からすると考えられない選択肢ではない。だが、何故考え込む必要があるのだろう? また疑問が増えただけか。

「免許は持ってないかなぁ……」

医師免許が無いだと!? それで医者って、BJかよ?

「かなみの状態診てくれるだけで、お医者さんとしてお仕事にしている訳じゃないんだよねぇ。いっつも家に居るし……」

無免許の医者で引き篭もり。これも一応情報だろうからメモする。

「収入は何処から得ているのかな?」

彼女の頭がショートするかも知れないという現実離れした考えを浮かべながらゆっくり質問を重ねた。

「お金? それはお兄ちゃんが……送ってくれているって聞いたよ」

行方不明の筈の兄貴が金を送って来るって? その兄貴は何者なんだろう? 俺は自分のマグカップに水を注ぎながらその行方不明の兄貴の商売を考えてみた。

全然答えが出て来ない。

判らないから訊いてみた。

「君のお兄さんは何をしているの? 行方不明だってさっき言ったと思うけど?」

「どこに居るか、かなみ知らないよ。お兄ちゃんは時々札幌に戻って来るけど、基本的に日本には居ないらしいって話は太郎くんに聞いた事あるよ」

成程、行方不明ってのはそういう意味か、殆ど家には帰らない兄貴なのね。俺の兄貴も結婚して実家出てから殆ど帰って来ないから、そういう意味では俺の兄貴も行方不明って事か。

「それで? お兄さんの仕事は何?」

一度に二つの質問は彼女のレベルに合わないようなので、もう一度訊いてみた。

「うーん。よく知らない!」

元気が戻った。このテンションの差は割と彼女の売りになるかな。こういうのは偏見だろうが、俺のやっている商売にまともな人間は要らない。

メモをしている鉛筆の先が何かに引っ掛かった。彼女の持って来た履歴書もどきの紙の下に何か別の紙がある。受け取った時には気付かなかった。

裏を返して見る。

そこには別の紙が張ってあった。大きさは名刺サイズで、透明テープで張り付けられている。

「?」

俺は疑問符を顔に出しながらその名刺を剥ぎ表の印刷された文字を見た。

『彼女と会話が成り立たず、詳しい話が訊きたい場合は、下記に電話する事をお勧めする。〇一一-●●●-▼▼▼▼ 西区総合医院 医師 西区太郎』

先に言ってくれ。

彼女にお茶でも飲みながら少し待つように言い渡し、俺は事務所の電話に手を伸ばした。書かれている電話番号にダイヤルする。

一回目のコールの半分以下の呼び出し音で相手が電話に出た、流石引き篭もりの無免許医だ。

「もしもし」

俺の声の方が先だった。相手は俺が何者かを測る様子で、無言で次の句を待っているらしく、一言も喋らない。受話器を上げただけだ。

俺が次の言葉を継ごうとした所で電話は一方的に切れた。向こう側で受話器を下ろしたのだろう。訝しみながら受話器を置いた瞬間に事務所の電話が呼び出し音を鳴らした。

一瞬驚いて固まったが、気を取り直して受話器を取って耳に持って行く。

「お電話ありがとうございます、ビストロヨーゼンです」

店の名前を言っても相手はまだ喋らない。中学生の頃の西区太郎の顔を思い浮かべた。確か喋りは達者な方だったと記憶している。この12年くらいの期間で彼もまた俺の目の前に居る彼女のように高低の激しい性格に変貌したのだろうか?

暫くの沈黙。

『やあ、久し振りだね。僕の事は覚えていてくれたのかな?』

突如挨拶、面喰っていると、返事を待たずにそのまま彼は喋り続けた。

『まあ、中学を卒業してから一度も会っていないからね、面喰うのもわかるよ。君はテレビにも出ていたから僕は何度か番組を見ていたけど、君は僕には会っていない訳だし、突然僕の庇護下にある女の子が訪問して君の店で働かせてくれと言われれば、誰でも絶句物だろう』

まだ向こうは名乗ってもいないが、その声には聞き覚えがあった。

「一応確認するけど、君は西区太郎くんで間違えないよね?」

『ああ、これは失礼。いかにも僕は西区太郎だよ。電話をして来たという事はかなみとは会ったんだね? そして会話に行き詰った感じかな? それとも履歴書の裏に貼っておいた名刺を先に見つけたのかな?』

