第10話 保護という名の隔離
翌朝、空はやけに澄んでいた。
雲ひとつない青空。
風もなく、鳥の声だけが遠くで響いている。
(……皮肉だな)
こんな日に限って、世界は残酷に静かだ。
母は、いつもより早く起きていた。
台所で何かを煮ている音が、規則正しく続く。
父は、剣を手入れしている。
だが、今日は刃を確かめる指が、やけに慎重だった。
(覚悟を固める時の動きだ)
俺は、揺りかごの中で天井を見つめる。
外部観測:断続的
監視主体:複数
距離:中
(まだ村の外……だが、近い)
しばらくして、戸を叩く音がした。
――三回。
ためらいのない、事務的な音。
父と母が、視線を交わす。
父が立ち上がり、戸を開けた。
「失礼する」
昨日の男だ。
王都魔術監査局。
今日は、昨日よりも人が多い。
二人、いや三人か。
(人数が増えた=判断が進んだ)
「……何の用だ」
父の声は低い。
男は穏やかな口調を崩さない。
「本日は“確認”ではありません」
「“措置”の説明に参りました」
母の肩が、わずかに震えた。
(来たな)
キーワード検出:
措置
意味解析:移送・管理下移動
「子どもは、まだ――」
「承知しています」
男は、母の言葉を遮らない。
だが、止まる気もない。
「この村で育てるには、あまりにもリスクが高い」
「異常がない“今のうちに”環境を整えるべきです」
(“今のうちに”)
(便利な言葉だな)
父が、一歩前に出る。
「それは、引き離すということか」
男は、一瞬だけ黙った。
そして、はっきりと答えた。
「結果的には、そうなります」
母が、俺を抱きしめる。
心臓の音が、伝わってくる。
(……落ち着け)
ここで取り乱せば、
相手に「正しさ」を与える。
推奨行動:
感情沈静
秘匿維持
(理屈は分かってる)
だが。
父は、剣の柄から手を離した。
「……条件は」
その一言に、男の表情がわずかに変わる。
「我々は、あくまで“保護”を提案しています」
「暴力的な手段は、望んでいません」
(つまり、拒否すれば次は違う手段)
父も、それを理解したようだった。
長い沈黙。
やがて、父は息を吐いた。
「……一晩、考える時間をくれ」
男は、少しだけ驚いた顔をしたが、頷いた。
「明日の朝までです」
「それ以上は、保証できません」
彼らが去ると、
家の中に、重い空気が残った。
母は、何も言わず、俺を抱いている。
父は、窓の外を見つめたまま、動かない。
(……決まったな)
将来予測:
環境変更:確定的
回避可能性:極低
逃げる選択肢は、ない。
戦う選択肢は、論外。
そして――
選ぶ権利は、俺にはない。
その事実が、
胸の奥を、静かに焼いた。
(だからこそ……)
(次は、奪われる前に奪う)
俺は、ゆっくりとパネルを開く。
編集可能範囲:
自己定義
役割文言
(……まだ、できることはある)
泣かない。
騒がない。
今はまだ、
“守られる側”でいるしかない。
だが――
(次に選ぶのは、俺だ)
母の腕の中で、
俺は小さく目を閉じた。
家の外では、
何も知らない村の日常が、今日も続いている。
その平穏が、
どれほど脆いものかを――
俺だけが、知っていた。
夜は、思ったよりも短かった。
目を閉じていたはずなのに、
気づけば窓の外が、白み始めている。
母は、一睡もしていなかった。
小さな荷袋を用意し、
何度も中身を確かめ、
また入れ直す。
必要なものは、もう分かっているはずなのに。
(手が、止まらない)
父は、剣を帯びていなかった。
代わりに、外套だけを羽織っている。
それだけで、十分だった。
(戦うつもりは、ない)
戸を叩く音がした。
昨日と同じ。
ためらいのない、三回。
母の肩が、びくりと跳ねる。
父は、静かに戸を開けた。
男たちは、もう準備を終えていた。
馬車も、家の前に停められている。
「……おはようございます」
男は、礼儀正しく頭を下げる。
まるで、
これが正しい朝であるかのように。
母は、俺を強く抱いた。
力が入っているのに、
抱き方は、いつもと変わらない。
(……上手だな)
泣いていない。
声も震えていない。
それが、余計につらい。
「……少し、時間をください」
父の言葉に、男は頷いた。
「十分ほどで」
家の中。
母は、俺の額に額を寄せた。
息が、かかる。
「……レオン」
名前を呼ばれる。
それだけで、
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
(言うな)
(それ以上、何も言うな)
母は、何かを言いかけて、
結局、言葉を飲み込んだ。
代わりに、
俺の手を、両手で包む。
(……ああ)
父が、俺の前に膝をついた。
視線の高さが、近づく。
「……すまない」
それは、謝罪だった。
守れなかったことへの。
選ばせてしまったことへの。
(違う)
(謝る必要なんて、ない)
でも、
俺は首を振ることすらできない。
意思伝達:
言語:不可
非言語:不十分
(……間に合わなかった)
戸の外から、声がした。
「……時間です」
母が、息を吸う。
そして、ゆっくりと――
俺を、父に渡した。
父は、一瞬だけ、強く抱きしめる。
それから、
男に差し出した。
世界が、遠くなる。
腕が、離れる。
その瞬間。
――視界の端に、
小さな影が映った。
「……レオン」
ミアだ。
家の陰に立っている。
誰に言われたわけでもない。
ただ、そこにいた。
俺は、彼女を見る。
ミアは、唇を噛んで、
それから、小さく手を振った。
(……)
俺は、瞬きを一度だけする。
――約束の合図。
ミアは、それを見て、
泣かなかった。
ただ、
その場に立ち尽くしている。
馬車に乗せられる。
扉が、閉まる。
外の音が、布越しになる。
環境変更:
完了
馬が動き出す。
村の道を、
ゆっくりと進む。
揺れの中で、
俺は天井を見つめた。
(……行くのか)
(ここから)
パネルが、静かに表示される。
保護者:解除
現在環境:管理下
役割候補:
・観測対象
・管理資源
胸の奥に、
何かが沈んでいく。
それでも――
(覚えている)
母の手の温度。
父の声。
ミアの目。
(全部、忘れない)
馬車は、村を抜けた。
振り返ることは、できない。
だが――
ここから先は、もう戻らない。
それだけは、はっきりと分かっていた。
静かな揺れの中で、
俺は、小さく息を吐く。
(……次は)
(俺が、選ぶ番だ)
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