第7話 常連席732円 帝国の玉座と一通の手紙
水曜日。昼休み。コンビニのおにぎりを食べながらスマホを見た。
DunCastの通知。前回配信アーカイブの再生数が12,000回を超えた。じわじわ増えていて、コメント欄にも知らないアカウントが増えた。「切り抜きから来ました」「ラベ四郎がんばれ」「管理局の件が気になる」。最近の配信は毎回アーカイブ再生数が前回を超える。じわじわ、じわじわ。雪が積もるみたいに。
それと、もう一つ。DMが一通。
『つちのこ先生の配信をいつも拝見しております。突然のご連絡失礼いたします。ダンジョン管理局新宿支部気付で、お手紙を送らせていただきました。迷惑でしたらすみません。一視聴者より』
知らない人が、DMではなく俺に手紙を書いてくれたのか。紙に、ペンで。封筒に入れて、切手を貼って。
不思議な気持ちだった。DMならわかる。ボタンを押せば送れるから。俺だって憧れる世界ランカーにメッセージを送ったことはある。でも手紙は違う。便箋を買って、ペンを持って、封筒に入れて、切手を貼って、ポストに投函する。その手間のぶんだけ、時間も心もこもっているのだ。
夜に澤村さんからメッセージが届いていた。
『柏木さん宛にお手紙が届いてます。土曜に渡しますね。あと、トマ次郎がすごいことになってますよ。来てからのお楽しみ』
†
待ち遠しい土曜日がきた。ゲートを通り、いつもの薄紫の空の下、C-7に入る。
真っ先にトマ次郎を見にいった。
「……実がなってる」
黄色い花の付け根。小さな緑色の球。直径7ミリくらい。
世界で初めて、この死の土から生まれた「果実」だ。
しゃがんで、目の高さを合わせた。緑色が濃い。通常のトマトの幼果よりもずっと深く、吸い込まれるような色だ。
理由はわからない。でも、きれいだと思った。
触らなかった。まだこの空間は、どこか脆い気がしたから。触れば、この小さな奇跡が零れ落ちてしまう気がした。
スマホで写真を3枚撮る。アップ、全体、そして隣で誇らしげに葉を広げるバジ太郎と一緒に。
バジ太郎は、もう葉の数を数えるのが一苦労なほど生い茂っている。
1ヶ月半前の、あの198円の弱々しい苗の面影はない。根元はまるで小さな木のように堅く、力強く変化し始めていた。
対照的に、ミン三郎は今日も相変わらずだ。
25センチまで深くした根止め壁を、まるで出口を探し当てるように潜り抜けようとしている。
やれやれと言いながら、壁を30センチに補強する。魔力を練り、土を固めるたびに、ずっしりとした疲れが肩に残る。ミン三郎との終わらない追いかけっこは、この庭が生きている証拠だ。
問題は、ラベ四郎だ。
根付いたかどうか、反応が鈍い。下のほうの古い葉が1枚、焼けたように黄色く変色していた。
通常、新しい環境に適応するために古い葉を落とすことはあるが、ここはダンジョンだ。何が「普通」なのか、誰も教えてはくれない。
土に手を当て、土壌操作の感覚を研ぎ澄ます。
pH7.2。水分量も適正。
根は死んでいない。手のひらを通じて伝わってくるのは、バジ太郎の力強さに比べれば、あまりに微かで、震えるような呼吸だった。
GreenThumbさんに教わった分析器を当てる。
EM値(魔力濃度)、1.12。
バジ太郎のエリアよりも高い。魔力が濃すぎるのか。
植物にも個性がある。バジ太郎やミン三郎は魔力を吸って加速しているように見えるが、ラベ四郎にはこの濃さは毒なのかもしれない。
座標の安定度は、これまでにないほど高い数値を維持しているのに。
土壌の数値だけでは、計れない何かがある。
「……聞いてみるか」
スマホをセットし、DunCastの配信ボタンを押す。
198円のバジルから始まったこの庭の悩みを、今日も画面の向こうにいる「隣人たち」に相談するために。
†
澤村さんが封筒を渡してくれた。白い封筒。手書きの宛名。「つちのこ先生」。切手が2枚貼ってある。消印は都内。差出人の名前はない。
「届いたとき、ちょっとびっくりしました。紙の手紙が来るなんて」
「俺も驚いてます」
「開けます?」
「配信の後にします。1人のときに読みたいので」
「わかります。ファンレター、楽しみですね!」
澤村さんの笑顔が優しかった。管理局の職員なのに、俺の庭のことを自分のことみたいに喜んでくれる。C-7の管理担当になったのは偶然だろうけど、澤村さんでよかった。
†
「今日もダンジョン庭いじり配信を開始します」
(Comments)
【常連A】231もいる!