「暫く彼女と会話してから気付いたよ」

西区太郎は電話の向こうで少し楽しそうな声で笑う。この天才には俺とこのかなみの会話のちぐはぐさが手に取るように判ったのだろう。

「西区くんは俺の店がどんな店だか判っていて、彼女を此処に寄越したんだろうね?」

『勿論、かなみがどう言ったかまでは想像の域を出ないけど、彼女をあまり信頼の置けないススキノの店に行かせる訳にはいかなかったのでね。君の店については調べたので、結果大丈夫と判断した僕が行かせた訳さ』

「俺がススキノで店始めたのをよく知っていたね」

俺がタレント活動を辞めてからの足取りを知っているのは、元所属事務所の連中と地方局の仲良くしていたディレクター、後はかなり俺を熱心に追い掛けていたファンくらいだろう。

『ああ、それは偶然に知った事でね。先程も言ったかも知れないが、僕は君の出演しているテレビ番組を数度見たきりでね。君の所属していた事務所で起きた社長急死事件の新聞記事を整理していて、君がタレント活動を辞めた事を知ったくらいだからね。君の店の事はある知り合いに聞いたのさ。君が思っている程君の店は無名ではないさ』

褒め言葉なんだろうが、何かが引っ掛かる。

「誰に聞いたのか教えてもらえるかい?」

『ああ、君の記憶には無い名前だと思うから、少し判り易く言おう。4ヶ月前の深夜から早朝にかけて、君は店の売上を預けに夜間金庫に向かっている途中で、何者かまでは知らないだろうけど、ガラの悪い三人の青年に襲われただろう?』

新聞にも載らなかった事件の事を、何故この男は知っているのか? 確かにそれは俺の中では結構大きな事件だ。俺を襲ったチンピラの事なども知らない。しかし、西区太郎はそのチンピラの事を知っているかのような口振りだ。

『まあ、そんなに驚く事でもないよ。一応言っておくけど、僕の知り合いはそのチンピラではないからね。その間に入って君を助けた人物の方が僕の知り合いだよ』

俺は暫く放心したように受話器を眺めた。俺が今まだ生きていて、怪我もなく仕事が出来ているのは、その西区太郎の知り合いのお陰だったからだ。

その大男が俺とチンピラの間に入ってくれなかったら、俺は無事では無かっただろうし、売上金も奪われていただろう。世間一般にはそのチンピラ達は路上強盗と表現出来る悪質な連中だった。俺の背後から近付き、突然バットのような物で右肩を殴られた俺は、痛みよりも先に振り向いた。これは偶然だったのだが、俺は売上金の入った袋を右肩に掛けて歩いていたので、怪我をしなかった。この場合の怪我とは骨折等の事で、勿論数日間打撲の痛みには苦しんだんだが、命に関わるような事ではないという意味だ。

チンピラ達は俺の事を知らなかった。俺がテレビに出演していた事という意味だ。ただの売上金を運んでいるオッサンくらいにしか彼等は思っていなかっただろう。その証拠に俺が振り向いても彼等は何も感想をもらさなかった。

二人がバットと角材らしき棒、一人はナイフ所持だ。俺は抵抗の意思が無い事を示す為に両腕を上にあげた。情けないと思われるかも知れないが、俺は格闘技を見るのは好きだが、経験は全くない。大体1対3だ、向こうは武器を持っているし、勝てる訳がない。

不良少年レベルのガキには大金だろう、それくらいの売上金が袋には詰められている。

命より大事などとは言わないが、この金を奪われるのは、かなり困る。銀行へ続く一般道路だが、時間帯が悪く新聞配達の自転車少年すら通らない。偶然警官が現れる可能性なんて皆無だ。

いかん。殺される。

顔も隠していない乱暴な若者は、抵抗する意思の無い事を示す25歳のオッサンに止めを刺そうと角材を振りかぶっていた。

正直怖いぜ。

こいつらが顔も隠さず俺を襲う理由は金目的なのは勿論、口外を避ける為に俺を殺す気満々だ。

「なぁ……」

ナイフを持った男の背後からそんなつぶやきというか独り言というか、そんな声が聞こえた。正確には俺にその声は聞こえなかったのだが、三人の若者はその声に反応し瞬時に振り返った。

「何だ! てめぇは……!!!」

そう言い掛けたナイフ所持の若者が崩れ落ちていた。そこに立っていた大男が何かしたとしか思えなかったが、何をしたのか俺には見えなかった。

「深夜一杯働いていたであろう人間に対し、多数で獲物持って襲い掛かるのが最近の流行りなのか? 暫く帰って来ないとこの街は荒れていて困るよな。まあ、昔から治安の悪い街ではあるんだが……」

