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第3話

 昨日アップしたカフェ動画も伸びそうだなあ。

 そんなことを考えながら由衣がオフィスの休憩所のベンチに腰かけると、ふいに缶コーヒーが目の前に飛んできた。

「ほいこれ。急ぎの対応のお礼」

 由衣は缶を取り損ねて、お手玉するみたいになった。あたふたした顔を上げるとニヤリとした高田の顔があった。自分用に買ったらしいもう一本の缶を開けている。

「これ、あんまり飲まないんだけど」

「そうなん? めちゃうまじゃん」

 と言いながら、高田はぐびぐびと喉仏を動かしながら飲む。

 満足そうな同僚の横顔を見て、由衣はなんだかばかばかしくなった。

「ま、いいや、これで」

 長い爪の先でプルタブを引くと、気の抜けた音が休憩所に響いた。ごちそうさん、と言い残して高田が空き缶をゴミ箱にシュートしながら休憩室を出ていく。


 たまらず、由衣はスマホの画面をオンにする。自分のYouTubeアカウントがすぐに表示された。

 おお、伸びてる伸びてる。

 ふはは。と由衣は心の中で笑った。

 コメント欄をざっと確認する。褒めたり称えたり下心が見え隠れしたりするコメントに脳みそが痺れる。

 あ。インスタでも相互フォローのメン地下アイドル『K-ZO』さんからコメントが来てる。

 返事を送ろうとした、そのとき――

「それ、『ゆいぴん』じゃん!? ん?」

 斜め後ろから、高田の声がした。心臓がびくんと跳ねる。振り返ると、トイレに行ったのか似合わないハンカチで手を拭きながら、高田がスマホの画面をのぞきこんでいた。

「おああっ!!」

 由衣は間抜けな叫び声ととともに、スマホを落としてしまった。高田の足元に落ちて、靴先にぶつかる。

「お前の、え? どういうこと?」

 高田はスマホを拾い上げ、容赦なく画面を凝視する。

「まってまって!」

「……あ、そゆこと? まさか羽鳥、『ゆいぴん』?」

 ひとり納得顔の高田から、由衣はようやくスマホを奪い取った。高田がにやにやしながら手を伸ばしてくるのを、身をよじって必死にかわした。

「……そっか、お前なら」

「違う! やってないから! 画像加工してインフルエンサーとか、絶対やってない!」

 自白だった。


 高田は、自分のスマホで『ゆいぴん』のアカウントをじっくり見つめていた。

 調べれば、「ゆいぴん=由衣」の証拠はいくらでも出てきた。仕事での出張先の時期と場所が『ゆいぴん』の投稿写真と重なっていたり、企業案件で提供された服をオフィスウェアに流用していたり。

 由衣はじっとうつむいている。スマホは膝の上で裏返しになったままだ。

 高田が澄んだ目で言った。

「こんな嘘ついてて虚しくないわけ?」

「ぜんぶ嘘じゃないもん。行ったお店とか、食べたものとか、着た服とかは、ほんとで……」

「それで企業から金もらってんのはタチ悪いな」

「…………お願いしますだまっててくださいなんでもしますほんと勘弁してお願いお願い」

 高田は、目を細めて考えるそぶりを見せた。いたずら好きな猫が小動物を追い詰めるようだ。

「なんでも、って言ったな?」

「……あ、そういうのは無し!」

 とっさに由衣は両腕を胸の前で交差させて、自分の身体を抱えるようにした。高田は面倒くさそうに肩をすくめる。

「んなクズじゃねえよ。やべえ奴にやべえ奴扱いされたくないわあ」

 苦笑いして高田は言った。

「……ごめん」

 由衣がつぶやくと、高田はスマホをジャケットのポケットに投げ込んで言った。

「まあ考えるわ。なんでもするって言うなら。せっかくだし」


 高田が由衣を呼び出したのは、三日後のことだった。

 由衣は廊下をきょろきょろとうかがってから、休憩所の扉を静かに閉めた。あの日以来、意外にも高田はいっさいこの件で由衣を弄ったり、人前でほのめかしたりするそぶりは見せなかった。

 由衣は捧げるように缶コーヒーを高田に渡す。上目遣いで彼の顔をうかがう。

「確認だけど、例の件、黙っててほしいんだよな?」

「…………はい」

「ならさ、ちょっと頼み聞いてほしいんだ」

「…………はい」

 由衣は今にも泣き出しそうな顔で高田を見上げた。高田は缶コーヒーを少し振ってから、一口ぐびっと飲んだ。

「悪いことじゃねえから。ただ、ちょっと変わってる頼みかもしんねえけど」



 翌日の土曜日。由衣は、高田と駅前の広場で待ち合わせていた。明るい日差しのなかで家族連れや恋人たちが行き交う。が、いまの由衣は人の幸福がうっとうしい。遠くからやってくる高田が軽く手を挙げるのが見えた。

「着いたら説明するわ」

 とだけ言って歩き出した高田のあとを、由衣はとぼとぼ着いていく。

 マンションらしきビルに着いた。オートロックを手慣れた手つきで解除する感じからは、高田が住んでいる場所のようだ。エントランスのエレベーターの前で、いぶかしげに由衣は彼を見上げる。

「だーかーら、そういうんじゃねえから。家族がいる」

 高田が廊下に面するドアを開けた。

 玄関の先にいたのは、車椅子のホイールを回してこちらに向かってくる若い女性だった。ナチュラルなボブヘアに整った顔立ちだ。

 奥さん? でもそこに他の女を連れてくるってどういうこと? 頭がバグる由衣に、女性はまっすぐに視線を注いでいた。

「ただいま、凛」

「おかえり、お兄ちゃん」

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