42歳、鉢を並べる
高圧洗浄機でコンクリートの叩きに生えた苔を根こそぎ取り除き、芝生周りの雑草も抜いたことで、佐藤家の庭は、陽介が活動を始める前と比べ、見違えるほど「整った」状態になっていた。
彼の活動の初期の目的は、荒れた現実からの「避難」であり、調理や火遊びは一種の「自己保全」の手段だった。しかし、庭が物理的にきれいになり、そこで過ごす時間が習慣化するにつれて、陽介の心に新しい欲求が芽生えた。それは、「もっと良くしたい」という、装飾的な意欲だった。
(せっかくきれいになったんだ。何か、彩りが欲しいな。)
これまでは、あくまで道具の機能性や実用性ばかりを追求していた陽介だったが、今は、庭を「見る」ことにも喜びを感じ始めていた。
週末、いつものようにホームセンターに立ち寄った陽介は、アウトドア用品コーナーではなく、初めて園芸コーナーに足を向けた。彼はそこで、小さな素焼きの鉢植えをいくつか選んだ。ミントやローズマリーといった手軽なハーブ、そして水やりが簡単な多肉植物だ。
陽介は「避難所」として使っていたコンクリートの叩きに、それらの鉢植えを並べた。彼の配置は、几帳面で直線的だった。まるで、会社でファイルボックスを整理するように、規則正しく、等間隔に。
鉢植えが加わるだけで、モノクロだった庭に、一気に「生活感」と「優しさ」が吹き込まれたように感じた。陽介は、椅子に座ってその光景を眺めながら、自分の心が満たされていくのを感じた。
この小さな行動は、彼の活動が「機能の追求」から「美意識の追求」へと、次の段階に進んだことを示していた。そして、この「美」への追求こそが、家族、特に娘の咲との接点となることを、陽介はまだ知る由もなかった。
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その日の夕方、友達と遊びに出かけていた娘の咲が帰宅した。
玄関からリビングに入ろうとした咲は、ふと庭に目をやった。陽介が昼間に買ってきたばかりの、ハーブや多肉植物の小さな鉢植えが、コンクリートの叩きに並んでいる。
咲は一瞬立ち止まり、その配置を見て顔をしかめた。
(な、なにこれ。ダサっ。)
陽介は、鉢植えをすべて直線上に、まるで兵隊のように整然と並べていた。その几帳面すぎる配置は、多肉植物の丸いフォルムや、ローズマリーのラフな葉の形と全く調和しておらず、むしろ人工的な無機質さを強調していた。
咲は普段、父の庭活動を「暇つぶしの変な趣味」と一蹴していたが、今回は違った。彼女にとって、庭は「映える」かどうかという、独自の審美基準で評価される場所だ。せっかく綺麗になった庭に、植物という「素材」があるのに、父のセンスによってそのポテンシャルが台無しになっていると感じた。
(なんか、小学校の理科の実験みたいじゃん……)
咲はそう心の声でつぶやいたが、口には出さなかった。直接父を批判するのは面倒だし、関わりたくない。しかし、この「センスの悪さ」を放置できないという、彼女特有の美意識が働いた。
彼女の心の中では、父の活動はもはや「否定すべき奇行」ではなく、「改善の余地がある、ちょっとダサい対象」へと認識が変化していた。父の試みをゼロから否定するのではなく、どうすればもっと「映える」空間になるかという、クリエイティブな視点が芽生え始めたのだ。咲は、父の活動に、自分の「美意識」という形で、微かな関心を示し始めていた。
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陽介が風呂に入り、浴室の換気扇の低い音が聞こえ始めた頃。咲は自分の部屋で動画を見ていたが、ふと、庭の鉢植えの「ダサい」配置が気になり、いてもたってもいられなくなった。彼女はリビングに降り、誰もいないことを確認すると、静かに庭へと出た。
コンクリートの叩きには、父が整然と並べた鉢植えが、行儀良く鎮座している。咲は、まるで美術の課題に取り組むかのように、真剣な顔つきで鉢植えの一つ一つを手に取った。
まず、多肉植物の鉢を、少しずらして集団にする。次に、ローズマリーの丈の長い鉢を、あえて端ではなく中央寄りに配置し、高さの差で立体感を出した。陽介の直線的な並べ方とは真逆の、ランダムで不規則な配置。あえて影になる場所にハーブを置き、光のコントラストを生み出す。
わずか数分間の作業だったが、咲の「美意識」が介入したことで、庭の叩きは息を吹き返したように見えた。以前の人工的で硬い印象は消え、自然で柔らかな、「映える」空間に変化していた。
配置を終えた咲は、満足そうに一歩下がって確認した。
(うん、これならまあ、アリかな。)
彼女はそのまま、誰にも見られないよう、急いで鉢植えに触れた手を払い、自分の部屋へと戻った。この行動は、あくまで自分の「センス」を守るためのものであり、父に直接何かを教えたり、関わったりするつもりは毛頭ない。彼女の関与は、まだ「無言」かつ「匿名的」なものに留まっていた。しかし、庭という空間は、確実に娘の美意識に侵食され始めていた。
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風呂から上がり、汗を拭きながら庭を通りかかった陽介は、思わず立ち止まった。
(あれ……?)
