第三十七話 誓い
井ノ原純は志士を抜けた。直接の上役である桂小五郎には許可を貰った。甲斐政義は最後までうんうん頷き、涙を流していた。
やっと純が、自分が決めた道を行くのだ。
鮮血が舞うような道ではない。
純は刀を捨てたのだ。
明治に入ってすぐ。
純は彼女に会いに行った。
約束を果たすために。
別れて一年経つ。たった一年されど一年。純にとってこの一年間は長かった。公私ともにさまざまな出来事が過ぎ去って行った。
祇園の町に入ると、純の胸はうるさいほど鼓動が早鐘を打つ。
何度も彼女に会っているのに緊張している。
進む足が震えていた。純は顔に出さまいと真一文字に唇を結んだ。
高鳴る胸を押さえつつ、純は道の角を曲がる。これを行けば、彼女の茶屋は目前だ。
純は歩を進めて、ふっと息を吐いた。
目的地の茶屋の前には、彼女がいた。箒を持って、店先を掃除している。
桜の花があしらわれた小袖を着て、綺麗な黒い髪をしている。その横顔はいつ見ても美しい。
すると、彼女は視線を上げてこちらを眺めた。
純と目が合った。
「……」
「……」
無言で二人は視線を交わす。
時が止まったように思えた。
彼女が持っていた箒が地面に倒れる。
「純さん」
彼女は愛おしそうに純の名を呼ぶ。
「一年ぶりです」
純は彼女に足を向けた。
「約束を果たしに来ました。すみれさん」
懐から金色の簪を取り出す。それはすみれが一番大切にしているものだ。この一年、肌身離さず、持っていた。
純はすみれの髪を優しく梳き、簪を挿した。
「やっぱり。あなたにはこれが一番お似合いですよ」
「ありがとうございます」
すみれは潤んだ瞳で純を見上げる。
「もういいのですか?」
「はい。役目は果たしました」
笑って答えると、すみれの小さな手を握る。
「これからは、あなたとともにあります」
純は真っ直ぐと彼女を見つめた。
「純さん……」
すみれが少し涙ぐむ。
純は胸に手を当てて、呟くように言葉を紡ぐ。
「あなたといると胸が熱くなる。こんな気持ちになれるのはすみれさんに会えたから。あなたを知ったから……。あなたがくれた気持ちです」
「私も……です」
すみれは鼻がかかった声で言う。
「私も純さんに会えて……胸がどきどきして、幸せな気持ちになれます」
「はい……」
純は微笑む。
本当に愛おしい。
すみれのことが好きで好きでたまらない。
一度はこの気持ちに蓋をしようとした。だけど、そんなことは無理だった。すみれが想ってくれている。すみれが好きだと、愛していると言ってくれた。
両想いだった。なら、答えるべきだ。
自分もあなたを愛していると。
「すみれさん、」
呼びかけて、その華奢な体を抱きしめる。
「何があろうと、あなたを守ります。ずっと……」
すみれの口から甘い吐息が漏れる。
「違いますね。これは僕の願望です。あなたの答えを聞いていない」
純は少し身を引き、すみれを見つめた。
「守ってもいいですか?」
すみれの表情は変わらない。愛する人に微笑み、答えた。
「……はい」
純は再びぎゅっと彼女を抱きしめる。すみれは純の胸に顔を埋めた。
「もう絶対に離しませんよ」
「はい……」
「愛しています。すみれさん」
「はい、私もあなたが大好きです」
二人は誓う。
すみれがゆっくりと頤を上げる。それに答えるかのように純もすみれを見つめた。息がかかる近さに互いの顔があった。
そして、ふたりはゆっくりと唇を重ねて、じっと動かなかった――。
2014年5月11日:誤字修正・加筆
2014年10月5日:誤字修正・加筆




