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42歳のすみかは庭になりました  作者:
第2部 第1章「新たなる旅立ち」

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感謝祭の開催:温もりのピザと旅立ちの誓い

 夜、佐藤家の庭は、オレンジ色の温かい光に包まれていた。


 咲が企画した「感謝祭」、すなわちピザ窯パーティーの夜だ。

 手間暇かけて火を入れたピザ窯の口からは、パチパチという薪の爆ぜる音と、香ばしい煙が立ち上り、晩春の冷たい空気を優しく温めていた。


 庭には家族である陽介、美和、翔に加え、咲の親友であるマキとユイが集まっていた。

 シンプルなキャンドルと、咲が摘んだ野花のアレンジメントが、手作りの温かさを醸し出している。


 咲は、今日自分が主役であることを忘れたかのように、エプロンを締め、テキパキとホストとして動き回っていた。

 彼女の顔には、もう旅立ちへの不安はない。あるのは、この場所で育まれた全ての人への感謝と、その気持ちを分かち合う喜びだけだった。


「よし、火の調整は完璧だ。今日の火は、とても素直で制御しやすいな」


 陽介が、ピザ窯の火の様子を見て、満足そうに言った。

 咲は、生地と具材の準備を整えながら、友人たちに微笑みかけた。


「ようこそ。今日は、旅立ち前の温かい集いです。皆さん、手伝ってね」


 マキが目を輝かせた。


「ピザ窯って、やっぱり迫力満点! 私、生地を伸ばすの、手伝うよ!」


 ユイは冷静に、だが熱意を込めて言った。


「私はトッピングを担当するよ。効率は悪いかもしれないけど、みんなで一緒に作るのが、このパーティーの醍醐味だよね」



---



 パーティーは、皆が協力してピザを焼くという、「共同創造」の形で進行した。


 咲が考えたメニューは、佐藤家の哲学と愛情が詰まっていた。


 まず焼き始めたのは、「お母さん特製ハーブピザ」。

 美和が庭で育てたローズマリーとバジルがたっぷりと使われている。


「このハーブの香りがね、本当に心を落ち着かせてくれるのよ」


 美和は、ハーブを乗せる咲の手元を見ながら言った。


「電気オーブンで焼くと、香りが飛んでしまうけれど、ピザ窯の火で一気に焼くと、香りがぎゅっと閉じ込められる。

 時間をかけたものの価値は、最後の瞬間で爆発するのよ」


 陽介は、火のそばで、その言葉に深く頷いた。彼は、仕事で「余白の哲学」が認められたばかりだ。


「美和の言う通りだ。

 火の制御は、一見非効率で難しい。でも、焦って火力を上げようとすると、全部焦がしてしまう。人生も、仕事も同じ。焦らず、適切な『余白』と『時間』を与えることが、最高の成果に繋がる」


