33:vs.郷原2
■空き地に落ちる殺意の影
コンビニから数分も離れていない線路沿いの空き地。
三方を古びた四、五階建てのビルに囲まれたその場所で、おれと郷原は向かい合っていた。
ビルの壁には空き地側に窓がない。
たぶん、以前ここにも同じように、正面しか窓がない古いビルが建っていたんだろう。
入口側には〈立入禁止〉と書かれた黄色のバリケードと、赤と白のコーンバリケードが並んでいる。
逃げるときは邪魔になりそうだ。
太陽はもう沈み、この辺りは街灯もまばらで薄暗い。
「腕は大丈夫みたいだね、吉野くん。骨は砕けたと思ったんだけど、君は意外と頑丈なんだね」
郷原が不敵に笑って、おれの顔を覗き込む。
やばいなぁ。
昨日はダミアンの指示があったから何とかなったけど、今は1対1。正直、勝てる気がしない。
郷原の足元を見ると――
「吉野くん、今日は安全靴じゃないから安心してよ」
……考えていることすら読まれている。
「もしかして、喧嘩の続きをやる気か?」
「そうだね。僕にもプライドというものがあってね。吉野くんみたいに弱っちいガリ勉くんにやられたまんまだと、どうにも我慢できなくてさ」
だめだ、めちゃくちゃ怒ってる。
郷原が一歩詰めてくる。おれは反射的に一歩下がった。
「ねぇ吉野くん、昨日の続きをしようよ。なっ」
――ドンッ
「ぐぁっ……!」
左脇腹に衝撃が走ったと同時に、体が右に吹っ飛んだ。
ザザァー
右肩から地面に叩きつけられ、砂利の上を滑る。まったく見えなかったが、郷原の体勢からして蹴られたのは間違いない。
……なんだ、いまのキックは!?
昨日の比じゃない。破壊力が二、三倍になったかのような強烈な蹴りだ。
「どうした吉野くん。早く立てよ」
おれは起き上がり、左脚を支えに立ち上がろうとした。
――ドサッ
何が起きたかわからないが、おれの体は再び右側へと倒れた。
左脚を外側に蹴られたようだ。
「うあぁっ……!」
左脚の関節をやられた。
脚の関節がありえない方向に曲がっている。
「どうした吉野くん。少しくらい抵抗してよ。あんまり一方的だと面白くないでしょぉ?」
郷原の声が、冷たく嘲笑を含んで響く。
おかしい。いくらなんでもこれが人の力なのか?
「ちょっと待って。骨が折れたかもしれない」
郷原は鼻で笑って、
「折れたかもしれない? そうじゃないよ、折ったんだよ、狙ってね」
マジか。
こいつ、本気でおれを殺すつもりじゃないだろうな。
全身の血の気が引いていく。右足で地面を蹴って、必死に後ずさった。
郷原が冷酷な笑みを浮かべる。
「お次はその頭に一発…… んっ?」
郷原の動きがピタリと止まり、視線はおれの後ろに向いている。
どうしたんだ?
そう思ったとき、背後で砂を踏む小さな音がした。
その音の主は軽快におれの背中を駆け上り、頭と右肩の上にその体重を乗せた。
視界の端に黒いモフモフの毛が映る。
√ まったく。家に帰っていないと思って探しに来てみればこれだ。
「なんだ、こいつは」
郷原は一歩前に出て、おれ達に顔を寄せた。
√ 下僕。
「下僕?」
思わず聞き返すと、郷原が顔を歪めた。
「はぁ、誰が下僕だってぇ」
言い終えるより早く、郷原の蹴りが左顔面に炸裂した。
思わず目をつぶったが……
あれっ、どうなったんだ。
「ぐぅあぁぁっ!」
声を上げたのは郷原のほうだった。
んっ……?
目を開けると、郷原が自分の脚を押さえて悶えている。
「いってぇ、なんだこの石頭!」
人の顔を蹴っておいて、なんて言い草だ。
√ ふん、下僕ごときの攻撃が吾輩に通用するとでも思ったのか。
そう言うと、ダミアンはおれの肩から飛び降りて、二足歩行で郷原へと歩み寄る。
……魔力の鎧で助かったのか。
√ 貴様、誰の下僕だ。
ダミアンが郷原に問いかけるが、その声は郷原には届いていない。
「なっ、なんだこの化け猫は!」
郷原の声が震える。
さすがの郷原も、二足歩行する猫には驚きを隠せないようだ。
ダミアンが立ち止まる。
「ひっ……」
ダミアンはおれに背を向けているので表情は見えないが、ビビる気持ちはよくわかる。
√ ほう、魔力鎧を纏ったか。だが、下僕ごときの魔力で吾輩の攻撃を防ごうとは甘いな。
ダミアンが苛立っていることが伝わってくる。
√ おい琢磨、吾輩の言葉をこいつに伝えろ。
おれは頷き、郷原に向かって言った。
「この猫は、お前は誰の下僕だって訊いている」
「なっ、何のことだ」
郷原の顔色が変わった。
下僕?
おれもあらためて、さっきから自分が口にしている言葉の意味を考える……
――なんだって、郷原は吸血族の下僕なのか?
