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40:天使みたいな悪魔の衣装

■善処という名の約束


「ただいま」


「おかえり」


 玄関を開けると、エプロン姿の姉ちゃんが迎えに出てきた。


 やっぱり、姉ちゃんはいつ見ても可愛い。

 こんなの、旦那になるやつは毎日速攻で帰宅するだろな。


「どこに行ってたの? さっきまでみゅうちゃんいたんだけど、もう帰っちゃったよ」


「そうなんだ」


 今日も来てたのか。今朝のこともあるし、顔合わせるのが恥ずかしいから、ちょうどよかった。

 ……にしても、姉ちゃん、めちゃくちゃニマニマしてるんだけど。


「なんかあった?」

「ううん、なーんにも」

 絶対なんかあっただろ。

 と、問い詰めたいが、姉ちゃんは踵を返してキッチンに戻っていく。


「いい匂いだね。中華?」

 声をかけると、ダイニングの扉の手前で姉ちゃんが振り返った。


「正解! おばさんが酢豚つくったんで、みゅうちゃんが持ってきてくれたんだよ。早く上がって。ご飯にしよ」


「すぐ行く」

 おれは玄関扉を閉めた。


「ルナもご飯よ」


 姉ちゃんに呼ばれると、ケージからダミアンがひょいっと飛び降り、ちょこちょこと後をついていく。

 すっかり元気になったみたいで、ほっとする。


 おれも靴を脱ぎ、ダイニングへ向かった。


 晩ごはんを食べて風呂に入ったおれは、自室に戻ると机の上に広げた縦横6、70センチくらいの白い端切れの真ん中にハサミを入れ、丸い穴を開けていた。

 姉ちゃんから一緒に貰ったゴム紐も30センチほどの長さに切ってある。


√ あぁ~、風呂は最高だな。


 風呂嫌いだったはずの化け猫が、気持ちよさそうに部屋へ入ってきた。

 今日も姉ちゃんに洗ってもらったんだろう。


「猫ってあんまり風呂に入るのは良くないらしいぞ」


√ 仕方がないだろう。水で拭いても、貴様の粘液がついていると思ったら気持ち悪かったのだ。


「鼻水を“粘液”って言うのやめろ」


 ダミアンは端切れを覗き、首を傾げた。


√ ところで貴様はなにをしているのだ?


「お前の服を作ってるんだよ。昨日みたいに裸でふんぞり返られると、落ち着かないからな」


√ ふぅん。ちょっと貸してみろ。


 そう言うなり、ダミアンは人間の姿に変わった。

 首には心優がくれた伸び縮みする猫用首輪がぶらさがっている。

 おれはそっと視線を逸らしながら、端切れとゴム紐をダミアンに放り投げた。


「この紐はなんだ?」


「大きな声を出すなよ」

 可愛らしい声で話すダミアンに釘を刺す。


「わかった」


 ひとまず、端切れの使い方を説明する。


「その穴に首を通して、ゴム紐でウエストを括れば服代わりになるだろ」


「うむ」


 小さな衣擦れの音。

 どうやらちゃんと着ているようだ。


「こっちを見てもいいぞ」


 ほう。

 真っ白な端切れを身に纏ったダミアンは、まるで美しい人形のようだ。


「琢磨、この服には致命的な欠陥があるぞ」


 そりゃそうだろう。

 あくまで服の代用品だ。

 とりあえず、欠陥とやらを聞いておこう。


「どこが問題なんだ?」


「これだと昨夜のように、急に七花が部屋に入ってきたら、また首が締まってしまう」


 ……確かに、それもそうだな。


「それじゃ、どうすればいい?」


「少し手直しをしよう。針と糸を持ってこい」

「針と糸?」


 こいつ……

 まさか自分で服を作るつもりか?


