解決の赤い糸口
誰もが奇跡だと思った。
アリシアはほとんど傷一つなく無事だったのだ。
船から見下ろした時に見えた血の色は、サメのもので……仏頂面をしたキースはナイフを口にくわえたまま、アリシアを後ろに抱えて浮かんでいた。
「ったく……。海中はさすがの俺も不利だ」
アリシアが震えていたのは無理もなく、乗組員たちは2人を船に引き上げると、用意してあった温かいお茶を出した。キースは部屋で飲むといってさっさと帰ってしまう。
「無事で良かった」
アリシアの頭をなでながら微笑むと、彼女は緊張が緩んだように泣き出した。自分の体を抱きしめてぽろぽろ声も出さずに泣く姿に、とにかく皆は無事で良かったと言うしかなかった。
お茶をテーブルに置くと、キースは濡れた服を放り出す。さすがの彼にもきつかったようだ。無論、サメの群れに飛び込むのであれば、こうなることは想像の範囲内ではあるはずだが。
「さすがにサメ相手に人一人守りながら格闘するとなると、無傷では済まないよな」
何とか致命傷は避けたものの、あちこち噛まれ、ボロボロになった自分の体をみてひとりごちる。いくら不死の体とはいえ、痛いものは痛いし、人より治るのが早い程度の力だ。
「ってぇ……」
熱い茶を飲むと何だか傷が熱を持ったように疼く。
――深入りしたのは俺のほう。
少しほろ苦い薬草茶をその言葉と共に一気にのみ干すとすこし痛みが治まって、彼はそのままベットに倒れこんだ。
眠い……。
ねむい……
「ヨシお兄様まで一緒になって樹の上に登るなんて!」
これは昔の夢だ。
「アリシア、俺がヨシに頼んだんだぞ。樹に登りたくなってな!」
腕を骨折して吊り下げた姿のキースと足に添え木をくっつけたシムがいる。
「キース様は黙ってて下さいまし! シム様もキース様をお守りするはずですのに」
あの時、海の向こうが見たかった。
あの時、海の向こうは滝になっていて世界の終わりがあるものだと教えられていた。
怖いもの見たさに、世界の果てが見えるんじゃなかかと、そう思って樹に登った。結局、樹の枝が折れて、そのまま落下という残念な結果になってしまったのだが。
――あの頃は守られてばかりだった。今度は船長として、俺が守る番だろう。
「キース様、どうして私を助けてくださったの?」
アリシアの小さな声が降ってきた。
これは夢なのか、現なのか……上の空のままで、少し熱に浮かされて
「俺の船にいる間は、俺が守る。アリシアも一員、だからな」
そのままキースは正直に答えてしまった。
あと数日の旅であっても、皆がそろって入港できるように、クルーと船を守るのが彼の仕事。
海の向こうを知ってしまったとき、彼はもう守られる存在じゃなくなった。
アレから100年が経つ。
航海して、後悔して、諦めが入って、とられた宝物を取り返して、その分また多くのものを失って、手に入れたものは一体なんだったのか……。
「キース様……ありがとう」
額に冷たい手が触れて、傷口に薬を塗られるのが遠くから分かった。
全ての神経が麻痺しているようで、何もかもが遠い。
うつらうつらとキースは再び夢の世界に入る。
「おやすみなさい」
最後にアリシアの声が聞こえた。
――その少し前
ひとしきり泣いたあと、アリシアは涙をぬぐって救急箱を取り出した。
「キース様の看病させてください」
クルーの誰一人として気が付かなかったが、キースは結構傷を負っていたらしい。滴り落ちる血にも「サメの返り血だ」というばかりだったから。そうやって強がらなくとも、もうこの船の船長はお前だけだというのにと、パタパタと駆け出していくアリシアを横目にヨシは思う。
「キースさんとアリシアさんがいい感じになってきて……それはある意味複雑ですけど、でも俺、2人のこと応援したいとも思っているんすよね~」
シムが呟くと、なんとなくヨシには「あの条件」の意味が分かったような気がした。
――あの条件とは、前に神が言った条件。
“あなたたちが盗まれたものを全て取り戻したら……”
それはもしかしたら、なにも物品に限ったものではなかったのかもしれない。
「物品に限らない? どういう意味です?」
「つまりな」
人を愛する気持ち。
人を信じる気持ち。
多分そういったことも含めて、取り戻さないといけないのではないか。
「無茶っすよ。過ぎ去った時間は戻ることはないし、……それに仲間の中には船を下りてしばらく好きになった恋人のところに身を寄せていた者もいるはず」
「約束した主は誰だ?」
「あ……。キースさんだ」
そう、この呪いの鍵を握っているのはキース自身なんだろう。




