第五話 街へ出かけよう
遅くなってしまい、申し訳ない<(_ _*)>
「気分転換に外へ出たらどう?」
唐突なジューダスの提案にアステリオスは正直迷っていた。
目覚めてからの彼は街はおろか、屋敷の外にすら一歩も出ていない。毎日毎日剣術の稽古を続ける生活は、時間がない彼には必要な処置であった。剣術は日増しに鋭く鍛え上げられているが、しかしそれでもアリアドネから一本取ったことは一度もない。万全の状態でないのは明らか。
しかし一方で精神的にキツイものがあるのも事実であった。
どうしたらいいのか……決断できずにいるアステリオスだったが。
「いいではありませんか。時間がないのは事実ですが、たまには外に出るというのも大切でしょう。もしかすれば、ひょんなことから記憶が戻るかもしれませんし」
ただし。
「条件として、私が同行します。今の兄様を一人で外に出れば、何をしでかすか分かりませんから」
ひどい言われようだが、それもまた事実である。
この国の大体の事情や背景などはアリアドネやジューダスから教えてはもらったが、それでも情報としてはまだまだ少ない。しかもアステリオスは『番剣』という異名で有名な人間だ。そんな者が外に出れば嫌でも目に付く。厄介事に巻き込まれる可能性はかなり大きい。そして、それを上手く立ち回り、やり過ごすことができる程、今のアステリオスは器用ではない。
情けない話ではあるが、ここは妹に頼るしかなさそうだ。
けれども彼女が外出を勧めてくるのは、アステリオスにとっては意外なことだった。
彼女からしれみれば、一刻も早くアステリオスに記憶を取り戻させたいはず。それが無理でも剣術を少しでも当時のものへと近づけたいと思っているに違いない。何せ、彼女が倒したいのは今の自分ではなく、最強と謳われていたかつての自分なのだから。
それでも彼女が一緒に出かけることに賛成したのは、記憶を取り戻す、というだけでなくアステリオスのことを想ってのことだろう。剣術の稽古に関して言えば一切の遠慮も手加減もない。おかげで体はボロボロでだがしかし、その後に必ず手当をしてくれる上、アステリオスの疑問にもきちんと答えてくれる。
何と気の利く妹だろうか……記憶を失う前の自分はかなりの幸せ者だ。無論、今の自分もだが。
とは言え、アステリオスにできることはただ一つ。妹の迷惑にならないよう、目立つ行動は慎み、心がけることだ。
これ以上、アリアドネに迷惑をかけることは人として、そして兄としてのメンツがたたない。
そうして、アステリオスは平常心を保ち、妹の面倒事を増やさないように誓った。
……はずだったのだが。
「……どうして、こうなった」
そんなことを呟く彼の周りには複数の男達が群がっていた。その腰には帯剣があり、皆剣士であることが理解できる。とは言え、騎士というにはあまりに格好が不出来。
ゴロツキ、チンピラ、無頼漢。そんな言葉が似合う連中である。
そんな者達に相対するのは番剣であるアステリオス……ではなく、アリアドネであった。というか、この現状を作ったのは何を隠そう彼女なのである。
ふとアリアドネの顔を覗き込んでみると目が笑っていなかった。うん、これは恐い。
「もう一度訊きます……今、何と仰いましたか?」
「だーかーら、何度も言わせんなよ。そこの兄ちゃんと俺達を勝負しろっつってんの」
上から目線のその言葉にアリアドネはこめかみをひくひくさせていた。
「何故、貴方達のような連中と兄様が闘う必要があるのですか?」
「あん? んなもん決まってんだろ。あの番剣を倒したとなりゃ俺達の名も上がるからに決まってんだろうが」
「っつーか、運がいいよなぁ。こんなに都合よく俺達の前に現れるなんてよぉ」
「マジでマジで」
「ま、そういうことだから。ほら、さっさと剣抜けよ。それともあれか? 番剣様ともあろう方が、こんな大勢の前じゃ剣も抜けないとか言わないよな?」
それは明らかな挑発であった。
しかし、この展開はある程度予想できたものである。番剣という名はこの国中の者が知っており、剣士ならば誰でも挑戦したいと思うもの。故に闘剣舞祭以外でもこうして不躾に剣の勝負を挑まれることは珍しくない。
事前にそういった話を聞いていたせいか、アステリオスは別段驚きはなかった。というより、あからさま過ぎて逆に清々しい。不快感がないわけではないし、面倒事なのには変わりがないが、それでもまぁ自分が戦えば何とかなる程度のものだと思っていた。
実際、アステリオスから見て彼ら程度なら相手をしても問題はないと確信している。アリアドネを相手にするよりどれだけマシか、見るだけで理解できるくらいは今の彼の剣は実力がある。
故に、だ。
問題はアステリオスではなく、アリアドネにあった。
「っていうか、この娘が番剣の妹? 超可愛いな」
「おいおい、お前こういうのが趣味なのか? まだガキだぜ?」
「いいじゃねぇか。大きくなりゃそれなりの美人になりそうだしよ」
「っつっても、現状がこれじゃあ成長しても大事な部分は成長しないんじゃね?」
ゲラゲラと汚い笑い声をあげる一同に向かって妹が一歩全身する。しかし、それをすかさずアステリオスが制止する。
「どいて、兄様。そいつら、殺れない」
「いや、それは……」
ダメだろう、と続けたかったが、彼女の殺気がそれを許さない。
感情の篭っていない声音は兄すらもぞっとさせる。そして確信した。今、彼女を放置すれば血の惨劇が街中で起こるということを。
剣士として、そして兄としてそれは見過ごせない。
「……連中の目的は僕だ。ここは、任せてもらう」
「兄様……」
元々の原因は自分なのだ。ならば、解決するのも自分自身でなくては示しがつかないというもの。ましてや妹の手を煩わせないと決めたばかりなのだから。
ふと、アステリオスは自らの腰に収めてある鞘に手をかける。
「お? ようやくやる気になったってか?」
「……ああ。いいだろう。そちらが、どうしてもというのなら、こちらも剣を抜こう」
「へ、そうこなくっちゃ……」
「ただし」
と睨みながら言葉を続ける。
「剣を抜く以上、そちらも、相応の覚悟はしてもらおう。これは大会でも、公式な決闘でもない。そして、挑発してきたのはそちら。死人が出ても、文句は言えない……分かっているとは思うが」
瞬間、そこにいたゴロツキ全員がビクリッと肩を震わせた。
流石は記憶を失っても最強の称号を持つ剣士。自分のことながら、その溢れんばかりの殺気にアステリオスは驚きを隠しきれない。
そして、やはりというべきか。ゴロツキ共の中には手練はいないらしい。これなら脅しだけで退散できるかもしれない。
ならばもうひと押し、と思ったその時。
「おうおう。何だ何だ? 面白いことやってるじゃねぇか」
不穏な影が姿を見せた。
次回は水曜日に投稿します。