64:閉ざされた裏口の向こう側
◇三十四日目【7月13日(土)】
■隣の空き店舗
一週間が経つのは早いもので、今日はバイト二日目だ。
家を出るときダミアンに、
「絶対に遅くなるなよ。もし帰りが遅いようなら、吾輩が迎えに行ってやる」
なんて釘を刺されたが、最近ダミアンは忙しいようで朝から晩まで、両親の部屋の押し入れで何やらゴソゴソやっている。
おかげで、ここ一週間は勉強がはかどった。
ネットで漫画を読んで笑ったり泣いたり、自作のビキニを着てウロチョロしたりと、近くにいると気が散るからな。
……話がそれた。
おれは今、ファミレスの厨房に立っている。
お昼のピークタイムが過ぎ、ようやくひと息といったところか。
「タックン、おつかれ」
おれをタックン呼びするのは、パティシエールの大森さんだ。
本当はホテルのレストランで働きたかったらしいが、採用してもらえなかったそうだ。
ちなみにパティシエールというのは、女性のパティシエのことだとか。
「どうも。大森さんはまだひと息つかないんですか?」
「ハハハ、さっきの女子高生グループだと思うんだけど、デザートの注文が入っちゃってさ。もうちょいかかりそう」
キッチンモニターには、パフェの注文が五つ表示されていた。
そういや、さっき騒がしい女子高生のグループが来て、美帆さん、忙しそうにしていたな。
厨房から客席はほとんど見えないけど、店の入り口の辺りだけは見えるから、彼女たちが来店したときにチラッと目に入った。
確か五人組だったから、彼女たちの注文だろう。
大森さんは、五種類のデザートを手際よく仕上げていく。
「どれも美味しそうですね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
心優の話だと、ここのデザートは有名レストラン並のクオリティらしい。
それが確かなら、大森さんの腕は一流ということだ。
……まあ、どんな食べ物でも美味しくいただけるという、特殊能力を持つ心優さんの言うことだから間違いないだろう。
ちなみに、心優はソフトボール部の送迎会で、一ヶ月くらい前にこの店に来たらしい。
「それにしても珍しいなぁ。うちの店は、そんなにパフェの種類は多くないから、五つも注文が入れば、一つくらい同じのがかぶるんだけどさ」
大森さんが、最後のパフェを仕上げながら首を傾げる。
そのとき、デザートを取りに来た美帆さんが、小さな声で囁いた。
「この注文、さっきの女子高生グループのじゃないんです」
と言って、微妙な顔をした。
「そうなんですか?」
てっきり、さっきの女子高生グループだと思ってた。
「他にそんなグループ来てたっけ?」
大森さんが、パフェを美帆さんの前に置きながら言った。
「それがですね…… いま女子高生くらいの二人組の女の子が来てるんですけど」
美帆さんの話によると、一人はめちゃくちゃ可愛い女の子で、もう一人は外国の人形みたいに色白で整った顔立ちをしているらしい。
その可愛い方の子が、なんと一人でパフェを五個も注文したんだとか……
「へぇ~。美帆ちゃんがそこまで言うってことは、相当可愛いんだろうなぁ。一回見てみたいな、なぁ、タックン?」
大森さんは、その子らに興味津々のようだ。
ニヤニヤしながらおれを見る。
「おれはいいです。大森さんだけで見に行ってください」
だめだ、頬がひくひくしてくる。
「吉野くんは興味ないの? 滅多に見られない可愛い子たちだよ」
「まったく興味ないです」
きっぱりと言い切ると、美帆さんは人差し指を顎にあて、ハッと気づいた顔をした。
「もしかして、吉野くんの恋愛対象って……」
「えっ、そうなのか、タックン?」
二人そろっておれを見る。
「もちろん女性です。おれ、皿洗ってきますね」
おれは美帆さんたちから逃げるようにして、食洗機のほうへ向かった。
……二人が何をヒソヒソ言ってるのか気になるけど。
□
「それじゃ、お先です」
「おつかれ」
バイトの終了時間になったので、おれは更衣室に向かった。
夜の調理スタッフの人達とすれ違ったので会釈をする。
更衣室で着替えて休憩室で休んでいると、私服に着替えた大森さんが入ってきた。
