42:心配の夜は恋の夜
■姉ちゃんの買い物袋
おれは自室で、右へ左へと同じ場所を行ったり来たりしていた。
押し入れの中から聞こえてくる、カタカタと無機質なノートパソコンのキーボードの音が、いっそうおれの苛立ちを加速させる。
「おい琢磨。鬱陶しいから吾輩の背後でウロウロするな」
白い貫頭衣を着たダミアンの表情は、長い金髪に隠れて見えない。
ダンッ!
パソコンを夢中でいじっているダミアンのすぐ横に拳を振り下ろした。
「姉ちゃんが帰ってこないんだぞ! お前心配じゃないのか?」
「そんなに心配なら、さっさと七花に電話をしろ」
ダミアンも苛ついた表情で、見上げるようにおれを睨む。
おれが言うのも何だが、こいつはなんでそんなに苛ついてるんだ?
「さっきから電話してるけど繋がらないんだ」
そう、日が暮れても帰ってこないので、おれは数分おきに電話をかけている。
ガタガタガタガタッ!
ダミアンが、さっきよりも激しくキーボードを叩き始めた。
こいつ、いったい何を書いてるんだ。
気になってパソコンを覗き込むと、ぶつぶつと呟きながら、よくわからない言語で延々と同じような文を書き連ねている。
「お前、さっきから何やってんだ?」
「あぁ? 七花が無事に帰ってくるように、魔王サタン様にラテン語で祈りを捧げているのだ。邪魔するな!」
はあ!?
よりによって誰に祈ってんだよ。
てか、パソコンに書きながら祈るって効果あるのか?
「あのさ」
ぶつぶつと魔王に祈りを捧げ続けるダミアンに話しかけると、射抜くような視線を向けられた。
無事に帰って来れなくなりそうだから、魔王に祈るのマジでやめてほしい。
もう一度電話をしようとしたとき、
ピロリン♪
メッセージアプリの通知音だ。
ダミアンの打鍵音がピタッと止まる。
姉ちゃんからのメッセージだ。おれはスマホを開く。
『ごめーん! 機内モードにしてた! いまJPRで帰宅中だよ♡』
……なんともお気楽なメッセージが送られてきた。
人の気も知らないで。
気づけば、いつの間にか肩の上からダミアンがスマホを覗き込んでいた。
迎えに行くと返事をして、おれは急いで駅に向かった。
「にゃぁ」
「なんでついて来るんだよ」
軽いとはいえ、肩の上に乗られると、ずっしりとくるな。
√ 夜に貴様だけ外出させるわけにいかないからな。
駅に着くと、長いエスカレーターで下りてくる姉ちゃんの姿が見えた。
両腕に大きな紙袋をぶら下げている。
おれを見つけた姉ちゃんは、手を顔の前で合わせ、拝むように何度も頭を下げていた。
□
リビングのソファに腰を下ろすと、姉ちゃんはダイニングチェアに置いた紙袋から、緑のナイロン袋を取り出した。
「だから、姉ちゃん…… 聞いてる?」
「聞いてる聞いてる~♪」
胃がキリキリするほど心配していたのに、当の本人は浮かれた様子で鼻歌まじりだ。
駅から家までのあいだ文句を言い続け、日が沈むまでには帰ることを、もう一度約束させたんだけど、姉ちゃんは反省してる風もなくて、妙に機嫌がいい。
「琢磨、立って」
「は? なんだよ」
むくれたまま立ち上がると、姉ちゃんは真新しいポロシャツをおれの両肩に押し当てた。
「ふぅむ」
姉ちゃんはおれの全体を眺めて少し考え込む。
「琢磨、これに着替えて」
「なんだよ、これ」
そう言うあいだにも、姉ちゃんは袋から次々と中身を取り出し、テーブルに並べていく。
上着、パンツ、スニーカーまである。
「いいから、いいから」
「こんなに買って大丈夫なのか?」
おれが心配しているのは、もちろん金、生活費のことだ。おれが社会人になるまで、出来るだけ無駄使いは控えようって言ってたのに。
「そんなこと心配しなくていいよ。それより、ほら、早く着替えて!」
着替えてと言われても。
「……」
姉ちゃんをジッと見てると、
「あっ、ごめんごめん。お姉ちゃん、あっち向いてるから! だから、気にしないで着替えてっ」
だめだ、背中を向けられたが、テンションが高すぎて、どうしてこんなに無駄使いしたのか聞けない。
「自分の部屋で着替えてくる」
おれはそう言い残して、自室へ向かった。
□
着替えてリビングに戻ると、ダミアンが皿に顔を突っ込んで晩ごはんを食べていた。
棚には、ちょっと贅沢なプレミアムキャットフードの缶が五つほど積まれている。
「きゃっ、かっこいい!」
キッチンから飛び出してきた姉ちゃんが、ぱぁっと表情を明るくする。
……いやいや、「かっこいい」は言いすぎだ。
自分の顔面偏差値ぐらい把握してる。
せいぜい中の中ってとこだ。
それよりも気になるのは、この服の値段だ。
「姉ちゃん、これ…… 高かったんじゃ?」
おずおずと訊くと、姉ちゃんは得意げに胸を張った。
「えへへ、実はね。今日、寸志が出たんだよ!」
「寸志って?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「ボーナス! みたいなものだよ」
ボーナス?
