その結末
──とんでもないことになった。
ヨハンは苛立たしげに酒を呷った。
パレードは無事済ませたし、陛下からは勲章も授与された。
これは当然のことであって、あの悲惨な前線で戦い続けた俺たちの権利だ。
だが、屋敷には戻れない上に明日からは宿代も払わないと父上が言い出した。
父上が望んだ通り、嫁と跡継ぎを連れて帰ってやったというのに。
(あの時、ミーナは自分が突き落とされそうになったと叫んでいた……)
あの女が先に手を出したのは明白だ。
もみ合ってるうちに足を踏み外して落ちたのは、自業自得ではないか。
それをよく調べもせずに警邏隊に引き渡すとは。
あの女が父上を籠絡して、侯爵家を乗っ取ろうとしているのをミーナはいち早く気がついた。
むろん、そのようなことが認められるはずがない。
それで開き直ったあの女がミーナを突き落とそうとした。
(とにかくミーナの冤罪を晴らして、あの女を追い出さないと……)
宿の部屋の扉がノックされた。
「開いてるぞ……ゴルドか。何しに来たんだ」
「書類をお届けに参りました」
「なんだよ。…………って除籍!?」
「はい。本日付でヨハン様は侯爵家から除籍されました。それがその証明書の写しです」
「待て、なんでそうなる」
「当主の決定ですので」
「そんなわけないだろう、跡継ぎは俺しかいないんだから」
「寄子にも適齢の男子がたくさんいらっしゃいます。ですが、閣下には嫡出子がいらっしゃるので問題ありませんな」
思わずヨハンは笑い出した。
荒唐無稽にも程がある。
「おいおい、何を言い出すかと思えば──父上に俺以外の子がいるとでも?」
「はい。そのとおりですな」
「どういうことだ。まさか、あの女が──」
ゴルドは包帯で巻かれた頭を掻きながら、仕方なさそうに再度口を開いた。
「あの女、とはヘルガ様のことですか? 正式な侯爵夫人ですし、閣下との間にお子様もいらっしゃいますが」
「あの女が──」
「ヨハン様が放棄した結婚式は、閣下と夫人との結婚式になったので。もちろん、花婿交代は当家からの申し出です」
「…………嘘だろ?」
「いいえ、真実です。すでに後継者指名も済んでおりますので。ここに幾ばくかの金子がございます。これにて当家とヨハン様は無関係となります」
「いやいや、俺はどうなるんだよ」
ヨハンは勢い余って酒瓶を倒し、立ち上がった。
「勲章と共に騎士爵を得たと聞いております。これからは騎士爵となるのでは?」
「ミーナは妊娠してるんだぞ!」
「あの平民のことは与り知りませんな。すでに警邏隊に引き渡しておりますゆえ」
ゴルドはテーブルに重い革袋を置き、礼もせずに出て行った。
ヨハンはその背に倒れていた酒瓶を投げつけた。
瓶はゴルドの耳を掠め、廊下の壁に当たって砕け散ったがゴルドが振り返ることはなかった。
「くそ、何かの間違いだろ! こんなバカな話があってたまるかよ!」
音を聞きつけた女中が割れた酒瓶を見て嫌な顔をして言った。
「故意の汚損は別料金ですよ、旦那」
「うるさい!」
「帳簿につけますから」
「勝手にしろ!」
扉が雑に閉められ、女中の文句が聞こえる中でヨハンは革袋を開け、中を確かめた。
(これだけあれば当面は不自由しない。ミーナを牢から出して、異議申し立てをすれば──)
ヨハンのブツブツ呟く声に、誰の返事も無かった。
◆
「ねえ、いつまでここにいなきゃいけないの? 私は聖女なのよ? それにお腹に侯爵家の跡継ぎがいるのよ」
ミーナは誰もいない廊下に向かって叫び声を上げた。
妊婦ということもあり、殺風景な牢の中にはクッションがいくつか置かれている。
ミーナはクッションの上に座ってずっと叫び続けている。
貧しい寒村に生まれ育ったミーナからすれば、クッションがあるだけ上等である。
教会の聖女選別で判定が出てから、ミーナのモノクロだった世界は色がついたように華やかになった。
見目のよい聖騎士たちに傅かれ、前線に行ってもお姫様のように守られ、治癒をすれば多大に感謝された。
それに、子供っぽいとは言われるが顔だってちょっと他には見ないほど可愛いのだ。
貴族が私に恋をするのはおかしいことじゃない。
ヨハンは一番かっこよかったし、優しかった。
だから、新たな前線に行く前に、誘った。
望まない結婚なんてしなくてもいいじゃない?