「やぁ、タックン」
「今日はもう上がるんですか?」
「そう、今日はおしまい」
大森さんの私服姿は、なんというか大人の女性だ。
同じ成人女性でも姉ちゃんとはかなり違う。
姉ちゃんも一応成人しているけど、まだ高校生と間違われることが多いしな。
「そうそう、美帆ちゃんが言ってた二人組の女子高生を見たんだけど、二人ともアイドルみたいな子だったぞ」
「あっ、その話どうでもいいです」
「タックンは本当に女の子に興味ないんだな。もしかして彼女がいるから、他の女の子には興味ありませんってやつ?」
大森さんはにやりと笑う。
「残念ながら彼女はいません」
きっぱり言うと、大森さんがなぜか気まずそうな顔をした。
「あぁ…… そうなのか。ごめんな」
いや、謝らないでくれるかな。
余計に劣等感を感じるから。
「私はそろそろ帰るけど、タックンはまだ休んでいくのか?」
「いえ、おれもそろそろ帰ります。遅くなると同居人…… いや家族が心配するので」
しまった、おれのことを心配しそうな人を考えたとき、真っ先に浮かんだのが、よりにもよってあの化け猫の顔だった。
「ふぅん、同居人ねぇ?」
大森さんが意味ありげに口角を上げる。
「かっ、帰りましょうか」
妙な詮索をされる前に、おれはさっさと立ち上がり、裏口へ急いだ。
□
外に出ると、ねっとりとした熱気がまとわりついた。
「暑いねぇ」
「おれ自転車なんで、家に帰る頃には汗で服がぐしょぐしょになるんですよ」
「案外、汗っかきなんだな」
大森さんが笑う。
ガチャ
金属の扉が開く音に、おれたちは視線を向けた。
隣の店舗から、筋肉質で背の高い男が出てくる。
眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔でじろりとこちらを睨みつけ、ドアに鍵をかけると、おれ達をジロジロ見ながら一階へ降りる階段のほうへ歩いていった。
「なぁ、タックン、美帆ちゃんから隣の話、聞いたか?」
「いえ、何も」
大森さんはさっき男性が出てきた扉を見やる。
「出るんだって」
大森さんが口元に手を寄せて、おれの耳元でぼそっと囁く。
「幽霊でも出るんですか?」
適当な返しをすると、大森さんはニヤリと笑った。
「そう。幽霊が出るらしいよ。夜のシフトの子が言ってたんだ。男のうめき声や、女の叫び声が聞こえたって」
「マジっすか?」
「美帆ちゃんも聞いたらしいよ」
そんなバカな、と言いたいところだったが、ふと先週のことを思い出す。
「そういえば、おれも先週ここで、何かを聞いたような」
「えぇ、タックンも聞いたんだ。私はまだ聞いたことないんだけどね」
「隣の扉って、どこの店のものでしたっけ?」
「前はスーパーが入ってたんだけど、今は空き店舗だよ」
やっぱり、あのデカい空き店舗の裏口か。
「さっきの人は?」
さっきおれ達を睨んでた、感じの悪い男が気になった。
「あれは管理会社の人だよ。一階に管理事務所があるんだけど、空き店舗の見回りをしてるんだってさ」
この建物の管理人か。
とりあえず、この空き店舗も管理はされているようだ。
「そうなんですか…… でも、ちょっと気になりますね」
「実は私も気になってたんだ、ちょっと覗いてみようか?」
そう言って、大森さんはさっさと裏口に向かって歩き出す。
「大丈夫ですかね?」
おれも慌てて後を追った。
大森さんが扉をノックする。
……が、当然のように返事はない。
試しにガチャガチャと開けようとしてみるが、鍵がかかっているようだ。
「ダメか、開かないね」
「さっきの人が鍵をかけてましたからね」
さらに外廊下を20メートルほど奥に進むと、ちょうどおれ達の顔くらいの高さに、小さな引き戸の窓があった。
座布団くらいのサイズのガラス戸が二枚並んでいる。
「ここから中、見えるかな?」
「どうでしょう。どうせ鍵が――」
「おっ、開いた。……っていうか、この窓、鍵壊れてるっぽいな」
大森さんが引き戸を少し開けると、ツンと鼻をつく異臭が漂ってきた。
「うっ、なんだこの臭い」
大森さんが顔をしかめる。
臭い…… これはアンモニア臭か?
