第一話 天誅
元治元年三月。
京都。
元号が変わって、十日ほど経った。
三月に入ったものの、まだ夜の気温は低い。
吐く息は白かった。
「遅くなってしまいました」
道を行く武士が三人。
前を歩く若い武士が言った。後ろにいる大柄な武士が顎を撫でる。
「ふむ。最近は腕の立つ人斬りが多くなっている。幕府側も何か策を練れば」
「おいおい、こんなときまで仕事の話かい? 久しぶりにいい酒だったんだ。よしてくれ」
もう一人、小柄な武士がそれを制する。
「申し訳ありません」
二人して言い合うのを見て、若い武士はくすりと笑って二人を振り返った。そして視界に入ったのは、彼らともう一人――。
「あっ……」
「どうした?」
他の二人も首を傾げて振り返った。
「……」
そこには少年がいた。歳は十五ほど。黒髪を無造作に高い位置で結わえていて、首元に襟巻をしている。もちろん腰には大小。感情のない瞳をこちらに向けていた。
「何者?」
大柄の武士が問う。手はすでに鍔元を握っていた。
「……京都所司代松山宗兵衛殿とお見受けする」
少年は質問を無視して、静かに口にする。暗く光る目が小柄な中年の武士に向けられた。
「これより天誅を下す」
「うおおっ!」
言うが早いか、大柄の武士が少年に踊りかかった。
豪快に刀を上段から振り下ろす。だが少年には効かなかった。彼はすっと横に一歩動いただけで、それをかわした。
「なっ!?」
武士は驚愕した。それも一瞬で終わる。
閃く刃。
少年が刀を抜き放ち、首を断った。
血飛沫が上がる。京の路地を真っ赤に染めた。
「竹本ッ!」
「松山さん、逃――ッ!」
若い武士は持っていた提灯を捨てて、抜刀に移った。しかし――。
「……げ、て……っ」
遅かった。少年の刀はしっかりと心臓を突き刺した。
「梅村!」
「……」
少年が無慈悲に刀を引き抜く。武士は血を吐いて斃れた。
「ひっ……!」
松山という武士は足が竦んだ。少年は相変わらず生気のない瞳をしている。
「天誅」
松山は何も出来ず、ただ月光に輝く刀――今まさに自分に振り下ろされる刃を目に映した。
「さすが純!」
刀に付いた血を懐紙で拭っていると後ろから声が掛かった。
純と呼ばれた少年は振り返った。
「なんだ甲斐さんか」
「なんだとは失礼だな、おい」
笑いながらこちらに歩み寄ってくるのは、長州派維新志士の甲斐政義である。検分役として、現場に出てきたのだ。
「今回もお手柄だな、一撃で仕留めている。さすがだ」
甲斐は血溜まりに沈んでいる死体をしげしげと眺める。
「世辞はいいですから」
純は呆れたように言い、刀を鞘に収めた。
「ところでよ、純」
「な、なんですか?」
甲斐は死体に『天誅』と書かれた紙を置くと、笑顔で純の肩に腕を回した。その行動に純は少し眉をひそめた。甲斐とはそれなりの付き合いがある。だから、こんなときの甲斐はよからぬことを考えているのは明白だ。
案の定、それは当たった。
「明日にでも島原に行かね?」
「何を言ってるんですか……」
甲斐政義は、正直者でさっぱりとした男らしい性格の持ち主だが、少々……いやかなりの遊び人なのだ。仕事中に言っていい言葉ではない。現にほかの検分役が引いていた。
ここは丁重にお断りしておく。
「悪いですけど僕にそんな暇はありません」
「つれねーなぁ。純は案外もてそうだぜ?」
「もういいですか」
甲斐からの拘束を無理やり解く。しかし彼はめげずにこちらの顔を覗き込んだ。
「だって、可愛いし」
純は目を剥いて振り返った。
「……あのですね。そういうのは女性に言うものでしょ?」
ため息を吐いて、純は口元を襟巻で覆った。
「おい、帰るのかよ」
「その通りですよ」
純は振り返りもせず、闇に消えた。
「ほんと、つれねぇ奴」
甲斐は純が去って行った方に目を向けた。
「甲斐、仕事しろ!」
すると、仲間の長州志士に怒鳴られた。
「あいつの世話するのも俺の仕事だぜ」
「お前は過保護過ぎないか? あと、軽率だ」
志士は叱咤するが、甲斐は肩をすくめるだけ。
「桂さんが見込んだだけあって良い腕をしているが、まだ子供だ」
「そんなガキに人斬りやらせてる俺たちもどうだかね」
甲斐が突っ込むと、彼は言葉に詰まった。
「ぐ……。人が足りんからな」
「……さいですか」
確かに人は足りない。昨年の八月十八日の政変により、長州藩の立場は危うくなった。京都から長州藩を主とする尊王攘夷派は追放された。現在、長州藩は京都での失地回復を狙い、桂小五郎を中心にして動いている。
「そんなことより。あいつを半年近く見てて思うんだよ」
「何を?」
「純は自分の意見を言わねぇからさ」
甲斐は少し悲しそうに言う。
「あいつもいつか自分で、自分の意思で動いてくれるといいなぁと思っている」
志士は黙り込んでしまったが、しばらくして。
「井ノ原のことを心配しているのはわかるが……。お前、男色の気でもあるんじゃないのか?」
「はっ? ふざけるなよ、俺は女性を愛するために生きてるんだよ」
甲斐が誇らしげに言うのを見て、志士は呆れた様子だった。
時は幕末――
嘉永六年の黒船来航から日本は動乱を迎えた。
攘夷、佐幕、尊皇、開国……様々な思想、野望が渦巻く中。
少年は、人斬りとして陰に徹した。
2014年8月17日:誤字修正・加筆