5話 沖花 春 1
次の日の終礼後。
俺は雪と一緒に隣のクラスを覗き込んでいた。
「んん~? 沖花ってどれだ~?」
俺は桃菜から聞いた沖花春の特徴を思い出しながら目を細めた。
「沖花って……どんな……奴……?」
雪が訊ねてくる。
「確か、身長155cm前後……茶色でやや天パの髪に……童顔で中性的な顔立ち、だそうだ」
教室中を見回してもそれらしい人物はいない。
「今日は休みなのか?」
「……そうなの、かも……」
「……じゃ、仕方ねぇか」
そう言って俺達は踵を返し、自教室に戻ろうとした。
だが、ふと視界の端に小柄な人影が写っている事に気づく。
「……? ……あ!」
教室の扉の影に隠れておどおどしているその人物は、桃菜が教えてくれた沖花春の特徴を兼ね揃えていた。
「おい、雪。もしかしてあいつか?」
雪に問いかけようと隣を見ると、そこには雪の姿は無かった。
「え? ……あれ……雪?」
キョロキョロと辺りを見渡すと、いつの間にか雪は沖花春(仮定)の前に一瞬で移動していた。
「……おい……お前が、沖花……春、か……?」
いきなり声をかけられた彼は一瞬びくんと身を震わせると、ゆっくり雪を見上げた。
「ひっ!」
そして小さく悲鳴を上げると、何を思ったか急にその場で土下座する。
「すいません! 何か知らないけどごめんなさい! 命だけは! どうか命だけはああああああああ!!」
唖然。
こいつとんっでもねーへタレだ。
しかしこの状況どっかで見た事あるな……。
あれは確か数日前……。
俺が入学初日のできれば忘れたい想い出に思いを馳せていると、雪の困惑した声が聞こえてきた。
「……え……ええっ? ……な、なんで……なんで、土下座……?」
雪がオロオロしていると、沖花春(仮定)は突然起き上がりダッシュで逃げ出した。
「「えっ!?」」
流石にこの行動は俺も雪も予想外だ。
「「…………」」
俺達は走り去っていく彼の後姿をしばし呆然と眺めていた。
――ええ~?
――何あいつ~……。
――ビビり過ぎだろ……。
――何かの手違いで殺し屋に命を狙われている一般人の反応だったぞ……?
……って!じゃなくて!!
「そ、雪! あいつ何か勘違いしてねーか!?」
「あ、……う、うん! ……みたい、だな……ちょっと追いかけてくる……!」
そう言って駆け出す雪。
いや、「駆け出す」と言うより「発進する」という表現の方がしっくりくる。
雪は50mはど離れていた相手にものの数秒で追い付き、減速できずにそのまま激突した。
「ぐはあっ!」
叫び声を上げて吹っ飛ぶ沖花春(仮定)。
…………あいつ、内臓出たんじゃないかな…………。
※
俺は昨日、桃菜と別れた後雪に連絡をとった。
引き受けてしまったのは俺だが、相手は白前に通う苛めっこだ。
悔しいが俺1人で太刀打ちできるとは思えない。
で、雪に助けてもらおうという結論に至ったのだ。
電話口で聞いた雪の声は未だかつて無い程興奮していた。
そりゃあ、幽霊の悩みを解決するなんてオカルト好きにとっては垂涎ものの出来事だ。
本当に楽しみだったらしく、今朝俺が雪の家に行くと雪は玄関で正座して待っていた。
俺がどんだけびっくりしたか分かってんのかあの野郎。
……まあ、その事は今は良い。
とりあえず置いといて……だ。
今は、俺達の目の前で蛇に睨まれた蛙みたいになっているこの少年をどうするか……が問題だ。
……どうしよう……。
ビビらせた上、思いっきりぶつかって余計怖がらせてしまった……。
このバイブ機能でも搭載されているのではと見紛うほどに震えている少年の心をどう開こう……。
いや、開けるのか?そもそも。
もう無理なんじゃないか?これ。
いやいや……ネガティブになっては駄目だ。
やっと接触できたんだから。
まずは俺達に敵意は無いという事を伝えなくては。
「あ、あの~~」
「ひぃぃっっ!」
「お、落ち着け! 別に俺達はお前に危害を加えるつもりは無いんだ!」
「ふぇぇ……?」
およそ男子とは思えないような情けない声を出して、彼は涙目でこちらを見上げてくる。
「ま、まず俺達の話を聞いてくれないか?」
※
彼はやはり沖花春だった。
桃菜から気が弱いとは聞いていたが、彼は世間一般でいう「気が弱い」のレベルを超越したビビりだった。
そのため俺達は沖花に話をちゃんと聞いてもらえるまでに一時間もの時間を要した。
だが努力の甲斐あって、沖花はやっと心を開いてくれたようだ。
「えっと……つ、つまり死んだ僕の妹が幽霊になって小森さんに相談してきたわけですね? 僕のお守りを取り返して欲しいって……」
「……改めて纏めてみると信じられない話だとは思うが、一応真実なんだ……」
沖花はぽかんとした顔でこちらを見つめてきた。
……まあ、普通は信じないだろうな、こんな話……。
「うん、信じてくれなくて構わない。でもとりあえずお前に言っておきたくてな……」
「信じます」
「えっ!? ……あぁ……ん、ええっっ?!」
あまりにあっさり言い切られたので、俺はやや動揺する。
「信じますよ、小森さんの話」
俺のそんな反応を見て、沖花はもう一度はっきりと言った。
「え……? 信じるの? あの、俺が言うのも何だけど、何で?」
「僕が妹に貰ったお守りを取られたなんて、面識の無い小森さんが知ってる分けないじゃないですか。それに、小森さんは僕のお守りを取り返して来てくれるんですよね? そんな良い人を疑うなんて出来ません」
そう言って微笑む沖花。
――この子が女子だったらモテただろうになぁ。
俺はそう思わずにはいられなかった。
「……宗也…………」
背後から唐突に声がした。
振り向くと雪が鞄を持って立っていた。
「……もう、6時過ぎだ……そろそろ帰ろう……」
――こいつ、居たんだ……。
ずっと何も話さないから存在を忘れていた。
俺は窓の外に目をやる。
確かに空は暗くなりつつあるようだ。
気が付けば周りに人は居なくなっていた。
もう生徒は全員帰ったのだろう。
「ああ……よし、じゃあ帰るか」
そう言って俺が帰り支度を始めると、
「待ってください! 僕も一緒に帰りたいです」
慌てて沖花も鞄を手に取った。
だがバランスを崩してしまったようで、少しふらついてしまう。
転びそうだったので手を取ってやると恥ずかしそうな笑みを浮かべつつ、
「ありがとうございます」
と礼を言ってきた。
――この子が女子だったらモテただろうになぁ。