 陽介は、友人たちに、ピザ窯を作る過程で直面した困難や、その経験が、いかに彼のビジネス戦略に活かされたかを語った。

 彼の言葉は、マキやユイといった若い世代に、「効率だけが正義ではない」という、新しい価値観を静かに伝えた。



---



 次に挑戦したのは、「お父さんの哲学ピザ」。自家製ドライトマトやハーブソーセージといった、手間のかかる食材が使われた、味わいの深いピザだ。

「これ、手間がすごいかかってるでしょうね!」


 マキが、ドライトマトの深い赤色を見て感嘆した。


「ええ。手間と時間をかけることが、一番美味しいという信念が詰まってるの」


 咲は笑いながら、焼き加減をチェックする。

 そして、最も賑やかだったのが、「友達との思い出ピザ」だった。マキとユイが持ち寄った、それぞれが好きな具材が、何の規則性もなくトッピングされていく。


「マキちゃん、そこにタコは載せないでよ! ユイちゃんのベーコンと合わない!」


 翔が、思わず口を挟んだ。

 すると咲が笑って翔を制した。


「いいの、お兄ちゃん。

 このピザは、『多様性の調和』がテーマなんだから。形や味がバラバラでも、一つの窯で焼けば、温かいピザになる。それが、共同生活で一番大事なことなんだよ」


 咲の言葉は、まるで美和から受け継いだ教訓を、兄に伝えているかのようだった。


 翔は、照れながらも、ユイが持ってきたチーズの追加を手伝った。

 普段、妹や親と衝突ばかりしている翔が、友人たちの前で「協調性」を発揮している姿に、陽介と美和は、静かに目を細めた。

 翔もまた、妹の巣立ちを前に、大人としての責任感を学び始めているのだ。


 ピザ窯の温もりの中で、皆が笑い、語り合う。庭に響く、この笑い声こそが、咲が求めた最高の「感謝の旋律」だった。



---



 ピザを焼き終わり、食事が一段落した頃、咲は皆に、翔からの餞別について話した。


「実はね、うちの兄、私が寮に行くって知って、こっそり荷物にこれを忍ばせていたの」


 咲が取り出したのは、ラベンダーの栽培キットと、手書きのメッセージカードだった。

 咲は、皆の前でメッセージを読み上げた。


「『寂しくなったら、このハーブの香りを嗅いで。変なこと考えんなよ。たまには連絡しろ。兄より』だって!」


 マキとユイは、翔の不器用な優しさに、思わず声を上げて笑った。


「お兄さんらしいね! 本当に、心配してるんだよ」


 マキが言った。

 翔は、真っ赤になって、空を見上げる。


「うるさい! ただ、あいつが寮で暇しないように、非効率な遊びを提案してやっただけだ!」


 美和は、そんな息子の姿を見て、静かに微笑んだ。


「翔も、この庭で、愛情というものは、効率的な表現だけではないということを学んだのね」


 そして、美和は、咲と友人たちに向け、静かに語り始めた。


「咲が旅立つのは、とても寂しいけれど、私は、咲がこの庭で学んだ『非効率な温かさ』を、新しい共同体にも持って行ってくれると信じているわ」


 美和は、炎を見つめながら続けた。


「このピザ窯の火と同じよ。一度火を灯せば、簡単に消えない。

 この庭は、陽介さんが火を灯し、私が温めてきた。だから、この庭は、常にあなたたちの『帰る場所』として、温かい火を灯し続けているわ。

 疲れたらいつでも帰ってきて。この火は、私たち家族と、あなたたち親友たちの心の繋がりを、決して忘れないから」


 美和の言葉は、その場にいる全員の心に、深く染み渡った。


 マキとユイは、咲の挑戦を心から応援し、力強い言葉を贈った。


「咲、あんたなら大丈夫だよ。あの寮生活だって、きっとあんたの『余白の哲学』で、最高の場所に変えられる!」


 マキが熱く言った。

 ユイも、そっと咲の手を握った。


「たまには、写真とか、寮生活の愚痴とか、遠慮なく連絡してきて。手紙も書くよ」


 別れの挨拶は、涙ぐましいものではなかった。

 それは、再会を誓う温かい握手のような、希望に満ちたものだった。


 咲の決意を知っている友人たちは、湿っぽく別れを惜しむよりも、彼女の背中を力強く押すことを選んだのだ。


 友人たちを見送った後、家族も家の中へと戻っていった。


 陽介と美和は、静かに片付けを始めた。使った食器を運び、テーブルを拭き、そして、ピザ窯の残り火を消し始める。


「いいパーティーだったね、美和」


 陽介が、静かに言った。


「ええ。咲が、私たちから受け取ったものを、きちんと周りの人にも渡すことができる、立派な娘に育ったって、実感できたわ」


 美和の目に、かすかに涙が滲んでいたが、すぐに拭い去った。


 全てが片付けられ、庭には、ピザ窯の鎮火する音だけが響き渡る、深い静寂が戻った。


 咲は、二階の自室の窓辺に立ち、その光景を静かに見つめていた。


(この温かさ、この香り、この静寂。全てを連れて行く)


 旅立ちを前にした最後の夜。

 咲は、コートを羽織り、家族には告げず、一人、庭へと降りていく。

 彼女は、この庭で、未来への誓いを立てる準備をしていた。

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