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第7話 常連席732円 帝国の玉座と一通の手紙

 月曜日。会社のエレベーターで同僚の山本さんに会った。経理部の。


「柏木くん、週末何してるの」


「庭いじりです」


「へえ。うちもベランダでトマト育ててるんだよね。いいよねトマト」


「いいですよね、トマト」


 ベランダのトマトとダンジョンのトマト。同じトマトだけど、たぶん全然違う。でもトマトが好きなのは同じだ。山本さんのベランダのトマトは、赤くなっているだろうか。


 †


 水曜日。昼休み。コンビニのおにぎりを食べながらスマホを見た。


 DunCastの通知。配信アーカイブの再生数。第6回が12,000回。じわじわ増えている。コメント欄にも知らないアカウントが増えた。「切り抜きから来ました」「ラベ四郎がんばれ」「管理局の件が気になる」。最近の配信は毎回アーカイブ再生数が前回を超える。じわじわ、じわじわ。雪が積もるみたいに。


 それと、もう一つ。DMが一通。


『つちのこ先生の配信をいつも拝見しております。突然のご連絡失礼いたします。ダンジョン管理局新宿支部気付で、お手紙を送らせていただきました。迷惑でしたらすみません。一視聴者より』


 手紙。管理局気付で。俺宛に。


 知らない人が、俺に手紙を書いた。DMではなく。紙に、ペンで。封筒に入れて、切手を貼って。


 不思議な気持ちだった。嬉しいのか怖いのか、わからない。DMならわかる。ボタンを押せば送れる。でも手紙は違う。便箋を買って、ペンを持って、封筒に入れて、切手を貼って、ポストに投函する。その手間のぶんだけ、気持ちが重い。


 †


 木曜日の夜。澤村さんからメッセージ。


『柏木さん宛のお手紙が届いてます。土曜に渡しますね。あと、トマ次郎がすごいことになってます。来てからのお楽しみ』


 トマ次郎がすごいことになっている。何だ。花が増えたのか。枯れてないだろうな。気になって眠れなかった。嘘だ。11時には寝た。疲れていたから。


 †


 土曜日。7回目。


 ゲートを通って、C-7に入った。


 トマ次郎を見た。


「……実がなってる」


 黄色い花の付け根。小さな緑色の球。直径7ミリくらい。ミニトマトの実。世界で初めてダンジョンの中で結実した果実。


 しゃがんで、目の高さを合わせた。緑色が濃い。通常のミニトマトの幼果より、ずっと深い緑だ。ダンジョン土壌の影響か、俺の魔力の影響か。わからない。わからないけど、きれいだ。


 触らなかった。まだ小さい。触ると落ちるかもしれない。写真だけ撮った。3枚。アップと全体と、バジ太郎と一緒に写っているやつ。


 バジ太郎。葉が12枚。もう数えるのが大変になってきた。茎も太い。1ヶ月半前の細い苗とは別物だ。根元が木質化し始めている。バジルが木になることはないけど、それに近い堅さがある。


 ミン三郎。壁を越えようとしている。また。懲りない。25センチの壁を30センチに補強した。魔力を使う。肩が重くなる。毎週これをやっている。ミン三郎との終わらない攻防戦。


 ラベ四郎。根付いたかどうか微妙。葉が1枚黄色くなっている。下のほうの古い葉。枯れかけているのか、環境に適応しているのか。新しい環境に移植された植物が古い葉を落とすことはある。エネルギーを集中させるために。でもダンジョン土壌での移植は前例がない。何が「普通」なのかわからない。


 手を当てた。土の状態を読む。pH7.2。問題ない。水分量も適正。何が悪いんだ。根は生きている。手のひらに伝わる微かな振動。バジ太郎ほど力強くはないけど、確かに根が呼吸している。


 EM値を測った。1.12。バジ太郎のエリアより高い。魔力濃度が高すぎるのか。ラベンダーにとって。バジ太郎やミン三郎は魔力を吸収して成長を加速させているように見える。でもラベ四郎は魔力に弱いのかもしれない。植物にも個性がある。


 配信で聞いてみよう。常連の知恵を借りる。


 †


 澤村さんが封筒を渡してくれた。白い封筒。手書きの宛名。「つちのこ先生」。切手が2枚貼ってある。消印は都内。差出人の名前はない。


「届いたとき、ちょっとびっくりしました。紙の手紙が来るなんて」


「俺も驚いてます」


「開けます?」


「配信の後にします。1人のときに読みたいので」


「わかります。じゃあ大切にしてください」


 澤村さんの笑顔が優しかった。管理局の職員なのに、俺の庭のことを自分のことみたいに喜んでくれる。C-7の管理担当になったのは偶然だろうけど、澤村さんでよかった。


 †


「第7回、ダンジョン庭いじり配信です」


「視聴者数、231人。ありがとうございます」


(Comments)

【常連A】231!

