第六話 風来坊
唐突にやってきた第三者の声。振り向くとそこには黒神の長身の男がいた。そして、当然の如くかのように背中には剣を携えている。
「闘剣舞祭が間近だから、誰か強そうな奴がいないか探していたんだが……中々面白い奴がいるじゃねぇか」
服装は東の国のものだろうか。着崩したような恰好をしており、上半身はほぼ半裸である。しかし、そこから垣間見える筋肉は引き締まっており、常人ではないことが一目瞭然だ。体格で言うのならアステリオスよりも大きい。背丈だけでなく、肩幅も胸板の厚さも。
謎の男にアリアドネが問いを投げかける。
「……貴方、は?」
「何。別に大したモンじゃあないさ。ただの通りすがりの風来坊だ」
風来坊、と答えた男だったがアステリオスは警戒を緩めない。否、緩めれるわけがなかった。
男から感じる風格。そして覇気。尋常ではない。立っているだけで全身の毛が逆立ちそうである。触れてはならないものが目の前にいると本能が訴えているのだ。ヒシヒシと伝わるその闘気はアステリオスを震えさせる。
この男が何者なのかは分からない。
この男が何故このタイミングで現れたのかは知らない。
しかし、たった一つ、言えることがある。
(強敵……いや、強者、か)
男の目的が分からない以上、敵か味方かすらも分からないが故の判断。しかし、これは些か甘いものだということをアステリオスは直ぐに思い知らされる。
「ああん? 何だテメェ。横からしゃしゃり出てくんじゃねぇよ」
「こいつらに先に目ぇつけたのは俺らなんだよ。関係ねぇ奴はすっこんでろ」
実力差を把握できていないのか、調子に乗っているゴロツキ達は男へ詰め寄る。
そんな彼らに対し、まるが歯がにもかけず男は言う。
「悪いが関係なくはねぇな。何せ、オレはそいつと闘うためにこの国にやってきたんだからな」
その言葉を聞いた瞬間、アステリオスは理解する。この男もまた、アリアドネと同じ闘剣舞祭の出場者なのだと。
そして、それはゴロツキ達も同様であった。
「あん? 何だテメェ闘剣舞祭の出場者か」
「はっ、だったらとんだ無駄足だったな。その番剣は今から俺らがぶっ倒すんだからな」
「つーわけだ。とっとと国に帰りな、田舎者」
何を以てして彼らはああも自身満々に、それも物怖じせず男に言えるのか、アステリオスは不思議で仕方がなかった。というか、何故田舎者という認識になったのだろうか。
などと下らないことを考えていると。
「そうか。そいつは困るな。んじゃあ―――」
刹那。
ゴロツキ達が粉塵の如く宙へ舞った。
「お前らをぶっ飛ばせば問題ないってことだ」
不敵な笑みを浮かべながら、男は言う。その後宙へ吹き飛ばされたゴロツキ達は街の店や道端に落ちていった。
その瞬間に起こった出来事をアステリオスは分からなかった。いや、正確に言うのなら理解はできている。男は一瞬の内に背中の剣を抜き、それを振るうことでゴロツキ達を『風圧』で吹き飛ばしたのだ。
言葉で言い表すのは簡単だが、それを実際にやるのかどれだけ有り得ないことなのか、一剣士であるアステリオスならば十分に承知していた。
そして、その有り得ないことを実行できてしまう程の実力を目の前の男は持っている。
「うしっ、これで邪魔な連中はいなくなったな」
「貴方は……一体……」
「だから通りすがりの風来坊だって……つーのは礼儀がねぇか。何せ、これからやりあうんだからな。自分の名前くらい、名乗るのが筋ってもんか」
男は右手に持つ長剣を担ぎ、アステリオスに向かって言う。
「オルト・ロスカーだ。一応、流れの傭兵をやってる。この国に来たのは、さっきも言ったが、闘剣舞祭に出てお前を倒すためだ」
刃の切っ先を向けながら言うオルト。しかし、その切っ先の前にアリアドネが立つ。
「随分な自信をお持ちのようですね。まるで自分が兄様……番剣・アステリオスに勝てるという風に聞こえますが」
「当たり前だ。そういう風に言ってるからな」
さも当然かのように言い放つ。しかし、それは先程のゴロツキ達のものとは明らかに違っていた。この男には番剣に勝てるであろうと思わせるだけの力がある。今のアステリオスが戦っても勝目はないと思ってしまう程にオルトの実力は伝わってくる。
