第九話 速攻
レミリアの開始宣言と同時。
掛け値なしの戦慄が凶暴な一撃として顕現した。
「なっ――――――」
何が起こったのか、会場の観客達には理解できなかっただろう。あまりに唐突だったため、理解できたものは少ないはず。
しかし、アステリオスには見えていた。だが突拍子がなさすぎて言葉を失ってしまう。起こった事実を受け止めるのに時間を有したのだ。
それを見たとき、アステリオスが思ったことは舞っている、ということ。まるで宙を舞う粉塵。ただし、正確には粉塵ではなく、人間だが。
開幕速攻。無論、それが誰の仕業なのか、言うまでもない。
「おらおら、ぼさっとしてるとまた吹き飛ばすぞっ!!」
二本の剣を両手に持つオルトの一撃が再び振るわれる。そして、何もできないまま、彼の周りにいる剣士達は先程の者達と同じ様に宙を舞う。
有り得ない。
人が宙を舞うことが、ではない。開幕早々、何の迷いもなく行われた暴挙。いや、実際には開始の合図は既に済んでいるため、ルール的にも何も問題はない。故に、暴挙だの蛮行だのというのはおこがましいと言えるだろう。
しかし例え開幕したからと言って、何の躊躇もなく速攻を繰り出すことができるだろうか。普通の人間ならあらかじめ予告されていたとしても迷いが生じるはずだ。
だが、オルトは違った。
「あらあら、粋がいいのがいるじゃない」
ふと、アステリオスの隣にいたジューダスが呟く。その口元は笑みを浮かべており、何やら楽しんでいる様子だった。
「オルト・ロスカー。流石、優勝候補の一人ってところかしら」
「知って、いるんですか」
「ええ。さっき言ったでしょう? アリアドネの上に賭けの人気がある三人がいるって。彼はその一人よ。国外の人間らしんだけど、その腕っ節は筋金入り。前に有名な盗賊団と揉めたことがあるらしんだけど、その時もあっという間に全員倒したとか。それ以外にもこの大会が始まるまでに名のある剣豪とかに勝負をふっかけて倒して回っていたそうよ。おかげで彼の名前は色んなところに知られるようになったとか。まぁ、典型的な戦闘狂ね」
ジューダスの言葉にアステリオスは納得する。確かにあの男ならばそれだけのことをしかねない。あの日ももしかすればアステリオスもオルトと戦っていたのかもしれない、そう思わせる程彼からは闘いへの欲求を感じられるのだ。
そんな彼からしてみれば、大会側からの規定の変更は嬉しい誤算だったのかもしれない。ちまちま戦うよりも大勢を相手に剣を交える。そういう方が似合う。現に今も嬉々として剣を振るっているのだから。
「彼の周りにいた出場者には同情するわね。けど、ここは戦場。いつ何が起こるかが分からない。あらゆる事態を想定していない者が勝ち残れるほど、闘剣舞祭は甘くない」
油断、卑怯、不意打ち。確かにそうかもしれないが、それはただの言い訳にしかならない。それが戦場、殺し合いの場だ。
常に自分は戦場に立っている……そんな気概を持たないものに剣を持つ資格はない。オルトの速攻はそんな意思を感じる。
「厳しいことを言うかもしれないけど、彼らは力が足りなかった。それだけのこと。弱いものが淘汰される。弱肉強食。故に敗ける……あまり言いたくはないけれど、戦場とはまさしくこういうことをいうのよね」
弱肉強食……その言葉はあまり好意的な言葉では使用されない。しかし、現状はまさしくその通りだった。弱い者が悪い。それが嫌なら強くなればいい。単純明快。それだけに厳しい。言ってしまえばどれだけ高尚な者だろうと弱ければ何の力も持たない。悪党すらも勝利すれば正義の味方になれる。正しく雑魚には息苦しい在り方だ。
(そして、あの人は強者だ……)
オルト・ロスカー。漢らしい屈強な体つきにそれに相応する剣さばき。その一撃の破壊力は並みの剣士のものではない。先程の速攻がそれを物語っている。達人……などという領域ではない。はっきり言って尋常ではない。
まるで獲物を捉えたかのような獣の瞳。牙、あるいは爪の如き研ぎ澄まされた刃は容赦などという言葉を一切もたない。目の前にいるものをなぎ払う。ただそれだけのために存在している。それ故に禍々しく、美しい。
距離がかなりあるというのに、肌に伝わる以上なまでの殺気。初めて会った日よりも濃く、そして鋭利であった。
異状で異常。けれども壊れているという表現はあまり正しくない。彼は元からああなのだろう。闘いにしか己の価値を見いだせない。けれど、だからこそ戦場においては誰よりも己の価値を輝かすことができる。まさしく戦闘狂だ。