コンクリートの叩きに置いたはずの鉢植えの配置が、変わっている。
陽介が几帳面に並べた直線的な配列は跡形もなく消え、代わりに、多肉植物の群れとハーブの鉢が、まるで自然に生えているかのように、無造作でいて計算された、センスの良いランダムな配置になっていた。鉢の向きも、光を浴びて一番きれいに見える角度に微調整されている。
一瞬、猫か風のいたずらかとも思ったが、これほど意図的で洗練された配置は、偶然ではありえない。誰がやったのかは、すぐに察しがついた。咲以外にあり得ない。
(あいつ、文句も言わずに、勝手に……。)
陽介は、咲が自分の活動を「変」だと嘲笑することはあっても、「改善」を施してくるなど、全く予想していなかった。以前なら「勝手なことをするな」と不快感を示したかもしれない。しかし、今の陽介の心理は違った。
彼の心の中には、怒りではなく、むしろ喜びが湧き上がってきた。
「文句も言わず、勝手に変えてくれるなんて」。それは、娘にとって自分の趣味が「無視すべき対象」ではなく、「自分の美意識を反映させる価値のあるもの」として認識されている証拠ではないだろうか。
陽介はスマートフォンを取り出し、その新しい配置をさまざまな角度から撮影した。咲が「映え」を意識して調整したであろうその光景は、陽介が一人で並べた時よりもずっと、生き生きとして見えた。
娘に「これは咲がやったのか?」と問い詰めることはしなかった。咲が、あえて自分の関与を隠したままにしておきたがっていることを、陽介は理解したからだ。陽介は、この無言の「技術指導」を素直に受け入れ、この配置をそのままにしておくことに決めた。父の趣味が、娘の美意識と感性という、全く新しい領域で承認された瞬間だった。
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陽介は、咲が配置を変えた鉢植えを、しばらくじっと見つめていた。美和がリビングから「晩御飯にする?」と声をかけてくるまで、彼はその場を動かなかった。
「鉢、誰か触った?」
陽介がリビングに戻って美和に尋ねると、美和は料理をしながら笑みを浮かべた。
「さあ?咲かしらね。でも、前よりずっと素敵になったわ。なんか、陽介さんが置いた時より、生きているみたいに見えるわよ」
美和の言葉は、咲の「無言の改善」を肯定し、陽介の趣味がもたらすポジティブな変化を承認するものだった。陽介は、自分一人の努力で手に入れた庭という空間が、今、娘の美意識と妻の承認という、目に見えない力によって浸食され、より豊かなものに変わっていくのを感じた。
この鉢植えの配置転換は、些細な出来事だが、佐藤家における「庭」の定義を静かに変えた。
これまでの庭は、陽介が会社の論理や家族の雑踏から逃れるための「隔離された聖域」だった。しかし、咲の「装飾」は、その聖域に家族の美意識という波紋を広げた。陽介の活動は、もはや彼一人の内なる戦いではなく、家族の誰かの感性や興味と微かに交差する「共有空間」へと、その境界線を広げ始めたのだ。
陽介はビールを飲みながら、ランダムに置かれた鉢植えを眺めた。その不規則な美しさこそが、彼の人生に必要な「余白」であり、家族との関係における新しい「自由」だと感じた。
(俺の趣味に、娘のセンスが入ってきた。悪くない。いや、むしろ…最高じゃないか。)
彼は、家族がまだ直接的に彼の隣に座ることはないとしても、その「視線」や「影響力」が確実に庭にまで届き始めていることに、深い満足感を覚えた。次の週末には、何か庭で、咲が写真を撮りたくなるような「映える」料理に挑戦してみようと、陽介は静かに決意した。




