3話 沖花 桃菜 1
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
空はもう光を失いつつある。
咽び泣いていた少女の声は、もうほとんど聞こえない。だが、その声だけが今は頼りだ。
耳を澄ませ、声に向かってただ両足を交互に出し続ける。 これだけの事なのに何故こんなにも疲れるのだろう。
もう俺の体力と精神力は限界に達していた。
そのためだろうか。
「はっ……はあっ……くっ……う、うああ!?」
疲労で感覚の鈍った足は縺れ、上体の重心は大きく前に移動する。慌てて持ち直そうとするが、間に合わない。
迫るアスファルト。衝撃。鈍痛。
つまり、何も無い所で転んだ。
いや、絶対そのためだな。うん。そのためだ。そのためじゃないと困る。
「…………」
起き上がれと指令を出してくる脳とは裏腹に、足は動こうとはしてくれない。
何とも言えない虚しさと恥ずかしさに身を苛まれながら、俺は無機質なアスファルトに転がった。
『……大丈夫?』
いやあ、それにしても誰も見ていなかったのは不幸中の幸いというやつか。
『ピクリともしないけど……』
雪とかならともかく、何の面識も無い人に見られるっていうのはなあ。
『怪我とかしてないかな?』
ん……あれ……そう言えば何か大事な事を忘れているような……。
あ……声………。
あ゛!!
俺は物凄い勢いで跳ね起き、思わず声をあげる。
「ああっそうだ!!」
『うひぁっ!?』
泣き声! 泣き声が聞こえなくなってる!!
気付けば先まで確かに聞こえていた少女の鳴き声は、もうすすり泣きすら聞こえなくなっていた。
「……ッ」
やるせない気持ちに襲われ、俺は拳を握りしめた。
『な、なに……?なんなの……?』
俺は疲れた体に鞭打って立ち上がり、耳を澄ませる。
…………。
………………。
……………………。
やっぱり…………。
「何も聞こえない、か……くっ」
『じゃないよおおおおおおおおおお!!!』
と、何者かに激しいタックルを食らった。
完全に油断していたせいか、2mほど吹っ飛ぶ俺。
そして声も出せぬまま、先ほどと同じ姿勢で地面に倒れる俺。
『せっかく心配したげたのに! 急に大声あげるからびっくりしたじゃん! ひどいよ!! もー怒った! なんなのこの人!』
俺にタックルをかました相手は、一方的に何か喚き散らすと倒れている俺を更にぽかぽかと叩きだした。
ぽかぽかぽかぽかぽか。
……なるほど。
ぽかぽかされているうちに、俺は段々冷静になってきた。
今の言葉を整理すると、どうやらこの人は転んだ俺に声をかけてくれたらしい。 だが俺は感謝するどころか大声でびびらせてしまったと。
それは俺が悪い。いや今の状況から見て100%悪いとは断言できないが、まあほとんどの責任は俺にあるのだろう。
まず俺の方から謝らないとな……と俺は思い、顔を上げて相手を見た。
そこには涙目で顔を真っ赤にしてこっちを睨む少女が立っていた。
年は11歳くらいだろうか。
茶色がかった黒髪を、頭の中高部分で二つに縛っている。あどけない顔立ちに似合う、幼さの残る髪形だ。
「えーと、まあ、悪かったな……」
とりあえず俺は謝った。腑に落ちない部分もあるが、ここは大人の余裕を見せよう。
「驚かせてごめんな。でも、無視してたんじゃなくて聞こえなかっただけで……」
まずは落ち着かせようと思い、俺は少女に優しく話しかける。
そもそも少女に優しく話しかけた経験がないから、これが正しいのかは判別しかねるが。
「本当ごめん。だから怒らないで、ね」
言って俺は微笑んでみせた。 そしてチラリと少女の顔色を伺う。
どうだ?落ち着いたか?
………………………………………………え?
少女は落ち着くどころか目を大きく見開き、茫然と俺を見つめていた。
予想外の反応だ。 ど、どうすればいいんだ?ここ、この場合……。
俺が軽いパニック状態に陥っていると、少女が何か呟いた。
『……えるの?』
「え? な、なに?」
『わ、私が見えるの!?』
………………は?
………………え?
え?