おれはダミアンと郷原を交互に見た。
√ 貴様からは魔力を感じる。隠すことは出来んぞ。
「お前から魔力を感じるから隠せないぞ。って言ってる」
おれがそう伝えると、郷原の瞳が驚きに見開かれた。
隠していた何かを見抜かれたショックが、はっきりと顔に出ている。
ダミアンは静かに右前足を顔の前まで持ち上げた。
指を人間のように広げ――
振り下ろされる軌道の中で、五本の爪が一気に伸びる。
ビュッと空気が裂け、
二十センチほどの長さを持つ鋭い爪が、刃のように露わになった。
√ 答えないなら命をもらう。
「答えないなら命を…… おいやめろ」
√ はぁ?
ダミアンが不機嫌そうに振り向く。
「ひぃっ」
金色の瞳がギラリと光る。
ダミアンの険しい表情を見て、喉から引き攣ったような声が漏れた。
√ 黙ってろ。
口を歪めながらチンピラのように話す姿は本当にガラが悪い。
「ひっ、人を殺すのは、よっ、良くない…… と思う…… よ」
必死に言葉を絞り出すが、ダミアンの迫力に押されて声が尻すぼみになってしまった。
√ ふん!
ダミアンは顔をしかめたまま郷原に向き直り、五本の爪の尖端を揃えて突きつけた。
「おい、ちょっ、ちょっと待て! 話し合おうぜ!」
郷原は余裕を見せようとして笑っているが、その顔は完全に引きつっている。
√ そうだな。もし主人に名前を言うなと命じられているのなら、主人の名を言うことは出来ないな。
「おい、この猫、今何か言ったのか?」
「主人の名前を言わないと殺す、って言っている」
ダミアンはおれが殺されかけたことを、自分の命への脅威だと捉えている。
おれが死ねば自分も死ぬからな。
要求が通らなければ、躊躇せずに郷原を殺すだろう。
いや、名前を聞き出せたところで、やっぱり殺す気なのかもしれない。
ダミアンが郷原に一歩近づいた。
「待て、ダミアン!」
おれは郷原が主人の名前を明かすことを願った。
「おっ、おい、ちょっと待てって。言うから」
よかった、主人の名前を明かすなとは命じられていないらしい。
「俺の主人は、ダル――」
郷原が主人の名を明かそうとしたとき、
「ルナちゃ〜ん」
心優?
不意に響いた声に、おれは反射的にそちらを見た。
近くから心優の声が聞こえる。
なんてタイミングだ。
ダミアンが郷原を殺すかもしれないっていうのに。
ダミアンへ視線を戻すと普通の猫の姿に戻っていた。
郷原は…… 目が合ったと同時に影がぶれ――
……消えた?!
ガッシャーンッ!!
空き地の入口から大きな音が響く。
そっちを見ると、郷原が立ち入り禁止のバリケードごと地面に倒れていた。
そしてそのすぐ横で、Tシャツにジーパン姿の心優が立ちすくんでいる。
驚きで声も出ないようだ。
「いってぇ……」
郷原がうめきながら立ち上がると、心優は一歩後ずさった。
「心優、逃げろ!」
おれは咄嗟に叫ぶ。
「えっ、えっ?」
心優はおれと郷原を交互に見て、状況を掴めずにいる。
「神木、また会ったな」
郷原は薄笑いを浮かべたが、
「っ……!」
ダミアンが近づくのを見てすぐに駆け出した。
追おうとしたダミアンだったが、心優が自分を見ていることに気づき、諦めて心優の足に顔を擦り付けた。
「にゃぁ~」
呆然としていた心優は、ハッとしたように我に返ると、ダミアンを抱き上げておれのもとへ駆け寄ってきた。
「たっくん大丈夫? ケガはない?」
心優はしゃがみ込んで、心配そうにおれの顔を覗き込む。
「あぁ」
おれは頷いた。
まずいな、左脚が折れていることがバレたら大騒ぎになる。
それがすぐに治ってたなんてことになったら…… あまり考えたくないな。
「大丈夫、ケガはしてないから」
腕を折ったときは、一時間くらいで治った。
それなら、この脚もあと一時間ってところだろう。
それまで何としてでも誤魔化さなきゃ。
「でっ、でも、お父さん呼んでくるからちょっと待ってて」
心優が立ち上がったので、とっさに手を掴んだ。
「えっ……?」
軽く引き寄せたせいで、心優はおれの目の前にぺたんと座り込む。
おじさんまで来たら、バレたとき言い訳できない。
「大丈夫だから、少しここにいてくれ」
時間稼ぎのためにそう言うと、
「う、うん」
心優はうつむいて頷いた。
あれっ、心優の様子が少し変だぞ。
「あっ」
おれは心優の手を強く握っていることに気がついた。
「ごっ、ごめん」
慌てて手を放すと、
「べ、別に…… 謝らなくてもいいよ」
心優も少し恥ずかしそうに顔を背けた。
どうしたんだろう。
いつもより、声が小さい……
僅かな街灯とまん丸い月に照らされて、うつむき加減の心優の横顔が妙に可愛く見とれてしまった。
「そ、そんなにジロジロ見ないでよ」
「ごっ、ごめん」
……ジロジロ見てたのか。
おれ、骨折しているのに余裕だな。
痛みなんて全然感じない。
心優に気づかれないように、左脚を触ると…… 治っていた。
腕を折ったときより、はるかに早いスピードで。
√ ふん、ヘタレめ。
そんな憎まれ口を叩いたダミアンは、心優の膝の上であくびをしていた。
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