深く、静かな、重い声が残り二人と俺の耳に入った。

大きい。

身長は2メートル近いのではないか。

そして、横幅もある。太っているという意味ではなく、かなり鍛えたという感じだ。俺の能力は女の子限定なので、男の見立ては大体になる。

静かになった明け方のススキノの路上で、ある意味騒いでいた俺と路上強盗三人にまったく気付かれる事なく、大男は近付いた事になる。しかも今崩れ落ちたナイフ持ちの男の真後ろまでだ。素人に出来る事ではないでしょ。

手にはナイフが握られていた。これはナイフを持った強盗から奪った物であるらしい。いつの時点で奪ったかはやっぱり見えなかったけどね。

「……一応、このナイフの使い方を教えてやろう」

そう言うと、彼は目に見えない程の速さで下から上へ腕を一度振った。俺の背後で何かの金属が壁に当たる音がし、思わず強盗と三人で振り返ると、ビルの壁に今まで男が持っていたナイフが突き刺さっていた。

まるで手品だ。

俺たちは唖然とし、男の方に向き直る。

「……あのナイフは投げて使うナイフだ。格闘用のナイフと一緒だと思っている素人は多い。俺も昔は一緒だと思っていたから、別に恥じる事ではないがな」

それでも、コンクリートの壁に突き刺さる程鋭い切っ先のナイフで脅されていたかと思うと、俺の背中に気持ちの悪い汗が流れる。今はまだ春先だし、北海道で汗なんてかくのはもっと後の時期だろう。勿論スポーツの後の清々しさなんてある筈もない。大体コンクリートと思われる建物の壁面にナイフが刺さるってのは、おかしくないか?

こういう状況の時に、この男に話しかけられる人間は、俺を含めてここには存在しないようだ。残った強盗二人も唖然としているようで、当初の目的である俺の事も忘れている。

「お前たちに恨みがある訳ではないし、そもそも俺にはその男を助ける理由もないんだが、多対一という場面が嫌いなのと、俺の出身地であるこの街でくだらない事件を起こす奴を見過ごせないという理由はある」

この大男の言葉には感情が無い。ただ、静かに、そして重く喋る。

被害者側の俺でさえこんなに怖いんだから、残り二人の強盗はもっと怖いだろう。

この場合、彼等二人には逃げるという選択肢がある筈だが、考えようによっては、状況は強盗二人に有利だ。大男は折角奪ったナイフを離れた場所に投げ刺してしまったので、素手だし、強盗二人はまだ角材みたいな物を持っている。俺が戦力にならない事は誰にでも判るだろうから、武器を持った強盗二人に利はあると考えられる。

それくらいの脳味噌はこの二人にも詰まっているらしく、彼等は結果逃げるという選択肢を放棄し、大男に向かい棒を構えた。そう言えば俺はまだ両手を上げたまんまの姿勢だった。

俺は固唾を飲んで見守る側に回った。正直言って怖くて足が動かない。

「不意打ちだったとはいっても……俺は元々素手だったって事を忘れていないか?」

またもや感情の籠らない言葉が大男の口から発せられた。

それを合図にしたかのように、強盗二人が角材を振り上げ、男に突進した。

俺は怖くて目を瞑ったかも知れないけど、多分、目を開けていても見る事は出来なかったんじゃないかな。

角材が空中を滑る風きり音を聞いた。空振りし、地面を叩く音も聞いた。しかし、大男がどう動いたのか、まったく見当が付かない。音がしなかったし、視認も出来なかったからだ。

次に聞こえた鈍い音、それは大男の空手が二人の男の首筋に当たる音だった。

「……もう聞こえないかも知れないが、棒状の武器を使う際は、自分の力量に合った重さの物を選択する事だ。この角材とバットはお前たちには重過ぎ、軽過ぎる。重さはスピードに乗るまでに時間がかかり過ぎ、軽さはコントロールする際の甘さが出る。そして、少なくとも俺はお前たちより強い。敗因はそんな所だろう」

格好良い。

翻ったコートの裾を手で払って直し、大男は俺に近付いて来た。

「誰だか知らないが、怪我はないか?」

俺は言葉を忘れたように首を縦に振った。一連の出来事に要した時間は2分もないだろう。俺は恐怖のあまり言葉を失っていた。

「そうか、では次からは気を付けて歩け。背後に三人も悪意のある者が近付いて来たら、気付いて逃げられるように訓練する事だ。お前は喧嘩に向いている類の人間ではなさそうだからな」

