25:静かな朝の終わり
◇十五日目【6月24日(月)】
■心優と弁当
週明けの月曜日。
おれと心優はランニングを終え、埠頭近くの広い公園で軽いストレッチをしていた。
二週間ほど前――
郷原にボコられた苦い思い出がある、あの公園だ。
山麓公園まで行くとダミアンの体力がもたないので、今日は家から近くて高低差の少ないこの場所を選んだ。
公園は広く、桜の木が何本も並んでいる。
おれ達がいる児童遊具のすぐそばの小さな花壇には色とりどりの花が咲いていた。
その端では、高さ二、三十センチほどの石がゴロゴロと転がっている。
花壇を広げる準備をしているのかもしれない。
公園の中央には野外バスケのコートがあり、その向こうにあるベンチには休憩中の人が見える。
――小埠頭で働く人かな?
父さんも小埠頭で働いていた。
朝早く出勤していく姿を思い出し、胸の奥が少しだけ温かくなった。
そんなことを考えていると、心優がストレッチしながらチラチラとこっちを見ているのに気づく。
たぶん、今日はまだほとんど会話をしていないせいだろう。
心優はいつもと変わらないけど、なんとなく目を合わせづらくて、つい視線を逸らしてしまう。
そんなおれを見て、心優は首を傾げている。
ストレッチの次はイメージトレーニング。
ダミアンの指示通り、パンチ、キック、ガードを繰り返す。
コンビネーションも少しずつスムーズになってきた。
心優は公園に設置されたベンチ型の健康器具に座り、ダミアンを膝にのせている。
何度も落とされ、膝に乗ることをかたくなに拒んでいたダミアンだったが、心優に何度も強引に抱き上げられるうちに、ついに抵抗する気力を失ったらしい。
√ トレーニング前に比べて、随分と動きが良くなったな。
返事が出来ないので、代わりにダミアンをチラッと見た。
心優が一緒だからな。
「おぉ、すごいね。うまく言えないけど、どんどん動きがよくなってるよ」
「ははっ、そっ、そうか」
なんか笑い方が不自然だったと自分でもわかる。
動きに関しては、二人が言う通りだ。
疲れはほとんど感じないし、思ったように体が動く。
筋力も超人的ではないものの、以前よりも何割かアップしたようだ。
たとえば―― ジャンプ力。
前は跳んでも指さえかすらなかったバスケのリングに、今は余裕で手が届く。
これは憑依した吸血族が手に入れる能力、つまりダミアンが手に入れるはずだった能力だ。
√ 次、ワンツー、ローキック!
おれはダミアンの指示に従い、コンビネーションを繰り出す。
√ まわし蹴り!
ローキックの後、素早くまわし蹴りを放つ。
足が風を切り、つま先から地面へ抜ける感覚が妙に鮮明だ。
自分でも信じられないほど、体が思い通りに動く。
□
「お疲れぇ」
心優はいつものようにウエストバッグからおにぎりを取り出した。
「えっとね、これとこれと、それからこれがたっくんのぶん」
心優の隣りに座ったおれとの間に、おにぎりが並べられる。
それは昨日までの巨大な米の塊とは違い、ふた口くらいで食べられる小ぶりなものだった。
ひとつひとつ丁寧に形が整えられ、ラップできっちり包まれている。
そして、おれは知っている。
今日のおにぎりには、昨日までと違って、ひとつひとつ違う具が入っていることを。
――それが、今うまく心優と話せない理由だった。
「いつもありがとう」
おれは素直に礼を言った。
「おぉ、今日は素直だね。なんかあった?」
あった……
昨夜、リビングで心優と姉ちゃんが話しているのを、廊下で盗み聞きしてしまったのだ。
心優は姉ちゃんに、おれの好きなおにぎりの具を尋ねていた。
姉ちゃんが、『急にどうしたの?』と訊くと、心優は――
おれが自分の作ったおにぎりやサンドイッチを不味そうに食べるから、美味しいおにぎりを作って見返したい、と言っていた。
そして、「自分がまともに作れそうなのはおにぎりくらいだから」と言って、黙りこくってしまった。
それを聞いたおれは、二人に気づかれないようにそっと自室に戻った。
√ 恋だな。切ないねぇ。
自室に戻るなり、ダミアンがニヤニヤしておれを出迎えたのだった。
「うるさい、茶化すな」
違う。
恋とかじゃない。
おれ達の関係はいとこのようなものだ。
――そう言い聞かせながらも、心優の気持ちを何も考えずにいた自分を、少しだけ悔やんだ。
ぼんやりしていると、心優がじっとおれの顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
おれは視線を逸らした。
「なんでもない」
「そうなの?」
心優の声はいつも通り明るくて、無邪気だった。
「うん」
おれはラップに包まれたおにぎりをひと口食べた。
中にはかつお節。
かつお節?
