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56:胸の奥がざわつく理由

■帰るって言ったのは、誰のため?

◇二十二日目【7月1日(月)】


 今日から五日間、山麓高校では期末考査が行われる。


 やっばぁ、どうしよう。

 おれは教室で頭を抱えながら、最後の悪あがきをしていた。


 昨夜、積もりに積もった疲れが一気に襲ってきたせいで、試験勉強そっちのけで爆睡してしまったのだ。


「たっくん、大丈夫?」

 おれは前の席に座って、のんきに話しかけてくる心優を見た。


「大丈夫じゃない」


「珍しいね。いっつも余裕ぶっこいてるたっくんが焦るなんて」


 当たり前だ。ダミアンと出会ってからの三週間、まともに勉強なんてしてない。

 初日から絶望しかない。


「ノート貸してあげようか?」

「いらない」


 冷たく突っぱねると、心優がぷくっと頬を膨らませた。


 昨夜のカレーのこと思い出すからやめて。

 それに、ノートならちゃんと取ってるし、今もこうして読んでる。


「あぁ、時間が欲しい……」


 試験開始まであと二十分だ。

 おれの悲壮感漂う様子を見て、心優は小さく笑ってから立ち上がった。


「じゃ、頑張ってね」

 そう言い残し、心優は自分のクラスへと戻っていく。


「何しに来たんだ、心優のやつ……」

 おれは再びノートに視線を戻し、時間を忘れるほど集中してページをめくった。


「はい、終了です。解答用紙を裏返してください」

 試験官の先生が言い終わると、みんな一斉にテスト用紙を裏返した。


 これで今日の試験は終わりだ。


 思ったよりも手応えはあった。

 これって、普段から真面目に授業を受けている成果か?


 この三週間、ダミアンと血の契約を結び、グールに襲われ、郷原に殺されかけ、エヴァにヴァンパイアにされそうになった。


 ……正直、テスト勉強どころじゃなかった。


 ガタガタと椅子を引く音があちこちで鳴り始め、クラスメイトたちはそれぞれ帰り支度を始める。


「どうだった?」

「あの問題、絶対間違えたわ……」

「ファミレス行って復習しね?」

 そんな楽しげな会話が飛び交う中、おれはそっと席を立った。


「帰るか」


 友達の少ないおれに、試験の答え合わせをする相手はいない。

 ファミレス勉強会なんて無縁だ。


 雑音を背に、おれは静かに教室を後にした。


 廊下に出ると、隣のクラスのドアの前でカップルらしき二人が楽しそうに話していた。

 男は壁ドンスタイル、女の子のほうは両手でカバンを抱えている。

 試験期間中なのにお熱いことで。


 おれは玄関に向かうため、その二人のほうへ。


 男は幸田か。

 じゃぁ、女生徒は……

 幸田の腕で、顔が見えないな。


 少し近づくと、ようやくその子の顔が見えてきた。


 ……心優?


 心優は笑顔で幸田と話していた。

 心優が男と楽しそうに話しているのを見ると、ちょっと胸の奥がモヤモヤする。


 だからといって、あんなに盛り上がって話しているのを邪魔するのはみっともない。


 心優が誰と話そうが自由だ。

 邪魔する理由もない。


 おれは気づかれないように、そっと視線を逸らして通り過ぎようとした。

 ……けれど。


 もうすぐ幸田の後ろというときに、心優がおれに気付いた。

 知らんぷりをするつもりだったが、つい気になっておれも二人を見ていたらしい。


 だが、おれに気付いても、心優は普段おれには見せたことがない満面の笑みで、幸田の話を笑って聞いている。


 ……そんなに楽しいのかよ。


 くっそ、やっぱモヤモヤする。


 以前にもこんな事があったな。

 あのときも心優は、こんな感じで楽しそうに……


 いや、一生懸命に笑ってた。

 いつだっけ?


