49:投じられた白金の鎖
■悪魔の手招き
夕暮れ、心優の家の食卓には、ほかほかと湯気の立つ料理がずらりと並んでいた。
おれと姉ちゃんは、おばさんの手料理を囲み、いつものあったかい空気の中にいた。
心優の家族は、昔からおれたちにとって親戚みたいな存在だ。
困ったときは助けてくれて、楽しいときは一緒に笑ってくれる。
父さん達が生きてた頃から、ずっと変わらず。
血はつながっていなくても―― おれと姉ちゃんにとって、第二の家族。
床ではダミアンがキャットフードをポリポリと食べている。
「琢磨くん、もっと食べてね」
「ありがとうございます」
勧められたのは、心優が手伝ったらしい肉じゃが。
おれは肉じゃがをジッと見た。
野菜の切り方で、おばさんが切ったものではないのがひと目で分かった。
こんなに料理上手の母親がいるのに、どうして心優はこんなに不器用なんだ……?
心の中でそんな疑問を抱いていると、向かいから視線が刺さった。
目だけを動かして心優の顔を見ると、案の定、鋭い目で睨まれていた。
「たっくん、なんか失礼なこと考えてない?」
こいつ、こういうところだけは鋭いな。
おれはそっと、視線を料理に戻す。
「おばさん、この肉じゃが本当に美味しいです。おかわりいいですか?」
「まぁ、よかった。この肉じゃがね、心優が野菜を切るのを手伝ってくれたのよ」
うん、知ってた。
「そうなんだ、野菜にも味が染み込んでいて凄く美味しいです」
そう言って目だけ動かして心優を見ると、満足そうな顔をしていた。
これだけ不揃いの野菜を、均一の固さに煮込むことができるなんて、おばさんの料理の腕前は本当にすごい。
「ところで琢磨くん、今日は西港パークで心優とデートしたんだって?」
不意におじさんの声が飛んできた。
お誕生日席に座るおじさんが、赤い顔で身を乗り出す。
顔が赤いのは日本酒を飲んでいるせいだ。
酒処の西港市。
美味い酒がどこでも手に入ると、子供の頃からよく聞かされた。
町内の世話係や、海馬神社で祭りのボランティアもやっている。
おじさんは近所の人や神主さんから一升瓶をたくさん貰って、それをおれの親父と一緒に飲み明かしていた。
「ちょっとお父さん、なんでそんなこと知ってるのよ!」
おれが答えるより先に、心優が慌てて椅子から立ち上がりそうになった。
「お母さんから聞いた」
おばさんや姉ちゃんには話していたのに、おじさんには言ってなかったらしい。
「お母さん!」
「いいじゃない別に〜」
「だって!」
心優はおじさんをチラッと盗み見る。
そんな反応するなよ、おじさんが可哀そうだから。
「だって、あんたが鏡の前で何度も着替えたりして、すごく楽しそうだったから、お父さんが心配しちゃって。『心優に男ができたのか?』なんて、ぶつぶつ言いながらテレビの前をウロウロして邪魔だったから、琢磨くんとデートするんだって教えてあげたのよ」
姉ちゃんをちらりと見ると、背筋をピンと伸ばして、にこにこしながらご飯を食べてる。
たぶん、さっき心優と一緒に買い物に行ったときに、何があったか聞いたんだろう。
「そしたらね、お父さんすっかり安心しちゃってね」
おばさんがウフフと笑う。
「そりゃ琢磨くんだったら安心だよ。今までだって、琢磨くんは何度も心優のことを助けてくれたからな」
助けたってなんのことだ?
全然記憶にないんだけど。
「琢磨くん、今朝玄関で心優を見かけたでしょ。何か気づかなかった?」
「もう、お母さん、やめてよ」
おばさんの隣でもじもじしている心優を見て、昼に心優が言っていたことを思い出す。
「赤い服を着てました」
そう言うと、おばさんは我が意を得たりと今日一番の笑顔で、
「そうなのよ。その赤いワンピース、昨日買ったばかりなんだけどね。玄関で琢磨くんに見られたからって、わざわざ着替えてから出かけていったのよ。どうしてだと思う?」
おばさんはおれの方に身を乗り出してくる。
「おれを驚かそうとしたんだと思います」
って、本人が言ってた。
着替えた理由がよくわからんが。
おばさんは、『あら、わかったの?』みたいな顔でおれを見た。
心優は居た堪れないといった感じで顔を赤くしている。
それはおれも同じだ。
「そうなのよ。なのに玄関先でバッタリ出くわしちゃって大慌て。急いで普段あまり着ない、お出かけ用の服に着替えて家を飛び出していったんだから」
「ぷっ」
おばさんの話を黙って聞いていた姉ちゃんが、ふいに吹き出した。
「おれに見られたからって、なんでわざわざ着替えたんですか?」
そう尋ねると、おばさんはいたずらっぽく笑って言った。
「そんなの、一度見られた服を着ていったら、琢磨くん驚かないでしょ?」
「それだけ?」
――あっ、おれの言葉に、心優の眉がピクリと動いた気がする。
でも、今朝の心優のナゾ行動の理由がようやくわかった。
「うううううっ……」
顔を茹だったみたいに真っ赤にして、心優が唸っている。
箸を持つ手がプルプル震え、つまんだじゃがいもが落ちそうだ。
「琢磨、ちゃんとみゅうちゃんのこと、褒めてあげたの?」
姉ちゃんに興味津々といった顔で、尋ねられたが……
褒めたっけ……?