【gardenFan_03】200超えおめ!
【カンナ先輩】こんにちは!
【毒舌キノコ】今日も定位置から失礼する
【GreenThumb】Good evening. My usual seat, if you will.(こんばんは。いつもの席に失礼します)
【常連B】GreenThumbさんの「定位置」って何
【常連A】毎回バジ太郎の話のときにコメントするからバジ太郎の隣が定位置ってこと?
【毒舌キノコ】俺はミン三郎の壁の前だ。監視役
「常連の皆さんが自分の定位置を持ってるの、嬉しいです。GreenThumbさんがバジ太郎の隣で、毒舌キノコさんがミン三郎の壁。カンナ先輩さんは」
(Comments)
【カンナ先輩】私はトマ次郎の横がいいです。花を見ながら
「gardenFan_03さんは」
(Comments)
【gardenFan_03】俺はカケル親子の観察ポイントで。境界線のとこ
【常連A】俺とBはどこだ
【常連B】入口のとこでいいよ。受付
【常連A】受付www
「みんなに席がある庭って、いいですね。6畳半とちょっと狭めだけど」
(Comments)
【GreenThumb】Every garden needs its regulars. The plants don't change, but the viewers become part of the landscape.(どんな庭にも常連が必要です。植物は変わらないけど、視聴者が風景の一部になっていくんです)
【毒舌キノコ】視聴者が風景の一部。詩的だが正しい
「さて、今日の一大ニュースです。なんと...トマ次郎に実がなりました」
(Comments)
【常連A】!!!
【常連B】まじ!?
【gardenFan_03】世界初のダンジョン結実!!
【カンナ先輩】見せてください!
【毒舌キノコ】ダンジョンでトマトが実をつけた。歴史的瞬間をこの目で見ている
【GreenThumb】Fruit set in a dungeon environment. This is unprecedented.(ダンジョン環境での結実。これは前例がありません)
「カメラ寄せますね。ここ。花の付け根の緑色の球。7ミリくらいの小さですが、実がなりました」
(Comments)
【カンナ先輩】きれいな緑色ですね。
【毒舌キノコ】7ミリの実に200人が注目している。スケールのバグ
【GreenThumb】The color saturation is remarkable. The magical soil is producing something unique. Don't touch it yet — let it grow naturally.(色の彩度が驚異的です。魔力のある土が何か独自のものを作り出しています。まだ触らないで、自然に育ててください)
「落ちたら泣くので触りません。248円の苗がこんな痩せた地で頑張って、世界初の実をつけたんです。赤くなるまで見届けたい」
(Comments)
【常連A】赤くなったら食べる?