おかかじゃないんだ。
「美味しい?」
「うっ、うん。美味しい」
……これくらいなら問題ない。
「こっちも食べて。鮭のおにぎりだよ」
かつお節おにぎりを食べ終えたおれは、心優からおにぎりを受けとった。
具は鮭フレークかな?
ごまがまぶされていて、頑張って工夫したことが伺える。
心優に感謝をしてひと口食べた瞬間、強い違和感を覚えた。
なんか柔らかい。
おれは、おにぎりの中身をまじまじと見つめる。
「……これ、鮭の刺身?」
「そう! 冷蔵庫に新鮮な刺身用の鮭があったから、おにぎりに入れてみたの。美味しい?」
外が米で、中が刺身。
さすが心優。
なんていうか、斬新だな。
出来れば、鮭に醤油を数滴垂らしておいてほしかったが……
「どう? 美味しい?」
「おっ、美味しい」
嘘ではない。
心優が一生懸命、おれのために作ってくれたんだ。味はさておき、心情的には美味しい。
出来ればオリジナルではなく、レシピを見て作ってほしいと思うが。
「ほほう、そうだろう、そうだろう。私だって、おにぎりくらい美味しくつくれるのだよ!」
ドヤ顔で胸を張ると、心優は自信満々におにぎりをひと口食べて、首を傾げた。
「あれっ? このおかかのおにぎり、思ってた味と違うね」
「そうかな。これはこれで美味しいと思うぞ」
さっきまで上機嫌だった心優の表情が曇っていく。
かつお節のおにぎりを食べ終わると、次は鮭のおにぎりに手を伸ばした。
心優はじっくりと味わうように食べ終えると、しばらく黙り込んだ。
「ごめんね、たっくん。これ、私が知ってる鮭のおにぎりじゃない……」
そんな顔するなよ。眉が八の字になってるぞ。
「いや、なんか握り寿司みたいな味で美味しかったぞ」
「おぉ、そうだよね! お米と鮭で作ったんだから、理屈は同じだよね!」
どんな理屈かわからんが、ドヤ顔に戻ってよかった。
ご飯、酢飯じゃなかったけど。
「あっ、でも生魚は傷みやすいから、作ったらすぐに食べたほうがいいぞ」
とりあえず、心優がお腹を壊さないように注意しておく。
こいつ、弁当に入れそうだし。
「そうだね。気をつけるよ」
心優のいつもと変わらない声に、おれも少しずつ普段の調子を取り戻していく。
――考えてみれば、心優と一緒にいるときは、悠斗といるときと同じくらい自然体でいられる。
おれ達がしばらくバカ話をしていると、心優の膝の上でキャットフードをポリポリ食べていたダミアンが、突然キョロキョロしだした。
√ おい、後ろを見ろ。
ダミアンがおれ達の後ろを警戒している。
なにが起きたのかと思って、おれも振り向いてみると……
――20メートルほど後ろ。
おれ達の方へ向かって歩いてくる二人の男の姿があった。
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