第9話
結城リィンの特別昇進による少尉任官の式典を見た後、わたしは帝国皇帝”爛煌皇命”の住まう帝都へと向かっている。当然カリサも来てはいるが片道三日間はかかる長旅でありカリサはすでに熟睡している。私はといえば月明かりだけを頼りに本を読んでいる。それ以外にやることがないからだ。腕時計は十時を指している。
「もう少し本…、買える駅あるかしら…。」
半日で大小三十の駅に停まってはいるがだいたいは無人駅であり、夕方に帝海を渡り始めてからは当然駅もない。もともと帝国は極東に位置する島国でしかなかったのだが十三年前から大陸に進出し初めに爛地方を平定し国境線を旧ラゼヴェルン王朝と同じくすることになった国で、今走っているのは天羽衣という愛称の超巨大な鉄橋だ。明日の未明には帝国本土へ入るらしいものの時間が余っていた。
「寝るしかないわね。」
わたしは開きかけた推理小説を閉じ鞄にしまうと客室のカギを確認して毛布にうずくまる。だんだんと意識が遠のき――――。
「ミーシャさん!見てください帝国です!」
カリサの歓喜の声で目を覚ました私は目をこすりながら窓の外を眺めた。青と灰色の二色のみだったそこは立派な大都市が現れていた。
「ここが帝都?」
カリサに聞く
「違うみたいです。ただ帝国二番目の巨大都市ってこれに。」
そう言ってパンフレットを嬉々とした表情で眺めるカリサがいた。
「サンペテルブルクくらいは栄えてそうですね!」
王都サンペテルブルク、ドン川に挟まれた王政時代の首都…。確かにそんな感じはした。
「なんて言う都市なの?」
「芦原っていうらしいです。国始の話に出てくる結構有名な土地らしいですよ?」
そうこう話をしていると列車が速度を落としレンガ造りの優美な駅舎へと吸い込まれていく。連邦には出来なさそうな美術力だと素直に感じる。速度を落とした列車に次々と売り子が乗り込み、短い時間にどんどん商品を捌いていく。私も席を立ち本売りのもとへ向かった。
「ハイお客さん!何読みますか?」
とりあえず手近な推理小説を一つと史学と書かれた歴史書を手に取り帝国銀貨を一枚手渡す。
「まいどっ!」
明るく言った本売りはまた別の客車へ向かっていった。
「ミーシャさんなんですかそれ?」
「史学と小説よ。史学読む?」
と聞いてきたカリサに史学を勧めると私は小説に目を通す。面白そう。今日を入れてあと2日である。分厚めのを選んだからきっといい暇つぶしになりそうだ。そして列車は新たな目的地へと大きな車体を揺らし始めた。
ゴトゴトと心地のいいリズム。国始の都、芦原を発って五時間たつ。私はこの旅でかれこれ三冊ほど推理小説を読み潰しているが、今度は緑と蒼のツートンカラーが続いている。カリサも景色を眺めるのに飽き、私の貸している帝國史学の本を黙々と読みふけっている。あまり本を読まない子と思っていたのだが案外違ったようだ。今日は2日目、明日の夕方に帝都に到着する予定だ。あの尋問の翌朝私は謁見申請願を提出し一時間もしないで許可が下りたらしい。王政時代の謁見手続きを想像していた私は少し驚きもした。少し帝国の政治仕様に興味を持った私はカリサから史学本を返してもらうと小説と交換し史学本に目を通した。
「なかなか面白い政治体制ですねミーシャさん。」
カリサの言う通り、立憲君主でありながら半分絶対王政を引き継いだような、世界でもあまり見かけない特殊な制度が帝国では用いられている。現皇帝は第百三十代皇帝爛煌皇命、先代皇帝とはうってかわって対外政策に熱心な皇帝とのこと。爛地方を平定したのも現皇帝が即位して僅か一年だ。即位したのが僅か御年七歳の年であり、現在は仙姿玉質といわれるほどの美しい女帝とのことである。且つ八歳で爛を平定するなど類稀なる戦略眼をも持っている。最後の点に関しては若草少将に聞いた話だが、私たち連邦軍が国境を怒涛の勢いで攻め込んだとき、皇帝は口元に笑みをうっすらと浮かべただ一言「来客です。しっかりもてなして差し上げなさい。」と言い、現在の帝國の反撃体制を瞬く間に整えたというのだ。
「私この皇帝人間とは思えないわ。」
「まぁ会ってみないことにはわかりませんよ。一応旧王制の代表ですからこちらも相応の覚悟で臨みましょう。」
「珍しい、カリサがまともなこと言うとは思わなかったわ。」
「え?私どんなお馬鹿な子認定されてたんですか?」
「てっきり色恋に目のないお嬢様かと…ちがうの?」
「もしかして侵攻初日のこと言ってます?あれはミーシャさんの愛想が想像を絶する悪さだから言ったんですぅ!」
「でもあのタカって人見てポワーンとしてるように見えたのは私の気のせい?疎い私ですらそう思ったんだけど?」
「そ、それはですね!そりゃあんなかっこよく助けられちゃ――――。ってあぁんもぉぉ!なんてこと言わせるんですか!まるで簡単に恋しちゃう!みたいな人みたいじゃないですか!」
「ちがうの?」
「だぁぁぁぁぁ!私寝ます!」
「なに言ってるの。まだ五時前よ。」
「起きてたらミーシャさんにいじめられますもん!おやすみなさいです!」
とカリサは信じられない速度で毛布に包まり寝始めた。仕方がないので史学の勉強を進めることにしよう。西日を明りに私は黙々とペンを走らせた。
私はふと腕時計を見た。なにせ客室が暗いからだ。なるほど確かにもう七時、少し何か食べようとカリサを見る。どうしてここまで熟睡できるのか不思議だが、私にしては珍しく悪戯心が働き無意識でカリサの鼻をつまむ。
「ん…んあ!んんんんん!!!!」
すごい強さで突き飛ばされた私は派手に尻餅をついてしまった。慣れないことはするものじゃなかった…今更に後悔する。
「ぷはっ!なにするんですか!死んじゃうかと思いましたよ!」
「ごめんなさい、悪戯したくなっちゃって…。」
「んもぉぉぉびっくりしたー!ご飯時ですし食堂車に行きますか?」
「そう、それを言おうと起こしたのよ。」
「なら少し手加減してください!」
「ごめんなさい反省してます。」
「…。」
「…。」
沈黙…。
「あははは!ミーシャさんが素直に謝るなんて!おっかしいです!」
「ふふふ!それもそうね!」
「あぁーおっかしい!おなか減りました!早くいきましょ!」
久しぶりにこんなに笑ったかもしれない。
なんだか不思議だった。