【gardenFan_03】食べるのもったいない
【毒舌キノコ】食べろ。トマトは食べるために実をつける。それが植物への敬意だ
「毒舌キノコさんが正論を言ってる。赤くなったら遠慮なく食べます。ダンジョン産のトマト、世界初の味を噛み締めます」
「次は問題のラベ四郎です。困ったことに葉が1枚黄色くなってます。pHは7.2で適正のはず。水分も問題ない。でもEM値が1.12で、バジ太郎のエリアより高いので魔力濃度が高すぎるのかもしれません」
(Comments)
【毒舌キノコ】……柏木。ラベンダーの土壌要件を整理する。聞け
「毒舌キノコさん?」
(Comments)
【毒舌キノコ】ラベンダーは弱アルカリ性を好む。これは合ってる。だが排水性が重要だ。ダンジョン土壌は魔力を含んで保水力が高い。根腐れのリスクがある。砂利を混ぜて排水層を作れ。お前の土壌操作ならできるだろう
【常連A】毒舌キノコさんの知識がガチ
【gardenFan_03】詳しすぎないか
【常連B】何者なんだ
「毒舌キノコさん、ありがとうございます。排水層か。やってみます」
手を土に当てた。ラベ四郎の根元。土壌の構造を変える。表層の下、5センチのところに砂利状の層を作る。土壌操作で土の粒子を粗くする。水が下に抜けるように。
「こんな感じで……EM値も下げたい。魔力を一部引き抜けるかな」
手のひらから逆方向に魔力を引いた。初めての操作。いつもは魔力を流し込むだけだった。引き抜くのは感覚が違う。冷たい。指先が痺れる。
「うわ、きつい。でもEM値が……1.03まで下がった」
(Comments)
【毒舌キノコ】魔力の引き抜き。新技だな。D級の小技がまた増えた
【GreenThumb】Wait. You just demonstrated bidirectional mana flow. That's not a D-rank skill.(今、双方向の魔力フローを実演しましたね。あれはD級のスキルじゃないですよ)
【カンナ先輩】すごい……逆方向の操作ができるんですね
【常連A】GreenThumbさんがD級じゃないって言ってる
【毒舌キノコ】D級の定義が揺らいでいる。いい傾向だ
「いえいえD級ですよ。認定証にそう書いてある」
(Comments)
【カンナ先輩】うーん、最近は認定証の話が出るたびに「本当にD級なの?」ってなりますね
【毒舌キノコ】認定証は発行時のスナップショットだ。能力は成長する。認定が追いついていないだけかもしれん。そもそも管理局の測定器は「破壊エネルギー」しか測れない。土の組成を再構築する「密度」を測る指標がないんだよ。今のランク制度は、家を建てる大工を、金槌を振るう力が弱いからとクビにするようなもんだ
「……よし、ラベ四郎、呼吸が楽になったかな?」
黄色くなった葉の周囲に、魔力誘引剤を少しだけ混ぜた土を被せる。
「反応がない、ただの屍のようだ。来週また確認しましょう。排水層と魔力引き抜き、どっちが効いたか見極めたいですね」
(Comments)
【常連B】排水層?
【gardenFan_03】土木作業が本格化してきたな
「あ、あと今日。もう一つやりたいことがあって」
「植物じゃなくて……座れる場所を作りたいんです」
セーフエリアの端、ラベ四郎の横。
そこにはダンジョンの「ノイズ」が物理的に凝固したような、歪な岩が転がっている。拳大の石が何個か。前から気になっていた。
「この石を集めて、小さなベンチを作ります。土壌操作で土台を固めて、石を並べて」
手を動かした。石を5つ集める。平たいものを選んだ。
ダンジョンの岩は独特の質感がある。表面がざらざらしていて、薄紫がかった灰色。普通の岩とは違う。魔力を含んでいるからか、少しだけ体温のような熱を持っている。
地面を土壌操作で平らにならす。石を載せる。グラつかないように、土で接着する。
ハルが指先で土を撫でるたびに、かすかな黄金の輝きが石の隙間を埋めていく。座面の石は一番平たいやつを選んだ。お尻が痛くならないように、角を少しだけ魔力で削る。
「できた。……まあ、ベンチというか、ただの石の台ですけど。座れます。高さ25センチ。座面の幅は40センチくらい。1人用です」
座った。
硬い。冷たい。でも、ここが「自分の居場所」になった確かな重みがあった。
(Comments)
【常連A】椅子きた!
【常連B】庭にベンチがある。一気に庭っぽくなった
【gardenFan_03】庭の定義に「座る場所がある」を追加しろ。これは重要だ
【カンナ先輩】ラベンダーの横にベンチ……プロヴァンスの庭園みたいですね
【GreenThumb】A bench. Now it's truly a garden. A place to sit means a place to stay.(ベンチ。これでようやく本当の庭ですね。座る場所があるということは、そこに「いていい」ということ)
「GreenThumbさんの言う通りですね。座る場所があるということは、ここにいていいということ」
(Comments)
【常連A】居場所完成
【gardenFan_03】俺もこの庭に座りたい
「あ、カケルとチビケルが来た。今日は遅かったな。チビケルがカケルより少し小さいくらいまで育ちました。元気そうでなにより」
バジルの葉を投げた。3枚。カケルとチビケルが同時に飛びついた。チビケルのほうが速かった。2枚取った。カケルが1枚。
(Comments)
【gardenFan_03】チビケルが勝った!
