4話 沖花 桃菜 2
この少女は今、何と言った?
見えるの?、と言ったよな。
私が見えるの?、と。
その質問に答えるならば、無論YESだ。
ばっちり見えるし、やや一方的ではあったが触れる事だって出来た。
俺は半歩後退して、少女の全身を隈なく観察した。
うん、見える。
ちゃんと視認できている。
普通の人間と、何ら変わりはない姿だ。
だが――恐らくこれは、本来見えるべきでないものなのだろう。
「……」
『……』
少女との間に、長い沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは彼女の方だった。
『や……やっぱり、見えてるんだね?』
おずおずとした様子で訊ねる少女。
その表情には確かな高揚が滲んでいた。
『すごい……こんなの久しぶりだ……!』
目をキラキラさせながら詰め寄ってくる少女に気圧されつつ、俺は慌てて聞き返す。
「え……? お、お前、もしかして幽霊なのか?」
聞きたいことは山ほどあったが、俺の口から出てきたのはその一言だけだった。
『……っ』
少女は俺の言葉を耳にした途端、ハッとして表情を強張らせた。
だがそれも一瞬のことで、すぐに軽く笑みを浮かべると、少し寂しそうに呟いた。
『うん……そういう言い方も、できるんだけどね……』
※
少女は沖花桃菜と名乗った。
彼女はやはりこの世の人間では無かった。
だが、幽霊と呼ばれるのも嫌っていた。
それもそのはずだ。
いきなり人生が終わって、どこにも行けないまま揺蕩っていたら急に異形扱いされたのだ。
彼女もれっきとした人間なのに、人間だったのに。
『幽霊って、差別用語だと思うんだよね。規制するべきだよ』
と彼女は語った。
子供らしからぬ単語を使う。
だが、言っていることはなかなかに鋭い意見だ。
死者ならではの見解だな。
――と、納得しかけたところで、 何か引っ掛かるものを感じる。
「……ん? なあお前、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
『お前なんて呼び方はやめてよ。桃菜って呼んで』
少女――改め桃菜は、半眼で俺を見上げた。
恋人か。
「えーと、桃菜……桃菜の姿は普通見えないんだよな?」
『うん、今日が私の初めて!』
元気いっぱいに頷く桃菜。
だから意味深な言い方をするんじゃない。
「じゃ、じゃあ、触る事って普通はできる物なのか?」
『できるよ。生きてる人からは触れないみたいだけど、私からはできるみたい』
言いながら、桃菜は足元の小石を蹴飛ばしてみせる。
石は転がって側溝に落下した。
それを眺めながら、俺は静かに本題に突入する。
「……さっき、桃菜は俺にタックルかましてきたよな」
『うん』
「その時はまだ俺が霊感ある事を知らなかったんだよな……?」
『うん!』
満面の笑みで深く首を縦に振る桃菜。
『霊感とか関係ないよ。私、タバコポイ捨てする人とか不法投棄する人とか、あと個人的に気に入らない人とかには遠慮なくぶつかってくよ?』
「…………何でタックル?」
『ストレス発散!』
桃菜は淀みなく言い切り、ガッツポーズを決めた。
「…………」
絶句。
末恐ろしい少女だ。
先程までの儚げな様子はどこに行った。
え?東京ってどこもこんな感じなの?
老若男女生死問わずこんな感じなの?
