4:悠斗
■神社のお守り
「落ち着いたか?」
白衣を着たロングヘアーの若い女性が、ベッドに横たわるおれに声をかけた。
彼女は高畑先生。
この学校の保健医で、ひそかに男子生徒からの人気を集める細身なのにグラマーな美人教師だ。
長い髪をひとつにまとめていて、知的で真面目そうな印象を受ける。
ただし――性格は男前。
しかも、筋金入りのミリタリーオタク。
休みの日は同好の士と、エアガン片手に山の中を駆け回っているという噂がある。
そんな先生が、ベッドの横に丸椅子を引き寄せ、おれの顔が見える位置に腰を下ろした。
「だいぶマシになりました」
おれは寝ぼけた声で答える。
今、何時間目だろう?
しばらく寝ていたせいで、時間の感覚がない。
校舎に駆け込んだあと、おれは一階の階段横のスペースで、しばらく頭を抱えてうずくまっていた。
その後、おれを探しに来た心優に、保健室まで引っ張ってこられたのだ。
「君を連れてきた神木さん、ものすごく動揺してたぞ。何があったのか教えてくれるか?」
高畑先生が凛とした声で、説明を求めてきたが、おれは言いあぐねた。
「それは……」
「こほん。私はこう見えて、カウンセラーの資格も持っている。遠慮せんでいいぞ」
どうしよう、化け猫に取り憑かれたなんて言えない。
あのおかしな声が聞こえたとき、いつもあの黒猫がおれを見ていた。
それに、さっきのあの仕草は何だったんだ。
猫のくせに気まずそうに目を逸らせて、口笛を吹くマネまでして。
おれは意を決して、相談することにした。
「あのぅ、先生」
「うん、なんだ」
先生が少し身を乗り出す。
「化け猫に取り憑かれたら、どうしたらいいと思いますか?」
――沈黙。
先生はしばらくポッカーンと口を開けたまま固まっていたが、
「……神社に行って、お祓いでもしてもらえ」
淡々とした口調でそう言った。
……そうか、その手があった。
あっ、でもお祓いってお金かかるんじゃ?
新しいバイトが見つかってないのに、そんな出費はしたくない。
「あの、お金がかからない方法はないですか」
真剣な顔で尋ねると、
「ふぅ……」
先生は大きくため息をついて立ち上がり、自分のカバンをガサゴソと探り始めた。
やがて何かを取り出し、戻ってくる。
「手を出せ」
おれの手のひらの上に、小さな黒い袋が置かれる。
厄除け……?
「これは?」
先生がくれたのは、西港市にある三大神社のひとつ、武将を祀った神社の『厄除けのお守り』だった。
小さい頃、親に連れられて七五三や初詣に行ったことがある。
「双子の弟に買ったんだが、いらんと言われてな…… 妖怪だったら、これでいいんじゃないか? よくわからんが」
先生は軽く肩をすくめた。
おれは疑わしげな視線を先生に向けつつ、お守りを受け取った。
「ありがとうございます」
……厄除けって、化け猫にも効果があるのか?
――――――――――――
■悠斗
保健室で休んだあと、三時間目から授業に戻ったが、授業中もずっと化け猫のことが気になって、まったく集中できなかった。
そして帰り際、スマホを確認すると悠斗からメッセージが届いていた。
『放課後ヒマだろ? ちょっと付き合えよ!』
そんな誘いを受けて、おれは甲川の河川敷にあるベンチで待っている。
斜め上には国道の橋があり、絶え間なく車が通り過ぎていく。
スマホを見ると、待ち合わせの時間からすでに十五分が過ぎていた。
……呼び出しておいて遅刻とは、悠斗のやつ、いい度胸してるな。
ヒマつぶしに、高畑先生からもらった厄除けのお守りを、スマホケースにストラップ代わりに取り付けた。
いつも持ち歩くものといえば、家の鍵と財布とスマホくらいだしな。
ちなみに、家の鍵はキーチェーンでベルトにぶら下げている。
中学のときに二度失くしてから、母さんに持たされたものだ。
対岸に目を向けると、悠斗が自転車を止めるのが見えた。
川の向こう側にある階段を駆け下り、川床に設置された飛び石の上を器用に飛び越えて、こちらに向かってくる。
「いや~悪い悪い! 琢磨、待たせてすまん!」
「遅い」
おれはスマホをベンチに置く。
「そう言うなって! 俺だって急いで来たんだからさ!」
こいつ、今日はやけに機嫌がいいな。
悠斗は、おれの隣に腰を下ろした。
甲川は小さな二級河川だ。
ここ下流付近でも、川幅は二十メートルほどしかない。
今朝、死体が見つかった甲山のふもとあたりでは、川幅は十メートルもなかったと思う。
普段は水量も少なく、水が流れている部分は幅五メートル、深さも五十センチくらい。
その両側には遊歩道が整備されている。
川には流れを遮らないように、いくつもの自然石が橋のように設置されていた。
甲川はおれの家の東側にあり、悠斗のマンションは川のさらに向こうにある。
だから、この河川敷は待ち合わせ場所としてよく使っていた。
「で、どうだったんだ? 昨日の合コンは?」
おれは気になっていた合コンの結果を尋ねた。
