海賊船の情報
アリシアをつれてホテルに戻ると一部屋追加の手続きをした。
「大切な方だから、なるべく良い部屋を」
そう言うと向こうは何を勘違いしたのか、ツインのスイートルームを用意して、笑顔でルームキーを渡しながら
「提督も隅に置けませんね」
お堅い人だと聞いていたのに、こんな綺麗な方をホテルに連れ込むなんてと、ウインクした。
ミルフォードの父親と一緒にしないでくれ。やんわり否定しておいてから、俺はアリシアを部屋に案内する。
「疲れていると思うがディナーには出席した方がいい。キャプテンキース出現の噂はあっという間に上層部にまで広がってしまったからな。彼に対して討伐隊が結成されるのは時間の問題だ。だが、そうだな。もし、彼を助けたいのならば……嘘の情報を流してもいいぞ」
「えっ!? シャムロック様?」
廊下を歩く足を止めると、目の前には可愛い金細工が施された扉が現れた。
同じく金細工の鍵穴にルームキーを差し込むと、カチャリと音がして、俺は彼女を部屋に押し込んだ。
――嘘の情報を流してもいい。
どうしてあんなことを言ってしまったのだ。
いや、分かっている。分かりすぎている。アリシアがあまりに暗い顔をしていたからだ。
勿論彼女が情報を言わなかったとしても“海賊である”であるなんて、濡れ衣をかぶせて処刑するつもりなんてサラサラない。
隣の自分の部屋に入る。
ふう、まさかこんなことになるなんて思わなかったな。
シャワーを浴びるためにブーツを脱いで、バックルを外してコートを掛けると、ポケットからコロコロと手のひらにすっぽりおさまるサイズの小さな箱が転がり落ちる。外側には象牙を細かく掘った薔薇の花が飾られ、内側には綺麗な赤いビロードが張られ、その中には深い蒼色の宝石を抱いた華奢な指輪が納まっていた。
「これは」
あの時の指輪だ。
ポケットに入れたままにしておくなんて、俺もあきらめが悪い。しかし、どこかで彼女は生きていると信じていなければ、今日の出逢いはなかっただろう。
むしろ、一生出会う事はできなかっただろう。
苦笑する。
彼女と会ったのは俺がまだこの地位よりもまだ低い頃だった。
今後の出世のための顔つなぎにと連れてこられたパーティ会場の煌きと、むせかえるような酒と香水の匂いを今でもはっきり覚えている。若輩者であることを理由に、一応上手く人付き合いはこなしていたつもりだが、やはり堅苦しいパーティには慣れなくて、休憩したくなってバルコニーに出たとき、庭の向こうからバイオリンの音が聞こえた。
パーティ会場にいたら楽団が奏でるアップテンポの曲にかき消されて聞こえなかっただろう。
夜風が涼しくて、つられるように音の方へと引き寄せられると
真っ黒のレースのドレスがふわりとひらめいて、
白い華奢な肩が星空の下に際立っていて、
そこに乗せられたバイオリンから音が流れていた。
「あの……」
声を掛けると彼女は驚いてこっちを振り向き、その瞬間に長い髪がパラパラと肩から滑るように流れ、背中で止まった。パッチリした目と、まだ少し幼さが残る唇がこちらを向いて、思わず胸が高鳴って慌ててしまう。
……少し火照った頬を夜の闇が隠してくれるのをありがたく思いながら。
それほど彼女は幻惑的で綺麗だった。闇に溶け込むような髪と白い肌、そして落ち着きのある深い蒼の瞳がとても印象的で、思わず見つめてしまう。
「あ、……すみません」
何謝っているんだ、俺は。せめて音を褒めるとか、曲名を聞ける甲斐性があればいいのに。
「海軍の方ですか?。でしたらこういうパーティは堅苦しくて仕方がないでしょう?」
彼女はクスッと笑ってから、図星だった俺に背を向けてバイオリンの弦を調節し始めた。
「参加者の方が下さったんです。このバイオリン。とてもいいものなんですけど、音合わせができていなくて」
「名器も素人の手に渡ってしまえばただの楽器なんですね」
拒否されなかったことに「ほっ」としてそのまま隣に腰掛ける。
時折弦をはじくような音が聞こえる。
これはただの調律なのに、風の音と葉が揺れる音と
そして彼女の甘い香りで、まるで一つの曲を聴いているようだ。
「私も素人ですよ」
少し微笑んで少女は弓を持ち替えた。
「1曲弾いてもらえませんか?」