俺が唖然としていると、桃菜はずいっと距離を詰めてきた。
再びキラキラした眼差しに戻っている。
『ま、大体の人はこの世の終わりみたいな顔して逃げてったんだけどね。私のこと普通に見えた人なんて始めてだよー!』
「それは何よりだな……」
距離を詰められたぶんだけ後退すると、俺は疲労感を噛み締めながら適当に返事をする。
下がっていく俺のテンションとは反対に、桃菜は更に畳み掛けるように言った。
『あ、そうだ! ねえ、ここは何かの縁だと思ってさ! ちょっと相談に乗ってくれる?』
「そ、相談……?」
急に話が飛んだな。
子供の会話のテンポは掴みづらい。
「うん、相談! 良いでしょ? 話聞くくらい」
「う……うーん……」
正直言って余り気乗りしない。
だってこの子性格悪そうだし。
ていうか十中八九悪いし。
何なら実証されたし。
でも。
それでも、先程聞いたあの泣き声の主がこの少女だというのなら、それを見捨てられるほど俺は強くなかった。
もし仮に俺がここで断ったとすると、彼女の相談相手になれる人間が訪れるのはいつになるのだろうか。
それを想像するのは、何かとても恐ろしいことのように感じた。
「……あー……、分かった。聞くだけ聞いてやるよ」
気付けば俺は首を縦に振っていた。
その瞬間、僅かな後悔の念が過らなくもなかったが、ぱっと笑顔を咲かせる桃菜を見ると、それもすぐに消え去った。
※
桃菜は去年の冬、この道でトラックに轢かれて死んだらしい。
私を轢いた犯人に復讐を的な話かと思ったが(実際に幽霊からそのような相談を受けた経験もある)、本人はその事自体には悔いは無いそうだ。
まあ死んじゃった私も悪いし?と言っていた。
幽霊の癖にサバサバした奴だ。
ただ、一つだけ。
桃菜には心残りがあったのだ。
それは4つ歳の離れた兄。
名前は春。
今年から高校生になる彼は、優しい人柄ではあるがそのぶん気が弱く、桃菜は妹ながら彼の高校生活を心配していたらしい。
そうして、桃菜は自分が死んだあとも春の事を見守り続けた。
だが、高校生になった春は、早々にクラスの性質の悪い連中に目をつけられてしまったようなのだ。
暴力を振るったり金品を奪ったり、悪質ないじめにも発展しつつもあるらしい。
「……そのいじめをやめさせればいいのか?」
てっきりそういう事だと思い、俺はつい桃菜の説明に口を挟む。
だが桃菜は複雑な表情を浮かべた。
『うん……ま、それもあるんだけどね』
「他にも何かあるのか?」
『……お守り』
「?」
脈絡の無い言葉に首をかしげる。
桃菜は、歳に見合わない沈んだ面持ちで付け加えた。
『お兄ちゃんが高校に受かったときに、私がお兄ちゃんに作ってあげたお守りが、いじめっこに盗られちゃったんだよね。どっかに隠してお兄ちゃんを困らせて楽しんでるみたいなんだけど、どこに隠したか私にも分からなくて』
「……それを、取り返してきて欲しいのか?」
桃菜は若干恥ずかしそうに、無言で頷いた。
「なるほど……」
心中で少し感心する。
我が儘で自分本意な子供だと思っていたが、こいつにも以外と人間らしいところがあるじゃないか。
ここまで聞いておいて断るのは流石にできない。
「……分かった。俺が取り返して来てやる」
俺がそう言った途端、桃菜の顔が一気に輝いた。
『良いの!? ありがとう! えーっと、お兄ちゃんの学校は白前高等学校ってとこでね、ここからは割と近くて、』
興奮したように喋りだす桃菜。
俺は慌てて制止する。
「ま、待て桃菜。落ち着け! もう一回最初から頼む」
『あはは、ごめんごめん』
桃菜は照れたように笑うと、軽く呼吸を整えた。
『お兄ちゃんの学校は、白前高等学校ってところなの。白前、高等学校』
「ああ。白前──ん?」
確認のため復唱しようとした俺は、途端に強烈な既視感に襲われる。
暫しの沈黙が場を包む。
固まっている俺の様子を不思議そうに眺める桃菜。
数秒後、ハッとした表情を浮かべた桃菜が既視感の正体を口にして、静寂は破られた。
『あっ、それ! あなたが着てる制服! お兄ちゃんと同じだ!』