「まだ入社三か月目だからね。本当のボーナスじゃないけど、それっぽいのが少しだけ出たの。だからお金のことは気にしなくていいよ」
気にしないでと言われても、そんなにたくさん出たわけじゃないだろうし。
「あのさ、こんなに買ったらボーナス、残ってないんじゃ」
「ちっちっちっ」
姉ちゃんが人差し指を立てて左右に振る。
「ボーナスじゃなくて寸志だよ。寸志」
いや、そこは問題じゃない。
「あのね、琢磨。初めてのボー、じゃなくて寸志は家族のために使おうって決めてたの。だからね、気にしなくていいんだよ。私の気持ちなんだから」
……やばい。
なんか、目頭が熱くなってきた。
「でも、姉ちゃんの分が残ってないんじゃ」
「特に欲しいものないし、平気だよ。それに……」
それに?
あれっ、姉ちゃん急に、にまっと口元を歪ませる。
「琢磨、土曜日デートなんでしょ? せっかくの初デートなんだから、みゅうちゃんと並んだときに琢磨が見劣りしないようにしないとね」
…………は?
「えぇっ!? なんで知ってんだよ!」
おれが狼狽してると、
「みゅうちゃんが酢豚を持ってきてくれたときに、嬉しそうに話してたよ。『たっくんにデートに誘われたんだ』って」
いや、おれから誘ったかと言えば微妙なところだが。
まぁ、最終的にはおれが誘ったから、そういうことになるのか……
「みゅうちゃんもデートは初めてだって言ってたから、琢磨がしっかりとリードしてあげないとね」
「ははは……」
思わず乾いた笑いが漏れた。
そうだった。
心優は姉ちゃんに隠し事なんてしない。
なんだって話してしまうことを忘れてた。
「でも、お姉ちゃんは少し寂しいよ。これから、琢磨の服選びはみゅうちゃんに取られちゃうのかな~って思うと……」
そう言いながら、姉ちゃんはわざとらしく涙を拭く仕草をする。
少し勘違いをしてるようだ。
「あのさ、言っとくけど…… 別に付き合うってわけじゃないからな?」
「え? そうなの?」
姉ちゃんの目がまん丸になる。
「だってさ、おれと心優じゃ…… 釣り合わないし」
そうだよ。
中学のときは、心優は学年のアイドルだった。
今だって同じようなもんだ。
姉ちゃんはふっと視線を落とし、おれの襟もとを整えながら、そっと顔を上げた。
「そうかなぁ、私はお似合いだと思うけど」
そう言って、おれの両肩をポンポンと叩く。
「もっと自信を持ちなさい。琢磨は全然かっこ悪くなんてないよ。お姉ちゃんが保証してあげる!」
姉ちゃんは両拳を細いウエストに当てて胸を張った。
「なんだよ、それ」
身びいきにもほどがある。
「おれのことばっかり言ってるけど、姉ちゃんは好きな人いないのか?」
軽い気持ちで尋ねると、姉ちゃんは「えっ」と言って露骨に動揺した。
「私は……」
目が泳いでるぞ。
「もしかして、好きな人ができたのか?」
姉ちゃんの動揺が激しくなる。
「いや、その……」
あれ、形勢逆転? これはちょっと面白いかも。
「誰? どんな人?」
からかうように詰め寄ると、姉ちゃんは真っ白な頬を一気に真っ赤に染めて、視線を逸らした。
そして、ポツリと――
「……会社の、先輩」
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