三話 会合
ログアウトを指で押す。九十九丸の足元は黒く染まり穴のよう見える。吸い込まれそうな其れに恐怖しながらも目の前のグラフィックのズレた半透明の巻物に、文字化けしたお疲れ様でしたの文字が出る。
いつも通りならば煙が立ち込め視界が白くなるはずがバグのせいか視界は良好で、黒い穴に向かって自分のキャラと同じ外見のモノが落ちて行く様に見えた。其の自然落下する様を眺めるのゲームキャラといえど背筋の凍る様な映像だ。その恐怖に瞼を閉じ此のバグが直りゲームが出来れば良いなと願っていると視界は暗転した。
ゲームが出来ない間、何をしようか。保護液から顔を出し、VRカプセルの内側を見ながら呆然と考えた。
◆◆◆◆◆
ぼやけた視界で女が泣いている。慟哭と嗚咽と涕泣のが合わさったそれは締め付けるような心痛を覚えさせるに十分だ。自分に何が出来るかは解らないが是非是非、泣き止んで欲しい限りだった。
暗所から明るい日差しの下へ行った様にボヤけた視界が少しづつ明瞭になっていく。穴に落ちる前の様に座していて対面にいる大太郎太と禍獣衛門が自分の背後を見て少し目を見開いていた。九十九丸は何だろうかと振り返る。
写ったのは顔を伏せて泣く見知った女が三人。突如として黒い世界に叩き込まれ数年間を其処で過ごした後に起こる出来事にしてはチープな気もするが、其れなりに有り得ない事象。
「文?」
「翠?」
「宵?」
彼女達の名が同時に呼ばれ、三つの衝撃音が部屋に響いた。彼等は気が付けば抱きつかれていたのだ。どれ程の思いだったのか三人の男にはわからないだろうが彼女達の万感の想いの込められた突撃気味の抱擁は破城槌とも錯覚する程の物。低く鈍い呻き声は誰のものか。複数の人物から出た其れは威力の高さを察するに余りあった。
大太郎太はある事に気づいた。続き禍獣衛門と九十九丸も。NPC的ではない感覚はあったが、システム上触れられぬ筈のNPCに触れている。更に体温までも感じるのだ。
歓喜感涙。胸元が涙によってビッチャビチャになっていくのを三人とも感じ、これもまた考えてみれば有りえない事。なんと言うべきかNPCに生の脈動を感じたのだ。
そんな彼女達を見て三人が感じたのは不気味さ等ではなく家族の様な親愛だった。不思議な話だが突き放す気にもなれず、男達は目を合わせて過分に困惑を含めた苦笑いを浮かべるに止まった。
時折、涙を流す女の頭を甘やかしながら撫でて話を聞けば、どうやら原初のサポートキャラである彼女達は長い間、自分達を父親として慕っていたそうだ。
まだ妖戦記on-lineが単なるVRMORPGだった頃、プレイヤー不在の際の代わりや補助システムとして創れたのが子弟である。彼らサポートキャラは一定の力量に至ると創り出せるNPCであり、其の様途上プレイヤーと同じ様に育つ。又、此の呼び出すと言うのが分霊と言うシステムであり、弱った妖に魂の欠片を与え命を再燃させると言う設定だった為に父と称したのだろうとは九十九丸の予想である。
そして現状の事だが彼女達も何故こうなったのかはわからず、今がどう言う状況なのかもわかっていないと言う。だが彼らにとっては今がどの様な状況であれ既に驚きは薄いものだ。ゲームを楽しんでいたら突如として黒い空間に突き落とされた。あの衝撃に比べれば全てどうと言う事も無い。それこそ死をも覚悟した彼等にとっては此の状況は狼狽える程の事では無く、寧ろ不自然な程に受け入れ馴染んでしまってさえいた。
泣き疲れたのか寝息を立て始めた大きな娘を撫でながら九十九丸は快晴の空を見上げて言う。
「二人はどう思う?」
「何がや?」
「此の状況についてさ。俺は驚きすぎて疲れちまった」
「あー同感だね」
「先ずは・・・どうしようか?」
「ん?うーん。せやな折角ゲームグラフィックでしか無かった城が現実にあるんやし此の子等と城巡りせえへん?」