褒めたと思うんだけど、あの後、いろいろありすぎて忘れてしまった。
思い出していると……
「服の中、覗かれた」
心優が、小さな声で爆弾を落とした。
口を尖らせて、拗ねてるみたいだ。
「えっ」
少しして、三人の声が見事に揃う。
「いや、ちょっと待てよ。別にわざと覗いたわけじゃ――」
「襟元から下着、見られた。それから、ベンチに前屈みに座って、三分待って、とか言われた」
心優は下を向いたままブツブツ呟いている。
耳まで真っ赤だ。
「琢磨、それって……」
姉ちゃんが、氷点下の目を向けてきた。
「いや、だから、ほんの一瞬、たまたま見えちゃっただけで」
√ 貴様、いつもと変わらんな。
おれはキッとダミアンを睨んだ。
「まあまあ、琢磨くんも男の子なんだから、興味があって当たり前だし。ちなみに、何色だったの?」
おばさん、フォローありがとう……
でも最後の一言はちょっと余計だ。
おじさんをチラッと見る。
「まぁ、男ならそれくらい普通だ。私だって高校生くらいの頃は、女の子の下着に興味がなかったとは言えないしね」
寛大なおじさんの言葉とは裏腹に、目が全然笑っていない。
「ところで琢磨くん。夕飯の後、私の書斎で男同士の話でもしようか」
おれは黙って、こくこくと頷く。
心優を見たら、あっかんべーをしてから、ぷいっとそっぽを向かれた。
「いやねあなた。あなたの書斎なんてどこにあるのよ」
そして夕飯後――
おじさんに連れられてウォーク・イン・クローゼットへ。
そこで、男同士の話をすることになった。
■
畳、三畳ほどのウォーク・イン・クローゼット。
その隅にある狭いスペースがおじさんの“書斎”だった。
そこでしばらく男同士の話をして、日没寸前、おれはひとりで家に戻ってきた。
クローゼットの隅だけが自分専用の場所――
なんだかおじさん、肩身狭そうだな………
姉ちゃんは心優と話が弾んで帰ろうとしなかったので、後のことは全てダミアンに任せることにした。
心優の家の玄関から、うちまでは二十メートルあるかないか。
ダミアンの念話が届くか届かないかの微妙な距離だ。
何かあれば連絡してくれると言っていたが、連絡をもらったところで、エヴァ相手におれが出来ることなんて何もない。
ダミアンの邪魔にならないように、結界が張られた自宅で連絡を待つくらいしかできないのだから。
自室に入ると、少しでもダミアンの念話が聞こえるようにシャッターを開け、ベランダに出た。
顔を出せば、以前のように石を投げられるかもしれないから、座ったまま外をうかがう。
エヴァは本当に今晩来るのか?
もし来たとしても、エヴァを殺すことはできない。
エヴァを殺すということは、鈴ちゃんを殺すことと同じだからだ。
じゃぁ、どうすれば……
毎日こんなことを続けるしかないのか。
そんなことを考えていたら、空はすっかり暗くなっていた。
港や街が近いせいで、光が空を照らし、星はほとんど見えない。
――コン
何かが壁に当たる、小さな音が聞こえた。
「なんだ……?」
身を低くして、ベランダからそっと下をのぞく。
「ひっ……!」
エヴァ。
おれは反射的にしゃがみ込む。
みちひらき神社の前に、鈴ちゃんの姿をした悪魔が立っていたからだ。
心優じゃなく、おれを狙ってきたのか?
焦るな、おれ!
奴は家には入れない。
――コン
しばらくすると、また小さな音が……
たぶん、小石でも投げているんだろう。
小さな音は何度も何度も続く。
ダミアン、早く気づいて助けに来てくれ!
小さな音がするたびに、恐怖で体の震えが激しくなる。
――チャリン!
今度は金属が当たる音。
と、同時に足元にキラキラ光る細長いものが落ちてきた。
これは……
悠斗のネックレス。
これを投げてくるってことは――
人質は心優ではなく悠斗だということか。
投石を警戒しながら、震える足でゆっくりと立ち上がる。
エヴァはみちひらき神社の前で、しゃがんでおれを見上げていた。
おれと目があったエヴァは、笑顔で立ち上がると胸の前で小さく手を振る。
悪魔に憑依された女の子だなんて、到底思えないほど可愛い。
やがて、エヴァはおいでおいでと手招きを始めた。
心優の家に目を向ける。
……ダミアンは気づいていない。
エヴァは右手の人差し指を口元に当て、こっちを見ながら少しだけ前かがみになった。
『声を出すな』、ってことか。
いちいち仕草が愛らしい。
さらにエヴァは、ネックレスを指差し、左腕を口元に寄せて……
大きく口を開け鋭い牙を剥き出しにし、噛む素振りをおれに見せつけた。
おれはベランダの手すり壁にもたれ掛かり、ズルズルとしゃがみ込む。
黙ってエヴァについていかなければ、悠斗をヴァンパイアにするということか。
いや、ダミアンの話だと、宿主を悲しませるようなことはしない、はずだ。
いや、でも……
くっそ!
念話がダミアンからおれへの一方通行というのがもどかしい。
――コン
また石の音。
あぁ、くっそう……
おれには悠斗を見捨てることなんて出来ない。
ネックレスを握りしめ、おれは部屋から飛び出した。
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