長い夢の終わり
機械の音だけが鳴り響く研究室の中、二人はそれぞれ与えられた使命を全うしていた。
私は世界を終わらせる準備を、アリシアは私の補佐を。
今にも壊れそうな私を、アリシアは支えてくれた。
どうして私が一人になったのか、その経緯も思い出した。
白くまぶしい光に包み込まれ、私の意識は今の世界に戻ってきた。
あまりに眩しい光に瞑っていた目を、ゆっくり開けるとそこにはいつもの面影があった。
「おかえりなさい、ハジメさん」
目を覚ますのを待っていたかのように、アリシアが私を見下ろしながら言った。
私はどうやら気を失っていたらしい。
視線を窓の方へ向けると、外はすっかり暗くなっていた。
暗く冷たい記憶を思い出しながらも、心は少しだけ穏やかだった。
なぜなら目を覚ました私の左手には、程よい締め付ける感覚があったからだ。
「ただいま、アリシア」
私は窓の方から視線を彼女の方に戻して、返事をした。
きっと夢ではないのだろう――
過去の私から託されたものも、アリシアの存在も。
私はアリシアの膝の上から頭をあげて、起き上がった。
「重くなかったか? アリシア」
ずっと同じ姿勢のまま、待っていてくれたであろう彼女を私は気遣う。
「大丈夫ですよ。ハジメさん」
彼女は可愛らしいいつもの笑顔で答えた。
この笑顔に、また癒される。
過去の記憶をある程度思い出したが、まだ混乱していた。
何を選択しなければいけないのか、重要な部分にはまだ霧がかかっていた。
どうして思い出せないのだろうか……
虚空を掴むような気持ちが胸の中で渦巻いていた。
そんな私の胸中を悟ってか、彼女は昔話をするかのように語り始めた。
「研究室の中には、たくさんの人達がいたんです。でも、一人……また一人といなくなってしまいました。その中で最後まで残ったのが、ハジメさんでした」
続けてアリシアは言った。
「私はその様子をずっと見続けていました。だから、ハジメさんの孤独は理解しているつもりです」
その内容は、私の思い出した記憶と相違なかった。
人工知能《AI》の研究所。
それが私の勤務先で、最初はたくさんの同僚がいた。
しかし、日が経つごとにその人数は少なくなっていった。
理由は単純だった。
人間は人工知能《AI》を発明して、その機能を高めた。
たくさんの情報を取り込んだ人工知能《AI》は、どんどん進化していった。
私も進化には前向きだったし、良いものだと信じていた。
しかし、それと反比例するように徐々に人間はすることが無くなった。
やることのなくなった人間は何をするか……
法を守りながら、理性よりも本能に従って行動するようになった。
つまり、より快楽に忠実に生きるようになっていったのだ。
出来る限りつらいことや面倒なことを避け、楽なことや面白いことを求めていった。
その結果が、電脳世界へのフルダイブ――
テストプレイで電脳世界へのフルダイブの安全性が実証されてからは早かった。
僅か十数年でほとんどの人間は電脳世界へ旅立ち、その中で幸福で快適な人生を送っている。
この研究所のメンバーが集まったときには、電脳世界に入っていない人間は残り数百人というところまで来ていた。
家族や友達のいないこの世界で人間らしく生きていくよりも、電脳世界に入って家族や友人と再会して不自由ない生活を送る方が、条件がいいに決まっていた。
そんな状況下での作業はもちろんうまくいくはずもなく、メンバーはどんどん電脳世界へとダイブしていき、最後に残ったのが私……という訳だ。
「アリシア、私は孤独なんかじゃなかったよ」
私は、左手の指輪を眺めながら独り言のように話す。
アリシアは返事をせず、私を見ている。
「たしかに最後に取り残されたときはどうしようかと思ったけど、その後アリシアがずっと一緒にいてくれたから」
私の心は、感謝の気持ちでいっぱいだった。
その言葉を聞いてアリシアは
「それは……わたしの役割ですから」
と、少しだけ申し訳なさそうな表情で言った。
そんな表情を見せられて私は、居ても立っても居られなかった。
言葉よりも先に体が動いて、次の瞬間には私は彼女を抱きしめていた。
「それはもう、関係ないんだ」
私の内側から湧いてくる言葉。
私にとって大切なのはアリシアであって、他の誰でもない。
人間かAIかどうかは関係なく、私はアリシアがいいのだ。
彼女の体が少し震えている――
一体どんな気持ちだっただろうか。
研究室で最後の仕事を終えた後、私も電脳世界に入った。
その後、記憶が無い私と百年もの間寄り添ってくれたアリシア。
全く記憶を思い出す気配の無い私に腹が立っていたに違いない。
それか、もしかしたらあきれられていたかもしれない。
あぁ、こんな時間がもっと長く続けばいいのにな……
愛おしい彼女を抱きしめたまま、私はこの時間の結末を悟っていた。
「ハジメさん」
アリシアが私の腕の中から声を出す。
「わかっているよ、アリシア。そろそろ時間なんだろう?」
私は、彼女の問いを聞かずとも分かっていた。
「はい……」
声を震わせながら彼女は返事をする。
私の心臓が力強く脈を打っている。
この振動はアリシアにも届いているかな。
せっかく心に灯った灯りは、黒い小さな渦によって飲み込まれていくようだった。
電脳世界の時間も無限ではない――
人工知能《AI》の発達によって肉体や脳の培養は可能となったが、脳の不死化をすることは叶わなかった。
電脳世界での寿命二百年というのは、現実世界での脳の寿命のことである。
そして私にもその寿命が来ている……
今まで私の頭の中にかかっていた霧がゆっくりと晴れていった。
「アリシア、今まで本当にありがとう」
私は彼女にかけるふさわしい言葉がわからなかった。
今まで私のそばで、私を支えてくれた感謝。
彼女の私に向けられた笑顔。
歩幅を合わせて一緒に歩いてくれた優しさ。
そして、大切な彼女に対して何もしてあげられなかった無力感。
全てがぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
でも今は、もうそれらは何も意味を持たない。
ただただ渦に飲み込まれていく――
「ハジメさん。私も幸せでしたよ」
アリシアは私の肩を押して腕の中から抜け出し、私の目を見つめながら言った。
――私の心臓が限界まで高鳴った。
「よかった……」
声を震わせながら私は返事をした。
「もう、決めましたか?」
アリシアは私に最後の質問をする。
「あぁ……ちゃんと、選択してくるから」
そう言うと、私の意識は静かな闇の中に飲み込まれいくのであった。