「エミリアの話をしただろ。吾輩が最初に憑依したスロバキアの娘だ」


「なんかそんなこと言ってたな」


「エミリアはお針子だったのだ。エミリアの記憶は今も残っている。八百年前のスロバキアの民族衣装なら作ることが出来るぞ。なんなら貴様の服も作ってやってもいい」


 ダミアンが得意げに胸を張る。


 その民族衣装というものを検索してみると――

「ごめん、いらない」


 スロバキアの民族衣装は綺麗だけど、現代日本での使い道なんて、せいぜいコスプレかテーマパークの衣装くらいしか思いつかない。

 そもそも、八百年前のものと、今の民族衣装が同じものかもよく分からないが……


「そうか。残念だが、作るのはやめにしよう」

 ダミアンはちょっとしょんぼりしている。

 作りたかったのか?


 仕方なく、おれは両親の部屋から裁縫セットを持ってきて渡した。

 ダミアンは嬉々として一番長い針と糸を取り出すと、針の先をじっと見つめて首を傾げる。


 ……なんか、こいつが持つと針というより、殺人鬼が持つアイスピックみたいで怖いな。


 ダミアンは長すぎると思ったのか、今度は4センチくらいの一番短い針を手に取った。

 それでも、体とのバランスを考えると、かなり長い。


 しばらく考えたあと、ダミアンは着ていた端切れを脱ぎ始める。


「ちょっと待て!」


「なんだ? 今から手直しをするのだ。邪魔をするな」


 いや、邪魔とかそういう問題じゃない。


 ダミアンは脱ごうとした端切れを渋々元に戻す。


 おれは押し入れを指さし、

「自分の部屋でやってくれ」

 と言うと、ダミアンは舌打ちを一つ残して、めんどくさそうに押し入れへと入った。


 おれは裁縫セットを押し入れに放り込み、押し入れの中のライトをつけて引き戸を閉めた。


「そういえば、中原の部屋は見つかったのか?」

 押し入れの中のダミアンに声をかける。


「いや、表札がなかったのでわからなかった。だが、吸血族があのマンションにいることは確かだ」


「まじで?」


「そうだ。吾輩がマンションで足を滑らせたのは、強い殺気を感じたからだ」


 それでいきなり足を滑らせて、マンションの十一階から落ちたのか。


「ということは……」


「中原の主人は、中原と一緒に住んでいる可能性があるな」

 家族が憑依されてるってことか。

 中原が気の毒になってきた。


「ははぁん、そういうことか。なるほどな」

 ダミアンが突然得意げに話し出す。


「……なんだよ、その『なるほど』って?」


「以前、中原に与えられたギフトについて話しただろう。一下僕にしては、ギフトを二つも持っているのはよほど優遇されているな、と」


 ――そういえば、そんなことを言っていたな。

 ダミアンは続ける。


「中原の身に何かが起きると困るのだ。中原が死んで宿主が体調を崩したり、精神を病んだりすればおおいに問題だ」


「それじゃ、中原の家族構成を調べないとな」


 まず、宿主が誰かを突き止めないと何もできない。


「そうだな。殺気を向けてきたということは、そいつは吾輩が猫に憑依したことを知っている。そして吾輩にとっては敵だ」


「おい、まさか」


「当然だろう。吾輩の生命を脅かすやつは、排除する」


 ……空気が張り詰めた。

 凍りつくような冷たい声に、思わず椅子から立ち上がる。


「ちょっと待て。排除ってどういう意味だ?」

 しばらく沈黙してから、押し入れの中で溜息が落ちた。


「放置していればこちらが殺られるぞ。中原は貴様のことも知っている。そうなると、七花や心優も安全とは言えん。よく考えるんだな」


「そんな……」


 胃の奥がぎゅっと痛む。

 倒れるように椅子に座ると背もたれに体を預ける。


「人を殺さないって、約束したじゃないか」


「それは、吾輩の命を脅かさない者に限った話だ」

 押し入れから聞こえるのは、可愛らしい地声を、無理やり低くしたような声だった。


「吸血族を殺すってことは、宿主になっている人間…… つまり中原の家族も殺すって事だろ。宿主はただの被害者で、お前に危害を加えようなんて考えていないじゃないか。そんなの、絶対に良くない……!」


