41:首に触れるまで
◇十八日目【6月27日(木)】
■西港に潜むもう一つの顔 《POV:男》
西港市の中心駅、西港中央駅から、山側へ十分ほど坂を上ったところに、一階部分がレンガ造り風の古い雑居ビルがある。
その地階でひっそりと営業しているショットバーのカウンターで、二十代半ばの男が、隣に座る若い女と談笑していた。
男は有名ブランドのスーツに身を包み、背が高く、端正な顔立ちをしていた。
銀縁の眼鏡が知的な雰囲気を際立たせる。
女なら思わず目で追ってしまう、そんな二枚目だ。
一方、隣に座る女はカジュアルな服装で、健康的に日に焼けた肌を惜しげもなく晒していた。
年の頃は二十歳前後といったところか。
「西港に来るのは初めて?」
男はカクテルグラスを置き、女の瞳を覗き込む。
女は少し視線を落としながら、控えめに微笑んだ。
「はい。一人旅も初めてなんです。何ヶ月も前から計画してたんですけど……」
「けど?」
優しく促す男の視線は、女の瞳から首筋に移動する。
「最近、西港市って物騒ですよね? 殺人事件が何度も起きてるってニュースで見ました。親や友達にも、別の場所にしたらって止められたんです」
男は悲しげに目を伏せたが、女はぱっと表情を明るくする。
「でも、来てよかったです! 食べ物は美味しいし、港の景色もきれいだし、それに、こんな素敵なバーもあるし」
男が微笑むと、女も嬉しそうに続ける。
「あとは……」
「あとは?」
男は興味深そうに首を傾げた。
「有名な夜景を見てみたいなって」
西港市の中央には、東西に甲山山地が連なり、いくつもの展望台が点在している。
「それならぼくが案内しますよ。すぐ近くにロープウェイの駅があります。展望台はたくさんありますが、ロープウェイを上がったところの展望台は、夜景スポットとして人気があるんですよ」
「……連れて行ってくれるんですか?」
「もちろん」
少しして、花が開くように、女の顔が一気に明るくなる。
美人ではないが、その笑顔には引き込まれるものがあった。
「それじゃ、遅くなる前に行きましょうか」
男は会計を済ませ、席を立つ。
「あの、私の分のお金……」
女が慌ててバッグから財布を出そうとしたので、男は片手で制した。
「ここはぼくが払いますよ」
「でも」
「それでは、展望台でなにか飲み物でも奢ってください」
男が穏やかに微笑むと、女も納得したように頷いて、男の後をついて店を出た。
□
ロープウェイのゴンドラに揺られながら、二人は眼下に広がる港の夜景を眺めながら展望台へと向かった。
途中、中間駅を通過する。
そこはすでに照明が落ちていて、人気もない。
ゴンドラが静かに滑るように進み、やがて展望台へと到着した。
展望台に着くと美しいヨーロッパ風の建物が並んでいた。
異国情緒あふれる光景に、二人は自然と歩を進める。
売店で飲み物を買い、夜景の見える場所に移動した。
「うわぁ、素敵」
女が手すりに手をつき、街を見下ろす。
眼下には光の海が広がっている。
対岸には光の泡のような西都の工業地帯が見えた。
「下に行ってみませんか?」
「下ですか?」
男は頷く。
「あそこの階段を下りると、広い花畑があるんです。夜のライトアップも綺麗ですよ」
女は少し戸惑ったが、家族連れが階段を下りていくのを見て安心したのか、こくりと頷いた。
「それじゃ、行きましょう」
飲み終えた紙コップをゴミ箱に捨て、二人は階段を下りた。
花壇は柔らかなライトに照らされ、色とりどりの花々が浮かび上がるように咲いている。
夜の静寂の中、二人は自然と手を繋ぎながら、ゆっくりと坂を下っていった。
「ごめんなさい。お手洗いに行きたいんですけど……」
「そうですか。ここからだと上の展望台に戻るより、下にある中間駅のほうが近いですね。そっちに行きましょう」
男は女の手を引き、中間駅へ向かった。
中間駅は花壇を一番下まで下ったところにあり、そこまで来ると周囲に人の姿はなかった。
駅舎の照明は落とされ、トイレ周辺だけが花壇の明かりでぼんやりと照らされている。
駅の壁に「照明故障のお知らせ」と書かれた紙が貼ってあった。
女がトイレに向かう間、男は登山道の入り口にあるベンチに腰を下ろしていた。
あたりは薄暗く、静寂が支配している。
頭上には大きな木の枝が覆いかぶさり、ゴンドラが通る音だけが微かに響いていた。
やがて、女が戻ってきた。
女は男の隣に座り肩を寄せる。
「私、本当に西港に旅行に来てよかったです。こんなに素敵なところに来れるなんて、思ってなかったので……」
