8話 白樺 雪 3
「ふた……ご?」
俺が聞き返すと沖花は「はい」と頷き、
「杏菜、こっちおいで」
と手招きをした。
杏菜は虚ろな表情でふらふらと沖花の元へ歩み寄った。
「杏菜、ダメでしょ?勝手に家から出たら」
沖花はしゃがんで杏菜の手を自分の両手で包み込んで窘める。
「…………」
だが杏菜は何も言わずに沖花の顔をじっと見つめていた。
明らかに普通の子供とは違う。
俺は桃菜の無邪気な笑みを思い出していた。
同じ顔をしてはいるが……本当に杏菜は桃菜の妹なのだろうか?
沖花はしばらく沈黙した後、ゆっくりと立ち上がると俺達に頭を下げた。
「杏菜がご迷惑をお掛けしたようで」
「ああいや……別に俺達は何もしてねぇから……えと……それより……その子は一体……」
俺が口籠ると、沖花は察しがついたようで少し悲しそうな表情を浮かべた。
「ああ……杏菜は、声が出せないんです」
「声が?」
「ええ。桃菜が居なくなってから喋れなくなったんです。失声症っていうんですかね」
「…………」
桃菜が居なくなってから……。
俺が黙っていると沖花はぱっと笑顔に戻った。
「まあ、いつかは治るものですからね。今は治療中なんです。それなのに杏菜はよく家から抜け出しちゃって。見つけて頂きありがとうございます」
そう言うと、沖花と杏菜は去って行った。
※
「双子……か。あいつ、そういうの何も言って無かったのにな……」
俺は自宅でカップ麺にお湯を注ぎながら呟いた。
桃菜の話の中で杏菜の話題は一度も出なかった。
単に言い忘れたのか伝える必要が無いと感じたのか……もしくは……。
「……うしっ」
もう一度、桃菜に会いに行こう。
俺はカップ麺を急いでかきこむと、再び傘を手に玄関のドアノブを掴んだ。
「…………どこ行くんだ?」
「どぉぅあああ!!?」
突如背後からかけられた声に俺は死ぬほど驚き、反射的に傘を投げつけた。
「……わぁっ?……とと……」
そいつは飛んできた傘に一瞬怯んだが、易々と受け止める。
「な、何する……んだ……」
「そ、雪………?」
いつの間にか俺の後ろには雪が立っていた。
「何でお前がここに……?」
俺はまだばくばくいっている心臓を押さえながら、率直な疑問を投げかけた。
すると雪はきょとんと首を傾げた。
「……なんで、って……普通に宗哉の後を、付いてきた……んだが……」
「えぇ!?マジで!?……全然気づかなかった……」
「……うん……来る途中も、何きいても……生返事ばっかだったから……」
「せめて部屋に入る前に教えろよ! 寿命が15年くらい縮んだわ! これで俺が早死にしたらどう責任取るんだよお前!!」
「……ぼ……僕の死をもって……償う…………」
「重いわ!!」
※
「え……と、お……落ち着いたか……?」
ゼーゼーと肩で息をする俺を心配そうに眺めながら、雪は尋ねた。
「あ、ああ……」
まだ心臓の鼓動は速いままだが、強がってそう答えてみせる。
東京で暮らしていく上で、俺はまず胆力を鍛えた方が良いな……。
このままでは本当に早死にしてしまう。
「で、えと……どこ行こうと……してたんだ?」
「ああ、いや……」
俺は思わず言葉に詰まった。
俺が桃菜の所に行こうとしていると知ったら、十中八九雪は付いてくるだろう。
コイツにどれ程の霊感があるかは分からないが、まあそんなに強いとも思えない。
恐らく桃菜の姿を視認する事は出来ないと思われる。
となると俺が桃菜と話していても、雪には俺が一人で喋っているようにしか見えないと言うことで…………。
それは、なんか、アレだ。
恥ずかしい。
「べ、別に……何でもねぇよ」
「? そう……か……」
雪は釈然としない様子だったが、あまり深く追及するつもりは無いらしく、それ以上何か聞いてくる素振りは見せなかった。
「……てかお前もう帰れよ! 言っとくけどお前の立ち入り許可してねぇからな俺!?」
そうだ。
そもそも問題はそこだろう。
流石に雪と言えど、知らぬ間に自宅に入られては困る。
「う……ダメだったか……?」
俺の言葉に、雪はしゅんと落ち込んだ。
多少良心が痛むが、妥協はしない。
「そうだ! ほら、さっさと出てけ! お前だって誰かに勝手に家に入られるのは嫌だろ?」
俺は雪の背中を押して玄関に誘導しつつそう言い聞かせる。
俺、コイツの保護者か何かか?
「? …………別に……」
「別に!?」
「……宗哉も……毎朝……僕の家、入って……きてる……し……」
「あ」
そうだったな。
毎日起こしに行ってるわ、俺。
て言うか雪、夜自宅に鍵かけてないんだよな。
防犯意識ゼロだ。
まあ、雪は自身がS●COMみたいなモンだからな……。
「……分かった。今日だけ許可してやる」
「! ほんと……?」
俺がそう言うと、雪はぱっと顔を輝かせた。
「でもあくまで今日だけだからな。俺あんま人を家に上げたくないタイプなんだよ」
「そうなのか……? ぼ、僕……誰かが家に来たこと無いし……誰かの、家に……行ったことも無かったから……よく分からない…………」
「出てけとか言って悪かった。いつでも来てくれ」
幸の薄さに負けた。
なんだかんだ言って俺はコイツに甘いのか……?
お陰で今日の予定が台無しだよ……。