気が付くと俺は大男と同じようなコートの男数人に囲まれていた。一体いつから大男は分身したのか。否、身長は大男が最も高く、他は割と低い身長、しかも髪の色と肌の色からして外国人だ。全員が俺を囲むように立っているが、視線は道路の四方にあり、別の敵がいないかを確認しているようだった。

「こいつらはどうする?」

大男に日本語で外国人の一人が訊ねた。流暢な日本語だ。

大男の考え方は実に残忍だった。

「……近くに川があっただろう。生かしておいても害にしかなるまい。俺の生まれた街には不似合いな連中だからな、雪解け水で増水もしているし、投げ込んで置けば昼頃までに海に着くのではないかな。久し振りに戻ったのに、また明日には出国せねばならないな」

俺を囲んでいるコート姿の外国人は三人、大男を含め四人、更に強盗三人を担いで霧雨の降る道路の向こうに消えた外国人が三人居た。

この街で、ヤクザの闘争とかチンピラの喧嘩で人が死ぬのは珍しい事じゃない。しかし、25年生きて来て、そんな場面に出会ったのは初めてだった。

「……出来れば今の出来事は忘れるべきだ。俺はこの街には居ない筈の人間だからな。本来ならば今の事件でお前は死に、この路上に撲殺体か刺殺体で転がっていただろう。俺たちは偶然通りかかっただけなんでな。そして、本来一般市民を助ける義務は俺にもこいつらにも無い。だから、俺たちに恩義を感じる必要もないし、今の出来事は忘れてくれて構わないが、次は無いという事を覚えておけ。その為にお前は背後から近付く愚かな考えを持つ人間の気配を察知出来るように訓練するべきだ。格闘に向いていないのは先程も述べたが、出来れば走り込みでもし、少し逃げ足の強化をしておけ。俺から言えるのはそのくらいだ」

そう言うと、大男はコートを翻して先程ナイフを投げたビルの壁に向かって歩き、刺さったままだったナイフを片手で引き抜いた。俺を囲んでいた外国人も大男に付いて行く。大男はナイフを暫く眺めた後、コートの裾を翻し腰のベルトに差し込んでしまう。その際彼の腰のベルトに拳銃の入ったホルダーらしき物が見えたが、それも忘れた方が良さそうだった。

霧雨の降る春先の札幌の真ん中で、新聞にも載らない事件はこうして終幕した。

俺は一瞬躊躇ってから、彼等を走って追い掛け、大男に礼を述べた。

「えっと……助けてくれてありがとうございます。ちょっとびっくりしてしまって、言葉を失っていました」

大男は立ち止まって振り返り。

「別に良いさ」

と、だけ言い残し去ろうとした。

俺は内ポケットに入っている自分の名刺を取り出し、大男に渡す。

「自慢出来るような店じゃないですけど、ススキノで店やってますので、機会があったら寄ってください。本当にありがとうございました」

少し間が開き、大男は俺から受け取った名刺を自分のコートのポケットにしまう。

「ああ、何年後になるかわからんが、その時お前の店がまだあったら寄らせてもらおう。俺の連れたちはこういう店は好きだろうからな」

そう言い残し、彼は名乗らずに俺の前から去って行った。

これが4ヶ月前の出来事だ。俺が回想している間も電話は繋がっている。

「あの大男の方が君の知り合いなのか?」

思い当った事を口に出す。受話器の向こうで西区太郎が声を立てずに笑った気がした。

『大男ね。確かに彼は大きいね。見た目もだけど心も大きい。彼を思い出せたのなら、今回のかなみの行動の事は大体わかると思うけど、もう少しヒントが居るかな?』

ヒントより答えが欲しいんだが。

俺はまた考える。

「西区くんの知り合いがあの大男さんなのは理解した。確かに俺は彼に名刺を渡したよ。本当ならば命を助けてもらったんだから、もっと具体的にお礼をしたかったんだけど、とにかく動揺していてさ。彼はまだ札幌に居る……」

そこまで言い俺には思い当る所があった。先程かなみに聞いた彼の兄についての事だ。

彼女の兄は仕事不明の謎の人間で、彼女と西区太郎に金を送って来るが、殆ど日本には居ないと聞いた事だ。

「やっぱり、あの事件を起こしたのは先輩だったのか……」

かなみの兄は今でも札幌に住む一部の人間の間では有名人だ。12年前のかなみ暴行事件の後、警察に捕まったのは鷹刃氏六郎だったのだが、やはり中学生一人で六人の高校生を殺すのには無理がある。