【常連A】世代交代か
【カンナ先輩】チビケルの成長速度、ダンジョンバジルの栄養効果かもしれません
【GreenThumb】The offspring is thriving on dungeon-grown basil. Another data point.(子供の個体がダンジョン産バジルで元気に育っています。また一つデータが増えましたね)
「カケルは怒ってないですね。チビケルが多く取っても、平気な顔してる。親って、そういうものなのかな。もう1枚投げておこう」
(Comments)
【毒舌キノコ】……そういうものだ
【常連B】毒舌キノコさんの「……」が深い
「今日の配信はここまでです。来週も土曜、夕方5時に」
(Comments)
【常連A】来週も!
【カンナ先輩】ラベ四郎の経過を楽しみにしてます
【毒舌キノコ】定位置は確保した。来週も来る
【GreenThumb】The garden now has a bench, a flower, a fruit, and a community. Not bad for 732 yen. See you next week.(庭にベンチ、花、実、そしてコミュニティができました。732円にしては悪くないですね。来週また)
【gardenFan_03】732円帝国の玉座www
「玉座。石の台ですけどね」
「おつかれさまでした」
†
配信を切った。最大同時視聴者数、231人。
石のベンチに座ったまま、管理局から手渡された封筒を開けた。
便箋は手書きだった。丁寧な、けれど少し震えている字。年配の方だろうか。
『つちのこ先生。初めてお手紙を書きます。私は72歳の、庭が好きなおばあさんです。孫に教えてもらって、配信を見ています。スマホの画面が小さくて目が疲れますが、毎週土曜日を楽しみにしています。
バジ太郎が育つのを見ていると、昔うちの庭でバジルを育てていたことを思い出します。主人が好きだったんです。バジルのパスタ。主人はもういませんが、バジ太郎を見ていると、あの頃の匂いがするような気がします。
つちのこ先生の庭が、これからも元気でありますように。トマ次郎にお花が咲いたと聞きました。実がなるのを楽しみにしています。お体に気をつけて。』
封筒を膝に置いた。
薄紫の空を見上げる。魔力の粒が、まるで静かな雪のように光っている。
72歳のおばあさん。小さな画面を一生懸命覗き込んで、毎週土曜日を待っていてくれる人。
バジ太郎の葉に、もう会えない旦那さんとの記憶を重ねている人。
目頭が熱くなった。泣くな。配信は切ってある。誰も見ていない。それでも、この静寂の前で無様に泣きたくはなかった。
バジ太郎を見ると、堂々と誇らしげに立っている。
お前、誰かの失われた匂いまで、ここに呼び戻しているんだな。
返事はなかった。ダンジョンの中には、風が吹かない。
けれど、バジ太郎の葉が微かに揺れた気がした。地中の深いところから、温かな脈動が手のひらへ、ベンチへ、そして俺の背中へと伝わってくる。
それはまるで、亡き祖母の庭で聴いた、あの朝の音のようだった。
手紙を丁寧に折り畳み、ジャケットの内ポケットに仕舞う。
帰りの中央線。ポケットの中が、じんわりと温かかった。
紙に体温なんてないはずだ。けれど、綴られた72年分の人生が、俺の冷え切ったD級の日常を温め直してくれる気がした。
向かいの席のサラリーマンが、スマホでDunCastの攻略LIVEを見ている。
爆発、歓声、15万人の熱狂。俺の231人とは、桁が三つも違う、遠い異世界。
ふとスマホを見ると、Twitterの通知が溢れていた。
トマ次郎の花の写真が拡散され、切り抜き動画の再生数は、いつの間にか50万回を超えている。
50万。
心臓が嫌な跳ね方をした。
231人なら、顔は見えずとも、コメントの向こうに「誰か」がいることを感じられた。毒舌キノコさん、GreenThumbさん、カンナ先輩。彼らは定位置に座っている「隣人」だ。
けれど、50万は違う。それはもう、ただの巨大で無機質な数字だ。
見えないものは、怖い。俺のようなD級の庭師を、あっという間に踏み潰してしまうほどの濁流だ。
俺はスマホを鞄に押し込んだ。
50万人の咆哮よりも、今はポケットにある一通の手紙の静寂を守りたかった。
見える人がいる。名前を呼んでくれる人がいる。
小さな画面で待ってくれている72歳のおばあさんのために、来週もまた、あの庭へ行こう。
それだけで、悪くない土曜日だった。
次話は明日7:00投稿予定です