「おい、お前ら、何をやってる!」
突然、背後から鋭い怒鳴り声が。
ビクリとして振り向くと、さっきの管理事務所の男がこちらを睨みつけていた。
防犯カメラか――
見上げれば、廊下の天井には数十メートルおきくらいに防犯カメラが設置されていた。
さっきまでの怪しい行動を見られていたのか?
言い訳を考えたがすぐに出てこない。
「すみません、管理事務所のかたですよね?」
大森さんはまるで何事もないように、自然な笑顔で前に出た。
「私、そこのレストランで働いているものなんですが、隣の空き店舗から異臭がするって、バイトの子たちが騒いでまして。本当に臭うのか確かめてから、管理事務所の方に相談しようと思っていたんです。ちょうどよかった、すごく臭うんですけど、これは何の臭いでしょう?」
淀みなく流れるような口調。
あまりに自然な演技に、おれはただ呆然と彼女を見つめるしかなかった。
「これはだな……」
管理事務所の男は何か言いかけるも、口ごもる。
「こういった異臭を放置していると、衛生上の問題が発生するかと思うのですが、管理会社として対処の予定はあるのでしょうか?」
大森さんが一歩踏み出し、男を詰めるように問い詰める。
「そ、それは……! も、もちろん早急に対処するようにだな」
「よろしくお願いします。それでは、私たちはこれで」
そう言い残すと、大森さんはおれの手を引っ張って、そそくさと階段へ向かった。
振り返ると、管理事務所の男は呆然とその場に立ち尽くしていた。
■農業女子とベランダ菜園
「──ってことがあったんだ」
おれは自室で、空き店舗での出来事をダミアンに話していた。
「そうか」
ダミアンはベランダで、適当に相槌を打ちながら動き回っている。
どこで知ったのかわからないが、今日は野良着にもんぺ姿だ。
今どきのちょっとおしゃれな農業女子とは違って、なんというか昭和の雰囲気が漂う。
月明かりに照らされ、せかせかと農作業をする姿はやたらと忙しない。
うちのベランダは昼間でも日当たりが悪い。
そこに所狭しとプランターが並び、何かよくわからない植物が植えられていた。
プランターと野菜用の培養土などは、一昨年に母さんが買ったものだ。
ダミアンが庭にあったものを見つけて、「使いたい」と言い出したので、ここに置くことになった。
「しかし、この家の立地は本当に最悪だな」
ダミアンがプランターの上に立ち、向かいの神社を睨む。
「そんなに神社が嫌か?」
「ベランダに出るだけで肌がピリピリして敵わん」
ダミアンは腕をさすりながら、忌々しげに視線をそらす。
「いや、ここよりも心優の家のほうが酷い。なにを考えて神社の隣という劣悪な条件の家を買ったのか、理解に苦しむ」
どんだけ神社が嫌いなんだよ、こいつ。
「で、何を育ててるんだ?」
「葉ねぎと小松菜だ。ここは日当たりが悪いので、どれくらい育つかはわからんが、収穫出来たら食べさせてやろう」
「っていうか、お前に野菜なんて育てられるのか?」
ダミアンは「はぁ」とわざとらしくため息を吐いて、おれを横目で睨むと、プランターの縁にドカッと腰を下ろした。
「貴様にはエミリアの話をしただろ。エミリアは優秀な御針子だったが、もとは農家の娘でな。お針子の仕事が休みの日は、家で農業を手伝っていたのだ」
「へぇ……」
そこからスイッチが入ったのか、ダミアンは得意げに歩き回り始めた。
「エミリアは勉強熱心で野菜の栽培について多くの知識を吸収していった。そして、エミリアが育てる野菜は旨いと町でも評判になり、やがて緑の手を持つ少女と呼ばれるようになったのだ」
そこでドヤ顔をすると、おれに向き直る。
「そして吾輩はそのエミリアの記憶を有している。必ずうまい野菜を育てて見せよう!」
そう言い放つと、ダミアンは胸を張り、ニカッと誇らしげに笑った。
……エミリア、めちゃくちゃ優秀だな。
こんな間抜けに憑りつかれて、ほんと気の毒に。
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