警察は六郎の自供をある程度信じたが、かなみの兄が高校生で、事件後失踪した事に注意を向けたのも事実だ。すさまじく巧妙に消された彼の足跡を警察は追えず、結局事件で殺人を犯したのは六郎になった訳だが、俺たち中学生にでも、この兄という人物が事件に関係している事は理解出来た。

まことしやかに囁かれた噂では、彼はヤクザにも一目置かれていて、海外に脱出させてもらったとか、宗教団体の施設に匿われているなどと聞いた。だが、真実を知る者は誰もいなかった。新聞やゴシップ雑誌の記事が小さくなると、俺たちの記憶からも少しずつこの兄の存在は消えて行ったのだ。

『12年前のかなみの事件の事かな? よく思い出せたね。でも君が思ったのとはちょっと違うかな』

西区太郎は俺の顔を思い浮かべ、受話器の向こうで満面の笑みだろう。

「では、あの十二年前の事件の真犯人は先輩で、鷹刃氏六郎は冤罪だったのか?」

『うん、そこを君は思い違いしているね。彼はその場に居たが、誰も殺してはいないよ。あれはあれで正しい報道と発表なのさ。今の日本のレベルではね。六郎は実際に彼等六人に止めを刺した。これはその場に居た僕が言うのだから間違えないよ。ああ、さっき君から電話を貰った時に何も言わずに一度切っただろう? あれは盗聴防止の処置だから、今君と僕が何を喋っても外部に漏れる事は無いから安心してね』

電話を西区太郎が掛け直す事によって、どういう仕組みかは知らないが、この会話が外部に漏れる事は無いらしい。スパイ映画のワンシーンのような気分だ。

『誤解を解く為にも、正確に事件の事を説明するかな』

少し楽しそうに喋るのは、西区太郎のクセなのだろう。だが、彼の顔が真面目な物に変化したであろう事は想像出来た。この話は新聞やゴシップ雑誌に載っていない話なんだ。俺は固唾を飲んでから水を一度口に含んだ。

『十二年前、当時彼の事を良く思っていない連中が居た。彼は格闘技の達人である父上の血を濃く受け継いでいて、そして俗に言う不良グループには入っていなかった。体は当時すでに出来上がっていたから、不良ごときは敵にもならなかったんだよね。彼も不良連中を敵などとも思っていなかった。眼中に無いってやつさ。それが面白くないと思う不良連中の起こした事件、それが彼の妹を誘拐する事だったんだ』

簡潔だが、恐ろしい事実を聞かされ、俺は身震いした。

『かなみは当時4歳になったばかりだった。少し頭の発達に遅れがあるように見えるのは生まれつきだよ。君も少し喋って判ったとは思うがね。まだ初潮すら迎えていなかったかなみを誘拐した一団が居た。それがその不良連中だよ。メンバーは彼の同級生を含む六人。全員同じ学校だった。簡単に考えると、彼等は同級のかなみの兄に嫌がらせをするつもりだったんだね。言う事を聞かせ、自分たちの戦力にする為だったんだろう。当時の高校は荒れていたからね、駅で他校の生徒に会ったら喧嘩するような時代の話だから、僕たちの世代とはちょっと違うかな』

酒も飲んでいないのに吐き気がして来た。

『かなみは4歳の時には既にかなり可愛くてね、その魅力は他の園児とは一線を画していたと僕にも思える。彼等チェリーボーイくんたちには刺激の強いフェロモンをかなみは持っていたんだろう。あろう事か、彼等は人質のかなみに手を出した。六人全員がだ。僕と彼と六郎が現場に駆け付けた時。かなみは瀕死の状態だったよ』

俺はかなりこの電話を切りたくなっていた。

「西区くん。その話を全て俺が聞く必要は無いだろう。大体のあらましは俺にも理解出来た。先輩はその全員を怒りにまかせて殴り倒し、彼女を救い。怒りに我を忘れた鷹刃氏六郎くんがその愚かな高校生六人にトドメを刺したんだね」

俺の口からそんな言葉が漏れていた。受話器の向こうの西区太郎は笑顔に戻ったようだ。

『まあ、実際に殴り倒したのも、六郎なんだけどね。君に分かりやすく説明したいんだけれど、ここはちょっと制約があるので、僕の口からは話せない内容なんだ。まあ、そんな訳で、報道にほぼ間違えはない。そして、彼を逃がしたのは僕だ。ご両親は亡くなられていたし、これから先、かなみを守れるのは彼だけだったからね。六郎もそれを考えてトドメを刺した。全ての罪を六郎自身が被る為にね。彼は海外に稼ぎに行かせ、六郎が捕まった、これが真相かな。かなみの体を治療するのに掛った金額は莫大だったからね。高校生に稼ぎ出せる金額ではなかったんだよ』

