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第8話

97座目! 達磨山


 アップロードボタンを押すのは、凛の役割だった。『97座目』の動画をアップした興奮のまま、凛はいかに98個目の山が素晴らしいかを教えてくれた。

「この山は高山植物の宝庫って言われていて。この山にもイワカガミが咲いてるんですよ。わたしの好きなヤマユリも。あとこの山といったらシラネアオイですね。シラネアオイは山名から名前がついていて――」

 矢継ぎ早にタブレットのブラウザタブを切り替えながら凛は話す。さすがYouTuberだけあってストレートトークにキレがあるわ、なんて思っているうちに、由衣はうとうとしていた。

「こいつ失礼な奴だよな」

「寝かせといてあげなよ」

 高田と凛の声が、遠のいていく。


 テーブルに突っ伏した由衣の目が覚めたとき、背中には毛布がかけられていた。外は暗い。結構な時間寝てしまったらしい。

 首を回す。二人の姿はリビングになかった。立ち上がり、手首を掴んで背伸びする。

 勝手にトイレを借りる。

 トイレから出たとき、廊下の先に少しだけ漏れる明かりが目に入った。つい好奇心で隠れながらのぞいてしまう。

 隙間から、真剣な表情の凛が見えた。車椅子に座ったまま、脇に杖を挟んでいる。杖は、脚部が四つ又に分かれていて「はてな」のマークのような形をしている。

 どうやら歩行補助器のようだった。

「……っ」

 凛は、車椅子から上半身を浮かせて、杖に体重を預けようとする。金属のきしむ音が小さく響く。腕に目一杯の力を入れているのが、その小刻みな震えから伝わってくる。

 しかし、ふとももより下は動かない。中腰のまま少しのあいだ震えたあと、脱力して車椅子に腰を落とした。

 ひと息吐いた後、息を止めた彼女はもう一度体を浮かせた。額にうっすら汗が滲んでいる。しかし、上半身が中空で揺れたあと、再び倒れ込むように車椅子に戻った。

 高田はずっと心配そうに見ていたが、決して手を貸そうとしなかった。

 由衣はそっと扉から離れて、「トイレ借りるねー!」と大きな声を出した。


 帰る由衣を、マンションのエントランスホールまで二人は見送ってくれた。車椅子で乗り降りする凛の姿を見て、由衣ははじめてエレベーターに鏡がある価値を目の当たりにした。ここで回転できんのかな、と思って見ていたら鏡を見ながらすっと真後ろに動いてエレベーターを出たのだ。

 へええ、あの鏡は身だしなみチェックのためじゃないんか。

 帰りの電車で揺られながら、由衣は低い位置から見送ってくれた凛の顔をぼんやり思い出していた。

 クズの自分が、クズな用途で伸ばした技術で、あんな表情をつくれるのか。こんなことになるなんて思わなかった。なんだかふわふわする。こそばゆくて落ち着かない。けど、凛が出会った頃よりずっと笑うようになったのは素直に嬉しかった。

 握りしめたスマホは、暗い画面のままだった。

 由衣は、このところ嘘の更新をしなくなっていた。ずっとログインもしていない。前の登山で疲れて寝てしまった夜からだった。


98座目! 日光白根山



 今日、由衣は高田とはるばる福島県まで来ていた。

 登山道を進む途中、由衣は弱音を吐く代わりにただ足を止めて立つようになっていた。それは凛が教えてくれた休憩方法だった。背筋を伸ばしてゆっくりと深呼吸する。確かに、座り込んで休むのを繰り返すより不思議と疲れない気がする。由衣が立ち止まると、高田も隣で待ってくれた。

 樹木の列が途切れた踊り場のような場所に差し掛かる。由衣は振り返った。下の方に、登ってきた道が細く見える。登山口は爪の先みたいに小さい。「おお」と言うと高田も「おお」と返す。高田は彼女の横顔と視線の先を、カメラに収めた。 


 山頂に着くと、眼前に大きなハート型の湖が見えた。うろこ雲をうっすらと反射している。

 かわええ。

 高田は小さなコンロみたいな装置でカップラーメン用のお湯を沸かし始めた。風がびゅうびゅう吹くのに炎が消えない。すげえ、と思って由衣は見つめた。その妙にいきいきした目に、高田は頬を緩めた。

 チリトマト派かカレー派かの議論が途切れたとき、ふっと高田が言った。

「お前、なんでああいうことしてたわけ? そんなことしなくてもお前は……」

「はあ? なに?」

 風が強く吹いた。由衣の髪がばさばさと流れてB級ホラー映画の登場人物みたいになった。

「やっぱなんでもねえわ」と高田は苦笑いして、カップラーメンの容器にお湯を注いだ。香ばしい香りが空っぽの胃をダイレクトに刺激する。

 由衣は、凛へテレビ電話をつないだ。画面の向こうで、凛がどんぶりに入った味噌ラーメンを掲げて待っていた。

「「「いただきます!」」」

 三人で食べたラーメンは、五臓六腑に染み渡る旨さだった。


99座目! 安達太良山

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