そして。
そんな剣士の前に、彼女は立っていた。
(アリアドネ……っ)
妹の危機にアステリオスは何もできない。
ただ、その様子を伺うことぐらいしか、今の彼にはできなかった。
そんな彼の隣で小さな声音でジューダスは言う。
「とは言え……強者が一人きりとは限らないのが、世のあり方でもあるわけなんだけどね」
*
「ほう……俺の前に立つか、嬢ちゃん」
開始の合図からしばらく。既に戦闘はそこら中で起こっていた。剣戟の音、降り注ぐ血飛沫、響き渡る人の怒号。それらを周囲にしながらアリアドネはオルトの前に立っていた。その右手に握るレイピアにも既に血が滴っている。
「言ったはずです。兄様と戦うのは私だと」
「だから邪魔な俺を早速潰しにきたわけか」
剣の狂者はふた振りの刃を振るい、襲いかかってきていた剣士達をなぎ払いながら言う。
「上等じゃねぇか。まぁ口先だけじゃねぇってのは確認済みだ。最初の俺の攻撃。ほとんどの奴が対応しきれずやられちまったが、あんただけは躱しやがった。容赦はしてねぇ。力も弱めてねぇ。そういう風に打ち込んだはずだったんだがな」
「では、それだけ私の実力が貴方を上回っているということでしょう」
「ハッ、言うじゃねぇか。だが、それでいい。それくらいの覇気がなけりゃ歯ごたえがねぇからな」
オルトの不敵な笑みを前に、アリアドネは柄を握る力を強める。
先程は挑発的な言葉を口にしたが、彼女も理解している。この男はとんでもなく強い男なのだと。自分よりも一回りも二回りも上だということを。
はっきり言って、彼女が今していることは自殺行為。自分の勝利を棒に降っているようなもの。自らわざわざ勝率の低い相手と戦おうとしているのだから。
賢い選択ではない。きっと誰もがそう口にするだろう。もっと別の相手と戦うか、制限時間まで逃げ切るか。それが生き残るための正しい行為。
けれども、だ。
アリアドネは何も生き残りたいわけではない。彼女は勝ち抜きたいのだ。自分の実力で闘い、勝利し、上へと上り詰める。そうしなければならない。そうでないと意味がない。姑息に卑怯に勝ったところでなんだというのだ。
そして、そんなものが通用するほど、目の前の男は甘くないし、弱くない。
ならばどうするか。
簡単だ。戦うしかない。戦って勝つしかない。それがここでの理なのだから。
無茶だろうが、無謀だろうが、関係ない。それを越えられないものに、この先を行く資格はないのだ。
そして、その覚悟は当の昔にできている。
ならばやることは一つだ。
決意を胸にし、強敵へと一歩を踏み出そうとしたその時。
「――――――隙だらけだぞ、貴様」
瞬間、轟音が響き渡る。それが踏み込みながら放たれた拳の一撃であった。そう、拳である。手甲で覆われた右腕による一撃の衝撃音はまるで空気が震えたかのような錯覚を思わせる程のものであり、目の前にいたアリアドネは全く反応ができなかった。
「油断大敵だ、愚か者」
唐突に現れた甲冑の騎士の一撃がオルトを吹き飛ばした。アリアドネの倍はあるであろう男を軽々と、だ。その凄まじさはまるで雷霆の如く。速度、威力、そして覇気。何を取っても常人離れしすぎており、アリアドネは一瞬で理解する。
この人物も強者である、と。
「全く。先程からやりたい放題やってくれたな。私の目の前で暴れまわるとはいい度胸だ」
鎧で全身を覆い、顔も兜で隠れている。しかし、声から察するに女性のものだった。どこか凛としていて尚且つ冷静さと規律さを感じる。
「しかしまぁ、こちらとしては都合がいい。軽い準備運動としては丁度いい相手だろう」
「ほう。では、その準備運動とやらに、老体も混ぜてもらっても構わないかね?」
そして更なる介入者。
そこにいたのは両目を帯で隠している老人だった。
だが、やはりというべきか、その老人が只者ではないことをアリアドネは一瞬で理解する。
彼の後ろには多くの剣士が倒れていた。それも、無傷のままで。
「何分この有様でしてな。相手をしてもらえないだろうか、若人よ」
この時、アリアドネは十分に直感していた。
新たな脅威が出現した、と。
更新はまた来週の火曜日か、その前後になります。
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