「わかった。俺に出来る事は先ず彼女を雇う事なんだね? それが彼女自身の意思で、君やそのお兄さんや六郎くんの意思なら、俺に断わる理由はないよ」

『君がそう言うなら、僕に勿論異存はないさ。かなみの兄は君を助けた時になんとなく僕らの同窓生に君が居たと思い出したそうだ。そして、僕に君の店を調べるように依頼して来た。かなみはそういう事件に巻き込まれたんだけど、社会に出てみたいという希望は割と旺盛でね。兄に宛てた手紙の中に君の店のような場所で働きたいと書いていたらしい。人間不信にならなかったのはあの事件の中では幸いな出来事だったよ。通常の神経の持ち主であれば、自殺未遂を繰り返したり、一生病院のベッドの上だったりって例も沢山知っているんでね。あまり迷惑を掛けるようならクビにしてくれて構わないよ。かなみにとってはそれも社会常識の一部だと判断出来るまでには回復したのでね』

俺は気になっていた事がいくつかあった。事件の話はかなり嫌気がさしている。重くなった話題を変える為に強引に話しを変える事にした。

「西区くんは医師免許を持っていないと彼女に聞いたんだけど、君はかなり頭が良かったと俺は記憶しているんだが、何故免許を取らなかったんだい?」

『ああ、一応大学には行ったんだがね。卒業までに吸収出来そうな事があまりに少なかったんで、卒業するだけにしたんだ。僕がかなみの兄と約束したのはかなみの治療だけなんでね。知識はある程度図書館で済むし、実践は仕方なく一般市民の協力を得ているけど、医療行為は免許なしでも出来る物さ』

医者を目指して勉強に精を出している諸君。こんな奴は普通居ないから、絶対真似はしないように。

俺は少し呆れたが、西区太郎の当時の学力から考え、なんとなく理解した。

「成程、理由は分かったよ。それと、このかなみちゃんのお兄さんの事をできる限り、話せる範囲で構わないので聞かせてほしいんだけど……」

『ああ、それは気になるよね。君の人生もあまり一般的とは言えないかも知れないが、ああ、これは君がテレビに出ていた人だから言うのだよ。大学を卒業し中流ないし一流の企業に就職した人間を一般と考えればって話』

「言われてみればそうかもな」

『あの事件の後、かなみの兄は日本を離れた。これは僕も絡んでいる話なので、詳しく話そうと思えば話せるのだけど、結構制約が多くてね。ある程度は君に想像してもらうしかない。16歳になったばかりの彼は、僕にかなみの世話と治療を任せ世界に出た。彼の特技は勿論格闘技な訳なのだけど、もうひとつ特技があってね』

「もうひとつの特技?」

西区太郎は話が長い、そして、更に回りくどく聞こえるのがどうも嫌なんだが、俺もテレビに出ている時はそんな感じだったかも知れない。それに今は俺が聞き役だ。

『ああ、彼は日本語も相当得意だが、海外の言葉の全てを話せて読める。これが勉強したからではなく、自然に身についているから凄いのだよ』

確かにそれは凄い能力だ。

『つまり、彼は聞いた事のない言語でも、それを話す人間と半日も一緒に居れば、基本的に会話が可能になるのだよ。こればっかりは僕の頭脳を持ってしても真似の出来ない部分さ。まったく未知の言語を一日でマスター出来る人間なんてこの地球にも殆ど居ないのではないかな?』

この天才にそこまで言わせる尊敬出来る人物。それが俺の目の前で満面の笑みで俺が棚から出して来たお菓子を頬張るちょっと頭に春風の吹いている女の子、かなみの兄だとはとても信じられないが、西区太郎がここで俺に嘘を言う理由が俺には見つけられなかった。

『その能力を活かせる職場に僕が心当たりを付けた。お金も沢山貰える仕事。それを彼は現在も続けている。12年間世界中を飛び回ってね』

それが外交官では無いという事は、俺みたいな頭の悪い男にでもすぐに分かった。

『現在では部下も持つ位に就いている、詳しくは話せないけどね』

それはそうだろうな。俺の考えが正しければ、かなみの兄は事件後日本を離れてからの12年間、人間を殺し続けたんだろう。世界中ってのは紛争地帯とかの事だと思える。つまり彼は西区太郎の紹介で外人部隊に入り、その格闘技術と言語能力によって地位を上げ、現在では部下も持つくらい偉くなっているって事だろう。彼が俺を助けた時に後から現れて俺を囲んだ外人と、チンピラを処理しに川の方向へ消えた連中がその部下って訳だ。

