44:ファーストデート(1)
◇二十日目【6月29日(土)】
■可愛いって言ったら固まった
空はどこまでも青く、陽ざしが気持ちいい。
おれは西港中央駅から六百メートルほど西にある、西港元町駅前のウッドベンチに腰掛け、心優を待っていた。
西港元町駅はJPRと私鉄の浜手電鉄が同じ駅舎を使っている。
西港市の中心街ということもあり、土曜日ともなれば人の流れが絶えない。
「心優、遅いな……」
スマホを見ると、もうすぐ十時になるところだった。
そう、今日は悠斗の彼女のお披露目の日であり、同時に心優とのデートの日でもある。
ダミアンの提案で、家の前ではなく、街で待ち合わせをすることになった。
おれ達の家はJPRと浜手電鉄、どちらの駅も徒歩圏内なので、おれは浜手電鉄、心優はJPRを使って九時半にここで合流することになっていたんだが……
電車に乗っているとき、心優から『三十分遅れる』とメッセージが届いた。
仕方なくおれはスマホを弄りながら、行き交う人々を眺めて時間を潰している。
しばらくすると、駅の階段からどっと人が下りてきた。
下り電車が着いたみたいだ。
おれはこの人の波の中に心優の姿を探した。
今朝、家を出るときタイミング悪く玄関から出てきた心優と出くわした。
おれの顔を見た心優は、なぜかきびすを返して家の中に入ってしまったんだけど、そのとき心優は赤い服だった。
赤い服を着た女の子がいないか探すが、見当たらない。
「次の電車かな」
改札から出てくる人の流れが落ち着き、おれはぼんやりと改札口を眺めながらため息をついた。
最後に改札を抜けたのは、白を基調とした可愛らしいワンピースを纏った女の子だ。
その上に薄い水色のカーディガン。
肩に小さなショルダーバッグをかけている。
女の子はキョロキョロと辺りを見回し、やがておれを見つけると、パッと笑顔になった。
「たっくーん!」
「心優?」
駆け寄ってくる女の子は、いつもの心優とまるで違った。
一言で言うなら…… 息を呑むほどに可愛い。
目の前で立ち止まると、心優は顔の前で両手を合わせて申し訳なさそうに言う。
「ごめん、待った?」
「……あ、あぁ」
おれは心優から目を離せなかった。
というのは、心優はいつも動きやすいパンツルックか制服なので、ワンピースなんて中学に上がってから今まで見た記憶がない。
そもそもひらひらした裾の服なんて、学校の制服しか持っていないんじゃないかと思っていた。
「もう、恥ずかしいからあんまりジロジロ見ないでよ」
「へっ?」
「へっ、じゃなくて!」
心優がぷくっと頬を膨らませる。
「あれっ? たっくん、今日、ちょっとお洒落してない? そんな服持ってたんだ」
心優とは言え、さすがは女の子だ。すぐに気づくもんなんだな。
「姉ちゃんが買ってくれたんだ」
「ふぅん、そうなんだ。ちょっと立ってみて」
「あぁ」
心優にうながされ、ベンチから立ち上がる。
「おぉ、かっこいい! これ、高校生向けのブランドだよ。さすがはななちゃんだね。すごく似合ってる」
「そうなのか、マジで?」
おれは自分の服を見た。
確かにいつも着ているペラペラの服と比べると、いい生地を使っている。
姉ちゃん、無理してないか?
「でね、たっくん」
気づけば心優は両手を後ろに組んで、おれを見上げていた。
胸が強調され、気になって直視できない。
「なっ、なに?」
おれは今、胸元に吸い寄せられる視線を、気力を振り絞って心優の顔に向けようと必死になっていた。
今のおれの瞳は上下に泳ぎまくってるだろう。
そんなおれの葛藤を、心優が気づかないわけがない。
女は自分の胸元を見る男の視線には敏感だって言うしな。
バレる前に視線を引き上げないと……
なんて思っていたら、心優が手を後ろに組んだまま、少し前のめりに。
「ねぇ、たっくん」
……おい。
そんなつもりはなかったのに、思わず視線が下がりかける。
だめだ、見てない、見てないぞ、今のは事故だ。
さっきまで上下に泳いでいたはずのおれの視線は、心優の胸元に釘付けになった。
「うぅぅ……」
おれは小さく声を出して、ベンチに座り前かがみになる。
「どうしたの? お腹でも痛いの?」
「いや、なんでもない」
前かがみになって座っているから、心優はおれが腹痛で下を向いているんだと思ったみたいだ。
落ち着け、落ち着け……
こうなると、漫画みたいに素数を数えても手遅れだ。
ただ時間が過ぎるのを待つしかない。
心配した心優が、おれの隣に座った。
「病院行く?」
「いや、いい。すぐ…… 治るから……」
二、三分もすれば落ち着くはず。たぶん。
「顔、赤いよ」
おれの顔を覗き込んでくる心優に目を合わせたが、おれの視線はまたワンピースの襟のすき間に吸い寄せられた。
「あっ」
おれの変な声に、心優はキョトンとしている。
そして、おれの視線に気づくと、心優の顔が一気に真っ赤に染まった。
「えっ…… えっ……!」
おれは頭を下げて、狼狽中の心優に申し訳なさそうに告げた。
「ごめん…… もうちょっと、時間くれる?」
□
気まずい……
