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第7話

 次の山を歩く由衣は、少し愚痴が減っていた。あくびは何度も出たし、先を行く高田に舌打ちは出たが。

 高田が、由衣のゴアテックスのジャケットを見ながら言う。

「いいじゃんいいじゃん。そっちの方が似合ってんじゃねえか? よくわかんねえダボッとしたアウターより」

 前回の登山で、枝でひっかいてナイロンジャケットに穴が空いてしまった。今日のジャケットは、それに気づいた凛がくれたものだった。「お下がりですが使ってください」と頭を下げる年下の女の子のことを、無碍にできるわけはなかった。

 どっちが頼まれている側で、どっち立場が弱いのか、よくわかんなくなってきた。まあいいか。

「その『ダボっとしたアウター』って、インスタでわたしが着てるやつのこと? ビッグシルエットって知ってる? あんたいっつも、一言多いよね」

 そのとき、山を下る高齢者の集団に「こんにちは」と声をかけられた。慌てて顔と声を整えて「こんにちは」と返す。

 まったく知らない人同士が、すれ違うといつも挨拶する。由衣は登山をしてはじめて、そんな文化があるのを知った。港区じゃ信じられない。

 どんな風にわたしたち二人は見えるのだろうか。気勢がそがれて、由衣は静かに足を進めた。

 こないだの山より、緑が濃くなってる。近くで鳥が羽ばたいたらしく、ばさばさと茂みが揺れた。葉の匂いでむせかえるようだ。

 ふと道端に目をやると、藪の奥に薄桃色の花を見つけた。

「あっ」

 由衣が声を上げると、カメラマン役の高田が目線を辿る。レンズを向けた先には、ひらひらとした花が咲いていた。

「イワカガミ、だね」

「お、花の名前覚えるようになったんか」

「いや、Googleレンズで調べた」

「俺の感動を返せよ」

 ぐだぐだ言う高田を、由衣が追い抜く。モンベルの登山靴は足に馴染んだらしく、今日はまだ靴ズレの気配がない。


 背の高い草むらを割った先で、青が視界いっぱいに広がった。頂上だ。

「着いたあ!」

 富士山が見える。海も見える。なんつう贅沢な。

 興奮気味に由衣が指差す方へと、高田は苦笑いしながら次々にカメラを向けた。

 由衣は、スマホを取り出して凛へテレビ電話をかけた。映像のキメに使うカットの相談をはじめる。

「もうちょっと左がいい?」

「はい、ちょっとずつ動かしてみてください」

 由衣は、スマホのカメラをゆっくりと動かしながら、凛と言葉を交わした。富士山の裾の先に雲海が広がり、ずっと下に街が小さく連なっている。そのままぐるっと身体を回すと、太平洋が見える。

「そこで大丈夫です。ああ、富士の稜線が綺麗」

「うん――この景色、すごいよね」

「お前ら、いつ連絡先交換したの?」

 高田の言葉に、画面越しで二人がにやつく。

 そのとき由衣には、動画で『RIN』がどんな表情で絶景を眺めているのかが、完璧にイメージできていた。



 土曜の昼下がり。動画の確認に来た由衣が高田家のテーブルに着くと、タイミングを測ったように高田のスマホが鳴った。相手は得意先らしく、無意味にぺこぺこしてる。

「急にトラブったっぽい。部屋で打ち合わせしてくる。わりい、編集進めといて」

「どうせあんた、戦力にならないじゃん」

 高田の言葉に由衣が返す。高田は見慣れてきたヘラヘラ顔を浮かべた。

「ゆっくりで大丈夫だよ、お兄ちゃん」

「羽鳥のこと頼むな、凛」

 言い残して高田がばたばたとリビングから出ていった。

 わたしが頼まれる方なのかよ。


 リビングに、凛と二人になった。妙に静かだ。話題が思いつかない。由衣はMacを開いてPremiereを起動すると、ぱちぱちとキーを打ち始める。

「兄って落ち着きないですよね。お茶飲みます?」

「あ、うん」

 由衣の方がぎこちなかった。年上なのに。

 『RIN』が岩を越えるシーン、足の動きにわずかな違和感がある。由衣はその部分を囲むと『Body Craft Pro』のAI支援トラッキング機能を起動する。黄色いアウトラインが凛の足の動きを読み込んでいく。光源とパースが再計算される。まだ甘い三フレームほどに対しては手作業でマスクし直して生成を繰り返す。

 凛が入れてくれたのはハーブティだった。口をつけると、肩がほっとゆるむ。

「休日なのに、ありがとうございます」

「まあ引き受けたことだし。あ、そうだ」

 由衣はトートバッグの中から駅前で買ったマカロンを取り出した。凛の目が細くなり、長いまつ毛が弾む。

 美味しそうに齧りながら凛が尋ねる。

「お兄ちゃんって、会社でどんな感じですか」

「まあ仕事はできる方かな。全体的に雑だけど」

「やっぱり雑なんだ。小さい頃からそうなんですよ」

「昔からかあ」

「遊び散らかしたおもちゃ、片付けて回ってましたよ」

「あいつの打ち合わせ資料、わたしが片付けてるよ」

「ふふ」

 凛は、マカロンを吹き出さないように指先で口を押さえた。しばらく二人で、高田の乱暴な言葉づかいだとか物を投げて渡す悪癖だとかで盛り上がる。

 時折、由衣はディスプレイを凛に見せて、『RIN』の表情や風景の見せ場について確認した。二人とも映像編集には詳しいので話が早い。


「……でもまあ高田って要領がいいっていうか、大事なとこだけは細かいよね」

「分かります。レストランに出かける前に、車椅子で入れるか毎回隠れて聞いてたりしてて」

 そっか車椅子で入れない店もあるのか、と思いつつ知ったような顔で由衣は「へえ、いいお兄ちゃんじゃん」と頷いた。

 なぜか由衣には、大きな背中を丸めてレストランに電話する高田の後ろ姿がうまく想像できた。

「うん、いいお兄ちゃんなんです」

 凛は無邪気な顔で言い、カップを口に運ぶ。自分にない屈託のなさに、由衣はまぶしさを感じた。

「あ、本人には言わないでくださいね」

「あはは、調子に乗るから言わないよ。結局、高田のことけなしてるのかほめてるのか分かんないね」

「ですね」

 笑い声のあとに静寂が訪れた。キーの音だけが響く。でも、もうそんなに居心地は悪くなかった。

 ――今度、おしゃれなレストラン一緒に行こっか、わたし、そういうの無駄に詳しいし。車椅子が可能なところ。

 そんな言葉が、由衣の喉元まで出かかったとき、凛が口を開いた。

「わたし喋りすぎてないですか?」

「え?」

 一瞬、由衣は何を言われたかの理解できなかった。

「兄以外の人と二人きりで話すの、久しぶりだから。変じゃないかなって」

「そんなことないよ」と由衣が言うのと、まるで空気を読まないタイミングで高田が勢いよくリビングのドアを開けて入ってくるのは、同時だった。

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