路上強盗の命とは言っても人間の命を三つも同時に消す事にまったく躊躇しない姿勢は、プロの軍人って気がする。あくまでも俺の推測で、正しい答えを知っている西区太郎は俺にその答えをくれる気はさらさらない。

『こう言うと彼は怒るが、基本的に彼は暴れるのが好きなんだよ。そのパワーは日本人離れしているのでね。有り余るその力を発揮出来る場所を考えた結果が現在の彼の職場なんだ。君を助けた時はアジア圏内での任務から帰還したばかりでね、そういう任務の後は暫く身を隠すのが定石なんだけど、日本って国はそれに最適でね。打ち上げパーティも兼ねてなんだけどさ、朝まで部下と一緒にススキノで遊んでいたって訳。それで帰り道に君が襲われていたんで、思わず助けたのさ。余談になるけど、犯罪者とかテロ組織なんてのも日本には沢山居てね、隠れ場所に使っているんだよ』

穏やかな口調だが、なんとも穏やかな内容とはかけ離れている。

「そういえば俺が襲われた日の前の週に新聞を賑わせた事件があったな、あれがその先輩の仕事かい?」

俺の頭に浮かんだ事件とは、国際的な事だ。アジア圏内での任務という西区太郎の言葉を受けて思いついた。

大きなニュースだった。国連からテロ支援国家の指定を受けたアジアにある国で大規模な軍事作戦が展開され、一国の首相に当たる指導者が暗殺されたと報じられたのだ。軍事作戦とは直接関係の無い所であった事件だったのに、軍事作戦の成否よりも大きく報道された。国連から派遣された多国籍軍は関与を否定。だから暗殺という表現になった。指導者の後継問題で今もその国では多くの血が流れている。

『ああ、君の思う事件と一致すると思うよ』

受話器の向こうで苦笑いする西区太郎の顔が思い浮かんだ。

『12年前の事件以降の彼は、自分の中にある正義を疑うようになったのさ。他人の求める正義と自分の中の正義のズレに気付いたって言えばいいのかな。それで世界に出て、世界の思う正義とは何なのかを探し求めるようになった。並みの人間では無いと思っていたけどね。彼は相当な人格者だよ』

確かに一般的な考えとは程遠いと俺には思える。俺の中にはそんな正義や悪なんて概念は小さくしか存在していないからだが、俺の考える一般的というのも、実は一般的ではないのだろうな。

「そうか、大体彼女のお兄さんについても分かったよ。質問ばかりで悪いけど、次は鷹刃氏六郎くんの現在の様子を教えてもらえるかな?」

俺は敢えてかなみの兄の名前は訊かなかった。機会があればその内会って話す事があるかも知れないし、名前は特に重要ではないし、大体偽名なんて訊いておいても役に立つとも思えなかったからだ。

『六郎は北見の傍にある刑務所の中に居る。それは新聞でも報じられた内容だと思うけど?』

「単純に服役しているのかい? 仮釈放とかってよく聞くけど?」

『ああ、そういう事ね。六郎は模範的な囚人を演じている筈だけど、本人にあまり出所する意思が無いんだね。この12年の間に何度か外に出られる機会はあった筈なんだけど、本人がまだ償いきれていないと判断しているようだね。六人の名もない高校生を殺した事にそこまでこだわる奴ではなかったんだけど、彼には彼の考えがあるのだそうだよ。この前も手紙が来ていたから、その考え方は僕にはよくわからないけど、変える気は全くないらしい事だけはよく分かる内容ではあったかな。30歳までには出所して、かなみをもらうというのが六郎の唯一の願いだからね』

「こういう聞き方は失礼かも知れないけど、六郎くんはどうしてそんなに彼女にこだわるんだい?」

『それは難しい問題かな。六郎に言わせればかなみは運命の人なのだそうだよ』

確かにかなみという娘は見た目が可愛い。もう少し年齢を重ねてもその可愛さが損なわれる事はないし、むしろ綺麗になって行く気がする。しかし、この年中満面の笑みで頭に春風の吹いているような性格はどうだろう? 俺なら遠慮したいと思う。