体の異変が治まったので、西港パークへ向かう道を並んで歩いているのだが……
会話がない。
心優は顔を真っ赤にしたまま、無言でやや斜め下を向いている。
時折、何か言おうとこちらを見て口を開きかけるが、結局そのまま閉じてしまう。
たぶん、おれに抗議しようとしているんだろう。
心優がどう思っているかおれには分からないが、服の中を覗いてくる男が隣にいると思うと、すごく嫌なんだろうな。
エッチでも変態でもいいから、何か言ってほしい。
でないと、いたたまれない。
「心優」
意を決して声をかけ、おれが立ち止まると、心優も立ち止った。
そして謝ろうとしたとき、
「いい匂い」
心優がクンクンと鼻を動かす。
視線を追って振り返ると、そこは中華街の入り口だった。
「なにか食べる?」
そう尋ねると、「うん!」と元気な返事が返ってきた。
よし、うまく機嫌を取らないと。
中華街の門をくぐると、点心を売るお店はまだ準備中だった。
営業している店を探しながら、奥へと進む。
「お店、開いていないね」
心優がしょんぼりと肩を落とす。
ここで機嫌を損ねられては困る。
「どこか開いてるかもしれないから探そう」
おれは心優の手を引いて、開いている店を探した。
どの店も美味しそうな匂いを漂わせているのに、まだ開店前だ。
通りの中央あたりまでくると、数人が並んでいる店を発見した。
ガラス越しに店内を覗くと、すでに客が座っている。
「心優、あそこ」
おれたちは顔を見合わせ、一斉に駆け出した。
「はぁはぁ……」
列に並び、息を整えていると、ふと心優が下を向いていることに気づく。
視線を追うと……
心優の手をギュッと握ったままだった。
「ごっ、ごめん」
胸を覗いた挙げ句、断りもなく手までつないでしまった。
謝ると、心優はキョトンとした顔でおれを見上げた。
この表情、今日二回目だな。
「どうして謝るの?」
どうしてって。
「服の中を覗いたり、勝手に手を握ったりして、その…… ごめん」
心優は許してくれるだろうか。
ちらりと心優の顔をうかがうと、またキョトンとした表情を浮かべている。
今日三回目だ。
数秒沈黙した心優は、
「ぷっ、くくくくく…… あはははは」
突然、大声で笑い出した。
「いきなり、どうしたんだ?」
なにが面白いのかわからないが、涙を浮かべながら、おれの顔を見ては笑い転げている。
「いや、くくく…… あぁ、お腹痛い……!」
そんなに腹を抱えて笑うようなこと言ったか?
「ふふっ…… 涙、出てきたよ」
心優は目頭を指の第二関節で拭いながら、おれから視線を外した。
「さっきは本当にごめん」
心優の笑いがようやく治まってきたので、おれは改めて謝った。
「もういいよぉ、べつに怒ってないし」
「本当に? だって、さっきまでしゃべんなかったから」
「本当だよ、ちょっとびっくりしただけだから」
「よかったぁ……」
おれはホッと胸をなでおろす。
「そんなことより、たっくん」
「えっ?」
心優がなにやらポーズをとって、パチパチと目を瞬かせる。
いつもの心優に戻っててホッとした。
これは今日の服を褒めろって催促だな。
「今日の服、似合ってるな」
あっ、ほっぺがプクッと膨らんだ。
「感情がこもってない。やり直し」
めんどくさいところも、いつもの心優だ。
おれは軽くため息をついて真顔になった。
「じゃぁ、一回しか言わないからな」
「なになに? ちゃんと褒めてね♪」
クラスのアイドルだった心優が、いつもおれと一緒にいるのは、おれが親戚同様に育った幼なじみだからだ。
心優には好きな人がいる。
おれは、そのことを知っている。
そんな心優がおれとデートするために、おしゃれしてくれたんだ。
そう思ったら、ちゃんと伝えなきゃって思った。
でも、相手が心優でも、いざ言葉にしようとすると意外と難しい。
おれはひとつ深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。
「さっき駅で見たとき、すごく可愛いって思った。というか、普通にドキドキした。初めてのデートが心優でよかったなって…… 以上」
待ち合わせしたときに感じたことを、素直に言葉にしたのだが……
あれ、またキョトンとしてる。
今日、何回目のフリーズだよ。
「えっ、えっ」
あっ、動いた! と思ったら、顔を真っ赤にしてプルプル震えてる。
頭から湯気が出そうだぞ。
「あのさ、たっくん。服を褒めてくれるんじゃなかったの?」
「だから褒めただろ」
声を震わせて、なにを言ってるんだ?
ちゃんと可愛いって言ったのに。
「だって普通、今日のワンピース似合ってるねとか、カーディガン可愛いねとか言うものじゃ」
「だから可愛いって言ったじゃ…… あれ?」
確かに服じゃなく、心優本人を褒めたみたいに……
いや、なんか告白っぽくなってるぞ。
「いや、その、そうじゃくて」
なんて、この場を取り繕うか、必死に言葉を探していたところで、
「次のお客さん、どうぞ」
タイミングよく、店内に案内された。
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