72:深紅の瞳の審問
■命を賭けた拒絶
ピアモールの屋上で、おれは金髪美女と向かい合っていた。
彼女の瞳は深紅に輝き、まるで獲物を前にした猛獣のような鋭い光を放っている。
唇には余裕たっぷりの不敵な笑みが浮かび、その表情には自信と底知れぬ妖しさが滲んでいる。
透き通るように白い肌は、夜の闇の中でも際立ち、冷たい陶器のような滑らかさを感じさせた。
その体つきは女性らしい豊満さを持ちながらも、均整の取れた美しさがそこに同居していた。。
引き締まったウエストとしなやかな曲線が、まるで彫刻のように完璧なシルエットを描いていた。
長くしなやかな四肢は、まるで闇の中を優雅に舞う黒豹のような力強さとしなやかさを兼ね備えている。
指先の動き一つで、まるで相手の心を弄ぶかのような危うさを漂わせ、ただ立っているだけでも圧倒的な存在感を放っていた。
「美帆さん……?」
恐る恐る問いかけると、金髪美女は左手で口元を隠し、くつくつと笑った。
伸ばしていない左手の爪も、五センチほどの長さがあり、その先端は鋭い。
「なんじゃ? お主、わらわが美帆に見えると申すか? 眼科にでも行ったほうが良いのではないか?」
この女はいったい何者だ?
いや、もうおれの中で答えは出ている。
「美帆さんに…… 憑りついたのか?」
「ほぉ? やはり知っておったか。ヴァンパイアを見てもさほど驚かぬうえ、もしやと思っておったが」
彼女は顎に手を当て、じっとおれを見つめる。
「お主、誰かの下僕かと思うたが…… ふむ、魔力の欠片も感じぬのぉ。その割には怪我をしても傷はすぐ治るし、不思議じゃ」
首を傾げる彼女を見ながら、おれはほっと胸を撫で下ろした。
どうやら、こいつはおれが血の契約を交わしただけの人間だとは思っていないらしい。
エヴァみたいに、厄介な勘の鋭さは持ち合わせていないようだ。
「……お前、何者だ?」
「わらわか? わらわはパズス。齢千五百を超える大悪魔パズスじゃ。お主は吉野たっくんだったな」
どうしよう、たっくん呼びするのが三人になってしまった。
こいつにたっくん呼びされるのは不快なのだが……
だが、吸血族に逆らうのは得策じゃない。
「吉野琢磨です」
「そうそう、琢磨、そうじゃったの。少し美帆の記憶を覗くとしよう。ふむふむ、吉野琢磨、お主は美帆の同僚で、今年の四月に知り合ったようじゃの。初対面の人間と接するのが苦手で、大人しくて真面目。それでいて目線は顔と胸を行ったり来たりとは…… くくっ、年下坊やらしいのぉ。でもまぁ、見るだけで満足できるお主なら、触る勇気なんぞ一生持てんじゃろうがのぉ」
……嫌なやつだな。
話す内容がダミアンみたいでちょっとムカつく。
それに美帆さんにバレてたのが恥ずかしい。
「さっきは助けてくださってありがとうございました。もう遅いので、そろそろ失礼いたします」
おれは軽く会釈し、そそくさと踵を返す。
さっきまでいたあの男はもういない。
主人を失い、下僕の呪縛から解放されたんだろう。
階段に向かって歩き出すと、背後から鋭い声が飛んできた。
「待つのじゃ。わらわの話はまだ終わっておらぬ」
おれは足を止めた。
やっぱり簡単には逃がしてくれないか。
振り返ると、パズスが赤い瞳を細め、微笑を浮かべてこちらを見つめていた。
どうしよう、目をそらすことができない。
「先ほども尋ねたが、お主、一体誰の狗じゃ?」
声色は柔らかい。
よかった、怒っていないようだ。
でも、ここで正直に答えるわけにはいかない。
仲間内で嫌われてるダミアンの名前なんか出したら、問答無用で襲い掛かってくる未来しか見えない。
「誰と言いますと?」
「誤魔化そうとするではない。お主のその力…… 凡俗の人間が持つはずもなかろう。誰が授けたか申してみよ。正直に申せば、延命くらいは考えてやらんこともないぞ。 ……もっとも、下らぬ嘘を吐くのならば、その命、今宵限りじゃがの」
いきなりの死刑宣告だ。
言っても言わなくても殺される。
答えあぐねていると、パズスの表情が冷えていく。
「安心するがよい。お主がダミアンの関係者とでも言わん限り、いきなり殺したりはせん」
いきなり殺すんだ、へぇー。
ってか、あのバカ、この女に何やらかした?
エヴァの名を出すか?
いや、鈴ちゃんに迷惑がかかるかもしれない。
それにエヴァを怒らせるのはマズい。
「特に誰の関係者ってわけじゃ……」
「そんなことはないじゃろう? お主、憑依のこともヴァンパイアのことも、ちゃあんと知っておったではないか。おまけに対策までしておるとは…… さては、ヴァンパイアハンターにでもなりたいのかえ?」
「いやいや、滅相もない! おれは平和に暮らしたいだけなんです」
ヴァンパイアハンターって何だよ!?
勝手に傷が治るだけの能力で、何ができるってんだ!?
「嘘は許さんと言ったはずじゃ」
パズスが一歩、また一歩と近づいてくる。
ヤバい、逃げなきゃ。
そう思うのに、足が動かない。
「抜け殻…… そうか、お主は抜け殻か? ふふっ、なるほどのう。それなら合点がいくわい。いやはや、面白いものを見つけたもんじゃなぁ。抜け殻がヴァンパイアのことを知っているのは解せぬが……」
自分で言って、自分で納得しているが、抜け殻ってなんだっけ?
「ひっ」
パズスは恐怖で声も出せないおれの首に、左腕を巻き付け耳元で囁いた。
「お主は美帆のお気入りのようじゃ。それならば…… 殺すには忍びないかのう。そうじゃろ?」
ぞくりとするほど甘美な声。
おれはうんうんと小さく首を縦にふる。
金髪の美女の吐息が耳をくすぐる。
「お主、わらわの下僕となる気はないかえ? そうすれば、命は助けてやろうぞ。悪い話ではあるまい?」
死にたくない。
首を縦に振れば助かる…… のか?
一瞬、そうしかけたが、寸前で踏みとどまった。
パズスの唇がおれの首筋に触れ、上から下へと這い落ちていく。
おれがこいつの下僕になるという事は、ダミアンを裏切るということだ。
ダミアンがそれを許すだろうか?
いや、今は運命共同体だからという理由で馴れあっているが、あいつも悪魔だ。
自分の生命に直結するおれの裏切りを、あいつが許すわけがない。
姉ちゃんや心優たちを虐殺して回る、怒り狂ったダミアンの姿が脳裏をよぎる。
それに……
「断ります」
「なんじゃと? 断ると申すのか?」
おれは首を縦に振る。
「考え直さぬか?」
「何度尋ねても断る」
情が湧いてしまったんだろうか?
おれはダミアンを裏切りたくなかった。
バカな選択だ。
「そうか、ならば命は貰おう」
パズスは一度おれの首筋から顔を離し、さっきまで無かった長く鋭い牙を見せつけるように大きく口をあけた。
逃げなければ。
そう思うのに、体が動かない。
パズスの顔が迫る。
おれは諦めて目を瞑り、牙が首に触れるのを待った。
キィィィンッ――!
涙がこぼれそうになったとき――
突如、鋭い金属音が夜空に響き渡った。
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