第二十七話 これからも。
「純さん、寄っていかへん?」
ちかが去ったあと、初が店を指した。純はすぐに頷く。
「はい。そのつもりで来ましたから」
ちらりとすみれを見たが、目を逸らされてしまった。少し胸に刺さったが、純は笑って初と源造に言った。
「折り入って話があります」
すみれの家は、店兼住居となっている。二階が居間と寝室に分かれていた。
部屋の端にはすみれもいた。どうしているのか不思議だったが、今は源造と初に話をしなければならない。純は頭を下げた。
「まずはお二人に謝罪しなければなりません」
「……?」
そう切り出され、二人は首を傾げた。
「あなたたちも、すみれさんも騙していました」
純は畳と向かいながら話し続ける。
「僕は、世間で言う維新志士です」
「へ……?」
きょとんとする初と黙す源造。純は顔を上げた。
「長州藩の人間です」
初はぴんと来ないのか首を捻っている。しかし源造は違う。煙管を咥えたまま一重の目を細めた。
「そんだけか?」
「……いえ」
純は少したじろいだ。
「ほんなら、はよ喋らんかい」
不機嫌そうに言う彼は、破落戸の親玉も縮こまるような雰囲気だった。
「ほかにも、なんかあんの?」
初は頬に手を当て、心配そうに尋ねる。
「はい。実は……」
純は長州藩が今、どんな立場にいるかを話した。多分に、こんなことを庶民に話してはならないのだろうし、理解もされない。しかし、純は二人の信用が欲しかった。
「……この前の、御所の討ち入りが原因で泊まっていた宿も焼けてしまいました」
言葉を切り、純は再び頭を下げた。
「しばらくの間、ここで住まわせてもらえないでしょうか?」
「えっ!」
これにはすみれも驚きの声を上げた。
「今の京には頼る人がいません」
「……」
「勝手なのはわかっています。僕の我儘です。自分の立場も理解しています」
長州藩の人間がこんなところに居たら迷惑がかかる。かくまっていたなんてことが知れたら、三人がどうなるかわからない。
「もし、役人が来た場合は突き出してくれて構いません。『脅されて、かくまっていた』と言ってもらえばいいですし」
「えっ、でもそないな……」
「構いません。すべて、僕が背負います」
戸惑う初とすみれに、純は笑って答えた。
「……おとうさん」
初が難しそうな顔つきをして源造を見やる。ここの家主は源造だ。決めるのはすべて彼だ。
「……お願いします」
純は源造へ頭を下げる。結ばれた髪がさらりと畳に垂れた。
「……」
源造は黙ったまま純を見下ろす。
紫煙が天井を昇っていく。
額に汗が滲む。
沈黙は長く感じられた。
「源造さん、私からもお願い」
すると、すみれが頭を下げた。純はびっくりして、思わず首を彼女へと向ける。
「純さんは、何度も私を助けてくれた。私は恩返ししたい。純さんが長州の人でも関係ないわ」
「……」
「困ったときはお互い様でしょ?」
にっこりと笑ってこちらを振り向くすみれ。
「すみれさん」
嬉しすぎて言葉にならなかった。彼女には思いがけないことを言い過ぎている。今度こそ、否定されると思った。だけど、すみれは自分を受け止めてくれたのだった。
「ねえおとうさん。いいんやないの? 純さんだって一生懸命なんやし」
初も賛同してくれた。
「ふむ……」
源造は唸りながら紫煙をくゆらす。
ややあって。
「……ええやろ」
「え!」
純はがばっと顔を上げた。
「すみれが世話なっとんのは知っとる。落ち着くまでここにおったらええ」
「あっ、ありがとうございます!」
純は勢いよく畳に頭を下げた。謝罪はもう聞き飽きたとばかりに、源造は手を振る。
「やけど、仕事はしてもらうで」
「はい喜んで!」
舞い上がった声で言う純を、うっとうしそうに眺める源造の瞳がぎらりと光った。