悠斗は中学時代の同級生で、唯一の男友達で親友だ。
家が裕福で、市内でも有数のお坊っちゃん学校『私立港北高校』に通っている。お坊ちゃん学校というと嫌がるので、口には出さないが。
こいつはおれと違って、ファッションにもこだわっているお洒落なやつで、何よりも顔がいい。
性格はちょっと軽くてチャラいが気のいいやつだ。
首にはいつも銀色に光るネックレスをしている。
そんな悠斗が一目惚れしたのが、お嬢さま学校、『私立港北女子高校』に通う女の子だ。
悠斗は、その女の子のことが頭から離れず、同じ港北女子に通う中学のときの同級生のまちゃみに合コンをセッティングしてもらったらしい。
「それがさ……」
悠斗はニヤリと笑い、わざと溜める。
「今週末、一緒に遊びに行く約束した!」
「マジで? やったな、悠斗」
「おう! 初デートだからな! 今夜は寝ずにデートプラン練るぞ! 完璧に仕上げねぇと!」
嬉しそうな悠斗を見て、おれも少し嬉しくなった。
この二ヶ月、ずっとその女の子の話ばかりしていた悠斗だ。
惚れ込んでいるのが、よく分かる。
「たださ、体が弱いらしくて、あんまり疲れるような場所に連れて行けないんだよな。
昨日も電車で気を失っちゃって、友達に家まで送ってもらったんだってさ」
悠斗の笑顔の端に、一瞬だけ影が落ちた。
「それは心配だな」
「なぁ、どこか疲れないで楽しめる場所知らないか?」
……年齢=彼女いない歴のおれに、そんなこと訊くのか?
おれは遠くを見て、少し考えてから答えた。
「港のクルーズ船とかどうだ? 中学のとき親に連れて行ってもらったけど、一人千円くらいで乗れたぞ」
おれは中学の時に、親父に連れて行ってもらったことを思い出した。
「おっ、それいいな! ついでに西港タワーで景色を見ながらお茶してさ!」
楽しそうな悠斗を見て、少し羨ましくなる。
「おれも合コン行きたかったなぁ……」
ポツリとこぼすと、悠斗が不思議そうな顔をした。
「そうなのか? 来たくなかったから断ったんじゃないのか」
「いや、せっかく誘ってもらったんだから行きたかったさ。
でもバイトのシフトが入ってたからな。
なのに、バイトは昨日でクビだよ」
親指で首を切るジェスチャーをする。
「マジか!? 最悪だな」
「おまけに帰り道で郷原に会って、これだよ」
おれは顔のアザを指差す。
「えっ、それはご愁傷さまだな。
でも、郷原相手によくそんなんで済んだな、奇跡かよ?」
――黒猫のことを相談しようか一瞬迷ったがやめた。
さすがにこんなオカルトじみた話をしたら、正気を疑われるかもしれない。
いや、こいつのことだから、ひっくり返るんじゃないかと思うくらい笑いそうだ。
おれは話題を変えることにした。
「そんな話よりも、その女の子のこともっと教えろよ」
「そうか〜。何が知りたいんだ? 言ってみな」
おれが郷原のことを、話したくないのを察してくれたのか、悠斗はすんなり乗ってきた。
「彼女、どんな感じの子だった?」
「そうだな、今まで遠くからしか見たことなかったけど、近くで見ると……」
悠斗は少し間をおいて、
「すっごい美人だったんだよな。
あんまり喋らない子だったけど、笑うとめっちゃ可愛くてさ。
俺の話を一生懸命聞いてくれるんだよ。
つい調子に乗っちゃってさ。
たぶん、八割くらいは俺が話してたと思う」
……えっ、ほぼ独演会じゃねぇか。ダメだろそれ。
「残りの二割は、彼女の話を?」
念のため聞くと、
「いや、まちゃみが鈴ちゃんの、あっ彼女は鈴ちゃんって言うんだけど、会話が弾むようにフォローしてくれてたんだよ。
ほんと助かったわ〜、まちゃみがいなかったら俺、完全に空回りしてたかもな!」
ちょっと頭痛くなってきた。
「それって、その鈴ちゃんはほとんど喋ってなかったのか?」
「…… そういうことになるな。
どうしよう琢磨、ずっと楽しそうに笑ってくれてたから、全然気づかなかったよ」
こいつ話し上手で女の子によくもてたのに、こんな失敗するなんて、相当自分を見失ってたんだな。意外な一面だ。
「まぁ、デートOKもらえたんだし、見込みはあるんだよ。
その、まぁ、頑張れ」
「だよな。次はちゃんと聞き役に回る」
悠斗が、こんなにも女の子のことで一生懸命になっているのを見て、なんだか羨ましくなった。
悠斗は、友達のおれから見ても魅力のあるやつだ。
きっと鈴ちゃんも、悠斗に惚れ込むに違いない。
「もうすぐ悠斗も、彼女持ちか。
おれにも可愛い子、紹介してくれよ」
本音がポロッと出たが、悠斗は呆れた顔で眉を上げた。
「はぁ? お前には心優がいるだろ」
なんだよ。その浮気はいかん的な反応は。
「いや、心優とはそんな仲じゃないし、ただの幼馴染だから」
悠斗は大きくため息をつき、肩をすくめる。
「琢磨、お前、その鈍感さじゃモテねぇぞ」
「は?」
「中学のときから、心優はずっとお前のこと気にしてたって、気づいてなかったのかよ?
