第二十四話 純と彼
三日後。
純は京都市街を練り歩いた。
あたりは焼けつくされて、まだ焦げ臭い匂いが鼻につく。長州藩が隠れ蓑にしていた料亭も焼けてしまった。
純は首をめぐらした。
路上で座っている者、ちかと同じように家族を失った者。皆、表情はよくない。生気のない顔つきをしてぼんやりとしていた。
それを見て、純は胸を痛めた。
脳裏に浮かぶのはちかの悲しみの表情。こんなことはもうたくさんだ。誰かが悲しむところなんてもう見たくない。そう考えるほど、思ってしまう。
「僕たちのやりたかったことはこんなことなのか……?」
純は家の焼けた跡を見て呟いた。
「まあ、今回、長州はやり過ぎたな」
「――ッ!」
背中から聞こえた声にびっくりして振り返った。
声を掛けてきたのは若い男だった。
純より二つくらい歳上か。整った顔立ち。襟足で切った髪。黒く染色された着流し。腰には大刀のみで脇差を差していなかった。そいつは、楽しそうに笑みを浮かべていた。
そいつの姿を見た瞬間、純は全身が粟立った。すぐさま、その場から飛びのく。
「あなたはっ、池田屋にいた……!」
純は呟き、刀に手を掛けた。すると男は驚いたみたいだ。
「おーおー。よく覚えてるな。一回しか目合わしてないのに」
純は彼を睨みつけた。忘れるはずがない、あんな凶悪な瞳を。純は刀の鯉口を切った。
「勘弁しろよ。別に俺はお前とやりたいわけじゃない」
「ならば質問に答えてください」
間髪容れずに返すと、男は肩をすくめた。
「答えるかどうかは、質問による」
純は身を低くした。いつでも抜刀できるように。
「そう構えるなよ」
男はニヤリと唇を吊り上げる。
「まあお前の聞きたいことはなんとなくわかる。当ててやろうか?」
純は質問した。
「……あなたは誰の下についているのですか? あなたは池田屋で何をしていたのですか?」
「答えられないな」
即答だった。
「……まあ、俺のことなんて、今はどうでもいいんだよ」
彼は表情を崩さない。嘲笑うような笑みは底を知れない。純はこの男を怖いと思った。
「ここじゃ目立つ。場所を移そう」
すると男はこちらから目を離し、背を向けて歩き出した。
「は……?」
純はきょとんとした。思わず手が刀から離れる。
この男はいったいどういう神経をしているのだろうか。たった一度だけ顔を合わした人間に気安く話しかけて、怪しすぎる。
男の背中を睨んでいると、彼が振り返った。
「早くしろ。こっちだって暇じゃないんだ」
男はその端正な顔を曇らせる。
「……はい」
純はゆっくりと男の背後についた。
この男から情報を引き出してから斬る。純はそう決めた。
「あとさ、」
だが、男はまだ何かあるみたいで口を開く。
「なんですか?」
「刀から手を離してくれたらもっとありがたいんだけど?」
「却下します」
「はぁ……」
即答したら、男は呆れたように嘆息した。
鴨川の河川敷。ちょうど、四条大橋の真下で純と男は向かい合った。
「お前さ。手、刀から離せよ」
開口一番に男がぼやいた。
「さきほどから言っていますが、却下します」
睨み返すと、男はますます眉をひそめる。
「じゃないと。俺が何のために池田屋にいたのか、何のためにお前に会ったのか。教えないぞ」
それは困る。純は素直に刀から手を引いた。
それを見て、男はにんまりと笑った。
「良い子だ」
「……あなたは、池田屋で何をしていたんですか?」
純はすかさず本題へ切り出す。
「おい、いきなりそれかよ……」
「教えていただけるんじゃないんですか?」
「そうは言ったが、順序ってものがあるだろ」
「僕にはありませんが?」
「俺にはあるんだよ」
男は苛立ったように髪を掻きむしる。そして切れ長の瞳を細めた。
「まずはおさらいだ。――お前は池田屋での会合の内容を知っているか?」
その質問に、純は苦い顔をして答えた。
「…………京の町に火を放ち、この混乱に乗じ、幕府要人を暗殺。そして、帝を長州へ連れ去る」
「正解」
男がニヤリと口を歪めた。純は尋ねる。