【gardenFan_03】200超えおめ!

【カンナ先輩】こんにちは!今日は薬効分析の話があります

【毒舌キノコ】今日も定位置から失礼する

【GreenThumb】Good evening. My usual seat, if you will.(こんばんは。いつもの席に失礼します)

【常連B】GreenThumbさんの「定位置」って何

【常連A】毎回バジ太郎の話のときにコメントするからバジ太郎の隣が定位置ってこと?

【毒舌キノコ】俺はミン三郎の壁の前だ。監視役


「常連の皆さんが自分の定位置を持ってるの、嬉しいです。GreenThumbさんがバジ太郎の隣で、毒舌キノコさんがミン三郎の壁。カンナ先輩さんは」


(Comments)

【カンナ先輩】私はトマ次郎の横がいいです。花を見ながら


「gardenFan_03さんは」


(Comments)

【gardenFan_03】俺はカケル親子の観察ポイントで。境界線のとこ

【常連A】俺とBはどこだ

【常連B】入口のとこでいいよ。受付

【常連A】受付www


「みんなに席がある庭って、いいな。6畳半だけど。6畳半に5つの席。贅沢だ」


(Comments)

【GreenThumb】Every garden needs its regulars. The plants don't change, but the viewers become part of the landscape.(どんな庭にも常連が必要です。植物は変わらないけど、視聴者が風景の一部になっていくんです)

【毒舌キノコ】視聴者が風景の一部。詩的だが正しい


「さて、今日のニュースです。トマ次郎に実がなりました」


(Comments)

【常連A】!!!

【常連B】まじ!?

【gardenFan_03】世界初のダンジョン結実!!

【カンナ先輩】見せてください!

【毒舌キノコ】ダンジョンでトマトが実をつけた。歴史的瞬間をこの目で見ている

【GreenThumb】Fruit set in a dungeon environment. This is unprecedented.(ダンジョン環境での結実。これは前例がありません)


「カメラ寄せますね。ここ。花の付け根の緑色の球。7ミリくらい。小さい。でも実です」


(Comments)

【カンナ先輩】きれいな緑色ですね。通常のミニトマトより色が濃い気がします

【毒舌キノコ】7ミリの実に200人が注目している。スケールのバグ

【GreenThumb】The color saturation is remarkable. The magical soil is producing something unique. Don't touch it yet — let it grow naturally.(色の彩度が驚異的です。魔力のある土が何か独自のものを作り出しています。まだ触らないで、自然に育ててください)


「GreenThumbさん、触りません。落ちたら泣く。248円の苗から世界初の実がなったんですよ。赤くなるまで見届けたい」


(Comments)

【常連A】赤くなったら食べる?

【gardenFan_03】食べるのもったいない

【毒舌キノコ】食べろ。トマトは食べるために実をつける。それが植物への敬意だ


「毒舌キノコさんが正論を言ってる。赤くなったら食べます。ダンジョン産のミニトマト、世界で最初の一口」


「次、問題のラベ四郎です。葉が1枚黄色くなってます。pHは7.2で適正のはず。水分も問題ない。でもEM値が1.12で、バジ太郎のエリアより高い。魔力濃度が高すぎるのかもしれない」


(Comments)

【カンナ先輩】EM1.12は確かに高いですね。ラベンダーは地中海原産で、痩せた土を好む植物です

【毒舌キノコ】……柏木。ラベンダーの土壌要件を整理する。聞け


「毒舌キノコさん?」


(Comments)

【毒舌キノコ】ラベンダーは弱アルカリ性を好む。これは合ってる。だが排水性が重要だ。ダンジョン土壌は魔力を含んで保水力が高い。根腐れのリスクがある。砂利を混ぜて排水層を作れ。お前の土壌操作ならできるだろう

【常連A】毒舌キノコさんの知識がガチ

【gardenFan_03】詳しすぎないか

【常連B】何者なんだ


「毒舌キノコさん、ありがとうございます。排水層か。やってみます」


 手を土に当てた。ラベ四郎の根元。土壌の構造を変える。表層の下、5センチのところに砂利状の層を作る。土壌操作で土の粒子を粗くする。水が下に抜けるように。


「こんな感じで……EM値も下げたい。魔力を一部引き抜けるかな」


 手のひらから逆方向に魔力を引いた。初めての操作。いつもは魔力を流し込むだけだった。引き抜くのは感覚が違う。冷たい。指先が痺れる。


「うわ、きつい。でもEM値が……1.03まで下がった」


(Comments)

