第三十話 小休止
沖田の言葉は胸に深く刺さった。
彼はあのとき、闘いの中で、死を感じたのだ。そして死を選んだ。でもそれは叶わず、今を生きて、病を抱えている。
あのとき、沖田を斬ったほうがよかったのだろうか?
そうしていたら、沖田は今を苦しまずにいられたのか。
だが、純の気持ちは変わらない。
それは敵対していようが思うことで。
何かのために剣を振るえることは、素晴らしいと考えるのだ。沖田は沖田の正義を貫くべきなのだ。
そこで、ふと思う。
――今の自分は、何かのため動いているのだろうか?
「……純さん?」
思考は声で遮断される。
見上げると、すみれがいた。彼女は心配そうにこちらを見つめていた。
「何かあったんですか?」
「いいえ。大丈夫です」
考え事のせいで、すみれを不安がらせてしまうのはよくない。純は笑顔で首を振った。それでも、すみれの表情は硬いままだった。
「さ、仕事をしましょう」
純はそう言って、立ち上がり、机を拭き直した。それは誰が見ても追及を逃げていた。我ながら情けないと思うが、すみれを巻き込みたくなかった。
「純さん!」
「わっ!」
すると、突然すみれが机を叩いた。拭いていた純はびっくりして顔を上げる。すみれと目が合う。彼女の瞳は怒っているように見えた。
「な、なんですか?」
「散歩に行きましょう!」
「はいっ?」
素っ頓狂な声を上げるこちらを意に介さず、すみれは店の奥にいる源造に声を掛けた。
「源造さん! ちょっと出かけてきます!」
答える声も聞かずに、すみれは純の手を握る。
「さ、行きましょう?」
積極的な彼女にびっくるする純は、すみれに引っ張られて店を出た。
何の用事もなく、町を歩くのは久しぶりだ。
「あの……」
「なんですか、純さん?」
純は前を歩くすみれに問う。
「どこへ行かれるのですか?」
「別に決まってはいませんけど?」
すみれは振り返って笑う。
なんとも無計画な……、と心の隅で思う中、純はすみれに感謝した。
落ち込んでいる自分を慰めてくれているのだろう。だから無理やり出かけているのだ。純は心の中で感謝した。
しかし。
「店のほうはいいんですか? お初さんもいないのに……。今、お店にいるのは源造さんだけですよ?」
「大丈夫ですよ。源造さんはしっかりとしてますから!」
しっかりしているのは知っている。問題は接客のほうなのだが……。あの顔ではお客は逃げてしまうだろう。
お店を危惧していると、すみれが駆け出した。
「あ、猫」
「……もう見つけたんですか」
引っ張られる純は小さく呟く。それから、目を向けると、道の端をうろうろしている猫がいた。キジトラ柄の猫で、目つきが悪い。多分に、野良猫だろう。
「猫さん?」
すみれは腰をかがめて、猫を手招く。しかしキジトラはこちらに目をやって、その場で固まっていた。
「来ないですね?」
「そりゃあ、猫だって警戒しますよ。人だって、初対面のときは緊張しますし」
「人と猫は違います」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
すみれは自信たっぷりに頷き、キジトラに少しずつ近づいた。しかしキジトラの対応は変わらず、じっとすみれを見つめていた。人に慣れているのだろうか、一向に逃げなかった。やがてすみれとキジトラの距離は無くなる。すみれはキジトラの頭を優しく撫でた。甘い声で鳴くキジトラ。
「良い子ですね、君は」
すみれはにこりと笑って頭を撫でる。
「ふむ」
純は腕組みをして考えた。すみれは何か天性の才能でもあるのか。しかし、それは猫にしか使えないのだが。
「猫って気まぐれで、自由ですよね」
すみれがふと呟く。純は何も言わずに耳を傾けた。
「人も自由です。自分勝手って言うのかもしれないですけど」
すみれはキジトラから手を離した。キジトラは名残惜しそうな顔をする。
「だから、純さんが何かを内緒にするのも自由ですし、私が純さんを心配するのも自由ですよね?」
その言葉に、純は目を見開く。すみれがくるりとこちらへ向き直った。
「去年、私は言いました。純さんが出て行くまで支えるって。だから、支えてもいいですよね?」
「……」
「別に話さなくて結構です。難しいことは私もわからないので。だけど、純さんのことは私がちゃんと見守ります」
すみれは小首を傾げて笑った。
「……」
やはり、彼女にはお見通しのようだ。伊達に一年近く一緒に過ごしているわけではない。彼女も純のことを思っているのだ。
純は思わず笑ってしまう。
「え、なんで笑うんですか?」
するとすみれがムッとした顔で詰め寄ってくる。
「いえ。あなたがそこまで言うとは思わなかったので……」
「だからって笑いますか、もうっ」
ぷくっと頬を膨らませるすみれは可愛かった。
「僕だってすみれさんのこと、見てますよ」
「えっ……」
そう伝えると、すみれの表情が変わった。なんだか動揺している様子。何か変なことを言っただろうか?
純が首を傾げていると、すみれはぷいっと顔を逸らす。
「純さんって、卑怯です」
「えっ、何が……」
「行きますよ」
「ちょ、すみれさん?」
純は慌てて、彼女の後を追った。
そのあと、二人で祇園を練り歩いた。
久しぶりに羽を伸ばせたので、純には良い気分転換となった。顔見知りの人に冷やかされたりされたが、楽しかった。
楽しい一日はあっという間に過ぎてしまう。
そして帰宅したとき、言うまでもないと思うが、源造にこっぴどく叱られた。




