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24:キッチンに残った家族の気配


■化け猫のいる日常

 家に帰ると姉ちゃんがキッチンの片づけをしていた。


「姉ちゃん、ただいま」

 姉ちゃんは踏み台にのって、細い体をめいっぱい伸ばし、食器棚の上にある金色の大きなアルミの両手鍋に手を伸ばしている。


「琢磨、今日は遅かったわね」


 姉ちゃんは背伸びをしながら指先を使って慎重に鍋を引き寄せようとしていたが、その体勢はかなり危なっかしい。

 踏み台の上でグラッと揺れ、鍋がカタカタと震えた。


「ね、姉ちゃん!」

 慌てて駆け寄り、細い腰に手を回して、支えた瞬間……


「きゃっ!」


 姉ちゃんの小さな悲鳴と同時に、カーンッと甲高い音が響く。

 コントのワンシーンのように、アルミ鍋が見事におれの頭にヒットした。


「イテテ」


「琢磨、大丈夫!?」

 姉ちゃんが慌てて踏み台から下り、頭を押さえているおれの顔を覗き込む。


「大丈夫だけど、何してるの?」

 片づけをしているのは分かるけど、なぜ急に。


「もう使わなくなったものを片付けようと思ったんだけど」


 ダイニングテーブルの上には、大きな土鍋や、箱に入ったままの結婚式の引き出物なんかがずらっと並んでいる。


 土鍋は家族四人で鍋物を囲んだころのものだ。

 姉ちゃんと二人になってからは、出番もなくなった。

 引き出物の数々は、母さんが「いつか使う」と言って、長年キッチンの片隅に眠らせていた。


「前から片付けようと思ってたの。お父さんとお母さんが亡くなってから今月で一年だし、いつまでも悲しんでばかりだとふたりが心配するかなと思って。だからね、毎日使うこの部屋だけでも、使わなくなったものは整理して気持ちを一新させようかなって思ったんだけど…… いい?」


 姉ちゃんは首を傾げておれに許可を求める。

 たぶん、話しながらおれに相談するのを忘れてたことに気づいたんだろう。

 もちろん、姉ちゃんの思うようにしてもらって構わない。


「姉ちゃんがやりたいようにしていいよ」

 おれがそう言うと、姉ちゃんはニコッと笑ってくれた。


 おれはモテるわけではないが……

 いやモテないんだけど、女の子への理想が高いのは、一番近くに姉ちゃんがいるからだと思う。


「それじゃ、片付けるのを手伝ってね」


 姉ちゃんは次々と食器棚や吊戸棚の中から、長年のキッチンの住人たちを取り出してはテーブルの上に並べていった。

 母さんはこれだけのものをどうやってキッチンに仕舞っていたんだろう。


「これ、どこに持っていくの?」


「ちょっと待って」

 姉ちゃんはスリッパをパタパタ鳴らしながらテーブルの横に回り、顎に拳を当てて考え込む。


「これとこれ、それと……」

 しばらく選別したかと思うと、姉ちゃんはいくつかの食器を棚に戻した。


「それは片付けないの?」


「えへへ…… この食器棚のこの段はお父さんとお母さんの場所にしようと思って」


 そこには、ふたりが生前使っていた夫婦茶碗とコーヒーカップ、湯飲みが並んでいた。


「気持ちを一新させるんじゃ」

 ――なかったの?


 と言いかけたが、食器を愛おしそうに見つめる姉ちゃんの穏やかな表情を見て、言葉を飲み込んだ。

 ……姉ちゃんは、やっぱり父さんたちのことを思い出してるんだろう。


 父さんたちの食器の位置を丁寧に整える姉ちゃんをぼんやり眺めながら、もしあの事故がなかったら―― と、もう訪れることのない幸せな世界線に思いを馳せた。


 父さんたちが生きていたら、姉ちゃんは今ごろ大学生だ。


 たぶん難関国立大学だって行けただろうし、姉ちゃんくらい美人で可愛ければミスキャンパスだって余裕だ。

 女子アナとかになって、ニュース番組で笑ってたかもしれない。


 苦労をかけてる弟としては、心から幸せになってほしいと思う。


 そんなことを考えていたとき――


√ これ、気に入ったぞ!

 突然、頭にダミアンの声が響いた。


 あれ? あいつどこにいるんだ?

 おれはテーブルの下や椅子の上を探したが、姿が見当たらない。


「きゃぁ、可愛い!」

 姉ちゃんが頬を赤らめながら、土鍋の中を覗き込んでいた。


√ すごくフィットして落ち着くぞ。


 チッ。化け猫め、せっかく楽しい想像に浸っていたのに、邪魔しやがって。

 腹が立ったので、土鍋にフタをして上に5kgの米の袋をどん、と置いてやった。


「ちょっと琢磨、何してるの!」

 姉ちゃんが慌てて、おれと土鍋を交互に見ている。


√ こら、出せ。蓋をのけろ。

「にゃぁ〜 にゃぁ〜」


 ダミアンが中で暴れる音が聞こえるが、知らんぷりだ。

 しっかしこいつ、おれに文句を言いながら、「にゃぁ〜 にゃぁ〜」と、哀れみを誘う鳴き声で姉ちゃんに助けを求めるところが狡猾すぎる。


 姉ちゃんが土鍋のフタを開けると、ダミアンが尻尾を立てて威嚇してきた。


「シャァー!」


√ 貴様、吾輩になにか恨みでもあるのか?

