43:ダミアンの住処
◇十九日目【6月28日(金)】
■見覚えのある男《POV:郷原》
灰色の雲が空を覆う早朝、郷原は会社の上司とともにゆるやかな坂を上っていた。
「おい、まだ着かねえのか?」
隣を歩く田川が、不機嫌そうに口を開く。
しかし、話しているのは田川ではない。
彼に憑依しているダルクだ。
(ちっ、偉そうにしやがって)
内心舌打ちをするものの、郷原には逆らう術がない。
ダルクとは主従契約を交わしている以上、彼の命令には従わざるを得ない。
いや、仮に逆らったところで力の差は歴然だ。
「そこのコンビニの角を曲がってすぐです」
郷原は淡々と道を示す。
今日の目的は神木心優の家へ案内し、そして、あの黒猫について調べること。
角を曲がるとすぐに、郷原とダルクは電柱の陰に身を潜める。
「おい、どの家だ?」
ダルクが低い声で尋ねる。
郷原は指をさした。
「あの神社の手前の家です」
ダルクは返事もせず、じっと神木の家を見た。
黒猫がいないか確認しているようだ。
あの黒猫、たしかダミアンとか言っていたが、そいつに恨みを持っているらしい。
十分、二十分と時間が過ぎていくが、ダルクは微動だにしない。
このまま電柱の陰に突っ立っていると、どう考えても不審者だ。
万が一、警察に通報でもされたら厄介なことになる。
「あんまり長くこんなことしていると、警察に通報されるかもしれませんよ」
ダルクは郷原をちらりと見やり、低く応じた。
「そうだな、少し場所を変えるか」と呟き、コンビニのほうへ向き直った―― そのとき。
神木の家の玄関が開き、スーツを着た親父らしい男が出てきた。
ダルクはその男をジッと見つめる。
「おい、あの男、どっかで見たことがないか?」
郷原は男の顔を凝視した。
(確かに何処かで見たことがある。中学の卒業式? いや、そんなに前じゃない)
神木の親父は郷原達とは、逆方向へ歩き出す。
(誰だったか)
郷原は目を閉じ、記憶の糸をたぐる。そして……
(……あっ)
「倉庫の近くの、中古車貿易の会社の」
その言葉に、ダルクの口角がゆっくりと吊り上がる。
「あぁ、あの男か」
その言葉に、郷原の背筋がぞくりと寒くなった。
■姉ちゃんの誤解
明日は悠斗の彼女お披露目イベント、そして心優とのデート。
その準備のために、おれは自室でゴソゴソと支度をしていた。
準備と言っても、やることなんて大してない。
明日着ていく服を用意して、財布の中身を確認するくらいだ。
ちなみにデートのお相手は、今日もリビングで姉ちゃんとガールズトークを満喫中。
自分の家で晩飯を食べ終わった後、ウチにやってきて、食後のコーヒーを要求してきた。
仕方なく三人分のコーヒーを淹れたあと、自室へ戻り、椅子に腰掛けながら財布の中身をチェックしていた。
さすがに、支払いのときに金が足りなくて心優に借りるなんて事態は避けたい。
そんなおれの背後、押し入れでは――
水着姿のダミアンが、パソコンにかじりついて夢中で何かの動画を見ている。
「……お前、なんでビキニなんか着てんの?」
これも自分で作ったんだよな。
しかも今年のデザインっぽいし。
学校の帰りに寄ったコンビニの雑誌コーナーで、グラビアアイドルが着ていた水着とほぼ同じだ。
というか、こいつが着ている水着のほうが洗練されてるぞ。
ダミアンが動画を止めて、こっちを向いた。
真っ白な肌が紅潮している。頬が赤く、少し興奮気味のようだ。
こいつ、何を観てたんだ?
「前回、前々回の時代では、女が裸同然の衣類を着ることなど許されなかったのだ」
「まぁ、八百年前だったらそうだったろうけど」
「このように開放的なかっこうで、ダラダラと過ごす。なんと贅沢な生活だ。吾輩はこの時代が気に入った」
ダミアンは押し入れの壁に立てかけた鏡に向かってポーズをとる。
こいつ、おれが見ていない時は、どんな生活を送ってんだ?