 ……そうだ、つい最近のことだ。


 おれは幸田の後ろを過ぎると、小さく鼻で深呼吸をした。


「心優、帰るぞ」

 自分でも驚くほど、声がかすれていた。


 幸田の恋路を邪魔するようなマネだとはわかっている。

 それでも、心優のあんな顔を見ていられない。


「ごめん、幸田君。私帰るね」


 心優はおれと一緒に帰ることを選んでくれたようだ。

 心優がおれの隣に駆け寄ってきた。


「邪魔じゃなかったか?」


「邪魔じゃなかったよぉ」

 心優はおれの顔を覗き込む。


 さっきまでの不自然な笑顔はそこになく、小さい頃から見慣れた、心優の本当の笑顔がそこにあった。


「からあげちゃん、買って帰るか?」

「うん♪」


 その無邪気な返事に、少しだけホッとする。

 けれど、幸田の気持ちを思うと、おれはうまく笑い返せなかった。


「たっくん、笑いかたが変だよ」

 心優がくすくすと笑っておれを見上げた。


■悪魔はロックを信仰する


 晩飯を終えて、自室の勉強机にかじりつき、試験勉強に集中していると――

 押し入れの中から、いきなり特徴のあるロックが流れ出した。


 正直言って、うるさい。


「おい、ちょっと静かにしろ」

 おれの声が届いたのか、音楽がピタリと止まった。


 少しして、ガラガラガラと押入れの引き戸を開ける音がし、黒い衣装を纏ったダミアンが現れた。


「あぁ? うるさいだって?」


 黒い革のベストに黒いズボン。

 あれっ、革の端切れなんて渡してないのに、どうやって作ったんだそれ。


 両手をズボンの前ポケットにつっこみ、昔のヤンキーみたいな目つきでおれを睨んでくる。

 ただ、その顔立ちだけはどうしようもなく美形で、凄んでいるのに全く怖さが感じられない。


 しかも、髪型がまたすごい。

 尖った角のように固めた髪が五つ並んで、自由の女神みたいになっているのが面白すぎる。


「ぷっ…… お前、何してんだよ」


 思わず吹き出してしまった。するとダミアンは、ちょっと驚いた様子を見せた。


 前に化け猫の姿で凄まれたときはマジでビビったけど、今のダミアンは仮装した女の子みたいで、どっちかっていうと可愛い。


「大先輩のミサの動画を観ていたのだ」


 大先輩って、あのロックバンドのことか。


「それで、どうだった?」

 すると、ダミアンは目をキラキラさせながら、大げさに頷いた。


「よくぞ聞いてくれた! それがな――!」


 感極まった様子で、ライブ動画の感想を語り出した。

 よっぽど感銘を受けたらしい。

 おれにはよく分からんが。


「吾輩もいつかは大先輩達のような、大規模なミサを開きたい!」

 前にもミサを開きたいって言ってたな。


「なぁ、なんでそんなにミサなんて開きたいんだ?」


 問いかけると、ダミアンはまるで「そんなことも分からんのか」と言いたげな目つきになる。


「以前にも話したことがあるだろ。魔王様は元天使、つまり神が作ったお方なのだ。その性質も神に近く、魔王様の眷属である我々も同じ性質を持っている。つまりだ、多くの信仰を集めるものには、それ相応の強大な力が宿るのだ。わかるか?」


「まあ、なんとなく……」


「ならば分かるだろう、大先輩の偉大さが! このミサで数万人の信仰心をその身に受けておられるのだ。吾輩はこれほどの大規模なミサを今まで見たことがない」


 なるほどな。

 要するに、こいつは自分の信者を増やしたいわけか。


「信者が数万人規模になればどうなるんだ?」


「……わからん」


「はぁ?」

 思わず間の抜けた声が出た。


「今まで二、三百人規模のミサを開いたことはあるが、よくわからなかった。だが、大先輩のように数万人規模のミサを開けば、きっと桁違いの力を得ることができようぞ! ガハハハ!」


 ……要するに、やってみないと分からんってことか。


「ところでだ、琢磨。このライブという名のミサは、どうやれば開けるのだ?」

「いや、お前のサイズでステージに立つのは無理だろ」


 ダミアンは鏡で自分の姿を見て口を尖らせると、静かに押し入れの隅に移動し、膝を抱えて座り込んだ。

 ……あんなに盛り上がっていたのに、なんか悪いこと言ったかな。


 おれは試供品のキャットフードの封を切り、そっとダミアンの横に置く。

 そして何も言わず、静かに押し入れの戸を閉めた。

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