 無いと言えば嘘になるが、何度も助けてもらっているのでそれは言うまい。


「それで姉ちゃん、どこに持っていったらいい?」


 姉ちゃんはダミアンを土鍋から掬うように持ち上げて胸に抱き、右前足を軽く持ち上げて、

「琢磨、ルナをいじめちゃだめだよ」

 と言いながら、招き猫のようにチョイチョイと振った。


 ダミアンは大人しくなって、姉ちゃんの胸に身を預けている。


「わかったよ」


 おまけに姉ちゃんの顎をペロペロと舐めている。

 猫の姿の悪魔とはいえ、男に姉ちゃんの顔を舐められるのはすごく不快だ。


「じゃぁ、ルナにごめんなさいして」

√ そうだ。真摯に謝罪するなら許してやらんでもないぞ。


 むかつく。


 キッっと睨むと、姉ちゃんが頬をぷくっと膨らませていた。

「ごめんなさい」


√ うむ、許してやろう。

 くっそう。


「ルナも琢磨を許してあげてね」

「にゃぁ」


 こんにゃろ。


 片づけが終わってしばらくすると、心優がカレーが入った鍋を抱えてやってきた。

 おばさんには感謝しかない。


 心優は家で晩ご飯を済ましていたはずなのに、なぜかうちでもう一皿平らげてから帰っていった。


 その間、ダミアンは終始、姉ちゃんの膝の上でゴロゴロしていた。


「これ、琢磨の部屋に持ってあがってね」


 姉ちゃんが差し出したのは、さっきの土鍋だ。

 中には薄いスポンジが敷かれ、その上に柔らかそうなタオルが乗っている。


 ダミアンはテーブルの上に飛び上がると、目を輝かせながら土鍋の周りをウロウロと回り始めた。


「わかった」


 おれが土鍋を持ち上げると、ダミアンは勢いよく飛び込み、鍋の中に隙間なくピッタリと収まった。


 猫は液体とはよく言ったもんだ。

 まるで真っ黒な液体が土鍋に満ちていて、顔だけが真上を向いてぷかりと浮かんでいるように見える。


 自室に戻ると、押し入れの上段に土鍋をそっと置いた。

 その分スペースが狭くなったので、おれの荷物は仕方なく下段に押し込む。


 これで押し入れの上の段は、完全にダミアンの部屋になってしまった。


√ 七花は貴様と違って優しいな。

「うるさい」


 ダミアンは二本足になって土鍋から出てくると、パソコンの電源を入れた。


√ 吾輩がなぜ貴様に憑依しようとしたか、知りたいか?

 それはちょっと興味がある。おれは椅子に座り、押し入れのほうへ体を向けた。


「教えてくれよ。探せばもっと条件のいいやつがいただろ?」

 ダミアンは腕を組み、うんうんと頷きおれを見た。


√ 前回、つまり約四百年前、吾輩はある男に出会った。

 そう言いながら歩き出し、押入れの壁にもたれ、天井を見上げて遠い目をする。

 なんで押入れの天井なんか見上げてんだか。


√ その男は貴様と違って有能な男でな。下僕として召し抱えてやったのだ。

 そう言って、ダミアンはおれを横目でじっとりと見た。

 なんかムカつく。


「つまり、噛みついて下僕にしたんだな」


√ まぁな。奴は吾輩に惚れておったからな。生涯、吾輩と共にいることを許してやったのだ。名をトーマスという。貴様と違って、なかなかの美男子だったぞ。


 いくら男前だって言っても……

 こいつ、男に惚れられて嬉しいのか?


 ダミアンは意味ありげに、おれを見て目を細めた。


√ この男の顔のパーツが、貴様にそっくりだったのだ。懐かしさもあって、吾輩は思わず貴様に狙いを定めて飛びついたのだが…… この有り様だ。


 ダミアンは肩をすくめて、やれやれというポーズをとった。

 四百年前、こんなマヌケに手玉に取られた吸血族っていったい……


「おれに似てるんだったら、たいして美男子ってわけでもないだろ?」


√ そんなことはないぞ。現にお前に似た美しい女がいるではないか。

「姉ちゃんのことか?」


√ その通り。初めて七花を見たときは、男女の違いこそあれトーマスによく似ていて驚いたぞ。


 確かに、姉ちゃんに似ているんだったら美男子かもしれない。


 髪の色が黒じゃなかったら、ネットでたまに見かける白人美少女写真のまとめサイトに姉ちゃんの画像を混ぜても、たぶん誰も日本人だって気づかないだろう。


 ……にしても、そんなくだらない理由でおれに憑依しようとしたのかよ。

 おれはガックリとうなだれた。

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