『六郎は子供の頃、この場合は小学生という意味だけど、そんな頃からかなみに想いを寄せていたよ。理由は本人にしかわからないけどね』

「西区くんはどのくらい前から彼らと知り合いなんだい?」

『僕が生まれた時にはかなみの兄は5歳で、僕の家の隣に住んでいた。かなみが生まれた頃まではご近所だったかな、彼が中学生くらいの時に母親が亡くなってね、親戚の家に引き取られるまではよく遊んでもらっていたかな。六郎は斜向かいの家でね、これもご近所だった。今でも僕の実家の斜向かいは鷹刃氏家の家だけど、表札は高橋になっているね。事件後に珍しい苗字のせいもあって相当ご家族は苦労された筈だから、読みが同じなんで、一般的な高橋に変更したんだね。ご両親は他界された筈だけど、六郎の兄が一人で住んでいるよ。今もあの家に鷹刃氏家の関係者が住んでいるって事は多分報道関係者も警察機関も知らないだろうけどさ』

幼馴染か。

もう一人新しい人物が増えた、六郎の兄だが、今回のかなみの就職に関係があるとも思えないので訊かない事にした。

「最後に一応確認するけど、俺の店はお客さんに一人ずつ接客しながらお酌する店って解釈してもらっているのかな? さっき彼女は歌って踊れる店って表現したんだけど」

『かなみがそう言って納得しているならば、そういう店に変化していくかもしれないけど、今は君の言うような店だろう。僕が言うのはどうかと思うけど、かなみはその職業に向いていると思うよ。一見頭が悪いように見えるだろうけど、かなみは決しておかしくはないんだよ。喋り方で誤解は受けやすいけどね。まあ、使ってみてよ』

「雇うのは構わないよ。俺も彼女にはこういう仕事が向いているとは思う。だけど俺の命の恩人の妹さんを、俺が言うのもどうかと思うけど、こんな店で使うのは気が引けるなぁ」

『はは、君はやっぱり良い人だよ。かなみの良さを初見で見抜ける人間は結構少ないからね。出会って数分で見抜けるのは僕と六郎と君くらいだよ』

俺が褒められるのは単純に嬉しい。しかも伝説級の犯罪者鷹刃氏六郎と免許を持たない闇医者西区太郎と同列というのはなかなか気分が良い。俺をこんなに認めてくれたのは芸能人時代の事務所の社長と地方局のディレクターくらいだろう。

『そういえば、調べていてわかってしまったんだけど、君が所属していた事務所の社長の急死って、表には出ていないけど殺人事件だよね?』

そういう返しが来るとは思わなかった。

「ああ、そうだよ」

『犯人が捕まっていないけど、どう考えても事務所の内部の人間にしか出来ない状況だったよね?』

俺は少し動揺した声に俺はなっているだろうか。西区太郎はやはり天才だ。

「ああ、犯人は副社長で社長の奥さんだよ」

西区太郎の天才振りでは隠し通す事も出来ないだろうから、俺から先に答えを出して見せた。受話器の向こうで彼は少しの間笑い続けた。

『そうか、それを訊けて良かった。特にどこかのニュースソースにリークするつもりはないから安心してくれたまえ。僕自身が気になってしまっていてね。調べれば調べる程、殺人事件である筈なのに、警察の捜査のなんと甘い事だろうと思っていたんだよ。捜査当局者に相当な金額が流れていたのでね、それでピンと来たんだ』

やっぱりあんたは天才だ。事務所が相当な金額を使い隠蔽したであろうことをいとも簡単に見抜く。

大体どうやって素人である筈の西区太郎が事務所や銀行の金の流れを調べるんだ? 少なくとも俺はそのやり方は知らないし、知っていたら既に社長と一緒にあの世にいるか刑務所の中に居る自信はあるね。

しかし、西区太郎に褒められるのは悪い気分ではなかった。

「わかった。今日は面接だけして帰ってもらう事にするよ。追って店の資料と概要、それから契約書を持たせるから、西区くんが書いて構わないから提出してくれよ」

『了解した。それではよろしく検討してくれたまえ。失礼するよ』

受話器を置いてかなみを見る。彼女は食い終わった菓子の包み紙で折り紙をして遊んでいた。少し驚いたのは、その折られた鶴が恐ろしく正確に折られていた事だろうか。鋭くエッジの尖った嘴など、人を刺せそうだ。触ったら怪我をする折り鶴なんて聞いた事がないよ。

彼女に併せるつもりで簡単な質問をいくつか重ね。事務机から仮契約書を出し、かなみに持たせ帰ってもらう事にした。彼女が帰った後のテーブルには、菓子の包み紙で作られた恐ろしく尖った鶴が、彼女が食べた菓子の数だけ転がっていた。



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