「それを知っているということは、あなたは長州の人間なんですね」
すると、男は心底呆れた様子でため息を吐いた。
「あのな。あの会合に長州藩士だけいた、なんて考えは捨てろ」
「は?」
「俺は一言も、自分が長州藩士なんて言ってない」
「なっ!」
その言葉にびっくりしたが、純は言い返す。
「ですが、それを知っている人は限られています。当事者の長州か、あのとき襲撃した新選組……!」
そこまで言って、刀を握った。
「幕府の人間ですかっ!?」
「自己解釈するな馬鹿!!」
男が怒鳴る。純は声に肩を縮めた。
「俺は長州の人間でも、幕府の犬でもない」
「だけどあのとき、池田屋は人払いされてたはずです。それをどうやって……?」
「俺は要人の護衛として、会合に参加してた」
「は……?」
間の抜けた顔をすると、彼は片方の口角を吊り上げた。
「あのとき、長州の誰かが捕まって、長州は切羽詰ってたろ? だからだよ。志士様は自分の身を守ろうとする。それには護衛を雇うのが簡単だ」
「あなたみたいな怪しい人をですか?」
「失礼だな」
ククッと喉の奥で笑う男。自覚はあるみたいだ。彼は腰の刀の柄頭に手を置いた。
「腕を見せりゃあいいんだよ。偉い人間なんかアホばかりだからな」
「……」
「それに、俺が怪しくても後で始末すればいい話だ。あのときはちょうど、長州の人斬りがいたんだからな」
男はこちらを睥睨する。その視線に純は唾を飲み込んだ。
「まあそれでも。俺はお前に斬られる気はさらさらないが」
瞳が不気味に光った。
「……ッ」
また背筋が凍った。
池田屋で感じたのと同じだ。
彼を例えるなら、鋭利な刃物。研ぎ澄まされた冷たい刀だ。
たぶん、この人は自分と同じなのだ。
「話は戻すが、」
彼は前置きをして再び話し出す。
「池田屋の密会の内容は京に火を放つことだ」
男は顔を上げ、ひどく冷めた眼差しを送った。ここからは見えないが、彼が見つめる先には焼けた町がある。
「結果が……これだ」
「ッ!」
純も顔を上げた。
今回は事件――つまり禁門の変により、京の町は火に飲まれた。池田屋の密会内容が成功していたならば、同じようなことが起こったのは当然。桂が最後までこれに反対していたのは、こんな暴挙が許されなかったからだ。
男が純に向き直り、意地悪く笑った。
「一ヶ月前の作戦は、一ヶ月後にやれたってことだ」
「やめてください!」
純は怒鳴った。
「この事件で、多くの人が悲しみ、苦しんでいる。笑って済まされることじゃありません!」
「これを起こしたのは長州だろ?」
「……っ」
返す言葉がない。純は押し黙ってしまった。
「長州は私利私欲で戦争を起こして、負けたんだ」
「みんながみんな、私利私欲で動いているわけじゃないです!」
これまで純が見た志士たちは違う。楠本も久坂も……。彼らは長州が掲げる理想のために最後まで闘い、そして散った。
言い返すこちらに男は鼻で笑った。
「長州藩のためってのは、お前たちのためだろ。同じだぜ?」
「あなたは……!」
純は睨みつけ、刀を握り締めた。
「しかしこれで、長州はどうなるんだろうな」
「えっ」
いきなり話が変わって純は目を瞬く。硬直するこちらなど目に入れず、男は続けた。
「お咎めなしってのはあり得ない。御所に討ち入って、町に火までつけたんだ。どうなるんだろうなぁ~」
「……
暗くて、心底楽しそうな笑みを浮かべる。
「お国取り潰しかねぇ」
「そんなこと――」
ない、と口にしようとしたが、遮られた。
「それくらいのことを長州はしたんだよ。そろそろ理解しろ、馬鹿」
純は唇を噛み締めるが、男は飄々とした口ぶりで言った。
「まあ、俺たちには関係のない話だ。そんなことは上の連中に任せときゃあいいんだ」
男は不意に川に目をやる。
夏の鴨川はきらきらと太陽に輝いていた。
「これから、この国はどうなるのかねぇ」
彼は遠い目をして呟く。
「……」
「幕府は外国に弱腰。諸藩の意見もまとまってない」
「……いつまで続くのですか?」
純の声に男が口を閉ざし、こちらへ目を向ける。