「ふむ、自分の体をマジマジと見たことはないが、さすがにエミリア。完璧なプロポーションだな」
自画自賛だな。
でも、本当にスタイルいいな、こいつ。
人間サイズだったらアイドル顔負けだったろうな。
「あのさ、前から気になってたんだけど、お前吸血族だろ。吸血鬼って鏡に映らないんじゃ?」
機嫌が良さそうなダミアンに、素朴な疑問を投げかけたのだが……
「あぁ? 貴様、吾輩を下等なヴァンパイアと一緒にするな」
あっ、突然怒り出した。
地雷だったか。
こいつ、ヴァンパイアと一緒にされるの、本当に嫌がるなぁ。
「ごめん、悪かった。で、どうして鏡にうつるんだ?」
ダミアンはノートパソコンの前に座り直す。
「吾輩の宿主、つまりこの猫がこの世界の生き物だからだ。ヴァンパイアは身体が魔の存在に作り替えられ、完全にこの世界の性質から外れる。そうなると、鏡には映らなくなるのだ」
「そうなんだ」
つまり、ルナに憑りついているから鏡に映るってことか。
「ところで琢磨、やはり悪魔の一人称は『吾輩』で正しかったぞ!」
ダミアンはちょっと興奮気味にノートパソコンの液晶をパンパン叩いた。
「おい、やめろ。そんなに叩いたら液晶がぶっ壊れるだろ」
どうしてこいつは、感情の起伏が激しいんだろう。
「そんなことより見ろ! この十万歳を超える大先輩も、一人称は吾輩だ!」
いや、それ人間だけど。
ダミアンはネットで配信されているバラエティー番組を、キラキラした目で見ている。
さっき頬を紅潮させていたのは、これを観ていたせいか。
「しかもだ、大先輩は崇拝者を集めて、こんな辺境の地でミサまで行っているのだ! 吾輩も見習わねば!」
こいつ、ロックバンドのボーカルを悪魔だと思って興奮してる。
ノートパソコンの周囲を、裸同然の姿でウロチョロしているのが若干鬱陶しい。
ダミアンは突然ぴょんと机に飛び乗った。
そのときの勢いで、ビキニの上が外れそうになって――
「うおっ!?」
おれは慌てて、外れないようにダミアンの水着を手で押さえた。
ガチャ。
「たっくん、誰かいるの…… えっ?」
「あっ」
心優はおれがダミアンの体を押さえている姿を見て固まる。
ダミアンは……立ったまま、じっと人形のフリ。
しかも、左手をおれに向け、右手でおれの手を自分の体から押しのけようとしているポーズ。
さらに、おれに向ける表情は全力の嫌悪。
……殺意湧くわ。
数秒後、心優は小さくつぶやいた。
「……きもっ」
バタンッ。
ドアを閉めて、去っていった。
「あっ、ちょっと待って!」
心優が階段を駆け下りる音が聞こえる。
「ななちゃん、たっくんが女の子の人形に話しながら、水着を脱がしてたんだよ。あんな趣味があったなんて……!
みゅうちゃん、いつも言ってるけどノックしないで男の子の部屋に入っちゃだめだよ。私も去年、琢磨が一人でその、、、あの、、、見ちゃって。だからその、ちゃんとノックしてあげてね。
ななちゃんが何を見たかわからないけど、裸の人形の胸を押さえて話しかけていたんだよ。
だからね、そういうの、受け入れてあげてね。男の子なんだから仕方ないんだよ。
……と、心優が七花と話しているぞ」
ダミアンがおれを見てにやりと笑う。
「……二人の声色まで真似てくれてありがとう。すっごく分かりやすかったよ」
そう言って、おれは机で頭を抱えた。
「お前、一階の声が聞こえるなら、心優が部屋に入ってくるのも分かるだろ。教えろよ」
「集中しないと気が付かないのだ。特に結界が張られた家の中では、そこまで周囲を警戒していないからな」
「それにしても、姉ちゃんは何を見たんだ……?」
「そんなの決まっているだろう。貴様は毎晩のようにしてるのだから、同じ家に住んでいたらバレるに決まっている」
……毎晩のように?
