第四話 妹の目的
「それで? 剣の稽古を続けたらこんなことになっちゃったと?」
アステリオスは自室の椅子に腰掛けながら美女の質問に頷いた。
そう、美女。彼の前には今、その表現が相応しい『男』がいた。
ジューダス・イルガ。
ガーラント家直属の医術師であり、アステリオスの担当医でもある。魔人との戦いでボロボロの状態であった彼を何とかして治療し、回復させたのは彼の手腕によるもの。そういった意味ではアステリオスからしてみれば命の恩人ということだ。
ただ、残念なことなのはその命の恩人のことですら、彼は忘れてしまっていた。
「……少々、調子に乗りまして」
「調子に乗りましてって……そこまで派手にやられたら、普通は調子が悪かったって言うべきなんじゃない?」
確かにその通りだ。それだけ今のアステリオスの見た目は痛々しいものだった。
剣による切り傷だけではない。打撲も十箇所以上はしている。骨や内蔵への損傷がある程重大なものはないが、それでもこれはひどいと指摘されてしまう程だ。
「全く……自分が怪我人だってこと、自覚あるのかしら」
「一応、あるつもり、ですが……」
「こんな状態で、しかもそんな覇気のない口調で言われてもね……。ま、今回のことに関しては貴方だけが原因ではないから、これ以上責め立てるつもりはないけれど」
腕の怪我の部分に包帯を巻きながら、呆れた様子でジューダスは続ける。
「本当なら医者として剣の稽古は止めるべきなのだけれど、この家の当主が稽古をしろっていうんだから、手に負えないわよ、全く」
ジューダスの言うガーラント家の当主……その言葉が出た途端、アステリオスはある男性のことを思い出していた。
ラドミノス・ガーラント。
アステリオスとアリアドネの父であり、現当主。
記憶を失くしたアステリオスも何度か会ってはいるものの、正直なところあまりこちらに好印象を持っているようには思えなかった。
何せアステリオスが記憶を失くしたと知った時。
『記憶があろうがなかろうが関係ない。闘剣舞祭に出場し、勝てばいい。それだけだ』
と、中々に辛辣な一言を喰らった。
記憶を失くした息子に対して、父親が言うべき言葉ではない……そう思ったが、しかし不思議とそれを口にして言い返したいとは考えなかった。厳格という言葉を体で表したかのようなその雰囲気からして、逆に言いそうな一言であったのは間違いない。だからこそ、だろうか。そこまで反発心やショックを受けたなかった。
「実情を知っているから、私も強くは言えないのだけれど……当主もアリアドネももうちょっと手加減というか、怪我人を労わって欲しいものだわ」
「……やはり、ガーラント家にとって、番剣という異名は大切なんですか」
「大切……というより、必要不可欠、というべきかしら。何せその異名をずっと守りながら継承し続けてきたおかげで、今の地位や名誉があるわけだし」
ガーラント家は所謂貴族であり、騎士でもある。
それはアリアドネやジューダスが言ったように番剣という異名を実力で守り続け、代々継承してきたからだ。
この国で番剣はある種の力の象徴でもあり、普通の貴族や騎士にはない特権がいくつも存在している。そして、それを使って今の代まで家を大きくしてきたのだ。
それはただの世襲制ではないものの、だからこそ番剣という異名を失くした時の影響は大きいと予測される。
アリアドネがガーラント家は良くも悪くも番剣という異名と共にあるようなもの、といっていたのはそういう意味である。
「……たった一つの異名が、そんなに影響を、及ぼすとは……」
「まぁそれだけこの国にとって番剣の名前は特別ってことよ……ねぇ、どうしてこの国が鉄壁の国って呼ばれているか、覚えてる?」
ジューダスの言葉にアステリオスは首を横に振る。
「それはね、この国が今まで一度も戦争で攻め込まれて負けたことが一度もないからよ。その尽くを追い払ってきた……そして、それをやってのけたのはその時代の番剣」
「……、」
「たった一人で何千何万の敵を叩きのめした……のかは知らないけれど、それでもそれくらいやってのけてくれるだろうと思われる実力者が番剣になる。実際、記憶を無くす前の貴方はそれだけのことをした」
それがつまりは魔人達との戦い。
記憶が全くないアステリオスには魔人達がどれだけ強いのか、そしてどんな戦いを繰り広げたのか、知る由もない。
しかし、今の話から察するに記憶を失う前のアステリオス・ガーラントという青年は恐ろしく強かったに違いない。
そして、だからこそ逆に思う。
自分が、本当にそれだけの実力を持っていた人間なのか、と
「……信じられない」
正直な本音である。
今の自分からでは想像もできない。妹に剣戟で嫌というほど思い知らされたというのに。
「まぁそう思うのも無理はないわね。実際、私も自分の目で確かめるまで番剣がどれだけ強いのか、想像できていなかったし、知っている今でも全く知らない人間にその強さを表現して伝えるのは困難だわ……けど、番剣がこの国の剣士の中で最強であり、その称号を得たいと思う連中は山のようにいるのは確かだわ。ま、だからこそアリアドネも貴方との稽古を頑張っているわけだけど」
「それは……」
どういう意味なのか……そう告げ終わる前にジューダスは続けて言う。
「あの娘にとって貴方は目標であり、憧れであり、いつか超えたいと思う壁。今度の闘剣舞祭にも出場する予定なのよ」
「アリアドネも……闘剣舞祭に……?」
初耳だった。
けれど、それがアステリオスとの稽古に熱を入れる理由は何なのか。今までは番剣であるアステリオスが負ければガーラント家が衰退してしまうからだと思っていたのだが。
「もしかすればだけど、彼女はこう思っているんじゃないかしら。剣を重ねることで貴方の記憶が戻るのでは、と」
「僕の……記憶が」
「ありえない話……ではないわよ。実際、その可能性は大いにあるわけだし。何せ、記憶を失う前の貴方は件に関して言えば本当の意味で最強だったわけだし。そして、彼女はそんな貴方と戦い、勝ちたいと思っているわけ」
ジューダスの推測が正しいのならば、納得がいく。アリアドネがアステリオスとの鍛錬に力を入れるのは、本来の自分と戦いがため。そうでなければ、彼女が闘剣舞祭に優勝し、アステリオスに勝利しても意味がない。
そう。今の、こんな弱い自分に勝ったところで、意味はないのだ。
「……、」
記憶を取り戻す……それは何も悪いことではない。むしろ、積極的にやるべきことだ。記憶がない状態なんてものは本来異常事態なのだから。
それを考えれば、アリアドネのやり方は少々強引且つ、乱暴ではあるものの、考え方は間違ってはいない。
それは正しく、アステリオスも否定しない。
けれど、何故だろうか。
その事実が、どうしようもなく情けなく、悔しいと思えてしまうのは。