そして、それはアリアドネも同様なのだろう。先程から彼女の体はどこか不安げな表情をしている。無理もない。相手が相手なのだから。
「とは言え、今ここでドンパチを始めようとは言わねぇよ。さっきまではそうしようと思ってたんだが……場所が場所だ。観客は多いが、空気的に少々盛り上がりに欠ける」
その言葉を機に、ふと周りを見渡す。街の人々がこちらを不安げな視線で観ている。当然だ。これだけの騒ぎを起こせばこの反応は普通。もしかすれば衛兵を呼ばれている可能性も有りうる。
「オレ達の舞台はもっと相応しい場所があるからな」
つまりは彼はこう宣言している。
闘剣舞祭で優勝し、お前と闘うのはこの俺だ、と。
確かにその可能性は高いだろう。気迫だけでアステリオスは敗けるかもしれないと思ってしまった。そして先程ゴロツキ共を退けたことから実力も相当なものであることも明白。
けれど、それが事実だったとしても、良しとしない者がここにはいた。
「勝手を言うのは構いませんが、貴方が兄様と闘うことはありません。兄様と闘うのは私ですから」
啖呵を切るアリアドネ。正直なところ、オルトの実力は彼女以上のものだろう。毎日剣を交えているアステリオスだからこそ分かる。そして、それは彼女自身も自覚している。
そして、その上でアリアドネは言うのだ。
お前には負けない、と。
言葉の裏に隠された意味合いを理解したのか、オルトは一瞬目を丸くさせると、どこか楽しげな笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「アリアドネ。アリアドネ・ガーラント」
「覚えておこう、アリアドネ。お前も番剣と同じく、オレが倒すに値する相手だ」
言うとオルトは自らの剣を背中の鞘に収め、そのまま立ち去っていく。
その背中が見えなくなるまでの間がとても長く感じたのはきっと気のせいではないのだろう。
「……ふぅ」
オルトの姿が完全に視界から消えた瞬間、アステリオスは安堵の息を吐いた。
「大丈夫ですか、兄様」
「……死ぬかと思った」
比喩ではなく、文字通りの意味で。
オルトが放つ気迫はアステリオスには相当な精神ダメージを与えるものだった。さらに言えば、彼自身も言っていたがオルトは最初、闘う気だったのだ。だからあれだけの闘気を放っていたわけだ。まぁ、幸か不幸かつっかかってきていたゴロツキ共がいい具合に吹き飛ばされたおかげで悪目立ちをし、闘う状況ではなくなったが。
「……すまない。また、迷惑をかけた」
「別に迷惑だなんて思っていませんよ。半分は私のせいでもありますし」
気遣いをしてくれるアリアドネ。
と同時に質問を投げかけてくる。
「不安、ですか。あのような者と闘うことが」
その問いにアステリオスは答えなかった。否、答えたくなかった。
正直に言えば、あんな者と闘うことは不安で仕方がない。いくら最強の剣士とは言え、それは記憶を無くす前の話。今のアステリオスはただちょっと剣が上手いだけの剣士である。
さらに言えば心意気も覚悟もない。言われるがまま、ここまでやってきている。そんな者があの怪物的な風格を持つ者に勝てるわけがない。
どんよりとした何かがアステリオスの心に渦巻いていると。
「安心してください。闘剣舞祭で優勝するのは私です。もしあの方と闘うことになったとしても、負けたりなんてしませんから」
笑みを浮かべて告げるアリアドネ。
その微笑みにアステリオスは苦笑で返すしかなかった。
何とも情けない話である。ここまで妹に頼りっぱなしの兄はそうそういないだろう。そして、このままではいけないことも彼は理解している。
ならば、だ。アステリオスがするべきことはただ一つ。
「絶対、私は兄様と戦います。だから――――」
「……ああ。分かっている。その時までには、もっと強くなっておくよ」
今のアステリオスにできることなど、それくらいしかないのだから。
そうして。
闘剣舞祭の幕は上がったのだった。
次回は来週の火曜日くらいに投稿します。