マジで……」
「……考えたことなかった」
おれが言うと、悠斗は外人がよくやるように、両肩をわざとらしく上げて、やれやれといったポーズをとった。
まるで、「こいつマジかよ……」という顔だ。
「お前は知らないみたいだけどな」
悠斗がニヤリと笑う。
「心優は、郷原以外にも、俺が知ってるだけで十人以上に告られてるんだぞ?」
「……は?」
「ついでに言うと、俺も振られたんだけどな」
「えぇっ!?」
声が裏返る。
「思い出してみ。中学のとき、お前にやたら絡んでくる奴、二十人くらいいただろ?」
「……確かに、いたな」
二十人どころじゃなかった気もするが。
おれは当時、「どんだけ人に嫌われてんだよ」と思って、ちょっと鬱になりかけたのを覚えている。
「俺の見立てだと、そいつら全員、心優に振られたやつらだ」
「さすがに、それはないだろ……」
「俺が知っている振られたやつらと、お前に絡んでたやつらは完全に一致するぞ」
悠斗が断言する。
「心優に振られて、あのときの鬱憤をお前にぶつけてたんだろうな」
「……マジか」
おれは思わず顔をしかめた。
つまり――
おれへの風当たりが強かったのは、嫉妬のせいだったってことか?
「な、そう考えたら、心優に不満なんてないだろ」
悠斗がニヤリと笑い、肩をすくめる。
「あんまりグズグズしてると、トンビに油揚げさらわれるぞ、マジで」
「いや、心優はどっちかっていうと家族に近い関係だし、それに――」
文句をつけようとしたが、悠斗が遮った。
「郷原」
「……え?」
「あいつ、しつこいからな」
悠斗の声色が、少しだけ真剣になる。
「心優のこと、諦めたとも思えん。
あんなに執念深い奴が、簡単に引き下がるわけないだろ」
「まさか……」
おれはそう言いながらも、胸の奥に嫌な予感がよぎった。
悠斗と話し込んでいるうちに、すっかり時間が経つのを忘れていた。
「暗くなってきたし、俺そろそろ帰るわ。
お前も気をつけろよ」
悠斗が立ち上がる。
気がつけば、すでに辺りは暗くなっていた。
橋の上の道路照明も、いつの間にか点灯している。
「じゃぁ、またな」
悠斗は自然石の上を器用に飛びながら、反対側の遊歩道へと渡る。
振り返って軽く手を振ると、そのまま階段を駆け上がっていった。
おれもカバンを取って、ゆっくりと階段を上り、国道沿いの道を家に向かった。
少し遅くなったので、姉ちゃんに電話でも――そう思ったが……
「……あれっ?」
スマホがない。
そういえば、ベンチの上に置いたままだった。
「くそっ!」
おれは焦って河川敷へと走り出した。
今の我が家の財政事情では、新しいスマホを買う余裕なんてない。
失くすわけにはいかない。
急いで階段を駆け下りると、ベンチの上でスマホが光っていた。
ホッと胸をなで下ろす。
たぶん、姉ちゃんが心配して電話をかけてきたんだろう。
だが、そのときだった。
小さな羽音のようなものが聞こえてきた。
気になって振り向くと、川上の暗闇から何か黒いものが飛んでくる。
大きい……
バサッ、バサッという羽音がだんだん大きくなり、おれは黒いものをはっきりと目でとらえた。
「わわわっ、コッ、コウモリ?」