【毒舌キノコ】魔力の引き抜き。新技だな。D級の小技がまた増えた

【GreenThumb】You just demonstrated bidirectional mana flow. That's not a D-rank skill.(今、双方向の魔力フローを実演しましたね。あれはD級のスキルじゃないですよ)

【カンナ先輩】すごい……逆方向の操作ができるんですね

【常連A】GreenThumbさんがD級じゃないって言ってる

【毒舌キノコ】D級の定義が揺らいでいる。いい傾向だ


「D級ですよ。認定証にそう書いてある」


(Comments)

【カンナ先輩】認定証の話が出るたびに「本当にD級なの?」ってなりますね

【毒舌キノコ】認定証は発行時のスナップショットだ。能力は成長する。認定が追いついていないだけかもしれん。そもそも管理局の測定器は「破壊エネルギー」しか測れない。土の組成を再構築する「密度」を測る指標がないんだよ。今のランク制度は、家を建てる大工を、金槌を振るう力が弱いからとクビにするようなもんだ


「毒舌キノコさん、それ怖いこと言ってません? でも確かに、測定器に映らないものは存在しないことにされる。俺はD級のままがいいんですけど。再評価とか勘弁してほしい」


「ラベ四郎、これで少し楽になるかな。来週また確認します。排水層と魔力引き抜き、どっちが効いたか見極めたい」


「あと今日、もう一つやりたいことがあって」


(Comments)

【常連B】何?

【gardenFan_03】新しい植物?


「植物じゃなくて。座れる場所を作りたい」


 セーフエリアの端、ラベ四郎の横。ダンジョンの岩が転がっている。拳大の石が何個か。前から気になっていた。


「この石を集めて、小さなベンチを作ります。土壌操作で土台を固めて、石を並べて」


 手を動かした。石を5つ集めた。平たいのを選ぶ。ダンジョンの岩は独特の質感がある。表面がざらざらしていて、薄紫がかった灰色。普通の岩とは違う。魔力を含んでいるからか、少し温かい。


 土壌操作で地面を固める。石を載せる。グラつかないように、土で接着する。座面の石は一番平たいやつを選んだ。お尻が痛くならないように。


「できた。……まあ、ベンチというか、石の台ですけど。座れます。高さ25センチ。座面の幅は40センチくらい。1人用です」


 座った。硬い。冷たい。でも座れる。


(Comments)

【常連A】椅子!

【常連B】庭にベンチがある!

【gardenFan_03】庭っぽさが一気に増した

【毒舌キノコ】座れる場所。庭の定義に「座る場所がある」を追加しろ

【カンナ先輩】ラベンダーの横にベンチ。プロヴァンスみたいです

【GreenThumb】A bench. Now it's truly a garden. A place to sit means a place to stay.(ベンチ。これでようやく本当の庭ですね。座る場所があるということは、そこにいていい場所ということ)


「GreenThumbさんの言う通りです。座る場所があるということは、ここにいていいということ。庭は通り過ぎる場所じゃなくて、座る場所。D級覚醒者が座っていい場所」


(Comments)

【毒舌キノコ】……いいことを言う

【常連A】泣くな

【gardenFan_03】俺もこの庭に座りたい


「あ、カケルとチビケルが来た。今日は遅かったな。チビケルが31センチになってる。先週28だったから。カケルより少し小さいくらいまで育った」


 バジルの葉を投げた。3枚。カケルとチビケルが同時に飛びついた。チビケルのほうが速かった。2枚取った。カケルが1枚。


(Comments)

【gardenFan_03】チビケルが勝った!

【常連A】世代交代か

【カンナ先輩】チビケルの成長速度、ダンジョンバジルの栄養効果かもしれません

【GreenThumb】The offspring is thriving on dungeon-grown basil. Another data point.(子供の個体がダンジョン産バジルで元気に育っています。また一つデータが増えましたね)


「カケルは怒ってないですね。チビケルが多く取っても、平気な顔してる。親って、そういうものなのかな」


(Comments)

【毒舌キノコ】……そういうものだ

【常連B】毒舌キノコさんの「……」が深い


「今日の配信はここまでです。来週も土曜、夕方5時に」


(Comments)

【常連A】来週も!