「貴様、仮にも悪魔の吾輩に善悪を説くつもりか?」


 確かに悪魔と神は善悪で争ってる。

 そりゃ、こいつのほうが詳しいに決まってる。

 だけど……


「だけど、人殺しは許容できない。もし、そんなことをしたら…… おれはお前と一緒にはいられない」


 押し入れの中から、大きなため息が漏れた。


「よいだろう。宿主は殺さないようにしてやる。ただしだ」


 但し……


「今の吾輩はこのような姿だ。体のサイズの違いが、どれほど能力に影響するか分からん。不利に働いても、有利になるとは思えん。争いが起きれば、相手の宿主まで気が回らないこともあるだろう。そのときは」


 そのときは……


「吾輩を責めるな。以前にも言ったが、吾輩も死にたくはないのだ」


 ……


「わかった。でも…… 殺さないようにしてくれ」


「善処しよう」


 前にも同じようなことを話したが、ダミアンの敵が襲ってきたときの事を考えると、やっぱり不安を拭いきれない。

 もし、ダミアンが人を殺してしまったら……


「しばらくは様子を見るってことでいいか?」


「そうだな。中原はいつも貴様より早く帰っている。おそらくここの住所は知らないだろう。だが油断するな。怪しい素振りを見せたらすぐに吾輩へ知らせろ。それと、心優には中原にここの住所を教えないように念を押しておけ」


「わかった、そうする」


 中原が何も仕掛けてこなければ、ダミアンが戦う必要もない。

 おれは、中原が何もしてこないようにと願った。


「できた!」


 そんなおれの気持ちなどお構いなしに、押し入れの中から明るい声がもれた。


 ガラッと音を立てて押し入れの戸が開くと、そこには白い衣を身に纏ったダミアンが立っていた。

 右腕を腰に当て、どこか得意げにポーズを決めている。


「どうだ、似合っているか?」

 ダミアンは心優から貰った伸び縮みする首輪に、端切れをうまく縫い付けたようだ。


「あぁ、似合っている」


 ゴム紐で腰を絞っているせいか、ウエストがキュッと引き締まって見える。

 白くて細い脚が綺麗だ。


 服の丈が短いのと、首の鈴が少し気になるが、確かに似合っている。


 なんというか……

 そう、まるで天使みたいだ。

 悪魔のくせに。


 スーパーロングと言っていい髪の毛も、腰上あたりまで短くなっていた。


「髪の毛、切ったのか?」


「……意外と、目は節穴じゃないな」

 少し間を置いてから、ダミアンは口元を歪めた。

「吾輩の変化が、そんなに気になるのか?」

 聞くんじゃなかった。

 なんかニヤニヤしていて、ちょっとむかつく。


「その服、どういう構造になってるんだ」

「ふむ」


 ダミアンは腰の紐を解き、両手を広げる。

 布はふわっと広がり、四角い袋みたいになる。


「古代ギリシャにキトンという貫頭衣があってな。それを参考にしたのだ」


 そう言うと、ゴム紐をもう一度腰に巻いてルナの姿に変わる。


 貫頭衣はルナの体を包むような、白い猫服になった。

 問題の首まわりも、首輪が伸びて苦しくはなさそうだ。


√ まだ改良の余地がありそうだが、これなら猫でも人型でも着ることができる。


 満足げに頷き、人の姿に戻った。


「問題は胸元だ。少し開き過ぎではないか?」


「確かにもう少し絞ったほうがいいと思うけど」

 中が見えそうだ。


 そう言うと、ダミアンはニヤッと笑った。


「見たいか?」

「見たくない」


「即答か? それはそれで失礼だな」

 なんか、口を尖らせて睨まれた。


「この首輪は伸び縮みするが、縮んでいるときでも人型の吾輩の首には少し大きいのだ。もう少し工夫してみよう」


 ダミアンは腰のゴム紐を調整しながら、おれを見上げた。


「ところで琢磨。もっと端切れは無いのか? 出来ればいろいろな色が付いたものが良い」


「姉ちゃんに言えば、貰えると思うけど」


「くれっ」


 なんかこれ以上ないくらいの笑顔になった悪魔にせがまれ、おれは姉ちゃんの古い服や、捨てる予定だった両親の服を大量に貰って、押し入れに放りこんだ。

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