断罪された日から元婚約者の背後に『見えないもの』が見えるようになりました
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王宮の大広間は眩しいほど豪奢だった。
星屑のように煌めくシャンデリア、磨き抜かれた大理石の床、金糸で縫われたカーテン。弦楽が流れ、貴族たちの笑い声が満ちている。
だが、その視線は皆、私にだけ冷たかった。
――今から私は断罪されるからだ。
「イリス・アルティア伯爵令嬢! 貴様のフィーナに対する悪行の数々、もはや見過ごせぬ!」
王太子カイン殿下が高らかに宣言した。
怒りを宿した目、やけに完璧な台詞回し。
(予定通り、これで私は悪役令嬢として追放され、辺境へ行けますわね。ようやく最高の隠居ライフが送れますわ)
私は完全に準備していた。
高慢に笑って捨て台詞を吐く練習もしてきた。完璧に追放されてこそ自由が手に入るのだから。
だが、予想もしない事が起こった。
――見えてしまったのだ。
カイン殿下の背後に、黒煙のような人影を。
人の形をしているが、人ではない。歪んだ顔、ねじれた口元、憎悪、嫉妬、破滅の感情が混ざり合って渦巻く謎の存在を。
それは殿下の肩に爪を食い込ませ、まるで断罪を楽しむかのように、にたりと笑った。
「ひいっ……!」
台詞も全部飛んだ。あれは見てはいけないもの。
「イリス、今さら何だと言うのだ」
殿下は眉をひそめるが、当然彼には見えていない。
「殿下のう、後ろに……」
「後ろだと? 何もないが?」
違う。いるのだ。殿下を喰らい尽くす何かが。
影の腕が殿下の首に絡みつこうとした瞬間、私は限界を迎え、気絶した。
――この瞬間、私の静かな辺境生活計画は粉々に砕け散った。
◇
辺境の別邸。
本来ならここから自由な第二の人生が始まるはずだった。しかし屋敷に着いて三日の間に、私は悟った。
あの日以来、世界が見えすぎるのだ。
廊下の角でうずくまる顔のない女。
鏡の奥で笑う誰か。
私の後ろを這う黒い腕。
あの日の断罪の衝撃で何かが覚醒した。このままでは静かな隠居どころか、精神が先に砕けてしまう。
そしてとどめに、最悪の来訪者が現れた。
「久しいな、イリス」
「カイン殿下!? なぜ、ここに……?」
王太子が護衛も伴わず突然訪れたのだ。
「断罪の日以来、奇妙な現象に悩まされていてな。声が聞こえる、物が勝手に動く、眠れぬ夜が続く。原因は貴様だ。よって、貴様の傍にいれば対処できると判断し、今日から貴様と同居する」
殿下はそう言って、私の屋敷に同居することを告げた。そして殿下の背後には、あの『影』がより濃く見える。
影はギシギシと音を立てながら、不気味に笑っていた。
◇
同居生活初日。
殿下は当然のように屋敷の主寝室を陣取り、私は隣の客間に追いやられた。
しかし王族でありながら、まるで『呪いの研究者』のように私の生活すべてを観察してくるようになった。
私はパンを噛みしめながら、殿下を睨む。
「なぜ殿下が私の食卓に?」
「観察のためだ。僕の現象の原因を突き止める」
殿下はそう言いながら革張りの手帳を取り出した。
『異常現象観察記録、被験者:イリス・アルティア』。
「勝手に被験者にしないでくださいません?」
「異常現象が毎晩起きるのだ。書くしかないだろう」
見事なほど勝手だ。
私は黙ってハーブティーを飲む。だが茶の表面に顔が浮かび上がり、にたりと口を開いた。
「っ!」
即座にカップを置く。
「今、驚いたな? 何が見えた? 書くぞ」
「何も見えておりませんわ」
私はうんざりした声で言った。
「ところで昨夜、屋敷の外を誰か歩いていなかったか?」
「いえ、そのようなことはないかと、ですが……」
「ですが?」
「窓からは誰も見かけませんでしたが、足音は聞こえたかもしれませんわ」
「ふむ……やはり僕の見立ては正しかったようだな」
「見立て、とは?」
「貴様には何かが見えているのだろう? 僕には分かる」
(勘だけは鋭いのですね)
「まあ観察に同意しないのであれば僕の症状も治らない。協力しなければ、この屋敷がどうなっても知らんがな」
「脅迫ではありませんこと?」
昨夜から殿下の背後にいる『影』は、ずっとそこにいる。ぼんやりと黒煙のような形をとり、殿下の耳元に何かを囁くように動いている。
「殿下」
「なんだ?」
「その『呪いの観察記録』ですが、殿下の背後も書き足した方がいいと思いますわ」
「背後だと?」
「いえ、何でもありませんわ」
私はそう言いながらハーブティーを一口飲む。
――おかしい。本来、温かいはずのハーブティーの表面で茶葉が不自然に渦を巻いている。観察していると、そこに人の顔が浮かび上がり、にたりと笑った。
「……っ!」
私は思わず身を引く。
殿下が顔を上げ、眉を寄せる。
「急にどうした?」
「いえ、なんでもありませんわ」
認めたら最後。『それ』は調子に乗って増長するはず。私はカップをそっと伏せる。しかし殿下は、すかさず手帳を開いてメモを走らせていた。
「朝食中に異常を察知し、目を逸らす行動か……」
「殿下、お願いですから書かないでいただけます?」
「これは重要な調査だ。拒否権はない」
殿下は真剣だ。本気で呪い調査をするつもりらしい。だが問題はそこではない。殿下の背後で影がこちらを睨みつけているのだ。
ギギギ……。
追放され、静かな辺境生活を送るはずが、よりによって殿下と同居する(背後霊付き)
なんという地獄か。
◇
その日の午後。
私は殿下を連れて別邸の庭園を歩いていた。殿下は『私の生活環境を調べる』という名目で、どこへでもついてくる。
「この庭は貴様が管理しているのか?」
「ええ、一応」
「綺麗に手入れされているな。王宮の庭より落ち着く」
殿下はそう言い、草花をじっと眺める。王都にいた頃と違い、表情がどこか柔らかい……が、私には殿下の後ろの『それ』が、花を踏み潰すようにうろついているのが見えている。
(ちょっと、やめなさい! そこは私が育て始めた所ですのよ!)
