35:満月の夜
■満月の夜、ただひとりの参列者
姉ちゃんが作った晩ご飯を食べたあと、おれは冷えたミネラルウォーターのペットボトルとコップを持って自室に戻った。
ダミアンは姉ちゃんに風呂に入れてもらっている。
コップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
そして改めて自分の左膝に視線を落とした。
「いよいよ人間離れしてきたな……」
左膝は言うでもなく、体のどこにも傷はない。
しかし、郷原が吸血族の下僕になったなんて、おれにとって脅威そのものだ。
あいつは本気でおれを殺そうとしていた。
下僕になったことで、ためらいなく人を殺せるようになったのか。
それとも――
√ あぁ~、さっぱりした。
ダミアンが風呂から上がり、部屋に入ってきた。
後ろ足で器用にドアを閉めると、そのまま机に跳び乗り、二本足で立ち上がっておれを見下ろす。
こいつ、化け猫で吸血鬼の親玉のくせに、すっかり風呂好きになったな。
猫もヴァンパイアも、水が嫌いじゃなかったか?
√ 吾輩にも水をいれてくれ。
「おれが飲んだコップでいいか?」
√ かまわん。
ダミアンは水を入れたコップを受け取ると、おれを見てニヤッと笑った。
√ 間接キッスだな。
男どうしで気持ち悪いことをいうな!
「いいからさっさと飲めよ」
√ うむ。
ダミアンは腰に手を当て、片手でコップを持って一気に水を飲んだ。
√ ぷふぁ、風呂上がりのミネラルウォーターは最高だな。
「……お前、銭湯で牛乳飲むおっさんかよ」
ちなみに我が家のミネラルウォーターは、「甲山山系の美味い水」。猫の体にもやさしい軟水だ。
安売りしている時に、たまに買うくらいだけど。
「姉ちゃんは?」
√ まだ風呂に入ってるぞ。吾輩は先に出てきた。
そうか、まだ風呂か。
「ってお前、姉ちゃんと一緒にふろに入ってたのか?」
√ 吾輩が七花と風呂に入って、なにか不都合でもあるのか?
たとえ猫の姿でも不都合はあるだろう。
「だって、姉ちゃんは女だぞ」
√ そうだな。男だったら兄ちゃんだからな。
「いや、そういう話じゃなくて」
おれが断固抗議をしようとすると、ダミアンはニヤッとして、
√ ははぁん。さては貴様、なにか余計な想像をしているな。
なんてことを言い出した。
「はぁ!? そうじゃなくって」
√ ふむ、七花のプロポーションはなかなかのものだぞ。細いのに出るところはしっかりと出ている。湯に浸かると張りのある白い肌が薄っすらとピンクに染まってな。
姉ちゃんの入浴シーンが脳内に浮かび、おれの顔が一気に熱くなった。
√ いかんなぁ、実の姉に欲情するとは。
ハッとしたときには、ダミアンがおれを見てニタニタしていた。
「この悪魔め……!」
ほんのちょっとでも姉ちゃんのことをその……
だめだ、おれは背徳感を感じて頭を抱えた。
√ ところで琢磨、いま何時だ?
「時計くらい自分で見ろよ」
おれのことを考え、進学すら諦めて就職した姉ちゃん。
毎日おれの世話を焼いてくれる優しい姉ちゃん。
なのにおれは、なんてことを……
と、頭を抱えてウジウジしていたのだが。
√ 琢磨、今晩十二時、吾輩に付き合え。いや、付き合ってもらうぞ。
ダミアンの声は妙に真剣だった。
なんだよ、急に!
おれは顔を上げて、二本足で胸を張っているダミアンを見た。
さっきまでと違い真面目な顔をしている。
たとえ二週間くらいとはいえ、四六時中一緒にいると、こんな毛むくじゃらでも表情が分かるようになるんだなと、ちょっと自分に感心した。
「なにをするんだ?」
√ ちょっとした儀式のようなものだ。吾輩には参列してくれるものがいないので、貴様が一緒にいてくれ。
儀式みたいなもの?
黒ミサか?
「あのさ、すごく言いにくいんだけど…… 参列はしたくないな。おれ、悪魔崇拝とか興味ないし」
サバトとか、ヤバすぎだろ。
おれがよっぽど嫌そうな顔をしてたのか、ダミアンは微妙な笑みを浮かべ、
√ ミサではないので安心しろ。信仰心の無いやつにミサに来られても、魔王様が嫌がる。
とか言ってきた。
悪魔でも信仰心って大事なんだな。
「じゃぁ、なにするんだよ」
√ 今晩は満月だ。
分かってる。
さっき月を見上げたときはまんまるだった。
今朝、ダミアンは「今晩はババアも手が離せん。家がばれたわけでもないし、そんなにすぐ襲撃など来るものか。」と言っていた。
でも、満月が終わればエヴァが動く可能性がある。
それは非常にヤバい。
エヴァのことを思い出すと身震いがする。
√ 以前にも話したが、満月の夜に吾輩の憑依は定着する。
ダミアンは続ける。
√ 本来なら眷属に見守られる中、憑依定着の儀式を行うのだが、いまの吾輩には眷属と呼べるものがおらん。
ダミアンはすねたような顔をして、上目遣いでおれをチラチラ見てくる。
まるで運動会や音楽会に親が来れなくなったとき、「え〜、来てくれないのぉ」ってすねる小学生みたいだ。
まあ、おれにもそんな経験あるから気持ちはわかる。
すねるなよ。
という言葉は言わないでおく。
「分かった、参列するよ」
√ そうか、では特別に最前列での参列を許そう。
急に元気になったな。
だいたい最前列って、おれひとりじゃないか。
「やっぱ、やめようかな。偉そうでムカつくし」
√ そんなつれないことを言うな。吾輩と貴様の仲ではないか。
ダミアンがバタバタと前足を動かして慌てる。
「冗談だ。参列するから安心しろ」
……よほど一人で儀式をするのが嫌なんだな。
心の中で笑っていると、一階から姉ちゃんの声が聞こえてきた。
「琢磨、お風呂あがったから入って」
「今から入る」
おれは自室のドアを開けて返事する。
「ドライヤーをかけるから、ルナもつれてきて」
「わかった」
おれは姉ちゃんに返事をすると、机の上でちょこんと座っているダミアンを抱えて部屋を出た。
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