77:六時間の空白
◇三十七日目【7月16日(火)】
■疑われた高校生
翌日、スマホに美帆さんからメッセージが届いた。
学校帰りに西港東公園で待ち合わせをしよう、という内容だ。
当然、パズスを警戒しているダミアンも一緒に来ることになった。
西港東公園は、山手電鉄「西港東公園駅」の北側にある大きな公園で、園内には遊歩道が整備され、動物園や競技場まである。
美帆さんと待ち合わせしたのは、駅から公園に入ってすぐの小さな広場。
緩やかな坂を少し上ったところに広場の入り口があり、桜の木が何本も植えられていて、ベンチも並んでいる。
おれは桜の木の下のベンチに腰を下ろし、美帆さんを待っていた。
すると突然――
「お待たせ」
落ち着いた女性の声が、すぐ背後から聞こえた。
驚いて振り向くと、美帆さんがコンビニで買ったアイスコーヒーを二つ持ち、優しく微笑んでいた。
ダミアンでさえ、彼女がすぐ後ろに来ていたことに気づかなかったらしい。
おれは美帆さんを見て、思わず見とれた。
涼しそうな半袖の白いブラウスに、ベージュのプリーツスカートという清楚な格好だ。
軽く会釈をすると、美帆さんがおれの隣に腰を下ろした。
「吉野くん。レイコーでよかった?」
「はぁ?」
「あれっ? こっちではレイコーって言うんじゃないの?」
「はあ…… 美帆さん、それ死語ですよ。おれ達の世代で言う人いないと思います」
テレビか何かで芸人が言ってるのを覚えたんだな、たぶん。
「えっ、そうなの? じゃぁ、改めて、アイスコーヒーでよかった?」
「ありがとうございます。あの、お金」
「いいわよ、そんなの。お姉さんの奢りってことで」
「すみません」
美帆さんは笑いながら、ストローでコーヒーを一口すする。
「可愛らしい猫ね。吉野くんの猫?」
美帆さんはおれとの間に座るダミアンを見た。
「はい、ダッ…… ルナっていいます」
「よろしくね、ルナちゃん」
美帆さんがダミアンの顎の下を優しく撫でる。
√ パズスは死んだ。
「えっ?」
突然の言葉に、おれは驚いて少し大きな声を出した。
美帆さんが、撫でていた手を引っ込める。
「どうかした?」
「いえ、なんでも」
おれは慌てて首を横に振り、ダミアンを見た。
√ この女から魔力をまったく感じない。こいつは抜け殻だ。
そう言うと、ダミアンはベンチからぴょんと飛び降りた。
おれは美帆さんの顔をじっと見た。
美帆さん、助かったんだ。
√ 吾輩は帰る。貴様はゆっくりと楽しむがいい。
なんだよ、楽しむって。
「ルナちゃん、行っちゃうけど大丈夫?」
「気にしないでください。飯の時間になったら帰ってくるので」
「そう、賢い猫なのね」
「そうですね」
かなり間抜けだけどな。
「そういえば、あのあとどうなったんですか?」
「それがね、よく憶えていないの。管理会社の人に追いかけられたところまでは憶えているんだけど、気がついたら自分の部屋のベッドで寝てたのよ。吉野くんが送ってくれたんじゃないの?」
――そうか、美帆さんはヴァンパイアを見てないんだ。
「すみません。おれも途中からよく覚えてないんです」
とりあえず、この場はごまかすことにした。
「本当? 本当に私を部屋まで送ったんじゃないのね?」
美帆さんが疑わしそうな目でおれを見る。
「本当です」
ストローをくわえてコーヒーを飲む。
「朝起きたらね、私、裸だったの」
ブフッ。
飲んでいたコーヒーを思いっきり噴き出した。
「私、てっきり吉野くんが部屋まで送って……」
「違います! おれ、美帆さんの家、どこにあるかも知らないですし!」
おれは全力で否定した。
「怒らないから、正直に言ってね。あなたは外がまだ明るい時間におしりを触ってくるような子だから、私、覚悟はしているわよ」
「あれは事故です!」
思わず声が大きくなる。
「そうなの?」
「そうです! それにあの日、おれ美帆さんを送ってないです」
「そっか、そうだとは思ってたんだけどね。部屋の鍵は閉まってたし、キーは鞄の中に入ってたし」
なんだよ。
それって自分で部屋に入って、鍵を締めたってことじゃないか。
疑いが晴れた途端、全身の力が抜けていった。
あれっ?
「ヘアピン、見つかったんですね」
美帆さんの髪には、失くしたはずのヘアピンが光っていた。
「そうなの、昨日警察で返してもらったのよ」
店長が言ってた通り、美帆さんは警察に行っていたのか。
「事情聴取ですか?」
「そうね。ヘアピンで私が店舗に入ったことがわかったみたい。でも途中からまったく憶えていないのよね」
美帆さんは顎に手を当てて、首を傾げる。
「それって?」
「あっ、警察には吉野くんのことは話していないから安心してね。だって、高校生が不法侵入なんてしたのがバレたら…… 学校に連絡がいっちゃうじゃない? それって、ちょっと困るでしょ?」
おれのことを気にして、黙っていてくれたのか。
「ありがとうございます」
「いいのよ。それで警察に行ったらね、凄く臭い部屋に連れて行かれたの」
「臭い?」
「そうなの。たぶんニンニクの臭いだったんじゃないかしら? そこでしばらく刑事さんたちと、作田くんや管理会社の人のことを話をしてたんだけど…… なんだか、だんだん気分が悪くなってきちゃってね。で、医務室? みたいなところに運ばれて寝かされたの」
「医務室?」
「そう、そこでね、お医者さんに注射を打たれて…… それからの記憶がないのよ。気がついたら、『お疲れさまぁ』って言われてて…… もう、何だったのかしら、一体」
「それだけですか?」
「そう、それだけよ。でも時計を見たら六時間も寝てたみたいなの。おかげで夜と昼がすっかり逆転しちゃって、今日はなんだか調子が悪いのよ」
――六時間。
さっきダミアンが「パズスは死んだ」と言っていた。その間に何かあったのか?
もしそうなら、警察はヴァンパイアの存在に気が付いているということになるけど。
「警察でなにか変わったことありませんでした?」
「んー…… そうね」
美帆さんは少し考えたあと、小さく笑った。
「日本語がやたら上手な外国人の神父さんがいたわ」
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