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42歳のすみかは庭になりました  作者:
第2部 第1章「新たなる旅立ち」

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感謝祭の準備:旅立ち前の温かい集い

 寮への旅立ちまで、残された時間はあと一日だった。


 佐藤家の長女、咲は、自室の窓辺に立ち、夕焼けに染まる庭を眺めていた。

 その手には、母の美和が持たせてくれた「生活の知恵」を記した手書きのメモと、兄の翔が不器用ながらも贈ってくれた、ラベンダーの栽培キットがあった。


 美和の言葉は、「孤独になった時、自分のための余白を作りなさい」という、人生における最も本質的な教訓だった。

 そして、翔のぶっきらぼうなメッセージには、言葉以上に強い「心配と愛情」が込められていた。


 咲の心は、家族が彼女の旅立ちを、どれほど真剣に、そして温かく見守ってくれているのかを痛感し、深い感謝の念に満たされていた。


(私は、この庭と、この家で、たくさんの「非効率な温もり」を分けてもらったんだ)


 父の陽介が、仕事の効率を捨ててまで打ち込んだ庭づくり。

 母が、便利な家電に頼らず、手作業で愛情を込めた料理。

 兄が、不器用ながらも心を込めて選んでくれた贈り物。


 それら全てが、彼女が選んだ「困難な挑戦」を支える、揺るぎない土台となっていた。


 咲は、この温もりを、旅立つ前に、目に見える形で、家族と、そしていつも支えてくれた親友たちに返したいと強く思った。


「この家と庭で育まれた温かさを、みんなで分かち合える、最後の時間にしたい」


 彼女は、そう決意した。



---



 咲が思いついたのは、ピザ窯パーティーの開催だった。


 陽介が、手間暇かけてDIYしたピザ窯は、佐藤家の「余白の哲学」の象徴だった。

 それは、単なる調理器具ではなく、火を囲み、時間をかけ、共同で何かを作り上げるための「共同体の拠点」だ。

 美和が手入れしたハーブ棚も、その温かい雰囲気を作り出す最高の舞台となる。


 咲はすぐに、最も親しい友人であるマキとユイに連絡を取った。


 マキは、いつも前向きで活発なムードメーカー。ユイは、冷静で現実的な思考の持ち主。

 二人は、咲の高校進学の決断を、誰よりも理解し、応援してくれていた。


 咲は、電話口で熱意を込めて計画を伝えた。


「マキ、ユイ、急でごめん。

 私、寮に入る前に、うちの庭でピザ窯パーティーを開きたいの。ただのパーティーじゃなくて、家族とみんなに、感謝の気持ちを伝えるための『感謝祭』にしたいんだ」


 マキはすぐに快諾した。


「いいよ! あの佐藤家特製のピザ窯でしょ? 超楽しみ! 何すればいい?」


 ユイは冷静だったが、その声のトーンには温かさがあった。


「わかった。準備を手伝うよ。人数は? 食材のリストは作ってある?」


 咲は、友人たちが、自分の気持ちを瞬時に理解し、迷いなく協力してくれることに、胸が熱くなった。

 彼女たちがいるからこそ、自分は安心して遠い地へ旅立つことができるのだと、改めて実感した。



---



 三人は、咲の自室に集まり、ピザ窯パーティーの準備に取り掛かった。


 まずは、パーティーの核となるピザのメニューを決めることだ。

 咲は、単に美味しいピザを作るだけでなく、それぞれのピザに「家族の愛」や「庭の哲学」を反映させたいと考えた。


「普通のマルゲリータだけじゃ面白くない。それぞれのピザに、この庭の温かさを込めるの」


 咲は力説した。

 ユイが冷静に尋ねる。


「庭の温かさ、ね。それは具体的にどうするの?」


「お母さん特製ハーブピザは絶対に作る」


 咲は、美和の教えを思い出すように言った。


「お母さんが庭で育てているローズマリーとバジルをたっぷり使うの。お母さんの愛情と、時間をかけたことによる香りの深さを表現したい」


 マキが目を輝かせた。


「いいね! じゃあ、私たちが手伝えるピザも作ろうよ! 共同創造ピザ!」

「賛成!」


 咲は頷いた。


「それは、『友達との思い出ピザ』にしよう。みんなが持ち寄った好きな具材を、一つずつ乗せていくの。

 見た目はバラバラになるかもしれないけど、それこそが共同生活で大事な『多様性の調和』になるでしょ?」


 そして、最も重要なピザのアイデアを咲は提案した。


「もう一つは、『お父さんの哲学ピザ』。お父さんは、いつも効率とは逆の、手間のかかるものに価値を見出す人だから」


 三人は顔を見合わせた。手間のかかるピザとは、何だろう?