「いつまでこんなことを続けるんですか」
純はたくさんの人を斬ってきた。それは大義のため、延いては国のためだ。しかし、いくら人を斬ろうがこの荒んだ世は変わらない。池田屋事件が起こって、現在、京は焼け野原だ。
こんなことが新しい時代のために、世の平和ために繋がるのか。純は気が気ではなかった。
「……さぁな。上の連中が満足するまでじゃねーの」
男が肩をすくめて答えた。
「そんな! これ以上人々を苦しますんですか!」
叫ぶと、男は難しい顔をした。
「そんな面倒なこと考えるなよ。だいたい、俺たちがそんなこと考えても意味ねーよ。お前も俺も上の命令で動いているんだ。喚いたって何にもならないぜ」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「それに、」
男は刀の柄頭に手を添えた。
「俺は今が楽しい。早く終わるなんてまっぴらごめんだ」
その言い方に純は気色ばんだ。
「あなたは、刀を振るために生きているんですか?」
「そうだよ」
さも当たり前かのように男は頷いた。彼の鋭い視線が、唖然とする純に突き刺さる。
「刀ってもんのは、人を斬るためにあるんだ。使わないともったいないないだろ?」
「それは違うと思います」
反論すると男がピクリと眉を動かせた。
「剣を振るいたいから人を斬るなんて……それはただの傲慢です。武士も侍も人々があってのもの。多くの人を助け、守るのが、武士の本懐ではないでしょうか? この剣は誰かのためにあると思います」
「お前さ、」
男は今までにない低い声で純の言葉を遮った。彼の視線にあるのは憐みのようだった。
「自分のやってることがわかってるのか?」
男は目を眇める。
「今自分がやっていることが、人を助けてるのか? 違うだろ。俺もお前も、敵を斬るための道具だぞ」
「確かにそうです。今の僕にできることなんて、それだけです」
純は己の掌を見つめた。
「人を斬るのは嫌いです。だけど、人斬りが必要とされるまで、僕は剣を振り続けます」
視線を彼に戻す。
「それが、僕の本心です」
真っ直ぐと彼を見つめ、真摯に訴えた。
しかし男は黙ったまま。無表情で、何を考えているのかわからない。だが、瞳は少し揺れていた。
「……人のために、か」
男は息を吐くように呟く。再び鴨川を眺めた。
「同類だと思っていたが、少し違うみたいだな」
「同類、ですか。ある意味そうかもしれませんね」
「お前のような甘い戯言を吐くつもりはないがな」
ハッ、と人を馬鹿にしたように笑う。少し腹が立ったから言い返した。
「僕もあなたのような人と同じにされたくはありませんね」
「ハハッ。お前も言うな」
口を開けて笑う男。その姿は人を斬っているようには見えなかった。
「まっ、話は終わりだ。お互い死なない程度に頑張ろうぜ、井ノ原」
男はこちらへ歩み寄り、ポンと肩に手を置いた。
「何で僕の名前を……!」
びっくりして振り返る純に、彼は子供のようにいたずらっぽく笑った。
「池田屋でそう呼ばれてたからな」
あんぐりと口を開けるこちらがそんなに可笑しいのか、くすりと笑う。顔が二枚目だからか、そういう笑みが似合っていた。
「んじゃあな」
手を振って去る彼の背中に、純は呼びかけた。
「教えてください!」
「ん?」
「あなたの名前を」
彼は肩越しに振り返って、思い出したように言った。
「あっ、教えるって約束だったもんな。悪かったな」
詫びを入れたあと、男は白い歯を見せてニッと笑った。
「俺は速水藤真。薩摩藩士だ」
「えっ!?」
純は目を大きく見開いた。
「今度会うときは敵じゃないといいな」
彼――速水藤真は不敵な笑みを浮かべたそのとき、強い風が体を打ちつけた。
純は思わず目を閉じる。
次に目を開けたとき、速水の姿はなかった。慌てて土手を上がり、道を見渡すが、速水の姿はなない。
「速水藤真……薩摩の人斬り……」
純の呟きは鴨川からの風に乗って消えた。
2014年10月1日:誤字修正・加筆