その時、影は私の心を読んだのか、わざとらしく花弁をつまみ潰し――ギギッ、と殿下の耳元に囁いた。
殿下が眉を寄せる。
「……まただ。耳元で声がしたぞ」
「そうでしょうね」
私はそっと距離を取る。影が殿下に近づけば近づくほど、殿下の表情は険しくなる。
「この声は一体なんなんだ? あの日の断罪以来、僕は寝ても覚めても耳元で囁かれ続けている。まるで僕を不安にさせ、怒らせ、狂わせるような……そんな声だ」
殿下はそう言いながら額に手を当て、深く息を吐いた。
「……イリス、貴様なら説明できるのではないか? あの日を境に僕は明らかに何かに取り憑かれている。誰もいない部屋で女の泣き声が響き、眠れば首を絞められる感覚で目が覚める。王宮の神官も祈祷師もお手上げだ」
「そうでしょうね。殿下、その声は女の声でしょう?」
「……なぜ分かる」
「泣きながら、殿下の名を呼ぶ。どうして私を選んでくれなかったの、と」
その時、影が嬉しそうに笑った。
「……何を知っている」
「殿下こそ、何人泣かせてきたのです?」
「泣かせてきただと……?」
「王太子妃候補を選抜するという名目で何十人もの令嬢を期待させ、最後には合わないと突き放してきたでしょう」
殿下は驚愕した表情で目を見開くと、影が殿下の肩を抱き、首に顔を寄せた。
あなたのせいで壊れた子もいたのに……
殿下が耳を押さえ、跪きそうになる。
「やめろ! その声は……!」
「殿下が聞いている声は、殿下が忘れてきた者たちの声ですわ」
「忘れた……? 僕が?」
「ええ、影の正体は殿下がこれまで無自覚に壊した令嬢たちの怨念。断罪されたのは私ですが、本当に裁かれているのは殿下の方ですわね?」
影が嬉しそうに私を見る。
――そう、裁かれるのは殿下。
「ふざけるな……! 僕は悪くない! 彼女たちが勝手に──」
「勝手に傷ついた? 殿下の気まぐれ一つで人生が変わったのですよ?」
影が殿下の頭を掴み、まるで「黙れ」と言うように押さえつけた。
ギギ……
「ぐッ……!?」
殿下は苦悶の声を漏らし、地面に膝をつく。
私は静かに見下ろす。
「殿下、あなたが私を断罪したあの日、彼女たちの声は引き金を引かれたのですよ。また女の人生を壊すのか、と。殿下の中に積み上がっていた負の感情が凝縮し、形になった。それが影の正体ですわ」
殿下は地面に手をつき、震えていた。
「イリス……たす……け……」
影が殿下の首を締めるように腕を回す。
私は冷ややかに言う。
「お断りしますわ。私を断罪したのは殿下ですもの」
影が私へ視線を向ける。その表情は感謝しているように見える。私はゆっくりと踵を返すと、背後で殿下の悲鳴が響き、影が楽しげに笑っていた。
「殿下、本当の地獄はこれからですわよ」
〜完〜
お読みいただきありがとうございました!
初の悪役令嬢微ホラーざまぁ作品でした♪
他にも↓投稿してますので、ぜひ見てくださいませ。
【連載版】完璧な婚約者ですか? そんな人より私は地味な従者を愛しています
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長編も執筆中でございますので、是非ブックマークや↓【★★★★★】の評価をお恵みくださいませ!
それではまた( ´∀`)ノ