もしかしたらこれは夢なのかもしれない。
確かめるために、この儚い夢が、この儚い人が夢なのかどうか確かめるためにリクエストした。
だが、
「シャムロック先輩。呼ばれて……あ」
3人目の来訪者に阻まれてしまう。
もう少しここにいたいという視線で彼を見ると、黒いドレスの彼女は
「いいんですよ。私はそろそろ帰ろうかと思っていましたので。堅苦しいパーティですけれども、料理だけでも楽しんでいらしてくださいね」
と、軽く会釈して帰ってしまった。
後でミルフォードにわき腹を肘で突付かれた。
「お前『ノラド家のアリシア』に1曲弾いてもらったんだって?」
何のことか分からなくて問い返すと「しらねぇのか?」とあきれたような返事が返ってきて、彼女の血筋について聞かされた。
代々見目麗しい女性が一人しか生まれず、「アリシア」と名づけられること。
1流の者達の愛妾になる運命にあり、そう教育されるということ。
彼女達は誰かのものになるまで黒いドレスを着るということ。
愛妾として嫁ぐ時に花嫁衣裳の変わりに白いドレスを初めて着るということ。
だからあんなに浮かない表情をしていたというのだろうか?。
「調律していたのを横で聞いていたんだ」
記憶から消えてしまわないようもう一度思い出しながら正直に答える。
「そっか。でも、彼女が俺の家に来る日も近いだろうな。
親父が目をつけたって話だから。この前の女に飽きたら圧力掛けてくるぜ? どうする?」
「どうするもなにも、彼女は見たところまだ少女だろ? いくらなんでもこれじゃあ犯罪じゃないか。だからまだ先の……」
「んなこたぁー、関係ねえよ。俺の家のハーレムをなめるなよ。
あんの好色親父のことだ。多分彼女の持っていた楽器の主も狙ってるな。
多分彼女はこれからメキメキ美人になる。囲い込んで待つのもありだろ。
それに、ハーレムに入れたってかすんだりしやしないさ」
だったら俺にどうしろというんだ。
ミルフォードは俺をどうあっても挑発したいらしい。
「先手を打つんだ」
早く昇進しろよ。あ、俺が彼女の好みとかその辺の情報は集めておいてやるからな。という良く分からない激励が返ってきたんだっけ。ニヤニヤしている顔をみながら、きっとあいつは父親の鼻を明かしたくて楽しんでいるのだろうと思った。
シャワーを止めて身だしなみを整えると丁度いい時間になってきた。
窓から外を覗けば、ホテルの前には身なりのいい者達が集まってきている。
彼女は用意し終えただろうか。
少し早足でアリシアの部屋に向かう。彼女の選ぶドレスの色が気になって。
――もし白い色のドレスを着ていてくれたら。
少しノックのリズムが早まって「ココン」と扉を開くと
「どうぞ」
とアリシアは扉を開けた。
一瞬その艶やかさに驚く。
綺麗に結い上げられた髪。ほんのり化粧して……そんな彼女のドレスは、黒に真紅のレースがついたものだった。
落胆を抑えきれず
「黒いドレスがお好きなんでしょうか?」
と皮肉が口を突いて出てしまう。
「今日はこのドレスを着たかったんです」
またあの目だ。空虚な瞳。
幸せそうな、切なそうな、あの海賊を見ていた表情はどこへ行ってしまったのか。
どうして彼女はこんなにあの海賊を慕っているのだろう。
俺が見たときは誰にも心を許さないように見えたのに。
一体どんな魔法を使ったというのか。
無言のまま彼女の手を取って廊下を歩く。
見かけだけ豪勢な廊下が続く。
けれども、もうすぐ終わりだ。
俺もこんな気持ちは終わりにしたい。
あれこれ考えてもアリシアは戻ってきたのだから。
俺は手を取っているほうとは逆の手でポケットから指輪を出すと、さりげなく彼女の指にはめる。
「シャムロック様?」
アリシアが不思議そうに指輪を見た瞬間、俺は思いっきり彼女を抱きしめた。
「ずっと想い続けていました。はじめて庭で会った時からです。
あなたは覚えていないと思いますが、昔、1曲お願いしていた者です。
俺はあなたを愛妾としてではなく、妻として迎えたい。
この約束は今も有効だと信じています」
耳元でそれだけ囁くと、すぐに体を離し、俺はほとんど出席者全員が集まったであろうパーティ会場の扉をゆっくりと開けた。




