71:同じ服の女
□風を裂く音
階段を駆け上がった先に広がっていたのは、ビルの屋上駐車場だった。
一、二階はまだ客で賑わっているというのに、この屋上駐車場には車が一台も無い。
北側の平面駐車場が広いということもあるが、駅近という立地のせいで、もともと利用者が少ない場所なんだろう。
明るく照らされた北側からは、大きな看板とエアコンの大型室外機に遮られ、屋上で何が起きても、誰にも気づかれないはずだ。
南側にはいくつかマンションがあるものの、周囲の建物は低く、工場ばかり。
おれ達に気づいてくれるかは疑問だ。
もちろん、こちらにもエアコンの大型室外機がズラリと並んでいる。
さらに悪いことに、七月の夜の暑さを吹き飛ばすように、室外機たちは全開で稼働していた。
ゴォォォッという轟音に、おれ達が助けを呼んでも、誰にも届きはしないだろう。
空を見上げると、大きなコウモリがバサッバサッっと羽音を立てて、おれ達の頭上を旋回している。
カンカンと金属を踏む足音がして、階段から男が上がってきた。
……控えめに言って、絶体絶命だな。
おれはぐるりと周囲を見回した。
階段の前には男がいる。
助かる道は東側のスロープだけだ。
スロープへ向かうため一歩踏み出そうとしたとき、おれ達の前におネェ―― いや醜悪な顔をしたヴァンパイアがゆっくりと降り立った。
シャツに書かれた『脱 糖質生活』の文字が滑稽だが、笑う気にもなれない。
コウモリから元の姿に戻っても、服はそのままなんだな。
などと、どうでもいいことを考えてしまう。
完全に、現実逃避だ。
「いい加減、観念しなさいなぁ。もう逃げ場なんて、どこにもないのよぉ」
ヴァンパイアがゆっくりと近づいてくる。
おれ達はじりじりと後退した。
右、つまり南側には男がいる。
奴がいる限り、階段には近づけない。
正面、つまり東にはスロープ。
逃げ道はあそこしかない。
しかし、おれ達とスロープの直線上にヴァンパイアが立ち塞がっている。
幸い駐車場の幅は広い。
ヴァンパイアの横を大きく迂回すればあるいは……
いや、それも無理だな。
一人でも難しいのに、美帆さんを連れて突破なんて、到底できるはずがない。
どうすれば……
策と呼ぶにはお粗末だが、おれは後ずさりしながら、ゆっくりと左へカーブを描くように移動した。
「あなた、まだ若いわね。二十歳? いえまだ十六、七といったところかしら。それくらいの年頃が一番美味しそうなのよね」
ヴァンパイアはじりじりと距離を詰めながら、いやらしく笑う。
「いえ、おれもうすぐ三十なんで。残念ながら、全然美味しくないですよ」
見逃してもらえるとは思えないが、とりあえず誤魔化してみる。
「あっらぁ、そうなのぉ? その割には若くてプリプリじゃないのぉ。でもまぁいいわぁ、可愛いから許してあげる。だからねぇ、毎晩ちょっとずつ血をいただくわよぉ。一気に干からびるより、少しでも長生きしたほうがあなたもいいでしょ?」
「その提案、あまり嬉しくないですよ」
ふざけるな。
作田のようなことになるなら、一気に殺してほしい。
じりじりとカーブを描きながら後退していくうちに、ヴァンパイアはスロープへ続く直線上から外れた。
おれは美帆さんの手を握る。
「美帆さん、おれが手を引いたら、スロープまで全力で走ってください」
「わかったわ」
美帆さんもおれの手を握り返した。
「なぁに、こそこそ話してるの?」
ヴァンパイアが目を細める。
おれは非常階段のほうを見やり、わざと大声を出した。
「屋上に来ちゃだめだ! 早く逃げろ!」
誰もいない階段に向けて叫び、ヴァンパイアの注意をそらす。
今だ。
おれは美帆さんの手を引き、スロープへ向かって全力で駆け出した。
「あら、残念」
ヴァンパイアは一瞬のうちにおれ達に迫り、後ろを走る美帆さんの腹を蹴飛ばした。
「ぐっ」と声を漏らした美帆さんの体がエアコンの室外機に叩きつけられ、そのまま崩れ落ちる。
「美帆さん!」
気を失っている、いや死んだのか?
おれはその場に立ち尽くした。
やっぱり、ヴァンパイア相手にこんな浅はかな策が通じるはずもなかった。
くっそ、おれのせいで美帆さんが。
こんなときダミアンさえいてくれれば……
ヴァンパイアは左手でおれの頬を掴み、鼻を突くような臭い息を吹きかけてきた。
「こんな方法で逃げられるとでも思ったの? あ、さ、は、か、ね」
そう言って、右腕でおれの体をがっちり拘束し、左手で強引に頭を横に倒す。
ヴァンパイアはむき出しになったおれの首筋を見て、笑みを浮かべる。
「それじゃ、いただくわね。明日からも、よ、ろ、し、く」
ヴァンパイアが大口を開け牙をむいたとき、風を裂く鋭い音がした。
「……あっ」
ヴァンパイアが短く声を漏らしたかと思うと、その頭はニチャッという不快な音をたてて斜め下に滑り落ち、そのまま駐車場に転がった。
力を失った体はおれの足元に崩れ落ちる。
「あ~ぁ、やっと片付いたわい。本当にうっとうしいやつじゃったのぉ」
そう言って、おれの前に現れたのは――
ドリルのように巻かれた黄金の髪を揺らし、赤い瞳を輝かせる白人の美女。
年の頃は二十歳前後。
右手の爪を、ダミアンやエヴァのように鋭く長く伸ばしている。
あの爪でヴァンパイアの首を切り飛ばしたのは明らかだ。
けれど、おれが最も息を呑んだのは――
この美女が、美帆さんとまったく同じ服装をしていたことだった。
★やブックマークで応援していただけると励みになります。