いや、心当たりはある。
たぶん、そういうことだ。
あぁ、姉ちゃんに見られてたなんて……
死にたい。
「てか、なんでお前、そんなこと知ってるの?」
「貴様とは、深いところで繋がっているからな。貴様が興奮すると脳波でリアルタイムにわかるのだ」
「なにそれ怖い。てか、お前そんなことが分かるのか? それじゃ、その…… いつもリアルタイムでわかったってこと?」
「気にするな、吾輩たちは種が違うのだ。貴様だって猫が発情していてもそんなに気にしないだろ? それと同じだ。貴様が何をしてようが、吾輩は気にならない」
「そっちが気にならなくても、こっちは気になるんだよ! これからは耳を塞いで、床に突っ伏してろ。あと、脳波とやらも感じないようにしろ!」
「…… わかった、善処する」
本当だろうなぁ。
「ちなみに、貴様が夜な夜な誰かを思い出してニヤついてるのも知っているぞ」
……えっ。
「さらに言えば最近吾輩も、貴様の脳内ドラマに登場しているように思うのだが…… そう考えると、実に複雑な気分だ」
「………………」
ガタッ
変な汗が噴き出て、不意に動いた拍子に、机の上のカップを倒してしまった。
熱いコーヒーがズボンにぶちまけられる。
「熱っ!」
慌ててズボンとパンツをずらして拭くものを探していると、ダミアンが心配そうにこちらを見てきた。
「大丈夫か?」
そう言ったかと思うと、突然耳を塞いで突っ伏し、おれに尻を向けた。
なにしてんだ?
「そっ、それより、お前、おれが誰のことを…… いや何を考えているか分かるのか?」
「わからん。ただ、普段の貴様の様子を観察していてそう思っただけだ。今も吾輩の尻をじろじろ見ているしな。図星か?」
「見てない! マジでお前なんかに興奮しないし!」
おれは全力で否定した。
顔は真っ赤になっているかもしれないが。
「てか、何でそんなポーズ取ってるんだよ」
おれは濡れたところを手近にあったタオルで拭きながら尋ねると、
「そこを拭いているときは、こうしろとさっき貴様が言っただろ」
「いや、だからさ。そうじゃなくてさ」
「…………」
「おい、なんか言えよ」
ダミアンは急に黙りこくった。
「あの、琢磨」
えっ?
背筋が凍りついた。
恐る恐る振り向くと、姉ちゃんが呆然と立っていた。
向こうを向いて突っ伏すダミアン。
そのうしろで、パンツをずらして固まるおれ。
「ねっ、姉ちゃん!?」
おれは慌てて、コーヒーで濡れたズボンを上げて前を隠した。
「ご、ごめんね。何度もノックしたんだけど、返事がなくて…… その……」
姉ちゃんは顔を真っ赤にしておれを見ていたが、ダミアンに気づくとさらに視線を逸らす。
「その女の子の人形、可愛いわね……
えっと…… 琢磨も男の子だもんね……
服…… 着せてあげた方がいいんじゃないかな……?
あ…… ごめんね、余計なこと……」
などと、おれを見ずに早口で話す。
母さんにエロ本を見つけられたときの何倍も気まずい。
「そ、それじゃ、早く下りてきてね……
お風呂のお湯、入ってるから……」
そう言い残し、姉ちゃんは逃げるように部屋を出ていった。
「姉ちゃん、いま何を想像したんだよ……」
黙りこくっていたダミアンが、突然ブツブツと呟き始めた。
「どうしよう、人形に興奮するなんて。男の子ってどう接したらいいのかわからない……」
「なに言ってんだよ」
「七花が階段を下りながら、そんなことを呟いていたぞ」
おれは机に突っ伏した。
「お前、もう黙れよ」
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