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55:ノックのあとに地獄が来る

■断熱マグカップの惨劇


 もうすぐ日が沈む。


 今夜もダミアンは心優の家に泊まることになっていた。

 エヴァがいつ襲ってくるかわからない以上、備えは必要だ。


 とはいえ、昨夜の戦いでダミアンがエヴァには敵わないことがはっきりした。

 魔力量こそダミアンのほうが多そうだけど、戦いの経験の差や、人間と猫の体格の違い、何よりメンタル的にもダミアンには分が悪い。


「今日も来ると思うか?」


 いつものように自室の椅子に腰を下ろし、おれは気分を落ち着けるために、断熱マグカップに入ったコーヒーを一口すすった。


 熱っ!


 舌をやられそうになりつつも、平静を装う。


 ダミアンはルナの姿のまま、勉強机の上にちょこんと座っている。


√ わからん。だが、もしババアが来たら、心優の家の外に誘い出すから安心しろ。


「おれに手伝えることは?」

√ 無い。


 言い切られた。

 まあ、近くにいれば確実に足手まといになるのは理解しているが、ちょっと傷つく。


 コンコン


「はい」


「たっくん、入るよぉ」

 ドアを開ける前にノックをすることを覚えた心優が、ひょこっと顔を出す。


「みやぁ」

 ダミアンは猫らしく鳴いて、心優を迎える。


「たっくん、さっき誰かと話してなかった?」

 心優は部屋の中をきょろきょろ見回す。


「話してないぞ」


 どうやらダミアンとの会話が外に漏れていたらしい。

 ダミアンは念話を使っているので、おれのひとり言に聞こえたかもしれないが。


 同じようなことを姉ちゃんにも何度も指摘されたせいで、おれの対応も慣れたものだ。


「ななちゃんが、もうすぐカレー出来るから一階に下りてきてって言ってるよ」

「わかった。すぐ行く」


 それでも心優は納得いかない表情を浮かべたまま、部屋を出ていった。


 自分の家で晩ご飯を食べてから、姉ちゃんのところに遊びに来た心優は、晩ご飯がカレーだと知って一緒に食べることにしたらしい。


 いつも思うが、あいつは部活を辞めたら間違いなく太る。

 そんなことを考えていると、ダミアンがあぐらをかいておれを見上げていた。


√ 七花と心優がお前のことを心配しているぞ。


「どういうことだ?」


√ ななちゃん、たっくん悩み事があるんじゃないかな。悠斗君に会ったときもおかしなことばかり言ってたし、この間は人形に話しかけてたでしょう。さっきだってルナちゃんと話してたんだよ。


 ダミアンが、リビングの会話を実況中継し始めた。


√ みゅうちゃん、驚かないで聞いてくれる? この前、琢磨が人形に……


 姉ちゃん、心優になにを話してるんだ?

 ……えっ、もしかして!?


 先日の出来事を思い出し、狼狽えたおれは、腕をマグカップにぶつけた。


 あっ。


 マグカップはバランスを崩し……

 カタッ


 あれっ、このパターンは――


 断熱マグカップが倒れ、熱々のホットコーヒーが股間に降り注ぐ。


 ……


√ ううん、なんでも無い。忘れて、みゅうちゃん。

 ダミアンは、なおも生中継を続行中。


「あっちぃ!!」


 おれはあまりの熱さに立ち上がった。

 同時に椅子がひっくり返り、大きな音が響く。


 慌ててズボンとパンツを脱ぎ、ティッシュで濡れたところを拭いていると、


「どうしたの?」


 と慌てた声が聞こえ、同時にドアが開いて姉ちゃんが入ってきた。


「ひっ!」

 おれは思わず、顔はそのままに姉ちゃんに背を向ける。


 姉ちゃんは、おれの姿を一瞥するなり、瞬時にドアの方へ振り返り、


「みゅうちゃん、入っちゃだめ!」

 慌てて叫んで、ドアをバタンと閉めた。


 おれは混乱して、声も出せない。


 姉ちゃんはおれに背を向けたまま、絞り出すように言った。


「ねぇ、琢磨…… お姉ちゃんね、本とか読んで、男の子がそういうことをするもんだって、理解したつもりだったんだけど……」


 どうやら姉ちゃんは、姉ちゃんなりにおれのことを心配して、理解しようとしてくれたらしい。

 けど……

 姉ちゃんが、どんな本を読んだか気になる。


「でっ、でもね、琢磨。ね、猫はだめだと思うの。ルナ、震えてるじゃない……」

 おれは姉ちゃんがなにを言っているのか、理解できなかったが。


 ん、猫?


 恐る恐るダミアンを見ると……


 ルナの姿をしたダミアンは、おれに背を向けて突っ伏し、両前足で耳を塞いでぷるぷる震えていた。


 こいつ、絶対笑ってやがる。

 こいつの尻を蹴飛ばしてやりたい。


 そんなダミアンを見た後で、自分の格好を確認する。

 ……パンツを脱ぎ、ティッシュで股間を押さえていた。


 あぁ、完全に誤解されたな、これ。


「あっ、あのさ、姉ちゃん」

 なんとか弁解しようとすると、姉ちゃんは鼻をすすりながら言った。


「ごめんね、お姉ちゃん、男の子の事がよくわからない」

「いや、違う、これは!」

「ルナ、おいで」


 姉ちゃんはダミアンを抱き上げ、そのまま部屋から出ていった。


 おれは、ティッシュで下半身を押さえたまま、必死に手を伸ばし叫ぶ。


「違うんだ、姉ちゃぁん!」


 リビング。

 カレーを食べながら、おれの弁解を聞いていた心優は……


「ぶはっ!」 


 盛大にカレーを吹き出した。

 おまけに、「ご飯粒が鼻に入った!」とか言って苦しんでいる。


 ……なんていうか、心優。


 せっかく素材はいいのに、お前は物語のヒロインにはなれそうにないな……

 本当に残念だ。


 おれは顔にかかったカレーと、ご飯粒をティッシュで拭いながら、コーヒーで汚れたズボンとパンツを見せて、なんとか姉ちゃんの誤解を解くことができたのだった。

第二章、ここまでお読みいただきありがとうございました。


ここまで読んでくださった方に、少しでも面白いと感じていただけたら、

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次回更新は水曜日を予定しています。

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