「自家製ドライトマトを使うの。お母さんが夏に、天日干しで何日もかけて作ってくれたもの。それから、ハーブを効かせた自家製ソーセージも少し。

 非効率だからこそ、味が濃くなるっていう、お父さんの哲学を表現するの」


 友人たちは、咲が、単なるパーティーではなく、この庭で育まれた家族の価値観を、ピザという形に昇華させようとしていることに、深い感銘を受けた。


 咲の心の中には、もう高校生というよりも、人生の哲学を確立した一人の人間としての強さが宿っていた。



---



 メニューが決まると、いよいよ準備に取り掛かる。


 咲、マキ、ユイの三人は、買い出しから始め、ピザ生地の仕込み、そして何より薪の準備という、最も「非効率で手間のかかる作業」に共同で取り組み始めた。


「うわ、薪ってこんなに重いんだね!」


 マキが、陽介が積み重ねていた薪の山を見て、声を上げた。


「ピザ窯は火を起こすまでが勝負だからね。ガスオーブンみたいにスイッチ一つで温まらないのがいいところ」


 咲は、陽介から教わった「火の制御の哲学」を、友人に伝えるように話した。


 三人は、陽介が使っていた薪割り台のそばで、乾燥した薪を、ピザ窯に合うようにサイズ別に選別していった。

 手が汚れ、煤がつく。それは、都会の洗練されたカフェで提供されるピザとは対極にある、「手作りの温かさ」の準備だった。


 ユイは、ピザ生地の仕込みを担当した。美和から教わった、天然酵母を使った生地は、発酵に時間がかかる。


「この生地、本当に時間がかかるね。でも、触っていると、なんだか生きているみたい」


 ユイが、生地を捏ねながら言った。


「そうだよ。待つ時間も、生地にとっては大事なプロセス。

 それが、ピザ窯で焼かれた時に、最高の『余白』になって、私たちに戻ってくるんだよ」


 咲は、美和がよく話していた、「時間をかけることの価値」を、友人に伝えていた。


 この一連の「非効率な作業」を通じて、咲は、改めて共同体の温かさを実感した。

 一人では困難な作業も、友人がいれば、笑いと協力の対象となる。寮生活で初めて出会う共同生活の難しさを知っているからこそ、この準備の時間は、彼女にとって、精神的なリハーサルのようでもあった。



---



 日が傾き始めると、三人は庭の装飾に取り掛かった。


 咲が目指したのは、華美な飾りではなく、「自然の温もり」と「手作りの温かさ」を最大限に引き出すことだった。


 美和が大事に保管していたシンプルな白いキャンドルを、隅に並べる。

 庭の片隅に咲いていた、小さな野花やハーブを摘み、素朴な瓶にアレンジメントした。


 陽介が以前DIYした木製ベンチを、ピザ窯が見えるように並べ直し、ゲストが火を囲めるようなレイアウトにした。


 全てが、「自然体で、無理のない温かい雰囲気」を目指したものだった。

 最後に、咲は陽介に声をかけた。


「お父さん。ピザ窯の火の調整と、庭の最終レイアウト、チェックしてもらえない?」


 陽介は、仕事の会議で達成した「キャリアの集大成」の満足感とはまた違う、個人的で深い喜びを感じていた。


 自分が手間をかけて作った「余白の拠点」が、今、娘の旅立ち前の最も大切な「感謝の場」に使われようとしているのだ。


 陽介は、ピザ窯を覗き込み、燃焼の具合を確認した。


「うん、薪の乾燥は完璧だ。あとは、当日の火の調節は、焦らず、ゆっくりとだ。焦って火力を上げようとすると、全てを台無しにする。人生と同じだよ」


 そして、庭のレイアウトを眺め、優しく微笑んだ。


「完璧だ、咲。とても温かい。この場所は、君の感謝の気持ちを、十分に伝えることができるだろう」


 父の言葉は、咲の背中を、力強く押してくれた。



---



 すべての準備が整った。

 夕闇が迫る庭は、キャンドルの光とハーブの香りに包まれ、温かい空気に満ちていた。

 ピザ窯は、夜への準備のために、静かに鎮座している。


 咲は、友人のマキとユイに心からの感謝を伝えた。


「二人のおかげで、最高の『感謝祭』になりそうだよ。本当にありがとう」


「水くさいこと言うなよ! 楽しむのはこれからだろ!」


 マキが笑い、ユイも静かに頷いた。


 咲は、庭を改めて見渡した。

 目の前には、父の哲学、母の愛情、兄の不器用な優しさ、そして友人との絆が凝縮された、温かい「舞台」が広がっている。


(私は、この場所で、大切な人たちに、心からの感謝を伝えて、旅立つのだ)


 咲の心の中には、寮生活という孤独な挑戦への決意と、この家族と庭で育まれた「温もり」を、決して忘れないという固い誓いが満ちていた。


 感謝祭の夜は、もうすぐ始まる。咲は、胸いっぱいに期待を膨らませながら、家の中へと戻っていった。

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