聖女の私がいるんだから。
爵位はないけれど、聖女は準貴族なんだから私とヨハンの婚姻は祝福されて当然なのよ。
なにより愛し合ってるんだから。
「誰もいないの? いい加減出して欲しいんだけど!」
「うるせえぞ! いい加減黙れや!」
隣の牢から怒鳴り声が返ってきた。
「な、なによ……私は聖女なのよ」
確かにあの女を怒りに任せて突き飛ばしたのは場所が悪かった。
でも、いつものように治癒さえすれば知らぬ存ぜぬが出来るはずだった。
あっという間に取り押さえられ、あの女に治癒をかける時間がなかった。
(今までは気に入らないメイドに怪我をさせても無かったことに出来てたのに……)
ミーナは短い爪をギュッと噛み締めた。
ヨハンにはもちろん自分が襲われたと言ったけれど、自分の権利を侵害されたのだから嘘じゃない。
あの部屋は私の部屋だった。
ヨハンと婚姻すらしていない女が占拠していい部屋じゃないもの。
聖騎士たちは私を大事にしているし、私が言ったことを信じるんだから、こんなところから早く出して欲しいわ。
(パレードにも出られなかったし……最悪よ)
数日後、取調べを受けたミーナは迷うことなく自分が先に突き落とされそうになったと言った。
「前線では下働きや下級メイドに暴力を日常的に振るっていたと報告がある」
「そんなことしてません! 私の世話係に怪我をした人なんていないわ!」
「あのなぁ、君自分がなんで捕まってるかわかってる?」
「私が突き落とされそうになったの! もみ合いになってあの女が勝手に足を踏み外したのよ!」
「二階と一階、合わせて五人の目撃者がいる。うち三名は立ち止まった夫人を君が突き落とした瞬間を見ている」
「……それ、全員侯爵家の人でしょ。口裏合わせてるのよ……私平民だからって」
ミーナはうるうると大きな瞳に涙を浮かべた。
「君は殺人未遂で投獄されている。しばらくは教会や聖騎士団からの聴取があるから、このままだからな」
「だから、誤解なの! あっちが勝手に落ちたのよ!」
「そうかい。だが周囲はそう見てないからね。平民が侯爵夫人を殺そうとしたんだから──もう出られないと思っておいた方がいいぞ」
ミーナは乱暴に牢に戻され、再び薄汚れてきたクッションに座った。
(どう言えば誤魔化せる? どう言えば……)
◆
ヨハンは早々に異議申し立てを諦めた。
ハルバート侯爵とヘルガの結婚は正式なもので、取り付く島もなかった。
だが一番の理由は酒場で他の兵士たちからミーナと関係を持ったことがあると聞いたからである。
一人や二人じゃない、何人もだ。
最初は信じられず殴り合いの喧嘩になった。
が、手持ちの金は減り続け、ミーナと寝たという男が次から次へと出てくる。
ヨハンはある日突然王都から姿を消した。
噂では各国を渡り歩く傭兵団に入ったとか。
その後の消息は杳として知れない。
ミーナはヨハンを待ちながら、獄中出産をした後で裁判に掛けられた。
戦時中の多大な貢献、希少な聖女というミーナだったが侯爵夫人に故意に大怪我を負わせた事実は『なかったこと』にはならなかった。
結局、教会側が一生の奉仕をと減刑嘆願し条件付きでそれを認められた。
国が出した裁定は『罪人として生涯奉仕活動をする』こと。
ミーナは足枷を嵌められたまま、ヨハンを待ちながら一生を奉仕活動で過ごした。
最後までずっと自分は悪くないと叫びながら。
ハルバート侯爵家は五人の子に恵まれ、一人は伯爵家の養子に行った。
ヘルガ夫人は最後の最後まで、ヨハンとミーナを悪く言うことはなかったが内心はどうだったのか伝わってはいない。