「良いね賛成。そー言えば他のメンバーさん達とかコッチには来てないのかな?」
「どうやろか?ログインしてたん俺らだけやし。まぁ、誰か来てたとしても、此ないな事なってたら慌てるやろうから居ったら直ぐ見つけられるやろ多分」
「そう言やあ他の一門衆とか来てんのかね?おんなじ時間にゲームしてたプレイヤーなんて腐る程いただろ」
「そーだね。五時から六時くらいならログイン率も其れなりにあったんじゃ無い?」
「まぁ今は取り敢えず娘っ子達が起きるまで、あのクソな状況から抜け出せた事を噛み締めとこうや」
「そうだな。あんなのは二度とごめんだ。
もうアレ観光しよう観光」
彼等は疲れきっていた。あの常人なら発狂するであろう空間は人の耐えられる物では無い。話し相手が居たからこそ何とか凌いだがギリギリだった様に思う。気の抜けていることを自覚し、不思議なれど暖かい人肌に慰められながら処か呆然と駄弁っていた。
◆◆◆◆◆
妖戦記on-lineに置いて拠点とは合戦の籠城戦に於いて何よりも重要な施設となる。
三つ時一門における武家拠点である黄昏時城は優れた古参プレイヤーがそれなりに居る上位の武家であった。それ故三つ時一門の城は威容と堅牢さはトップクラスの物である。
分類としては平山城で本丸は庭と表御殿を連立天守が囲み鎮座している。
二の丸は渦郭式縄張りで緩い勾配のある渦状になっており、一門全員が集まる為の会所と茶室。12人の屋敷《個人スペース》が並ぶ。
三の丸は輪郭式縄張りである。西側が広く作られNPC達の屋敷等が所狭しと並んでおり、防衛施設に関しては水堀が張っていて南北西の三方五箇所に有る橋が出丸で守られていた。
此の巨城に限らず天守という物は城の象徴とされ易い。故に三階層の小天守一棟と五階層の中天守二棟を見下ろす七階層の大天守は圧巻と言うものだ。一階から三階は屋敷で有り、三階の屋根に組み込まれる様に存在する四階の八角堂は赤漆と金で装飾され、五階から最上階は黒漆の重厚な建物だ。やりすぎとしか言えない華美な天守を降りながら元NPCだった生命力溢れる娘を相手にしていた。
「父上様、やっぱりお団子は美味しいですね!」
「そうだな。御手洗と餡子もあるぞ」
「貰っても良いですか?」
「おう。食え食え」
「うーん凄いな。やっぱり本物は違うや。安土城はこんな感じだったのかな」
「安土城・・・他の武家の城ですか?」
「いや、此の城の大天守の元となった城なんだけど消失しちゃってるんだよ」
「此のお城の元となっているのなら大層立派なお城なんでしょーね!」
「なぁ父上。大きな場所行ったら狼なってくれへん?」
「ええけど何でや?」
「父上の毛並み綺麗やから一回撫でてみたい思っててん」
「ヨッシャ任せとき!好きなだけモフッてええで」
場所が場所だと言うのに保育園や幼稚園の閉園時に保護者の迎えを心待ちにしていた子供達が親の手を取り精一杯甘えている様である。和気藹々と階段を降りた三組は渡り櫓を進んで行き小天守の階段を降り、台所をグルリと回って表御殿の大廊下を通過する。左右に見える対面所と会所はゲームの頃、合戦の申し込みや一門依頼、大合戦《複数ギルドバトル》の受注が出来た場所だ。
「そー言えば三人以外の子弟や郎党を見かけないね」
「私達も他の者には会っていません。姉上様は?」
「会っていません。少なくとも屋敷周りと表御殿には翠と宵の二人しか居ませんでした」
「マジか。折角だから会いに行くか?」
「ええな。屋敷とか会所におるんちゃう?のんびり行こうや」
「ええね父上!」
彼等は心血を注いで育てたキャラや城を娘と共にVRでは無くRとして見て回る気満々だ。又、彼女らは焦がれた父への思いをぶつける様に甘える気満々だ。彼等においては吹っ切れて、ある種の悟りを開いた言えば良いだろう。彼女等に置いて思いこがれた父に甘えられる至高の時と言えば良いだろう。部屋の飾りや襖絵を眺める六人の心情はこの様なものだった。