「あと、」
「何でしょうか?」
「すみれに手ェ出したら放り出すぞ。それだけは覚えとけ」
「……は、はい」
「も、もうっ! どうしてそうなるのっ」
淀んで頷く純と顔を赤くするすみれを怪訝そうに見やって、源造は部屋を出て行った。
「よかったね。あの人頑固やさかい、断ると思ったわ」
初が笑って言った。
「はい」
純はほっとしたように息を吐く。
すみれが側にやってくる。純は礼を言った。
「ありがとうございます。あなたのおかげです」
「いいえ。お役に立てて嬉しいです!」
微笑み合う二人を見て、初がにやりと笑った。
「ところでお二人は、」
「はい?」
「なに、お初さん?」
「なぁ~んもないの?」
「えっ……」
「あっ……」
二人の脳裏に浮かぶのは、数日前の記憶。
鴨川の土手。
それを思い出した瞬間、二人はぼっと顔から火が出た。
「あっ! その顔、何かあったんやね!」
嬉しそうに笑う初に純は全力で否定した。
「ち、ちちち、違います! 誤解です!!」
「謙遜しやんでもええのに~」
「本当に何もないですッ!」
ぜはぜはと肩で息をする純を初はますます笑う。
「それじゃあ、あとは二人で仲良くやって」
初は不穏な発言をして部屋を後にした。
「……」
「……」
二人は少し距離を置いて黙った。
――気まずい。
非常に気まずい。この空気をどうしてくれるのだ。そういえばこの前もこんな空気だった。ならば良い機会かもしれない。謝罪は早めのほうがいい。というか最近謝ってばかりだ。純は小さくため息を吐き、すみれに向き直った。
「あの……」
呼びかけると、すみれはビクリと肩を震わせる。
「な、なんですか……?」
ぎこちない動きでこちらを振り向く。すみれの表情はまだ硬い。決意が揺るがぬ前に、純は謝罪した。
「その……この前は、本当にすみませんでした!」
「いえ……」
小さな呟きが返ってくる。すみれの顔はゆでだこのように赤かった。
「僕も気がおかしかったんです! もうしません! 金輪際ッ!!」
「えっ……もうしないんですか?」
「な、何か言いました?」
よく聞き取れなかった。
顔を上げると、すみれがふいっと顔を背けた。
「な、なんでもないですっ!」
耳まで真っ赤な彼女の表情は変わらない。まあ、今はどうだっていい。すみれの機嫌を取るほうが大事だ。再び畳に手をつくと、すみれが呟いた。
「嬉しかったです」
「え?」
純は目を丸くする。
まさか、アレが?
怪訝な表情をするこちらに、すみれが慌てて否定した。
「ち、違いますよっ! アレじゃなくて……!」
「そっ、そうですよねー!」
何を勘違いしているのだ。純はぶんぶんと首を縦に振った。
すみれは少し恥ずかしそうに口にした。
「大切な人だって、一緒に居たいって言ってくれました。私にとってそれはとても嬉しかったんです」
「……」
「純さんと同じ気持ちだってわかって本当に……」
瞳が潤む。涙が零れるのを我慢するように、唇を噛む。そして胸の前で手を当てた。
「今は、胸が張り裂けそうです」
「え?」
きょとんとする純をすみれがくすりと笑う。
「だって、また一緒に居られる。こんなにも近くにって思ったら……。もう、おかしくなっちゃいます」
すみれが笑って純を見つめた。
「……」
恐らく今の自分の顔は真っ赤だろう。純もおかしくなりそうだった。
すみれは純に近づいて、彼の手をとった。
「これからも大変だと思いますけど、あなたが出て行くまで私は支えます」
「はい。あなたに迷惑はかけません、絶対に」
純も笑って返した。
こうして、純の居候生活が始まった。
一つの藩が揺れると、国も揺れ動く。
長州藩が朝敵となって征討が始まったのを、純が知ったのは少し後だった――。
2014年10月5日:誤字修正・加筆