【カンナ先輩】ラベ四郎の経過が気になります

【毒舌キノコ】定位置は確保した。来週も来る

【GreenThumb】The garden now has a bench, a flower, a fruit, and a community. Not bad for 732 yen. See you next week.(庭にベンチ、花、実、そしてコミュニティができました。732円にしては悪くないですね。来週また)

【gardenFan_03】732円帝国の玉座www


「玉座。石の台ですけどね」


「おつかれさまでした」


 †


 配信を切った。239人。最大瞬間。


 ベンチに座ったまま、封筒を開けた。


 便箋。手書き。丁寧な字。少し震えている。年配の方だろうか。


『つちのこ先生。初めてお手紙を書きます。私は72歳の、庭が好きなおばあさんです。孫に教えてもらって、配信を見ています。スマホの画面が小さくて目が疲れますが、毎週土曜日を楽しみにしています。


 バジ太郎が育つのを見ていると、昔うちの庭でバジルを育てていたことを思い出します。主人が好きだったんです。バジルのパスタ。主人はもういませんが、バジ太郎を見ていると、あの頃の匂いがするような気がします。


 つちのこ先生の庭が、これからも元気でありますように。トマ次郎にお花が咲いたと聞きました。実がなるのを楽しみにしています。お体に気をつけて。』


 封筒を膝に置いた。


 薄紫の空を見上げた。魔力の粒が光っている。ダンジョンの星。


 72歳のおばあさん。孫にスマホを教えてもらって。小さな画面で。毎週。


 バジルのパスタが好きだった旦那さん。もういない人。バジ太郎を見て思い出す匂い。


 目頭が熱い。泣くな。配信は切ってある。誰も見ていない。でも泣くな。


 バジ太郎を見た。12枚葉。しっかりしている。1ヶ月半前の細い苗が、こんなに大きくなった。


 バジルのパスタ。俺も好きだ。母がたまに作ってくれた。でもうちのバジルはスーパーで買ったやつだった。庭で育てたバジルのパスタは、もっと美味しいんだろう。


「お前、誰かの記憶を呼び起こしてるんだな」


 バジ太郎は答えない。植物だから。風もない。ダンジョンの中には風がない。でも葉が少し揺れた気がした。魔力の流れか。気のせいか。どちらでもいい。揺れたことが大事だ。


 便箋の最後の行をもう1度読んだ。「お体に気をつけて」。72歳のおばあさんが、24歳の俺に「お体に気をつけて」。逆だろう。俺がおばあさんの体を心配すべきだ。スマホの画面が小さくて目が疲れると書いてあった。大きな画面のタブレットを送りたい。でも住所を知らない。管理局気付で手紙を出した人だから。


 手紙を丁寧に封筒に戻した。ジャケットの内ポケットに入れた。


 帰り道。中央線。手紙がポケットの中で温かい。気のせいだ。紙に体温はない。でも温かい。文字には体温がある。震えた字には72年分の人生がある。


 向かいの席に座ったサラリーマンが、スマホでDunCastを見ている。A級覚醒者の攻略配信。派手なエフェクト。爆発。視聴者数約15万人。俺の配信は239人。同じプラットフォームの、全然違う世界。


 スマホの通知。Twitterで「つちのこ先生」がトレンドに入りかけている。トマ次郎の実の写真が拡散されている。配信の切り抜き動画。トマ次郎の花が咲いた回のやつ。再生数が伸びている。


 切り抜き動画のサムネイルは、トマ次郎の黄色い花のアップだった。薄紫の空を背景に、小さな花が鮮やかに映っている。タイトルは「【世界初】D級覚醒者、ダンジョンで花を咲かせる」。俺がつけたタイトルじゃない。切り抜き職人の作品だ。


 再生数を確認した。


 50万回。


 50万。50万人が、D級覚醒者がダンジョンでトマトの花を咲かせる動画を見た。あの1センチの黄色い花を。


 スマホを閉じた。数字が大きすぎて実感がない。俺の配信は239人。239人の顔が見える。50万人の顔は見えない。


 見えないものは、怖い。


 でもポケットの手紙は温かい。見える人がいる。手紙を書いてくれる人がいる。72歳のおばあさんが、小さな画面で見てくれている。毒舌キノコさんがラベンダーの排水を教えてくれる。GreenThumbさんがトマ次郎の実を「unprecedented」と呼んでくれる。カンナ先輩さんが薬効分析をしてくれる。常連AとBが受付に座ってくれる。gardenFan_03がカケル親子を見守ってくれる。


 239人の顔は見えない。名前もハンドルネームだけだ。でも毎週同じ時間に、同じ場所に来てくれる人がいる。定位置を持っている人がいる。手紙を書いてくれる人がいる。


 50万人のことは、明日考える。今日は、手紙の温もりを持って帰る。

次話は明日7:00投稿予定です

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