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プロローグ:境界線の静寂

よろしくお願いします。


 ダンジョン出現から数十年。都市の地下、廃校、公園跡地などに亜空間への入口ゲートが開いている。


 日本国内だけでも数百、世界では数万のダンジョンが「日常の一部」として存在し、世界地図はダンジョンの所在地を中心に書き換わった。


† グリーンランド:氷点下40度 †


その日、人類は「世界の理」が物理的に引き裂かれる音を聞いた。


超特級ダンジョン――『ゼロ・グリーンランド』。

北緯七十度の永久凍土は、もはや“空間”そのものが壊死した終焉の地だった。


「……ダメね。これ以上の《断絶》は逆効果だわ」


世界ランク七位、レイチェル・アークライトは、ひび割れた結界の断片を見つめる。

氷河は灰色の砂に崩れ、沈黙のまま世界を喰らっていく。


世界ランク一位、ジェームズ・ホークの魔力でも、その侵蝕を僅かに遅らせることしかできなかった。

一度壊死した空間は二度と再生しない――それが覚醒者の定説だ。


「……もういい。引くぞ。これ以上は世界の『綻び』を広げるだけだ」


彼の声には、凍てついた理を前にした“敗北の静けさ”があった。

そして、その瞬間。


世界中のダンジョン計測器が、一斉に奇妙な波形を捉える。

地脈――地下深くを走る魔力の神経網が、かつてない逆位相の波を検知した。


テキサス、ロンドン、ソウル。各国のモニターが一瞬でホワイトアウト。

グリーンランドの悲鳴めいた空間音が、唐突に“消えた”。


「……音が、消えた?」


崩壊は止まっていない。だが、世界の中心から逆流する“静寂の波”が、ノイズを凍結させた。

死にかけた空間が、一瞬だけ――呼吸を取り戻した。


ジェームズは震える指でスマートフォンを取り出す。


動画配信プラットフォーム『DunCast』。

全通信が断たれた中、たった一つ、生き残ったライブ。


『わっすごい地震でしたね、聞こえますか? 安心してください、庭は無事でした』


新宿。ダンジョンの片隅。

ジャージ姿の青年がのんびりと頭を下げる。


次の瞬間、世界中の計測器が異常値を叩き出した。


【空間振動値:0.00】


「……嘘だろ」


世界最強の魔術師が血を吐くように笑った。

自分たちが命を削っても得られなかった“空間の安らぎ”を、地球の裏側で――一人の男が732円で生み出している。


『あ、GreenThumbさん、え、苗代として150万円!? 桁間違えてますよたぶん、え、どうしよう?』


ジェームズは氷原に血混じりの唾を吐き、笑った。


今、世界の視線がすべて“彼”に向かっている。

韓国の天才がその波形を解析し、イギリスの情報部が正体を追い、そしてアメリカの王が――その庭へ向かう決意を固めた。


人類最後の希望が、いま新宿の片隅で芽吹いた。



† ソウル:管理局管制室 †


「――警告! 空間振動値、計測不能! サーバーが落ちます!」


世界ランク三位、ユン・ソヒはガムを噛みながらその叫びを聞き流す。

その瞳にはモニターのノイズではなく、世界の“座標データ”が映っていた。


「……違う。バグじゃない」


彼女の視界で暴走する座標群が、一瞬だけ“純白”に上書きされた。


「全世界一斉にノイズが消失? ……これ、チートどころか運営の強制介入じゃない」


彼女は無表情で、ジャージ姿の男――通称『つちのこ』をロックオンした。


「やっぱり。――この人、世界を《修正デバッグ》してる」



† ロンドン:MI6分室 †


「レイチェルからの信号が途絶しました! グリーンランドは崩壊圏内です!」


混乱する分析官たちの中、初老の官僚がモニターを指差す。

「待て。今の『波』は何だ」


ロンドン塔地下の不安定領域。

何世紀も鳴り止まなかった“空間の軋み”が、新宿の庭でバジルが土に触れたその瞬間、止まった。

時間にしてわずか0.5秒。

だがその刹那、英国の魔力貯蔵庫が未曾有の純度で再充填された。


「発信源は日本……新宿か。直ちに現地評価官を動かせ」


官僚の目が細められる。

「これは覚醒者ではない。我々の“物理法則”を書き換える特異点シンギュラリティだ」



† イタリア:トスカーナ/元研究員宅 †


古びた本棚に囲まれた一室。老人は震える手でタブレットを見つめていた。

かつて世界崩壊理論を唱え、笑われて去った男だ。


「……来たか。ついに」


画面では、青年が不器用にバジルの苗を叩いている。


「暴力の時代は終わりだ。……お前が植えたのはただの植物じゃない。この死にゆく惑星への『縫い目』だ」


老人は埃まみれの研究ノートを再び手に取る。


「さて。この『つちのこ』君を――どうやって世界から守ろうか」

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