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいです」
男が微笑みながら立ち上がる。
「もう行くんですか?」
彼女は寂しそうに男を見上げた。
「女の子を遅くまで連れ回すのは良くないと思って」
すると女は立ち上がり、そっと男の手を取る。
「……少しくらいなら、いいです」
男は女に向き直り、まっすぐに見つめた。
その目に射抜かれたように、女は頬を染める。
「あの…… まだ名前を言ってませんでしたね。私は竹下真由って言います。あなたの名前は…… えっ?」
真由の言葉が止まる。
男が突然、真由の肩を引き寄せ、顔をすぐ目の前に近づけたからだ。
驚いた表情を見せた真由は、やがてそっと瞼を閉じた。
だが、期待していた温もりは来なかった。
「ねえ、まゆちゃん」
男の声は冷めきっていた。
先ほどまでの柔らかな雰囲気が、まるで嘘だったかのように、空気が変わる。
「どうしてさっき会ったばかりの僕についてきたの? 君の親御さん、知らない人についていっちゃダメって教えてくれなかったのかな?」
耳元で囁くその声に、真由は身をすくませた。
「……え?」
男の手が、真由の首筋に沿って滑る。
まるで繊細な陶器でも扱うように、その輪郭をなぞるように。
「まゆちゃん。細くて、綺麗な首だね」
その言葉に、真由の背筋がぞわりと震えた。
男はまるで遊ぶように指先で真由の顎を上げ、その表情を観察する。
その顔には笑みが浮かんでいた。
だが、それはどこか歪で、ぞっとするものだった。
「思わず…… その首筋に見惚れてしまうよ」
男の言葉に、真由の体がガクガクと震えだす。
男の手が真由の首元に添えられる。
「や、やめて……っ」
真由が震える声を漏らす。
男の目に、その恐怖が映る。
口元にうっすら笑みを浮かべたまま、男はささやく。
「その顔、いいね。そういう表情が……一番好きなんだ」
男の手が、真由の華奢な喉をしっかりと包んだ。
真由の呼吸が次第に乱れ、必死に抵抗しようと手足を動かすが、やがて力が抜け、微動だにしなくなった。
男はその静寂を淡々と確認し、冷たい夜風が吹く中、ベンチのそばにはもう真由の気配はなく、男だけが立っていた。
男は軽く息を吐き、表情を整える。
「あーぁ……終わっちゃった」
淡々と呟くと、男は足元に視線を落とし、簡単に周囲の確認を済ませた。
バッグの中から必要なものだけを抜き取り、余計な痕跡を残さないよう簡潔に処理する。
「さて…… ここに長居はできないな」
男は周囲を一度見渡し、静かにその場を離れた。
来た道を戻ることはせず、登山道へと足を向ける。
途中、闇に沈むダム湖の横を通り過ぎ、滝の轟音を背に山を下りていく。
やがて住宅地へ出た。
男は不要になった小物類を、決められた場所にそっと置き、何事もなかったかのように立ち去った。
「トイレでも行くか」
尿意をもよおした男は、地下鉄と超高速列車の駅に直結している高層ビルのエントランスをくぐる。
ビルの上層階がホテル、低層階にはショッピングモールが入っている。
男は低層階のトイレに入ると、大きな旅行鞄を見つけた。
鞄の上には沢山のお土産が入った袋が乗っている。
持ち主は個室の中らしい。
サイドポケットのチャックをそっと開くと、中から超高速列車のチケットが出てきた。
「不用心だな」
チケットを見ると行先は東都だった。
「あの女の大学、九州の大学だったな」
さっき捨てた真由の学生証の記憶が蘇る。
男は薄く笑うと、ポケットから取り出したスマートフォンを鞄の奥へ押し込んだ。
これで捜索願いが出されても、スマホのGPSを追えば真由は東都へ向かったことになる。
「これでしばらくは大丈夫、っと」
その後、地下鉄に乗り込み、自宅へ向かうため西港中央駅で下車。
男は乗り換えるためにJPRの改札へ向かう。
「こんばんは、花垣さん」
JPRの改札を入ったところで背後から呼びかけられ、男はピクリと肩を震わせてゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、スーツ姿の若い女。
まるで西洋人形のような美しい顔立ちで、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「やぁ、吉野さん。買い物の帰りかい?」
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